青春の沈黙≪1≫ 絶望の果てに、絞首台の先で逢おう

「……まぁ、それももうすぐ終わる事だからいいけどね!」

此処ではない何処かを睨む事をやめた満は、明るくハツラツとした声でそう言って笑顔を見せた。
それは、僅かな淀みも感じさせない爽やかで晴れやかな笑顔だったのだが、それを見た礼矢は何故か胸騒ぎを煽られ、胸の辺りに息切れとは別の苦しさを感じてしまう。
そのせいで礼矢は表情が少し曇ってしまったが、それでも満は何かを楽しむようにニコニコと笑っていた。
このように、満が世間一般にゴロゴロと転がっている普通の人間からすれば理解が及びにくい表情の変化を見せる事は、そう珍しいことではないという事を、礼矢は大分前からよく知っている。
だが、そんな礼矢ですら不安にさせる不穏な何か――例えば、行き過ぎた明るさ――が、今の満の表情変化の中にはあって、その不安を見て見ぬ振りでやり過ごす事ができなくなった礼矢は

「満、それってどういう――」

と、満にその笑顔と言葉の意味を問いかけようとする。
しかし、礼矢がそれを言い終わる前に、それを遮る様にして満が言った。

「さて! あんまりモタモタしてると朝の会に遅刻しちゃうし、そろそろ行こう!」
「え? あ、あぁ……そうだな。」

満の声は明るく、しかし有無を言わせぬ威圧感もある気がして、礼矢は異を唱える事ができずに頷くしかなかった。
礼矢が頷いたことを確認すると、満は教室に向けて歩き始める。
礼矢も、満に対する不安、胸騒ぎを抑えきれないまま、満の背中を追う様にして教室へ向け歩き出す。
そうして教室に向かう礼矢と満の周囲は、登校してくる生徒、あるいは既に鞄を片付けて自由に歩き回る生徒が増える度に騒がしさを増していくのだが、その間をすり抜けるように歩く二人の間に会話は無く、この時二人の間には珍しく気まずい沈黙が漂っていた。
と言っても、その時それを気まずいと思っていたのは、もしかしたら礼矢だけかもしれないのだが、例えそうだとしても、片方が気まずさを感じている事が確かな以上、それが気まずい沈黙である事に変わりはないだろう。
この沈黙をどう打ち破ったものか、と考えて、礼矢は小さく溜息を吐き、ふと近くの窓の外を横目で見た。
空は、まるであの日のように酷い晴れで、その澄み切った様子が礼矢の憂鬱に拍車をかける。

「礼矢? そっちは違うクラスだよ?」

憂鬱な物思いに耽りながら歩いていた礼矢の耳に、突如満の声が通る。
礼矢は大分驚いた様子で歩みを止め、いつの間にか背後に回っていた、と言うよりは、礼矢が通り過ぎてしまっていた満へと振り向いた。
満は何か不思議なものを見るような目をして礼矢を眺めつつ、自分と礼矢の所属する学級の教室の出入り口の扉の前に立っている。

「……あ、マジか。」

どうやら礼矢は物思いに耽るあまり、自分の所属する三年二組の教室の前を通り過ぎそうになっていたようだ。
秋も終わりに近づいて、三年生の教室にも通いなれたと思っていたところで起こしてしまった痛恨のミスに、礼矢は思わず頭を抱えて恥ずかしがる。
そんな礼矢の様子を、満はしばしの間きょとんとした表情で見つめていたが、ふと表情を和らげて礼矢に歩み寄り、慰めるように肩を軽く叩きながら声をかけてきた。

「大丈夫だって、たまにはそんな事もあるよ。さ、教室に入ろう。」

そう言った満の笑みは優しく柔らかく、そこに満の穏やかな一面を感じた礼矢は、恥ずかしそうに頭を掻いて見せながら少しだけ笑って頷いた。
そして密かに、それまでの不安や胸騒ぎを否定する。
確かに満には周囲に溢れる普通と呼ばれる人々とは違う面があり、それが顔を出す事が度々あるのは事実だが、今自分の目の前にいて笑っている満は、自分のよく知るいつも通りの、いつも通りを続けている満なのだから、何も心配する事など無いだろう。
そう思うと、それまで心臓を締めあげていた謎の不安は霧散して、礼矢は自然に笑うことができた。
そうして何となく和やかなムードになりながら、礼矢と満は教室に入る。
この頃、礼矢と満の座席はやや遠く、礼矢が窓側最後列に机を置いているのに対し、満は廊下側最後列に机を置いていた。
だからここ最近は、一旦それぞれ自分の席に荷物を置いて、その後満が礼矢の席まで来て話す、という流れが通例になっている。
といっても、これは、満が礼矢に構ってほしくて仕方がなくて自分から礼矢に近づくようにしている、という訳ではない。
いや、勿論、満は礼矢と話す気があるから礼矢の席に近づいている、というのは間違いなく事実だ。
ただ、満が礼矢の席に近づく事はあっても、礼矢が満の席に自ら近づく事はないのである。
といっても、これは特別難解な理由がある訳ではなく、満の席の位置が廊下側最後列という、教室後方の扉に非常に近い事が問題というだけだ。
要するに、礼矢が満の席に近づいて雑談するという形式を取ると、礼矢の肥えた体で出入り口が狭くなってしまい、それが理由となって、邪魔なデブは死ね、等の罵倒が飛んできてしまうのである。
なので、ここ最近の二人は満の席ではなく、礼矢の席の近くで雑談を交わすようになったのだ。
そして、礼矢と満は今日も、それぞれの席に鞄を置き、教科書や筆記用具を机の中に入れると、満が礼矢の席に近づいてきた事を合図に、雑談を始める。
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