青春の沈黙≪1≫ 絶望の果てに、絞首台の先で逢おう

「……まぁ、百歩譲って、声をかけてしまった事は僕が間違っていたと認めてもいいさ。でも、たったそれだけで、なんであんなに否定されなきゃいけないの? そりゃ、僕の顔は端整じゃないかもしれないけど、それが、何? それとこれとは話が別じゃないか。それなのに、奴等はそういう関係ない事まで騒ぎ立てて、嘲笑って……最後は、蔑みながら『死ね』なんて言って、全て否定する。」

そう言って、満はそっと両目を閉じる。
礼矢は最初、その動作にどのような意味があるのか分からなかった。
だが

「……ねぇ、礼矢。」

ゆっくりと目を開けて、顔を礼矢の方に向けながら、背筋にゾッとする悪寒を感じるような声で礼矢を呼んだ満に、礼矢はその動作の意味を知る。
何故ならば、礼矢の目の前で怨み――否、殺意に満ちた眼をする満は、トラブルが特に何も無い時や、教師等の大人の前にいる時とはまったく別の顔をしていたからだ。
普段の顔――模範的好青年の仮面が完全に剥がれ落ちた狂気的な表情の満に若干の恐怖のような、不安のような、あるいは緊張とでも言うべき何かを感じながら、礼矢は返事をする。

「……なんだよ?」

満は、そんな礼矢の心の内を、礼矢の目を通して見透かそうとするかのように、普段よりも大きく見開いた目で礼矢の目を覗き込みながら言った。

「蔑まれるべきは……死ねばいいのは、アイツ等だよね? 礼矢も、そう思ってるもんね?」
「……ああ、そうだな。」

これはただの愚痴の延長線上の冗談ではない、満は本気で奴等が死ねばいいと思っている、そしてその事への同意を自分に求めている、という事を本能的に感じ取ったせいか、礼矢は即答する事ができなかった。
確かに満の言うとおり、礼矢も自分に対して死ねだの消えろだのと言ってくる人間に対しては、そういうお前こそ死ねばいいのではないか、と度々思うものだが、満のそれは、礼矢のそれよりも遥かに深い本気が見て取れるので、安易に同意し、肯定する事は気が引けてしまうのである。
そう、礼矢のそれは飽く迄も根暗少年の愚痴という範疇を脱しないが、満のそれは時よりその範囲を脱したような空気を漂わせていて、何かきっかけさえあれば本当に実現してしまいそうな危うさを孕んでいる気がするため、礼矢は直感的に同意を躊躇ってしまったのである。
とはいえ、愚痴の範疇であろうがそれよりも深い本気であろうが、自分ではなく敵対する相手がこの世から消え失せるべきだと思っているという点では、礼矢と満の間に大した差は存在しない。
だから礼矢は、満から視線を逸らす事はせず、少し悩んだ末にではあるが、満の意見に同意する返事をした。
満は、狂気的な表情のままで礼矢の目をじいっと覗き込んでいる。
尋常ではない気迫を感じるが、何を考えているのかが推察しにくいその表情に、礼矢はさすがに気まずさを覚え、僅かに身を引く。
すると満は表情から狂気の色をふっと消し、普段通りの表情に戻り、今度は何かを面白がるようにフフッと笑ってから、言った。

「うん、礼矢なら理解してくれると思ってたよ。ありがとう、礼矢。」

先ほどまで見えていた、礼矢でも恐ろしさを感じる程の狂気と殺意が嘘のように思える程、明るく、心底嬉しそうに、満は笑顔を見せる。
それは、満の二面性の存在を熟知しているはずの礼矢でさえ困惑させる威力があり、この時の礼矢も、ほんの一瞬だけ、先ほどの狂気は嘘か何かだったのではないかと思ってしまった。
だが、礼矢はその考えをすぐに打ち消す。
満の狂気が嘘や演技ではない事は、格は違えど同じ気持ちを持つ自分ならよく分かる、と、礼矢は思っているからだ。
だから、礼矢は満の表情を真似る様に、薄っすらと笑みを浮かべて言う。

「そりゃ、こっちの台詞だっての。……ありがとな、満。こんな俺に、付き合ってくれて。」
「やだなぁ、当たり前でしょ?」
「いや、そんな事言うのはお前ぐらいだわ、ホント。他の奴は、俺なんか避けるのが当たり前だって。」

満以外の人間が自分に対しどのような態度をとっていたかを思い出しながら、礼矢はそう言って自嘲交じりの笑みを浮かべた。
それに対し、満は少し困ったような苦笑を浮かべて言う。

「それは僕の方も同じだよ。本当に……礼矢だけだね、僕を理解して、その上こんなに関わってくれるのは。」

礼矢の言った事を否定するのではなく、自分も同じ立場であると言い、まるで礼矢だけが自分の理解者であるかのように言った満の表情はどこか暗く、そして寂しげだった。
満は礼矢から視線を外すと、窓の外、遠くの空を見る。
礼矢もそれに釣られるようにして窓の外を見た。
最初は満と同じく空を見てみたが、それは相変わらず憎たらしい程に晴れているだけなので、礼矢は視線を下ろし、校庭の様子を見始める。
校庭にいる男子生徒達はもう百メートル走はしていなかった。
それまで百メートル走に使われていたトラックには、礼矢から見るとそれなりの高さのあるハードルが並べられていて、生徒達はそれを飛び越えながら走っている。
どうやら、五十メートルハードル走の練習、あるいはタイム計測をしているらしい。
走っている最中にハードルを倒してしまう生徒は殆どおらず、礼矢はその生徒達を羨ましげに眺める。
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