エジプトまでの道程編
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
22時35分。日本を出発してから約2時間ほど経った現在、一行の乗っている飛行機は東中国海上空を飛んでいる。
この時間になると日は暮れて機内は暗闇に包まれており、まばらに座っている他の乗客達は皆一様に寝静まっていた。そして前の席からアヴドゥルと花京院、ジョセフと承太郎、紫苑といったように塊になって座っている一行もまた、エジプトに入る前の束の間の休息として静かに体を休めていた。
ゴオォォ、と飛行機が滑空する音だけが響く中、何かを察知したジョセフが突然ハッと目を開け、隣に座っていた承太郎に視線を向ける。
「見られた……今、確かにDIOに見られた感覚があった……!」
「ああ……」
ジョースターの血統の一人である承太郎にもその感覚があったのだろう、ジョセフと視線を合わせた後宙を睨みつけながら静かに頷いた。
「気をつけろ……早くも新手のスタンド使いがこの機に乗っているのかもしれん」
ジョセフは小声でそう言うと、辺りを警戒し始める。すると何処からか微かにブゥン……という虫の羽音が聞こえてきた。異様に動き回るその音に、先程まで目をつぶっていたアヴドゥルや花京院、紫苑も目を開ける。目を凝らしながら辺りを見渡すと、視界に入ったのは異様な速度で動く一匹の昆虫の姿であった。
「か、かぶと……いやッ!クワガタ虫だッ!」
ブンブンと高速で飛び回っている昆虫に異様さを感じ取った承太郎が勢いよく立ち上がる。
他の乗客達は、自身の真横で謎の昆虫が縦横無尽に飛び回りうっとおしい羽音を撒き散らしているにも関わらず、そんなもの存在していないかのように眠り続けている。
「私達以外誰も気がついてない……これって、もしかして……」
紫苑がそう呟きながら前に座っているジョセフをちらりと見る。その呟きを聞いたジョセフが、アヴドゥルの座席の背もたれを掴み彼に問いかけた。
「アヴドゥル、スタンドかッ!早くも新手のスタンド使いが現れおったか!」
「あり得る……虫の形をした『スタンド』……」
2人がそう話していると、先程まで動き回っていたクワガタ虫はシュンという音と共に急に動きを止めた。
「ざ、座席の影に隠れたぞ……」
「ど、何処へ行った……?」
突如訪れた静寂に、緊張感が高まる。承太郎が通路へと出て、先人を切って何処かに隠れたクワガタ虫を探し始める。他の人達も座席から身を乗り出し辺りを見渡すが、機内は暗く、座席が密集しているため中々見当たらない。
「……はッ!!JOJO!君の頭の横にいるぞ!で……でかい!」
突如花京院が声を上げる。慌てて視線の先をたどると、承太郎の真横に巨大なクワガタ虫がいた。クワガタ虫はジュルジュルと涎のような液体を撒き散らし、先端が二股に別れている背骨のような形をしたニードルを牙の生えた口からちらりと覗かせながらこちらに接近していた。
「な、何アレ……気持ち悪ッ!!」
「確かに気持ちわりぃな……だがここはおれに任せろ」
承太郎がそう言って前に出る。
「き、気をつけろJOJO、スタンドかもしれん。スタンドだとしたら『人の舌を好んで食いちぎるスタンド』使いがいると聞いたことがある」
アヴドゥルが座席から忠告を投げかける。承太郎は分かっているとでも言うかのように、目線はクワガタ虫へと向けたまま手を挙げた。そして速やかにスタープラチナを呼び出し、素早い拳ををクワガタ虫に対して繰り出した。
これで決着がつく。誰もがそう思った。
しかしその思いとは裏腹に、クワガタ虫はその拳を軽々とかわし、無傷で再び承太郎の目前へと戻ってくる。
「か……かわしたッ!信じられん……弾丸を掴むほど素早く正確な動きをするスタープラチナの動きよりも速いッ!」
「やはりスタンドだ……その虫はスタンドだ!!何処だ……何処にいる!?こいつを操る使い手は何処に潜んでいる!?」
それがスタンドであることを確信した花京院が周囲へと視線を巡らせるが、ぱっと見ただけでは誰が怪しいのかは判別出来ない。焦りから額に冷や汗が滲み出る。
「攻撃してくるッ!!」
紫苑がそう叫ぶや否や、クワガタ虫は唾液を撒き散らしながら、その奇妙な形の口針をスタープラチナの口元目掛けて伸ばす。
スタープラチナが咄嗟に顔の前に手を出して止めようとするが、クワガタ虫の頑丈な口針は手のひらを貫通し、なおも舌を引きちぎろうと口元へ接近する。承太郎は「ッしまったッ!」とこぼしたものの、あと少しで針の先端が口内に侵入するという所で、スタープラチナの歯で針を挟み込み動きを止めた。間一髪で舌を引き抜かれずに済んだようだ。
「承太郎!」
「JOJOォーッ!」
「先輩……!」
「ッ………くぅッ……!」
針を止めはしたものの、気を抜いたら直ぐに舌を抜かれる可能性があるため、承太郎はギリギリと針に噛み付いたまま思うように動けない。うめき声を上げ、押し出される針に必死に抵抗する。針が貫通している手のひらと未だ針を加えている口元からは血が滴り落ちており、とても痛々しい光景がそこには広がっている。
そんな悲惨な状況に、座席から様子を見ていたジョセフ達は承太郎の名を呼ぶことしか出来なかった。
「歯で悪霊クワガタの口針を止めたのは良いが……」
承太郎とクワガタを見つめ、唸るジョセフ。
すると今までのクワガタの行動を見て確信を得たのか、アヴドゥルはハッと息を呑むと、その正体について皆に語り始めた。
