青春の沈黙≪1≫ 絶望の果てに、絞首台の先で逢おう

「……悲しくない訳無いだろ……。」
「えっ? ど、どうして? 何が悲しいの?」

礼矢が何を悲しんでいるというのか、それが分からないらしい満は少し焦った様子で訊き返してくる。
だが、礼矢はそれに答えられず、満から視線を逸らさないようにするだけで精一杯だった。
それは、何も思う事が無かったからではない。
証拠に、礼矢の思考には、このような惨劇を現実に起こすに至った理由は何なのかと問い質したい気持ちがあると同時に、惨劇を起こしてしまうほど追い詰められた満を労わる気持ちがあった。
また、本当にこの方法しか無かったのかと問いかけてみたい気持ちもあれば、この方法しか無かったと思ったであろう満に同調する気持ちもあり、満を此処まで狂わせてしまった同級生達を怨む気持ちもある。
そして何より、どの生徒や教師よりも満の傍にいたはずだというのに、満がその胸の奥に抱えていた歪みを本当の意味で理解する事や、満の凶行を止める事、満を虐めの苦しみから救う事ができなかった事への後悔が、上履きの裏に付いた血液よりも暗く、重く、礼矢の心を塗りつぶしているのだが、満はそれに気付かないようで、しばらく困ったような顔をしていた。
しかし、やがて何かを思いついたのか、名案を思い付いたとでも言いたげな明るい笑顔を見せる。

「あ、そっか! きっとこれもアイツ等のせいだよね!」
「……え?」

突然出てきた他者を指す言葉に礼矢は驚き、普段は糸の様に細い目を少しだけ見開いた。
アイツ等とは一体誰や誰の事を言っているのか、それは考えるまでもなく分かったが、何故そこでアイツ等という言葉、つまりは、今そこで死んだ男子生徒を含む虐め加害者達のことを指す言葉が出てくるのか、理解できなかったからである。
今この瞬間の礼矢が悲しみに暮れている理由は、飽く迄も、満が殺人者になってしまった事、であり、虐め加害者達の存在ではないのだ。
しかも、その虐め加害者達の大半は、満の手によって既に殺害されており、今更礼矢に対して嫌がらせをする事などできなくなっている。
それなのに、満は何故それらの人間が礼矢を悲しませていると思うのか、またそう思った理由は何だというのか、その点の答えが分からずに戸惑う礼矢に対し、満は笑顔を見せたまま、左手を差し出してきた。

「これ、貸してあげる!」

礼矢に向けて差し出された満の血に塗れた左手には、それと同じ程度に血に塗れた包丁の柄が握られていた。
それは男子生徒と対峙していた時とは違い、相手に切っ先を向けないよう丁寧に握られている。
だから、そこに自分に対する殺意はない、という事は分かっているのだが、礼矢は何故か恐怖に似た悪寒が背筋を走る感覚がした気がした。
その悪寒を、恐怖を、どうしても否定してしまいたくて、或いは否定してほしくて、礼矢は訊くまでも無い事を訊く。

「お前、それどういう意味だよ……」
「ん、そのままの意味だけど? 礼矢はよく、俺が誰か殺すならタックルからの圧殺だな、って言ってたけど、それって意外と難しいと思うんだよね。だから、これを貸してあげる。それで、僕と一緒に、アイツ等を殺そうよ! あと、アイツ等を止めなかった低能教師共もね!」

自分は今、殺人犯になる事を満から勧められている、という事実を目の当たりにした礼矢は、今度こそ何の返答もできなかった。
礼矢の中で、様々な思いが交差する。
確かに、自分も満と同じで虐めの加害者やそれを咎めない教師達に殺意を持つ事がある、というのは事実だ。
加えて、脳内に渦巻く想像、いやこの場合は妄想とでも言うべきか、とにかくそのような仮想の世界の中でなら、それらを殺す自分を作り上げてみた事もあった。
しかし、だからといって、実際に、現実で、人間を、殺せるか? と訊かれると、正直なところ、何とも言えず、つまりは、そう簡単には殺せないだろうと思う自分がいる事に気が付くのである。
それは、殺人が法律というルールを破る事であるからか、それとも法律を破った後の刑罰が怖いからなのか、またはそれらの両方なのか、そうではなく他の理由なのか、礼矢にはよく分からない。
ただ、理不尽な悪意の被害者による悪意の加害者への復讐、報復を容認する考えのある礼矢としては、今更、殺人は如何なる理由であろうと絶対なる悪だ、等と言って正義の味方を気取り、復讐する被害者となった満を責めるつもりはないので、礼矢が殺人を躊躇う理由が正義や善意ではない事だけは事実であろう。
しかし、それ以外の事は、礼矢自身にすら全く分からないのである。
目の前で明るく笑う血塗れの満の左手から包丁を受け取るべきか否か、いや、受け取りたいのか受け取りたくないのか、礼矢は迷う。

「どうしたの? もしかして迷ってるの?」

満の左手とそこに握られた包丁を凝視したまま動こうとしない礼矢に向けて、満が問いかけてきた。
礼矢はやはり何も言うことができないまま、縋るような思いで満の顔を見る。
満は少しきょとんとしたような顔をして礼矢を見ていた。
その表情はまるで、礼矢が満から包丁を受け取る事を躊躇している事が意外だと言っているように感じられる。
礼矢はそこに、満の本気、とでも言うべきものを見た気がした。
正気か狂気か、等という話では測定できない、唯ひたすらの、恐ろしい程の本気。
礼矢の脳裏に、かつて交わした会話が蘇る。
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