青春の沈黙≪1≫ 絶望の果てに、絞首台の先で逢おう

礼矢の席の横に立った満は、礼矢の今の姿をじっと見つめてきた。
どうやら礼矢の今の様子を観察しているらしい。
額に張り付いた前髪、汗が染みて肌色が透けて見えるワイシャツ、頬を伝う大粒の汗――まるで熱中症になる一歩手前のような汗まみれの礼矢を見て、満は柔らかい笑顔を苦笑に変える。

「凄く暑そうだね、大丈夫?」
「この真夏にブレザーまで着てる奴に言われたくねぇよ。」

礼矢は半ば呆れたような溜息を吐きながら、机の上に置きっぱなしになっていたノートや筆記用具の低い山の中から青色の下敷きを引っ張り出し、それを団扇を使うように揺らして自分の顔を煽ぎ始めた。
確かに、礼矢は誰が見ても酷いほどに汗まみれで明らかに暑そうだが、暑い時に汗を掻くというのはごく当たり前の事であり、また礼矢はその暑さに少しでも対応できるように最低限の枚数しか衣服を着用していない。
それに対して、満はほとんど汗をかいていないどころか、冬用の分厚いブレザーを、ワイシャツのボタンを第一ボタンまでしっかり閉めたうえで着込んでいる。
礼矢のみならず、ほとんどの生徒が半袖のワイシャツという夏服に着替えたり、ワイシャツは冬服の長袖でも、ブレザーまでは着用しなくなるという季節に、満の格好は異質にも程があった。
だが、当の満はその異質感を楽しんでいるらしく、何かを誇っているような楽しそうな笑顔で

「あはは、だって僕は、制服の中ではこの格好が一番気に入ってるんだもん。」

と言うのだ。
そう言われてしまうと、制服は周囲と変わらない着方をしているが、私服のデザインが満の制服のごとく一年を通して一切変わらない礼矢は何も言えなくなってしまう。
幼い頃からあまり派手な服が好きではなかった礼矢は、小学生の頃からいつも、青か紺か黒か白か水色といった偏った色の服しか着用せずに過ごしてきていて、高校に進学した今でもそれは変わってはいない。
それがあまりに単調過ぎるので、中学生の時には無条件に友人だと思っていた相手から、自分と友人でありたくばその服装をどうにか変えろ、と言われてしまった事すらある。
だが、礼矢はそれでもじぶんの服装を変えようとは思わなかった。
正確には、変えようとしても少し時間が経つとまた元の服装に落ち着いてしまうので、変えようと考える事をやめたのだ。
そんな礼矢だから、満の言い分は分からないものではなく、むしろ共感できるものであり、自分も周囲から見れば満と同じなのだろうな、と思っている。
だから礼矢は少々沈黙した後に、やや卑屈そうな笑みをその顔にうっすらと浮かべて笑う。

「はは……まぁ、気持ちは分かるぞ。」
「でしょ? 良かった、礼矢なら僕の気持ち、理解してくれるって思ってたんだ。」

礼矢の卑屈そうで苦笑に近い笑みとは真逆の、心の底から嬉しそうで一見屈託のない“ような”笑みを浮かべながら、満は礼矢の前の席の机から椅子を引き出してストンッとやや勢いよく腰かけた。
それを見る礼矢は、もし今椅子に勢いよく腰かけたのが満ではなく自分だったら、周囲が想像する擬音はストンッではなくドシンッ、もしくはズドンッ、なのだろうなとぼんやり思う。
というのも、以前、礼矢が校内を歩いていた時、少し派手な男子たちがニヤニヤと陰湿な笑顔でこちらを見ていると思ったら、礼矢の足が床を踏むのに合わせて、ズシン、ズシン、と口で地響きの効果音を付けていたのを、礼矢は知っているからだ。
そして少なくとも、礼矢は満が同じ目に遭っているところを見た事は無い。
やはりその意味で満は礼矢よりも優秀な外見、形状をしているのだなぁと、礼矢はしみじみ思うのだ。
だが、それと同時に礼矢は、満が一般人と変わりがない部分はその体の細さだけである事も知っている。

「ところで礼矢、ちょっと見せたいものがあるんだけどいいかな?」

礼矢の前方に座った満は、そう言って自分の懐――ブレザーの内ポケットに手を入れる。
礼矢は一瞬だけ不思議そうな顔をしたが、満のとても楽しそうで少し悪戯っぽい笑顔を見て大体の事を理解した。
満がこうして微笑以上の悪戯っぽい笑顔を見せる時は大抵、満と礼矢以外にとってろくでもない事が起こる、という事を礼矢は既に熟知している。
だから今回もまた、普通の人間からしたらろくでもない、もしくは忌避すべき事なのだろう、という事は容易に想像できたが、礼矢は満のそんな所を意外と気に入っている為

「あぁ、構わないぞ。」

と答えた。
すると満は、待ってました! と言わんばかりに嬉しそうな顔をして、ブレザーの内ポケットから手を抜いた。
その手は一冊の文庫本を持っていて、礼矢は何の本だろうと小さく首を傾げる。
礼矢が見た限り、文庫本の厚さは約一センチほどで、本全体はあまり古ぼけては見えず、新品と言って間違いはなさそうだ。
内容は、礼矢の座っている位置からはまだ裏表紙しか見えていない為、詳しい事は分からない。
背表紙も、厚さが分かる程度には見えたが、内容が分かるほどじっくり見る事は出来なかった。
満はその文庫本の裏表紙を上にして礼矢の机の上に置き、礼矢の目の前へ差し出しながら言う。
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