「承太郎のスタンドの舌を食い千切ろうとしたこいつは……やはりヤツだ!……タロットでの『塔のカード』! ……破壊と災害、そして旅の中止の暗示を持つスタンド……『灰の塔 』!!」
『灰の塔 』――それは、事故に見せかけて大量殺戮を繰り返しているスタンドである。たとえば飛行機事故、列車事故、ビル火災などなど……これらの事故を起こすことは彼にとっては赤子の手をひねるほど容易な事であり、昨年、三百人が犠牲になったイギリスでの飛行機墜落事故は、このスタンドの仕業であると言われている。
「うわさには聞いていたスタンドだが……こいつ、DIOの仲間になっていたのか!」
「それじゃあ……これはDIOの命令で……?」
「おそらくそうだろう……まずいな、ヤツは一般人を殺すことに躊躇がない。このままだと犠牲者が出るぞ……!」
紫苑の言葉に、アヴドゥルが険しい顔で言う。
その言葉を聞いた承太郎は、すぐさま次の対抗策を繰り出した。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラ!!!」
承太郎が掛け声と共にクワガタに向かってスタープラチナの高速ラッシュを打ち出す。
しかし驚異的なスピードを持つ筈のスタープラチナの拳は一つも灰の塔に当たることはなく、すべて飄々とかわされてしまった。
「か、かわされた…………片手ではない、両手でのスピードラッシュまでも躱されただと……な、何という早さだ……」
スタープラチナの圧倒的なスピードを上回る早さに、一同は驚愕する。そしてラッシュをいともたやすくかわされた承太郎は、その端整な顔を悔しそうに歪めていた。
「先輩、傷、治しますね」
灰の塔の攻撃が止んだすきをみて、紫苑はスタンドを出して承太郎の治療に取り掛かる。呼び出されたアイオーンが傷口に触れると、承太郎は視線で礼を言った。
「クク……たとえここから1cmの距離より10丁の銃から弾丸を撃ったとして、弾丸が俺のスタンドに触れることは絶対に有り得ない! もっとも、弾丸でスタンドは殺せぬがな……クハハ……」
クワガタが承太郎達を煽る。彼らはその煽りに顔を歪めながらも、冷静にこの状況を打破する方法を考えた。
承太郎のスピードを持ってしても追いつけないほどの早さで動くスタンド……真っ向から勝負を挑んだのでは勝てない。となると、方法は一つしかない。スタンド使いを見つける事だ。
スタンドを操っている本体を探す――この暗い機内の中、大勢いる乗客の中からたった一人のスタンド使いを探し出すのは困難を極めるだろう。しかし、この機内に、近くに居るのは確実なのだ。本体さえ、そいつさえわかれば…………一同がそう考え、乗客を見渡し始めると、灰の塔はすきをついてフッと視界から消えた。
「!またしても消えた!?」
「ハッ……!翠川さん!君の後ろだッ!」
花京院が叫ぶ。気がつくと、灰の塔はいつの間にか承太郎を治療している紫苑の後ろに移動していた。
「ククク……まずは治癒能力持ちの貴様からだッ!舌を引っこ抜くと同時に頭をぶち抜いて殺してやる!!」
灰の塔が紫苑の口元目掛けて口針を発射する。近くにいた承太郎が咄嗟に紫苑の腕を引いたため、かろうじて顔に針が貫通するのは免れたが、針はしっかりと紫苑の舌を捕らえており、それを確認した灰の塔は思いっきり旋回して根本から舌を引き千切った。
「ッぐぁ……ッ」
「翠川さん!」
「紫苑ッ!!」
「おい、大丈夫かッ!しっかりしろ!」
舌に激痛が走り、目がチカチカする。力の抜けた身体が後方へゆっくりと倒れていくのを、近くにいた承太郎が受け止める。承太郎が必死に紫苑に呼びかけるが、強烈な痛みで体が弛緩している紫苑は応答する事が出来ず、口から血を流してぐったりしたままであった。
「致命傷は免れたようだが、 舌を引きちぎった! これで貴様はしばらく使い物にならない!そして俺の目的は……」
動かなくなった紫苑を見て、灰の塔は喜々とした声を上げて飛行機の壁まで飛んでいき、紫苑の血で『Massacre! 』と書き出す。そして串刺しになっている舌を、もう用済みだと言わんばかりに投げ捨てた。
「や、やりやがった……!」と花京院が言う。その隣にいたアヴドゥルは、ついに怒りが頂点に達したのか「焼き殺してくれるッ!」と叫びながらマジシャンズレッドを呼び出し、攻撃態勢へと入る。
その傍らで、紫苑は目前にべちゃり、と落とされた己の舌を見て微かに笑みをこぼした。これ があるならばすぐに直せるだろう。未だ力が入らない体はそのままに、アイオーンを呼び出す。それを見ていた承太郎の「テメー、大丈夫なのか?」という小声の問いかけに対し、紫苑は安心してほしいと言うように笑みを返した。
アイオーンが床に落ちている舌を拾い上げ、口を開けた紫苑の口内にある舌の切断面へとくっつける。しばらくしてアイオーンが手を離すと、そこには元通り繋がっている舌があった。
「ん……よし。繋がった。舌だけ綺麗に抜かれたのが功を奏したかな……ありがとうございます先輩、もう大丈夫です」
承太郎はしばらく眉間に皺を寄せたまま紫苑の事をじとりと見つめていたが、まぁ問題無いと判断したのだろう、フン、と鼻を鳴らすと紫苑を床にゆっくりと座らせ、灰の塔へと視線を向けた。紫苑も続いてその視線の先を辿ると、丁度灰の塔が花京院と睨み合っているのが見えた。
「クク……花京院典明か。DIO様から聞いてよーく知っているよ、止めたほうがいい……自分のスタンドが『静』とわかっているのなら……。貴様のスピードでは俺をとらえる事すらできん!!」
