青春の沈黙≪1≫ 絶望の果てに、絞首台の先で逢おう

廊下に出た礼矢が最初に見た光景は、凄惨に凄惨を重ね続けたような、なんとも言い難いグロテスクな光景であった。
そこには、先ほどの男子生徒と女子生徒の死体以外に、いくつかの死体――例えば、隣のクラスの不良生徒の死体や、不良生徒だけでなく礼矢をも咎めたあの日の初老の男性教師――が血溜まりに沈んでいて、その光景は凄惨であると同時に、礼矢に奇妙な非現実感をもたらしていた。
それは、先ほど他の生徒を見捨てて一目散に逃げた女性教師の現実逃避に少し似ているが、全く同じという訳ではない。
何故ならば、礼矢が覚えた非現実感の理由は単なる恐怖ではなく、今礼矢の目の前にある凄惨な光景が、いつも礼矢の頭の片隅にあって、何かが起きた拍子に少しだけ顔を出す、破壊的で破滅的な妄想を具現化したような光景に思えていた事が原因なのだから。
廊下に転々と転がる死体を見ても動揺や憐憫をさほど覚えない自分と、他の生徒の安全を確保する事も忘れて保身に走った女性教師、どちらがより正しい人間なのだろうかと、礼矢は少しだけ考える。
だが、それはいくら考えても答えの出ない事のような気がしたので、礼矢はそれを考える事を止め、生徒や教師の死体という道標を辿りながら満を探す事にした。

初老の男性教師や、その男性教師が担任を務めているクラスの生徒と思わしき死体達と、その死体から溢れ出た血液が残した満の上履きの足跡を追い、礼矢は静まり返った廊下を一人で歩く。
途中、本来なら初老の男性教師が朝の会を執り行っているはずの教室の扉に目を向けると、扉に嵌め込まれた窓からこちらを伺う視線をいくつも確認する事ができた。
その視線を遮るかのように、窓にベッタリと付着した赤い手形は恐らく、満のものだろう。
こちらのクラスは、礼矢と満のいるクラスに比べると満に殺された生徒も教室から脱走した生徒も少ないらしく、まだ二十名程の生徒達が教室の中央に集まって、恐怖を紛らわせるように身を寄せ合いながら、扉の外にいる礼矢のことを警戒している様子が伺える。
あの様子だと、このクラスは既に前後の扉の鍵を閉めているのだろう、と考えながら、礼矢は先へ進む。
だが、死体を辿っていくつかの教室を通り過ぎた頃、礼矢はふと、満を止めると思って此処まで来たものの、本当に自分に満を止める事ができるのだろうか? という疑念を感じ、元々大して速く動かしてはいなかった足を完全に止めた。
満を止める、その目的をもって教室を出たはいいものの、どうやって満を止めるのか、その方法を、礼矢は全く考えていなかったのである。
それに気付くと、礼矢は忌々しげにチッと小さな舌打ちを漏らし、片手で頭を抱えた。

どうすれば、どうすれば満を止める事ができるのだろうか?
礼矢は必死に考えを巡らせる。
やはり、このような場合は言葉で止める事が一般的なのだろうが、そうだとして、自分は何を言えばいいのだろうか?
ありふれた言い方としては、もう止めてくれ、という言葉が思い浮かぶが、果たしてそれで満を止める事ができるのだろうか?
いや、その様なありふれ過ぎた言葉で満が止まるとは思えない。
その様な言葉は、満を余計に失望させるだけだろう。
ならば、何を言えばいい? 或いは、何をすればいい?

礼矢はしばらくそれを考え続けたが、満を止める決定打となりそうな考えは浮かばず、体の表面を這うような気持ち悪い焦りだけが増幅していく。
十一月も半ばで、もはや夏の暑さなど何処にも残っていないはずだというのに、礼矢の額に薄らと汗が浮かぶ。
何が理解だ、何が仲間だ、何が同志だ! 理解しているなら、仲間だというなら、同志だというなら、何故この惨劇を終わらせ、満の心を血の海から助け出す言葉の一つも思い浮かばないのか! と、礼矢は悔しさに任せて下唇を噛んだ。
その悔しさはやがて、今すぐこの場から、そして満から逃げ出してしまいたくなるような無力感に変わり、礼矢を襲う。
だが、礼矢は頭を抱えていた片手を下ろすと、悔しさで僅かに歪んだ表情のまま、満を探して再び死体と足跡を辿り始めた。
言うまでも無いかもしれないが、それは礼矢がどうやって満を止めるか決めたという事を意味しない。
そのため、礼矢が後悔と無力感に苛まれ、涙が零れそうな心境に陥っているという事実に変化は無い。
だがそれでも、一度でも、一瞬でも、満を理解したと思い、満に理解してもらったと思った事実にも変化は無いと信じる礼矢は、とにかく満の前に出て行く事を選んだのである。


逃げたい気持ちが無いと言えば嘘になるが、それ以上に満ともう一度顔を合わせなければいけないという気持ちを持つ事で再び歩き出した礼矢の足は、先ほどよりも少し速かった。
死体を辿って廊下を進んで、赤い足跡を辿って階段を駆け下りて、また死体を辿って廊下を進む。
そうして、一階にある職員室の前に辿り着いた時、礼矢の耳に、もう何度目か分からない悲鳴と、断末魔が突き刺さってきた。

「来るな来るな来るな来るアギャッ!!」
21/42ページ