エジプトまでの道程編
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一行はその後、次の目的地である聖地ベナレスへと向かう為にバス停に向かって歩みを進める。バス停に着くと、そこには何とつい先程ホル・ホースを逃がす原因となった女性が佇んでいたのだった。
話を聞くと、どうやら彼女は聖地ベナレスの良家の娘らしく、ホル・ホースの為に家を飛び出してここまで来たらしい。それを聞いたポルナレフが「丁度いいから俺がベナレスまで護衛してあげよう」と言いだしたので、一行は成り行きでその女性と共にベナレスへと向かうことになった。
前からジョセフと承太郎、花京院と紫苑、そしてポルナレフといった順に座り、それぞれが硬い座席に身を預けバスに揺られること数分。ポルナレフはいつの間にか後ろを振り向き、自身の一つ後ろに座っている例の女性に熱く語りかけていた。
「良いか?俺はね、普通は説教なんてしない。頭の悪いヤツってのは言ってもわからねーから頭の悪いヤツなんだからよ。いるよなあ、何べん言ってもわからねータコ。でもな……ん?あ、えーと……名前、聞いてなかったな」
ポルナレフが指先で頭をトントンと叩きながら困った表情で女性を見る。すると彼女は無表情のままちらりと視線だけポルナレフによこすと、抑揚のない透き通った声でポツリと自分の名を呟いた。
「……ネーナ」
「ネーナ、良い名だ。君はこれから通る聖地ベナレスの良家の娘なんだろ?美人だし、凄く頭のいい子だとみた。俺は人を見る目があるしよ。だから説教するぜ」
ポルナレフがネーナに向かって熱心に語りかける中、承太郎は目をつむったまま揺れに身を任せ、花京院と紫苑は共にバスの外の風景に目を向け、ジョセフは腕にできた出来物をしきりに気にしていた。するとポルナレフは更に熱が入ってきたのか、背もたれから身を乗り出しながらネーナに話しかけた。
「ホル・ホースはとっても悪い嘘つき野郎なんだよ。君は騙されてる。親が悲しむよ?」
「……」
ポルナレフの言葉が響いていないのか、ネーナはなんの感情も抱いていないかのような白んだ目でポルナレフを見ている。それでもお構いなしに話を続けるポルナレフは、急に勢いよく立ち上がると視界を狭めるようにして両手を顔横に当て、その手をブンブンと前後に揺らし始めた。
「あのねえ、こーなっちゃあいけねーぜ。恋をするとなりやすいけどよ、こーいう風に物事を見ちゃあいけないぜ!冷静に広く見ることが大切だな」
「おい」
「ん?」
「見えてきたぞ。ベナレスの町だ」
花京院の言葉で、車内全員の視線が窓へと向く。窓の外には広大なガンジス河と、その河の向こうに立ち並ぶ趣のある町並みがあった。
――聖なる河、ガンジス。この河には、生まれてから死ぬまでの全てが縮図としてある。ここ、聖地ベナレスには何ヶ月いても飽きないと人々は言うが、それはここで出会う風景がきっとその人の魂の内なる風景だと感じるからなのだろう。
ガンジスの河は鈍色に光り、汚泥のように濁りきっている。その河の上を小舟や立派な貨物船などが細々と通り、川岸では数多くの老若男女が沐浴を行っていた。
そんな全てを包み込む母なる大河であるガンジス河の上を真一文字に横切るようにして架かっている、巨大な鉄骨橋。一行を乗せたバスはその橋の上を走り、着実にベナレスへと向かっていった。
そのまま特に何事もなくベナレス内のバス停に着き、一行はベナレスの町に降り立つ。簡素な住宅街にひっそりと存在するバス停の周りは人通りも少なく、2メートルくらいあるであろう塀は薄汚れて所々色が剥げていた。ネーナを含めた全員がバスから降り、乗客の居なくなったバスが砂煙を上げながら走り去っていく。そんな中承太郎は、一人眉を寄せながら自身の腕を見ているジョセフに話しかけた。
「どうした?じじい、元気ないな」
「うむ……虫に刺されたと思っていた所にバイ菌が入ったらしい」
ジョセフはそう言うと皆に右腕を見せる。ジョセフのすぐ近くにいた承太郎や花京院、紫苑と、後ろから歩いて来たポルナレフが差し出された腕を見てみると、丁度右腕の肘から下のあたりに真っ赤に膨れ上がった出来物があるのが見えた。それを見た紫苑は顔を顰め、思わず口元を手で覆う。
「すごい腫れてるじゃあないですか!」
「そうですね。それ以上悪化しないうちに医者に見せたほうがいい」
紫苑の言葉に花京院も同調して、冷静に受診を促す。そんな2人の発言を聞いたジョセフはゲッ、というような表情を見せ、ちらりと紫苑を見た。
「ううむ……やっぱり病院に行くべきか?紫苑のスタンドで何とかできないのか?」
「怪我では無いので難しいと……腫れた所を切り取った後、皮膚を再生するっていうならできると思いますけど」