「そうかな」
花京院はズアッという音とともにポーズを決めると、彼の必殺技でもあるエメラルドスプラッシュを灰の塔に向けて放つ。キラキラと光るエメラルドは一直線に灰の塔へと向かっていくが、奴はそれらをひょいと避けながら花京院に接近していく。
「おまえなぁ、数撃ちゃ当たるという発想なんだろーが、ちぃーっとも当たらんぞ!」
「まずい!やはりあのスピードに躱されたッ」
花京院は2発目のエメラルドスプラッシュを解き放つが、やはり灰の塔には全て躱される。そして灰の塔は一気に花京院に詰め寄ると、ハイエロファントグリーンの口元に口針を突き刺す。その衝撃でハイエロファントグリーンの口元が欠け、呼応するように花京院の口からも血が吹き出した。
「ッグぁ、っは……」
「か、花京院!!」
「ファハハハハ!スピードが違うんだよスピードが!ビンゴにゃあのろすぎるゥゥゥ!」
攻撃を受けガクリと床に倒れ伏した花京院を、灰の塔が上空から眺めながら嘲笑う。
その様子を床に座り込んだ状態で見ていた紫苑は、花京院の前方にある座席の下に、緑色に鈍く光る何かがゆっくりと蠢いているのに気がついた。暫く考えそれ が何であるのか理解すると、なるほど、花京院くんも考えたな、と心の中で賞賛を贈る。兎にも角にも、今後は花京院の作戦が成功するように立ち回る必要があるだろう。やるべきなのは、灰の塔の注意をそらしつつ、それ の射程圏内におびき寄せる事だ。それならば……
「そして花京院!今度は貴様のスタンドの舌にこの『塔針 』を突き刺して引きちぎるッ!」
「そう言うんなら早くやってみせてよ」
灰の塔の自信に溢れた言葉に被せるようにして紫苑が言葉を放つ。すると灰の塔はピタリと動きを止めた。
「……何だって?」
「だから、やれるもんならそんな遠くに居ないでやってみろって言ってるの。さっき私にやったようにね。……ああ、もしかして近距離でエメラルドスプラッシュを躱すのはちょっと難しかったりする?さっきも舌を引っこ抜こうとして少し外したしさ」
紫苑は馬鹿にしたように笑うと、思うように力の入らない身体にむちを打って起き上がり、ゆっくりと灰の塔に近づく。そしてアヴドゥルの「紫苑、何をしているんだ!下がれ!」という言葉を振り切り、花京院の真後ろに立った。
あからさまに馬鹿にしたような紫苑の言葉を聞いた灰の塔は、ブウゥゥゥンと一層大きな羽音を鳴らすと興奮したようにまくし立てる。
「フハハハハ!!さっき止めを刺さなかったのは『情け』だということにも気が付かないのか!そんなにお望みなら見せてやろう!俺のスピードには誰もかなわないって事を!!」
そう意気込んだ灰の塔は、高度を下げてハイエロファントグリーンの口元に狙いを定め始める。煽られた事により、完全に花京院の事しか目に入っていないようだった。
引っかかったな、と紫苑が内心ほくそ笑んでいると、目の前にいた花京院が振り向いた。急に灰の塔を煽り始めた紫苑の言動に疑問を抱いたのだろうか、紫苑を訝しげに見ている。それはそうだろう。先程まで行動不能に近い怪我を負っていた、しかもこれといった攻撃手段を持っていない人間が急に相手を焚き付けるようなことを言ったのだから。それに対し、紫苑は大丈夫だと言うように笑みを浮かべながらさり気なく視線を座席の下へと向ける。視線に気がついた花京院は少しだけ目を見開いたものの、すぐに表情を元に戻すと紫苑に目配せをして正面へと向き直った。
「……次で仕留めます。『エメラルドスプラッシュ』!」
そしてもう一度、ハイエロファントグリーンの手のひらからエメラルドの弾丸を発射する。
「わからぬかハハハハハーッ!俺に舌を引き千切られると狂い悶えるんだぞッ!苦しみでなァ!!」
「ま、まずいッ!またエメラルドスプラッシュを躱されている!」
学習能力の無いヤツだと言わんばかりにニヤつきながら、灰の塔は次々と発射されるエメラルドスプラッシュを避けて花京院に接近していく。
先程と同じような展開にアヴドゥル達は焦りの色を見せるものの、花京院は余裕の表情であった。
"ヤツ"が射程距離内に入る。
「なに?引き千切られると狂い悶える?……私の『法皇の緑 』は……」
突如、座席の隙間からハイエロファントグリーンの触脚が針山のように伸び、灰の塔を串刺しにする。
「引き千切ると狂い悶えるのだ。喜びでな!」
全身を触脚で貫かれた灰の塔が、「グエッ」とカエルが潰れたような声を上げ動きを止める。アヴドゥルやジョセフ、承太郎達は花京院の見事な戦略に感嘆の声を漏らした。
勝利を確信した花京院はゆっくりと立ち上がると「気が付かなかったのか?」と灰の塔に問いかける。
「既にシートの下や中に法皇 の触脚を忍ばせていた。エメラルドスプラッシュや翠川さんの言動によって貴様はその領域におびき寄せられていたのだ」
そう言うや否や灰の塔に刺さった触脚を使い、灰の塔の体をねじ切ってブチブチと音をたてながらバラバラにする。すると機内前方で倒れている老人が連動するようにもだえ苦しみ、舌にクワガタの模様が浮かび上がった。そして頭と舌がパックリと真っ二つに割れた老人は、血しぶきを上げながら床に倒れ、ピクリとも動かなくなった。
どうやらあの老人が灰の塔の本体であったらしい。
「さっきのじじいが本体だったのか……フン、おぞましいスタンドにはおぞましい本体がついているものよ……それと翠川さん、さっきはありがとうございます。お陰で助かりました」
