青春の沈黙≪1≫ 絶望の果てに、絞首台の先で逢おう

「……あ、もう学校か……。」

そうか、もうすぐ終わるとは、もう少しで学校に到着するから、そのタイミングが奴等から離れるチャンスになるという事か、と理解して、礼矢は今度は安堵の溜息を小さく吐く。
とはいえ、いくら自分達が逃げたとしても、奴等が追ってきてしまえば逃げられない事には変わりないのだが……とも思い、それについて満はどう考えているのか気になった礼矢は、満の表情を窺う。
そして、その奇妙な表情に気が付いた。
礼矢が満の顔に視線を向けたその瞬間、満は喜怒哀楽のどれにも当て嵌まらないような、無機質な表情をしていたのだが、それが、徐々にではあるが口の端を吊り上げた、何かに期待を寄せるような表情に変化していったのである。
それは、礼矢が初めて見る満の表情で、礼矢は満が何を考えてそのような、簡単に言えば笑みだが、単純に笑みと言い切るのには何か違和感がある表情をしているのか、推察しきれなかった。
何かモヤモヤとした息苦しさが礼矢の胸を締め付ける。
それが、不安、というものだったのだと礼矢が気づくのは、まだ少し先の話だ。

「ん、礼矢どうかしたの?」

礼矢がふと我に返ると、何事もなかったかのように最初の上機嫌な表情に戻っている満が、礼矢の顔を覗き込んでいた。
それが妙に薄ら寒いとでもいうべき、何か作り物めいた笑顔に見え始めて、礼矢は一瞬、何を言えばいいか分からなくなってしまう。
今まで、自分と同じ、もう一人の自分のように思っていた、満の考えている事が分からない。
自分は、何を言えばいいのだろう? と自問するも、まともな答えが導き出せなかった礼矢は、無難に、

「あ、いや、何もない。」

と言って、視線を前方に向けた。
礼矢と満が少しノロノロとゆっくり歩いているうちに、件の男子生徒達は学校の正門を通り抜けてしまったのか、前方にいる生徒は先ほどの男子生徒達とは別の生徒達で、礼矢や満のことをジロジロと眺めてはいない。
満の表情の件も不安だったが、朝の会が始まるまでに教室に着けるかどうかも不安になり始めた礼矢は、少し速足で校舎へ向けて歩き出した。
満は、時より他人に道を譲りながらも、基本的には礼矢のすぐ傍を離れずに付いてくる。
礼矢は、朝の会の時間の事を考えながらも、残りの思考力で満の事を考えていた。
満は、何を考えて笑っていたのだろう? そしてその笑みがどこか不自然だったのは何故だろう? そもそも、満は本当に上機嫌なのだろうか?
そんな疑惑が絶えず浮上して、礼矢の脳裏を過るどころか、何度も駆け巡る。
だが、そうして考えれば考えるほど、謎の胸騒ぎが酷くなるその苦しさから目を逸らしてしまいたくて、昇降口に着く頃には朝の会の時間の事だけを考えるよう、自分の脳細胞に故意に命令を下すのであった。


礼矢と満が昇降口に着いた時、周囲には多くの生徒がいたが、幸いな事に件の男子生徒達が二人を待ち伏せしているという事はなかった。
礼矢は安心したように溜息を吐いて、自分の靴箱に歩み寄る。
同じクラスのため靴箱の位置が近い満も、そのほぼ隣で靴を履き替えていた。
革靴から上履きに履き替えた二人は校舎にあがって近くの階段から三階へ上がる。
三階に着いた時、礼矢はまたも軽い息切れを起こしながら視線を伏せていて、満に少し心配そうに顔を覗き込まれることとなった。

「大丈夫? エレベーターとかあればいいのにね。」

そう言って苦笑する満に、礼矢は笑いたいと思っているが笑い切れていない表情を見せながら言う。

「高校でエレベーターとか普通無いだろ……あったとしても、教師と障害者しか使えねぇって。」
「あぁ……それは確かにありそう。」

礼矢の指摘で、やはり高校に一般の生徒が使えるエレベーターなど夢物語か、と納得したのか、満は何とも言い難い、何かを諦めたような苦笑を浮かべた。
そんな満のすぐ傍で、礼矢は二、三回深呼吸をしてから、それまで僅かに伏せていた顔を上げる。
それから、今度は逆に天井を仰ぎながら深呼吸をしたところで、満が不意に口を開いた。

「……でも、ズルい生徒なんかは無断で使うんだろうし、真面目が損するってホント理不尽だよね。」

礼矢を気遣うような事を言っていた時とは全く別の、何処か不機嫌そうで、どこか嫌悪感が滲んでいる声音に、礼矢は少し驚きながら満へと視線を向けた。
そして、満の表情の重暗い冷たさと、嵐の前の静けさのような不穏な空気にゾッとする。
怒りとも悲しみとも言い切れない、強いて言うならばその二つが解く事など不可能な程複雑に絡み合って生まれたのであろう何か別の感情が垣間見える表情で、満は此処ではない何処かを睨み付けていたのだ。
睨む先はおそらく、不真面目な生徒、つまりズルい生徒になるような者達の姿なのだろう。
ただ、それは飽くまでも満の意識の中でだけ構築されている虚像なので、当然ながら礼矢はそれを一緒に見る事はできない。
実際はただの透明な空気でしかない空間をにらむ満を見る礼矢は、満がどのような思いでどのような不良生徒を視線の先に描き出しているのか見てみたいような気持ちと、しかしそれはできないという現実に安堵するような気持ちという、なんとも矛盾した思いを感じた。
そう、いつもな満の言う事、する事に反感のような感情など覚えない礼矢が、この時は珍しく満と自分の間に壁のような何か、意識の隔たりともいうべきものを感じたのである。
そのせいで礼矢は満になんと声をかければいいのか分からず、呼吸が落ち着いてからも一切の言葉を口にできずにいた。
そのような礼矢の複雑な思いを知ってか知らずか、満が沈黙を破る。
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