「き、切り取るじゃと!?そ、それは遠慮しておこう。……はぁ、大人しく医者に見せるか」
ほんの少しの期待を胸に治療できないかと紫苑に聞いたジョセフだったが、期待通りの返答は得られずガックリと肩を落とす。そんなジョセフの腕を一人まじまじと見ていたポルナレフは、顎に手をやりながら不思議そうに口を開いた。
「ん?なんかこれ、人の顔に見えないか?」
「おい、冗談はやめろよポルナレフ」
ジョセフは少し語気を強めながらそう言うと、出来物ができた方の腕をサッともう片方の腕で隠し、ポルナレフの視線を遮る。するとポルナレフは両手を上げ、悪意はないとの意思表示をしつつも半笑いで謝罪した。
「へへへ、悪い悪い。病院、付き添ってやろうか?」
「いらん!年寄り扱いするな」
ジョセフはそう言ってそっぽを向くと、一人でそそくさと歩き出す。そして数歩進んだ所でくるりと振り返り「とりあえず今日泊まるホテルまで行くぞ」と言うと、付いて来るようジェスチャーをして紫苑達を促した。
数十分ほど歩いて着いたホテルは、他の建物よりも幾分か新しく、外装もきれいな場所であった。ロビーに入るとやや小ぶりではあるがきらびやかな光を放つシャンデリアと、滑らかな手触りのサテン生地のソファーやチェア、そして伝統的な草花のモチーフが描かれた絨毯が一行を出迎える。ここまで格式高いホテルに泊まる人は少ないのかロビーは閑散としており、部屋数にも余裕があった為あっという間に人数分の部屋の確保が済んだ。
チェックインも終わった所で、ジョセフはフロントから受け取った部屋の鍵をそれぞれに渡しながら、今後の予定について話し始めた。
「とりあえずわしは今から病院へ行ってくる。お前達も散策やら何やら好きなように過ごしてくれて構わん。ただし、夕食の時刻までには戻るようにな」
ジョセフはそう言うとゆったりとした足取りでホテルのロビーを出ていく。するとポルナレフも「俺はデートに行ってくるぜ。外にネーナを待たせているからな」と言って鼻歌を歌いながら軽やかな足取りでホテルを出ていった。
そんな上機嫌なポルナレフを見送った後、花京院はこの場に残された紫苑達に視線を向けた。
「さて……ぼくたちはどうする?」
「おれは町の方へ行くぜ」
「私も色々お店を見て回りたいかな」
「それじゃあ皆で一緒に行動しようか。……承太郎もそれで構わないかい」
「ああ」
こうして一緒に行動することに決めた3人は、早速ホテルを出て旧市街の中を歩いていく。道路脇に落ちているゴミや往来する自転車、そして我が物顔で道路を闊歩する牛達を上手いこと避けつつ、骨董品店に雑貨屋、お香を販売している店やお土産屋など様々な露店を巡っていった。
そしてそれぞれ欲しい物を購入したり食べたりしながら歩き回ること数時間。3人はベンガリートラ通りの一画にあるラッシー屋で休憩をとっていた。店内のベンチに座ってラッシーを食べながら話すのは、先程見て回った露店についての話題だった。
「ここの通りは見ているだけでも面白いものがたくさんあったな」
「そうだね、さっきのお香もたくさん種類があってどれもいい香りだったなぁ……あっ、あれ何だろう、美味しそう」
「……まだ食うのか」
「おやつって別腹ですよね」
「……」
「冗談ですよ、流石にもうお腹いっぱいです」
承太郎の呆れた物言いに対し満面の笑みで答えた紫苑だったが、やや引いたような視線を向けられている事に気づき慌てて発言を撤回する。そんな2人の横では、花京院が向かいの通りにある看板を目を凝らして眺めていた。
「へぇ、あれはマライヨって言うのか、たしかに美味しそうだ。……でも翠川さん、これを買うのは今食べているラッシーを食べ終わってからの方が良いと思うぞ」
「だから冗談だってば」
花京院がニコニコしながら紫苑に視線を向けると、紫苑はもう、と漏らしながらむくれた表情を作る。そして器の中に刺していた木製のスプーンを手に取り、まだ半分ほど残っている乳白色のとろみのある液体――ラッシーをすくい取った。一口食べると、ほのかな酸味と濃厚な甘さが口の中に広がっていく。その美味しさに、紫苑は思わず顔をほころばせた。
「うん、やっぱり美味しい」
「ぼくもラッシーは初めて食べたが、フルーツとの相性も良くて美味しかったな。今度は他の味も食べてみたいと思ったよ……承太郎はどうだい」
「悪くはなかったぜ」
「あれ、先輩もう食べ終わったんですか」
「ああ」
「はや……というか花京院くんももうほとんど食べ終わってるし、2人とも食べるの早くない?」
紫苑が呆けた顔で承太郎と花京院の手元にある器を覗き込む。花京院は紫苑の視線を受けながら最後の一口を飲み込むと、首を傾げた。
「そうかい?普通だと思うんだが……」
「翠川は一口が小せえんだろ」
「ああなるほど、だからですか……う~ん、一口でこのくらいいってた……?」