「いえ、お役に立てて良かったです」
花京院は老人に冷たい視線を向けながら吐き捨てた後、紫苑の方へ向き直ると微笑みながら感謝を述べる。そして老人へと近寄って、その血だらけの額をくまなく確認すると首を傾げた。
「こいつの額には……肉の目が埋め込まれていないようだが……?」
言われて見てみれば、確かに老人の額にはどこにも肉の芽が見当たらない。操られていないとなると、自分の意志でDIOの仲間になったのだろうか。
「『灰の塔 』は元々旅行者を事故に見せかけて殺し、金品を巻き上げている根っからの悪党スタンド……金で雇われ欲に目がくらみ、そこをDIOに利用されたのだろう」
アヴドゥルはそう言うと老人の死体を乗客の目に晒さないよう、上から布をかける。
なるほど、お金欲しさの為にやったのか、と動機を理解すると共に、紫苑は無事刺客を再起不能にできたという安堵からほっと息を吐く。そうやって気を抜いた瞬間、グラリと機体が傾いたような感覚がしたかと思うと同時に紫苑はバランスを崩した。
「うわッ……」
「おっと……大丈夫ですか?」
ちょうど背後にいた花京院が倒れてきた紫苑を抱きとめる。そばで見ていたジョセフも「大丈夫か?安心して腰でも抜けてしまったかのう」と心配そうに声をかける。
「ありがとうございます、大丈夫です。……いえ、これはそういう理由では無くて……この飛行機、何だか傾いていませんか?」
「……なんじゃと?」
紫苑の言葉にジョセフが慌ててあたりを見渡す。するとどこかの座席から落下した紙コップが、コロコロと前方に転がっていくのが見えた。
「ほ、本当じゃ!傾いている……ま、まさか!」
何かに感づいたジョセフがバタバタと音を立てながら操縦室へと走り出す。その焦りをにじませた顔を見て、紫苑達もジョセフの想像しているであろう事柄に気がつき、承太郎を先頭にして急いで後を追った。
「お、お客様どちらへ!?この先は操縦室 で立入禁止です!」
「知っている!」
先に走り出したジョセフに追いつくと、ちょうどジョセフがCA達を押し退けて操縦室へと入っていく所だった。静止を振り切ってズカズカと立入禁止区域に入り込むジョセフに、CA達は狼狽える。しかしジョセフを後から追いかけてきた承太郎の姿を視界に入れると、彼女たちはポッと顔を赤らめてその姿に釘付けになる。
「どけアマ」
「きゃあ!」
「おっと」
扉の前に棒立ちになっている女性二人に痺れを切らしたのか、承太郎はCA達を押し退けて操縦室の方に入っていった。押されたCA達はよろめいて後ろに倒れそうになるが、それを花京院が優しく受け止めた。
「失礼……女性をじゃけに扱う何て許せん奴だが……今は緊急事態なのです。許してやってください」
「はい……」
肩を抱きながら花京院が優しく微笑む。誰もが憧れる紳士的な対応をされたCA達は、頬をほんのりとピンク色に染め恥ずかしそうにうつむいた。
そんな高校生2人の色男っぷりを見せつけられたアヴドゥルは、なんとも言えない表情で彼らを見つめている。紫苑は一連の流れを見て肩をすくめると「ほら、アヴドゥルさんも行きましょう」と言って、立ち尽くしているアヴドゥルの背中を押しながら操縦室内へと入っていった。
「なんてこった!してやられた……」
操縦室の中は悲惨な状況であった。部屋の中には血の香りが充満し、操縦席やハンドルにも血が飛び散っている。飛行機を操縦していたパイロット達は皆一様に舌を抜かれており、苦しそうな表情で息絶えていた。
「……だ、だめです、治らない…………全員、亡くなっています……」
「……あのクワガタ野郎、既にパイロット達を殺していたのか!」
「落下しているぞ……自動操縦装置も破壊されている……このままだと墜落するぞ!」
紫苑が慌ててパイロット達に駆け寄り治療を試みるが傷は治らない。承太郎もそのむごたらしい惨状に舌打ちし、悪態をつく。その間にジョセフが操縦席付近の機械を一通り確認するが、重要な機材は大方破壊されており、絶望的な状況に低く唸り声を上げた。
すると突如、背後からゴボゴボといった水音の混じった笑い声が聞こえてきた。
「ぶわばばばはははーッ!!!!」
「なに!」
振り向くと、そこには先程死んだ筈の灰の塔の本体である老人が、血液を撒き散らしながら佇んでいた。全員が、険しい顔で老人を見つめる。
「ブワロロロ~~ベロォォォ!! わしは事故と旅の中止を暗示する『塔』のカードを持つスタンド! お前らはDIO様のところへは行けん! たとえこの機が墜落から助かったとてエジプトまでは一万キロ! その間、DIO様に忠誠を誓った者どもが四六時中貴様らを付け狙うのドァッ! 世界中にはお前らの知らん、想像を超えた『スタンド』が存在するゥ! DIO様は『スタンド』を極めるお方! DIO様はそれらに君臨できる力を持ったお方なのドァ! たどり着けるわけがぬぁ~~~い! 貴様らはエジプトへは決して行けんのどあああああばばばばゲロゲロ~~べちあっ」
「ひっ」
灰の塔はミシミシと人体から発しているとは到底思えないような音を出しながらそう一気にまくし立てると、全身から血を吹き出して床に倒れ込み今度こそ息絶えた。この衝撃的な光景を後ろから見ていたCA達は、悲鳴こそ上げていないものの恐怖から青白い顔で全身を震わせていた。
「さすがスチュワーデス、プロ中のプロ……悲鳴を上げないのはうっとーしくなくていいぜ。そこで頼むが、このじじいがこの機をこれから海上に不時着させる! ほかの乗客に救命具をつけて座席ベルトを締めさせな」
