青春の沈黙≪1≫ 絶望の果てに、絞首台の先で逢おう

彼は確かに言ってきた。
彼の唯一の友人である礼矢に向けて、彼は確かに――。


高校三年生の二学期――九月の始め、他の生徒がいないせいでエアコンの設定温度が高く、まだ夏らしい暑さが薄らと漂う教室の中で自分の席に着いたままの青年、安切 礼矢(あんせつ れいや)は溜息を吐いた。
他の同世代に比べて汗をかきやすいのは肥満のせいか、それがなくても元々そうなる定めだったのかは分からないが、礼矢の服は背中が酷く湿り、長くも短くもなく単純な型におさまっている髪も前髪が額の汗で湿り、一部が額にはりついている。
暑い、エアコンの設定温度を下げたいと思うも、エアコンは生徒が勝手に弄るべきではない、という認識が邪魔をして下げられず……ということをもう十分は繰り返している気がして、礼矢はまた溜息を吐く。
と、急にエアコンのコントロールパネルを操作した証拠のキータッチ音が軽く、ピッ、と鳴り、冷たい風が礼矢の所まで吹いてきた。

「礼矢は真面目だから、僕がやらないと焼き殺されるまで耐えるでしょ?」

聞き慣れた声に気付いて、教室の前方、廊下とつながる扉のすぐそばにある、エアコンのコントロールパネルの近くに視線を向けると、そこにはやはり礼矢のよく知る人物が立っていた。

「なんだ、満か。」

礼矢よりもほんの僅かに長くふわりとしていて、それでもスッキリと綺麗にまとまった髪をエアコンの風で小さく揺らしながら、彼――藤咲 満(ふじさき みちる)は礼矢の席に近付き、その横で立ち止まった。
肥満体の礼矢と違い、満はそれほど汗をかいていなかったどころか、礼矢が上半身に着ているものが白いワイシャツだけであるのに対し、満は冬用で藍色のブレザーも着用していた。
これは満が極端な寒がりだから、という訳ではない。
暑い日でもワイシャツやブレザーを一切着崩さない、それが満のポリシーなのだ。
そんな満の、ブレザーを着ても窮屈そうに見えない細めの身体が、礼矢は密かに羨ましく思っていたりする。

なんだ、と言った礼矢の態度は一見、満が来たことに落胆しているように見えるかもしれないが、それが安堵であることを満は知っている。
だから

「そう、僕だよ。やっぱりここにいたね。」

満は小さく軽い笑顔を見せながら、話を続けた。
誰にでも笑顔で接するこの満がその思考の奥底に、どうしようもなく黒く、排他的で攻撃的な想いを抱えている事を知っているのは、満自身以外では今の所礼矢だけである。

礼矢と満は、元々クラスの余り者であった。

特に礼矢は、昔から他人に比べてかなりの肥満体である事から、それを理由に毛嫌いされる事が多かった、否、今でも多い。
そんな肥満の影響で二重顎になりかけた顔は、極一部の人間(例えばそれは、礼矢が今学期に受けている英語の授業の教師等の大人や、礼矢の祖母等の親族である)によれば、パーツは優良、であるらしいが、大多数の人間から見れば全体的には不細工に当てはまるらしく、肥満体――デブと、不細工――ブスを合体させた造語――デブスという罵倒を投げつけられるのはいつもの事である。
それに加えて礼矢は人間関係を円滑に保つ能力――所謂コミュニケーション能力が酷く欠けているようで、罵倒に対する対応はおろか普通の会話さえなかなかまともにできない事もしばしばだ。
と言っても、その原因は完全に礼矢だけにあると言い難い面もある。
別に礼矢は、常にオドオドしているだとか、極端にあがり症だとか、そんな性格ではなく、むしろ言いたい事はハッキリ言わないと気が済まない性質で、数々の罵倒に対しても小学生の頃は正面から対応していて、口喧嘩に発展する事もしばしばあるぐらいだった。
それぐらい自己主張が強く、ある意味堂々としている礼矢だったが、どうにも人間関係の運が悪いのか、それとも醜形な体が邪魔をしているのか、その両方なのか、はたまた別の理由なのか、とにかく純粋な好意で近付いてくる人間が酷く少なく、逆に敵意や悪意をもって近づいてくる人間が多いのだ。
そう、礼矢のコミュニケーション能力が低いと感じられる原因の一つには、そもそも相手がまともなコミュニケーションをとる気がない、という理由があるのだ。
勿論、他人の考えている事を予測できないなどの、礼矢自身に原因があるケースも多々あるのだが、それはあまりに当たり前の事なので省略としたい。
とにかく礼矢は、集団生活を送るのに不利な要素を抱え過ぎている、という事だけは確実に言えるだろう。

一方満は、礼矢に比べれば少し他の人間に近いものを持っている(少なくとも、礼矢のような肥満体ではない)のだが、その普通の人間としての皮を一枚だけでも捲ってしまえば、その中には礼矢がマトモに見えてくるような要素が沢山詰まっているのが実情であった。
満は、特に肥満体ではないどころか少し華奢で、顔も礼矢から見れば随分と端整なものだったが、それでも礼矢が投げつけられた罵倒と似た罵倒を小学生の頃から受け続けている。
満が礼矢に話したところによると、満の場合も礼矢の場合とあまり変わらず、外見(こちらは体型よりも顔面)や、コミュニケーション能力の低さ、協調性の無さ、他人への共感能力の低さ等を理由に学級、ひいては学年という集団から弾き出されていたらしい。
満も礼矢と同じく、昔は物事をハッキリと言わなければ気が済まない性格だったが、今でもたまに口喧嘩をして周囲から白い目を向けられる礼矢と違い、最近は何を言われても黙っている事が多く、平然とした顔をしている事がほとんどだ。
といっても、満も数々の罵倒に腹を立てていない訳では無いらしく、礼矢に対しては様々な愚痴を零している。
そしてその愚痴の内容やそこから広がる思想こそが、満の最大の特徴であるのだが、この話はまた後でする事になるだろう。
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