承太郎は操縦席へと座ると、後ろを振り向きながらCA達に言伝を頼む。急に操縦を任されたジョセフは『わしが!?』というかのように驚いた顔で自分を指さしながら承太郎を見ている。言伝を頼まれたCA達は「は、はいッ!」と返事をした後、小走りで操縦席を出ていった。
「うーむ……プロペラ機なら経験あるんじゃがのお……」
「プロペラ……」
腕を組み首を傾げながらそう言うジョセフに、花京院が不安そうな表情で呟く。
「しかし承太郎、わしゃあこれで3度目だぞ。人生で3回も飛行機で墜落するなんて、そんなヤツあるかなぁ」
衝撃的な告白に、一同は微妙な表情で固まる。人生で3回も墜落しているだなんて、いくらなんでも多すぎる。もはや呪いの類だ。
「……2度とテメーとは一緒に乗らねぇ」
苦々しい承太郎の一言に、全員が心の中で同意した。
この時間になると日は暮れて機内は暗闇に包まれており、まばらに座っている他の乗客達は皆一様に寝静まっていた。そして前の席からアヴドゥルと花京院、ジョセフと承太郎、紫苑といったように塊になって座っている一行もまた、エジプトに入る前の束の間の休息として静かに体を休めていた。
ゴオォォ、と飛行機が滑空する音だけが響く中、何かを察知したジョセフが突然ハッと目を開け、隣に座っていた承太郎に視線を向ける。
「見られた……今、確かにDIOに見られた感覚があった……!」
「ああ……」
ジョースターの血統の一人である承太郎にもその感覚があったのだろう、ジョセフと視線を合わせた後宙を睨みつけながら静かに頷いた。
「気をつけろ……早くも新手のスタンド使いがこの機に乗っているのかもしれん」
ジョセフは小声でそう言うと、辺りを警戒し始める。すると何処からか微かにブゥン……という虫の羽音が聞こえてきた。異様に動き回るその音に、先程まで目をつぶっていたアヴドゥルや花京院、紫苑も目を開ける。目を凝らしながら辺りを見渡すと、視界に入ったのは異様な速度で動く一匹の昆虫の姿であった。
「か、かぶと……いやッ!クワガタ虫だッ!」
ブンブンと高速で飛び回っている昆虫に異様さを感じ取った承太郎が勢いよく立ち上がる。
他の乗客達は、自身の真横で謎の昆虫が縦横無尽に飛び回りうっとおしい羽音を撒き散らしているにも関わらず、そんなもの存在していないかのように眠り続けている。
「私達以外誰も気がついてない……これって、もしかして……」
紫苑がそう呟きながら前に座っているジョセフをちらりと見る。その呟きを聞いたジョセフが、アヴドゥルの座席の背もたれを掴み彼に問いかけた。
「アヴドゥル、スタンドかッ!早くも新手のスタンド使いが現れおったか!」
「あり得る……虫の形をした『スタンド』……」
2人がそう話していると、先程まで動き回っていたクワガタ虫はシュンという音と共に急に動きを止めた。
「ざ、座席の影に隠れたぞ……」
「ど、何処へ行った……?」
突如訪れた静寂に、緊張感が高まる。承太郎が通路へと出て、先人を切って何処かに隠れたクワガタ虫を探し始める。他の人達も座席から身を乗り出し辺りを見渡すが、機内は暗く、座席が密集しているため中々見当たらない。
「……はッ!!JOJO!君の頭の横にいるぞ!で……でかい!」
突如花京院が声を上げる。慌てて視線の先をたどると、承太郎の真横に巨大なクワガタ虫がいた。クワガタ虫はジュルジュルと涎のような液体を撒き散らし、先端が二股に別れている背骨のような形をしたニードルを牙の生えた口からちらりと覗かせながらこちらに接近していた。
「な、何アレ……気持ち悪ッ!!」
「確かに気持ちわりぃな……だがここはおれに任せろ」
承太郎がそう言って前に出る。
「き、気をつけろJOJO、スタンドかもしれん。スタンドだとしたら『人の舌を好んで食いちぎるスタンド』使いがいると聞いたことがある」
アヴドゥルが座席から忠告を投げかける。承太郎は分かっているとでも言うかのように、目線はクワガタ虫へと向けたまま手を挙げた。そして速やかにスタープラチナを呼び出し、素早い拳ををクワガタ虫に対して繰り出した。
これで決着がつく。誰もがそう思った。
しかしその思いとは裏腹に、クワガタ虫はその拳を軽々とかわし、無傷で再び承太郎の目前へと戻ってくる。
「か……かわしたッ!信じられん……弾丸を掴むほど素早く正確な動きをするスタープラチナの動きよりも速いッ!」
「やはりスタンドだ……その虫はスタンドだ!!何処だ……何処にいる!?こいつを操る使い手は何処に潜んでいる!?」
それがスタンドであることを確信した花京院が周囲へと視線を巡らせるが、ぱっと見ただけでは誰が怪しいのかは判別出来ない。焦りから額に冷や汗が滲み出る。
「攻撃してくるッ!!」
紫苑がそう叫ぶや否や、クワガタ虫は唾液を撒き散らしながら、その奇妙な形の口針をスタープラチナの口元目掛けて伸ばす。
スタープラチナが咄嗟に顔の前に手を出して止めようとするが、クワガタ虫の頑丈な口針は手のひらを貫通し、なおも舌を引きちぎろうと口元へ接近する。承太郎は「ッしまったッ!」とこぼしたものの、あと少しで針の先端が口内に侵入するという所で、スタープラチナの歯で針を挟み込み動きを止めた。間一髪で舌を引き抜かれずに済んだようだ。
「承太郎!」
「JOJOォーッ!」
「先輩……!」
「ッ………くぅッ……!」
針を止めはしたものの、気を抜いたら直ぐに舌を抜かれる可能性があるため、承太郎はギリギリと針に噛み付いたまま思うように動けない。うめき声を上げ、押し出される針に必死に抵抗する。針が貫通している手のひらと未だ針を加えている口元からは血が滴り落ちており、とても痛々しい光景がそこには広がっている。
そんな悲惨な状況に、座席から様子を見ていたジョセフ達は承太郎の名を呼ぶことしか出来なかった。
「歯で悪霊クワガタの口針を止めたのは良いが……」
承太郎とクワガタを見つめ、唸るジョセフ。
すると今までのクワガタの行動を見て確信を得たのか、アヴドゥルはハッと息を呑むと、その正体について皆に語り始めた。
「承太郎のスタンドの舌を食い千切ろうとしたこいつは……やはりヤツだ!……タロットでの『塔のカード』! ……破壊と災害、そして旅の中止の暗示を持つスタンド……『
『
「うわさには聞いていたスタンドだが……こいつ、DIOの仲間になっていたのか!」
「それじゃあ……これはDIOの命令で……?」
「おそらくそうだろう……まずいな、ヤツは一般人を殺すことに躊躇がない。このままだと犠牲者が出るぞ……!」
紫苑の言葉に、アヴドゥルが険しい顔で言う。
その言葉を聞いた承太郎は、すぐさま次の対抗策を繰り出した。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラ!!!」
承太郎が掛け声と共にクワガタに向かってスタープラチナの高速ラッシュを打ち出す。
しかし驚異的なスピードを持つ筈のスタープラチナの拳は一つも灰の塔に当たることはなく、すべて飄々とかわされてしまった。
「か、かわされた…………片手ではない、両手でのスピードラッシュまでも躱されただと……な、何という早さだ……」
スタープラチナの圧倒的なスピードを上回る早さに、一同は驚愕する。そしてラッシュをいともたやすくかわされた承太郎は、その端整な顔を悔しそうに歪めていた。
「先輩、傷、治しますね」
灰の塔の攻撃が止んだすきをみて、紫苑はスタンドを出して承太郎の治療に取り掛かる。呼び出されたアイオーンが傷口に触れると、承太郎は視線で礼を言った。
「クク……たとえここから1cmの距離より10丁の銃から弾丸を撃ったとして、弾丸が俺のスタンドに触れることは絶対に有り得ない! もっとも、弾丸でスタンドは殺せぬがな……クハハ……」
クワガタが承太郎達を煽る。彼らはその煽りに顔を歪めながらも、冷静にこの状況を打破する方法を考えた。
承太郎のスピードを持ってしても追いつけないほどの早さで動くスタンド……真っ向から勝負を挑んだのでは勝てない。となると、方法は一つしかない。スタンド使いを見つける事だ。
スタンドを操っている本体を探す――この暗い機内の中、大勢いる乗客の中からたった一人のスタンド使いを探し出すのは困難を極めるだろう。しかし、この機内に、近くに居るのは確実なのだ。本体さえ、そいつさえわかれば…………一同がそう考え、乗客を見渡し始めると、灰の塔はすきをついてフッと視界から消えた。
「!またしても消えた!?」
「ハッ……!翠川さん!君の後ろだッ!」
花京院が叫ぶ。気がつくと、灰の塔はいつの間にか承太郎を治療している紫苑の後ろに移動していた。
「ククク……まずは治癒能力持ちの貴様からだッ!舌を引っこ抜くと同時に頭をぶち抜いて殺してやる!!」
灰の塔が紫苑の口元目掛けて口針を発射する。近くにいた承太郎が咄嗟に紫苑の腕を引いたため、かろうじて顔に針が貫通するのは免れたが、針はしっかりと紫苑の舌を捕らえており、それを確認した灰の塔は思いっきり旋回して根本から舌を引き千切った。
「ッぐぁ……ッ」
「翠川さん!」
「紫苑ッ!!」
「おい、大丈夫かッ!しっかりしろ!」
舌に激痛が走り、目がチカチカする。力の抜けた身体が後方へゆっくりと倒れていくのを、近くにいた承太郎が受け止める。承太郎が必死に紫苑に呼びかけるが、強烈な痛みで体が弛緩している紫苑は応答する事が出来ず、口から血を流してぐったりしたままであった。
「致命傷は免れたようだが、 舌を引きちぎった! これで貴様はしばらく使い物にならない!そして俺の目的は……」
動かなくなった紫苑を見て、灰の塔は喜々とした声を上げて飛行機の壁まで飛んでいき、紫苑の血で『
「や、やりやがった……!」と花京院が言う。その隣にいたアヴドゥルは、ついに怒りが頂点に達したのか「焼き殺してくれるッ!」と叫びながらマジシャンズレッドを呼び出し、攻撃態勢へと入る。
その傍らで、紫苑は目前にべちゃり、と落とされた己の舌を見て微かに笑みをこぼした。
アイオーンが床に落ちている舌を拾い上げ、口を開けた紫苑の口内にある舌の切断面へとくっつける。しばらくしてアイオーンが手を離すと、そこには元通り繋がっている舌があった。
「ん……よし。繋がった。舌だけ綺麗に抜かれたのが功を奏したかな……ありがとうございます先輩、もう大丈夫です」
承太郎はしばらく眉間に皺を寄せたまま紫苑の事をじとりと見つめていたが、まぁ問題無いと判断したのだろう、フン、と鼻を鳴らすと紫苑を床にゆっくりと座らせ、灰の塔へと視線を向けた。紫苑も続いてその視線の先を辿ると、丁度灰の塔が花京院と睨み合っているのが見えた。
「クク……花京院典明か。DIO様から聞いてよーく知っているよ、止めたほうがいい……自分のスタンドが『静』とわかっているのなら……。貴様のスピードでは俺をとらえる事すらできん!!」
「そうかな」
花京院はズアッという音とともにポーズを決めると、彼の必殺技でもあるエメラルドスプラッシュを灰の塔に向けて放つ。キラキラと光るエメラルドは一直線に灰の塔へと向かっていくが、奴はそれらをひょいと避けながら花京院に接近していく。
「おまえなぁ、数撃ちゃ当たるという発想なんだろーが、ちぃーっとも当たらんぞ!」
「まずい!やはりあのスピードに躱されたッ」
花京院は2発目のエメラルドスプラッシュを解き放つが、やはり灰の塔には全て躱される。そして灰の塔は一気に花京院に詰め寄ると、ハイエロファントグリーンの口元に口針を突き刺す。その衝撃でハイエロファントグリーンの口元が欠け、呼応するように花京院の口からも血が吹き出した。
「ッグぁ、っは……」
「か、花京院!!」
「ファハハハハ!スピードが違うんだよスピードが!ビンゴにゃあのろすぎるゥゥゥ!」
攻撃を受けガクリと床に倒れ伏した花京院を、灰の塔が上空から眺めながら嘲笑う。
その様子を床に座り込んだ状態で見ていた紫苑は、花京院の前方にある座席の下に、緑色に鈍く光る何かがゆっくりと蠢いているのに気がついた。暫く考え
「そして花京院!今度は貴様のスタンドの舌にこの『
「そう言うんなら早くやってみせてよ」
灰の塔の自信に溢れた言葉に被せるようにして紫苑が言葉を放つ。すると灰の塔はピタリと動きを止めた。
「……何だって?」
「だから、やれるもんならそんな遠くに居ないでやってみろって言ってるの。さっき私にやったようにね。……ああ、もしかして近距離でエメラルドスプラッシュを躱すのはちょっと難しかったりする?さっきも舌を引っこ抜こうとして少し外したしさ」
紫苑は馬鹿にしたように笑うと、思うように力の入らない身体にむちを打って起き上がり、ゆっくりと灰の塔に近づく。そしてアヴドゥルの「紫苑、何をしているんだ!下がれ!」という言葉を振り切り、花京院の真後ろに立った。
あからさまに馬鹿にしたような紫苑の言葉を聞いた灰の塔は、ブウゥゥゥンと一層大きな羽音を鳴らすと興奮したようにまくし立てる。
「フハハハハ!!さっき止めを刺さなかったのは『情け』だということにも気が付かないのか!そんなにお望みなら見せてやろう!俺のスピードには誰もかなわないって事を!!」
そう意気込んだ灰の塔は、高度を下げてハイエロファントグリーンの口元に狙いを定め始める。煽られた事により、完全に花京院の事しか目に入っていないようだった。
引っかかったな、と紫苑が内心ほくそ笑んでいると、目の前にいた花京院が振り向いた。急に灰の塔を煽り始めた紫苑の言動に疑問を抱いたのだろうか、紫苑を訝しげに見ている。それはそうだろう。先程まで行動不能に近い怪我を負っていた、しかもこれといった攻撃手段を持っていない人間が急に相手を焚き付けるようなことを言ったのだから。それに対し、紫苑は大丈夫だと言うように笑みを浮かべながらさり気なく視線を座席の下へと向ける。視線に気がついた花京院は少しだけ目を見開いたものの、すぐに表情を元に戻すと紫苑に目配せをして正面へと向き直った。
「……次で仕留めます。『エメラルドスプラッシュ』!」
そしてもう一度、ハイエロファントグリーンの手のひらからエメラルドの弾丸を発射する。
「わからぬかハハハハハーッ!俺に舌を引き千切られると狂い悶えるんだぞッ!苦しみでなァ!!」
「ま、まずいッ!またエメラルドスプラッシュを躱されている!」
学習能力の無いヤツだと言わんばかりにニヤつきながら、灰の塔は次々と発射されるエメラルドスプラッシュを避けて花京院に接近していく。
先程と同じような展開にアヴドゥル達は焦りの色を見せるものの、花京院は余裕の表情であった。
"ヤツ"が射程距離内に入る。
「なに?引き千切られると狂い悶える?……私の『
突如、座席の隙間からハイエロファントグリーンの触脚が針山のように伸び、灰の塔を串刺しにする。
「引き千切ると狂い悶えるのだ。喜びでな!」
全身を触脚で貫かれた灰の塔が、「グエッ」とカエルが潰れたような声を上げ動きを止める。アヴドゥルやジョセフ、承太郎達は花京院の見事な戦略に感嘆の声を漏らした。
勝利を確信した花京院はゆっくりと立ち上がると「気が付かなかったのか?」と灰の塔に問いかける。
「既にシートの下や中に
そう言うや否や灰の塔に刺さった触脚を使い、灰の塔の体をねじ切ってブチブチと音をたてながらバラバラにする。すると機内前方で倒れている老人が連動するようにもだえ苦しみ、舌にクワガタの模様が浮かび上がった。そして頭と舌がパックリと真っ二つに割れた老人は、血しぶきを上げながら床に倒れ、ピクリとも動かなくなった。
どうやらあの老人が灰の塔の本体であったらしい。
「さっきのじじいが本体だったのか……フン、おぞましいスタンドにはおぞましい本体がついているものよ……それと翠川さん、さっきはありがとうございます。お陰で助かりました」
「いえ、お役に立てて良かったです」
花京院は老人に冷たい視線を向けながら吐き捨てた後、紫苑の方へ向き直ると微笑みながら感謝を述べる。そして老人へと近寄って、その血だらけの額をくまなく確認すると首を傾げた。
「こいつの額には……肉の目が埋め込まれていないようだが……?」
言われて見てみれば、確かに老人の額にはどこにも肉の芽が見当たらない。操られていないとなると、自分の意志でDIOの仲間になったのだろうか。
「『
アヴドゥルはそう言うと老人の死体を乗客の目に晒さないよう、上から布をかける。
なるほど、お金欲しさの為にやったのか、と動機を理解すると共に、紫苑は無事刺客を再起不能にできたという安堵からほっと息を吐く。そうやって気を抜いた瞬間、グラリと機体が傾いたような感覚がしたかと思うと同時に紫苑はバランスを崩した。
「うわッ……」
「おっと……大丈夫ですか?」
ちょうど背後にいた花京院が倒れてきた紫苑を抱きとめる。そばで見ていたジョセフも「大丈夫か?安心して腰でも抜けてしまったかのう」と心配そうに声をかける。
「ありがとうございます、大丈夫です。……いえ、これはそういう理由では無くて……この飛行機、何だか傾いていませんか?」
「……なんじゃと?」
紫苑の言葉にジョセフが慌ててあたりを見渡す。するとどこかの座席から落下した紙コップが、コロコロと前方に転がっていくのが見えた。
「ほ、本当じゃ!傾いている……ま、まさか!」
何かに感づいたジョセフがバタバタと音を立てながら操縦室へと走り出す。その焦りをにじませた顔を見て、紫苑達もジョセフの想像しているであろう事柄に気がつき、承太郎を先頭にして急いで後を追った。
「お、お客様どちらへ!?この先は
「知っている!」
先に走り出したジョセフに追いつくと、ちょうどジョセフがCA達を押し退けて操縦室へと入っていく所だった。静止を振り切ってズカズカと立入禁止区域に入り込むジョセフに、CA達は狼狽える。しかしジョセフを後から追いかけてきた承太郎の姿を視界に入れると、彼女たちはポッと顔を赤らめてその姿に釘付けになる。
「どけアマ」
「きゃあ!」
「おっと」
扉の前に棒立ちになっている女性二人に痺れを切らしたのか、承太郎はCA達を押し退けて操縦室の方に入っていった。押されたCA達はよろめいて後ろに倒れそうになるが、それを花京院が優しく受け止めた。
「失礼……女性をじゃけに扱う何て許せん奴だが……今は緊急事態なのです。許してやってください」
「はい……」
肩を抱きながら花京院が優しく微笑む。誰もが憧れる紳士的な対応をされたCA達は、頬をほんのりとピンク色に染め恥ずかしそうにうつむいた。
そんな高校生2人の色男っぷりを見せつけられたアヴドゥルは、なんとも言えない表情で彼らを見つめている。紫苑は一連の流れを見て肩をすくめると「ほら、アヴドゥルさんも行きましょう」と言って、立ち尽くしているアヴドゥルの背中を押しながら操縦室内へと入っていった。
「なんてこった!してやられた……」
操縦室の中は悲惨な状況であった。部屋の中には血の香りが充満し、操縦席やハンドルにも血が飛び散っている。飛行機を操縦していたパイロット達は皆一様に舌を抜かれており、苦しそうな表情で息絶えていた。
「……だ、だめです、治らない…………全員、亡くなっています……」
「……あのクワガタ野郎、既にパイロット達を殺していたのか!」
「落下しているぞ……自動操縦装置も破壊されている……このままだと墜落するぞ!」
紫苑が慌ててパイロット達に駆け寄り治療を試みるが傷は治らない。承太郎もそのむごたらしい惨状に舌打ちし、悪態をつく。その間にジョセフが操縦席付近の機械を一通り確認するが、重要な機材は大方破壊されており、絶望的な状況に低く唸り声を上げた。
すると突如、背後からゴボゴボといった水音の混じった笑い声が聞こえてきた。
「ぶわばばばはははーッ!!!!」
「なに!」
振り向くと、そこには先程死んだ筈の灰の塔の本体である老人が、血液を撒き散らしながら佇んでいた。全員が、険しい顔で老人を見つめる。
「ブワロロロ~~ベロォォォ!! わしは事故と旅の中止を暗示する『塔』のカードを持つスタンド! お前らはDIO様のところへは行けん! たとえこの機が墜落から助かったとてエジプトまでは一万キロ! その間、DIO様に忠誠を誓った者どもが四六時中貴様らを付け狙うのドァッ! 世界中にはお前らの知らん、想像を超えた『スタンド』が存在するゥ! DIO様は『スタンド』を極めるお方! DIO様はそれらに君臨できる力を持ったお方なのドァ! たどり着けるわけがぬぁ~~~い! 貴様らはエジプトへは決して行けんのどあああああばばばばゲロゲロ~~べちあっ」
「ひっ」
灰の塔はミシミシと人体から発しているとは到底思えないような音を出しながらそう一気にまくし立てると、全身から血を吹き出して床に倒れ込み今度こそ息絶えた。この衝撃的な光景を後ろから見ていたCA達は、悲鳴こそ上げていないものの恐怖から青白い顔で全身を震わせていた。
「さすがスチュワーデス、プロ中のプロ……悲鳴を上げないのはうっとーしくなくていいぜ。そこで頼むが、このじじいがこの機をこれから海上に不時着させる! ほかの乗客に救命具をつけて座席ベルトを締めさせな」
承太郎は操縦席へと座ると、後ろを振り向きながらCA達に言伝を頼む。急に操縦を任されたジョセフは『わしが!?』というかのように驚いた顔で自分を指さしながら承太郎を見ている。言伝を頼まれたCA達は「は、はいッ!」と返事をした後、小走りで操縦席を出ていった。
「うーむ……プロペラ機なら経験あるんじゃがのお……」
「プロペラ……」
腕を組み首を傾げながらそう言うジョセフに、花京院が不安そうな表情で呟く。
「しかし承太郎、わしゃあこれで3度目だぞ。人生で3回も飛行機で墜落するなんて、そんなヤツあるかなぁ」
衝撃的な告白に、一同は微妙な表情で固まる。人生で3回も墜落しているだなんて、いくらなんでも多すぎる。もはや呪いの類だ。
「……2度とテメーとは一緒に乗らねぇ」
苦々しい承太郎の一言に、全員が心の中で同意した。