「それは……大盛りだな……」
「……詰まらせるんじゃあねーぜ」
「むぐ……わかってますよ」
そう言って紫苑は口をモゴモゴさせながらラッシーを食べていく。そんな紫苑の様子を見た花京院は、何だかリスみたいだと思いつつ小さく笑った。そして紫苑にゆっくり食べて構わないという事を告げると、承太郎に新たな話題を振った。
急がなくて良いと言われた紫苑は、2人の会話に耳を傾けながら黙々とラッシーを食べ進める。クリーミーだがさっぱりした甘さに舌鼓を打っていると、あっという間に完食してしまった。空になった器をテーブルの上に置き、一息ついた所で小さく手を合わせ「ごちそうさまでした」と言う。すると紫苑の隣で会話していた承太郎と花京院がちらりと紫苑を見た後器を持って席を立ったので、紫苑もそれに習って立ち上がり、2人の後をついていった。このあとはどうしようか、などとぼんやり考えながら店の外に出ると、先頭に立っていた花京院がおもむろに殻になった素焼きの陶器を道路の隅で叩き割る。その光景を見た紫苑はえっ、と小さく声を上げ、粉々になった器の破片を尻目に口を開いた。
「わ……割っちゃったけど……いいの?」
「ああ。この素焼きの器は使い捨てだからね。食べ終わったらこうして叩き割って器を捨てるんだ」
「なるほどな。道理で道端に陶器の破片が多い訳だぜ」
花京院の解説を聞いた承太郎は道路の隅に視線をやりながらそう零すと、特に躊躇もなくひょいと器を投げ捨てる。紫苑は自分の手にある器と道端に落ちている粉々になった陶器の欠片をいくらか見比べた後、少し腰をかがめながらゆっくりと器を放り投げた。紫苑の手を離れた器はふわりと宙に浮き、コン、と小さな音を立てて道路にぶつかると呆気なく2つに割れた。
「うーん、洗ったらまだ使えそうだったから、ちょっともったいない気もするなぁ」
「確かにそうだな。でも、これで生計を立てている人もいるそうだから、そういう人にとっては使い捨ててもらったほうが良いんだろう」
「なるほど……」
そう言ってふんふんと頷きながら、紫苑はかがめていた腰をもとに戻す。その隣にいた花京院は手についた汚れを軽くはたいて落とすと、さて、と前置きしつつ承太郎達に視線を向けた。
「お腹も膨れた所で、次はどこに行こうか」
「向こうの方角はまだ回ってねぇんじゃあねぇか」
花京院の問いに対し、承太郎が東の方角に目線を向けながら答える。これに紫苑も同意を示した所で次のルートを決めた3人は、ベンガリートラ通りを東に向かって歩き出した。そうしてなんとなく歩くこと数分、紫苑はある一つの店が目について立ち止まる。そこには机の上だけでなく壁にまで色鮮やかなステッカーが所狭しと並べられていた。こんなお店もあるのかと思いながら一歩踏み出そうとした紫苑だったが、前を歩く2人が立ち止まった自分に気が付かずにそのまま歩いていくのを見て慌てて声をかける。
「すいません、ちょっとこのお店見たいです」
「ん?ああ、構わないよ」
そう言ってくるりと後ろを振り返り元来た道を引き換えす花京院と、その後ろに続く承太郎。2人は紫苑の隣へと来ると、カウンターの上に並ぶ商品を見渡した。花京院は大小様々なデザインのステッカーを目の前にすると、興味深そうにその中の一つのステッカーを手に取った。
「へぇ、ステッカーが売っているのか。面白いデザインだな」
「すごいいっぱいある……あ、これとか可愛くない?」
そう言ってニコニコと笑いながら紫苑が見せてきたステッカーは、目がチカチカするような原色でプリントされたシヴァ神のイラストだった。はい、と言ってステッカーを手渡された花京院はしばし無言で自分の手のひらにあるステッカーを見つめた後、眉をキュッと寄せ困惑した表情を浮かべた。
「……かわいい……のか?」
花京院がそう言って首を傾げながら承太郎を見上げると、その視線に気がついた承太郎は渋い顔で「おれに振るんじゃあねぇ」と零す。そんな2人を後目に籠いっぱいに積まれたステッカーを上機嫌に見繕う紫苑は、とある1枚のステッカーを見つけると、あ、と声を零した。
「これ、アヴドゥルさんに似てる……」
そのちいさな呟きを聞いた花京院はピクリと肩を震わせ、一瞬にしてピリリとした空気を纏う。不穏な空気を感じ取った承太郎が声を発そうとする前に、紫苑は更に言葉を続けた。
「これ、退院祝いとかにあげたらアヴドゥルさん喜びそうじゃあないですか?ほら、すごいそっくり」
そう言いながら笑顔でステッカーを見せる紫苑の言葉を聞いた花京院は、強ばらせていた表情を緩め、ぽかんとした顔で紫苑を見つめる。承太郎は未だクスクスと笑っている紫苑と固まったままの花京院を交互に見やると、一つため息を零した後すぐさま紫苑の方に射るような眼差しを送った。
その鋭い眼光と目線がかち合った紫苑はピタリと笑うのをやめ、視線をゆっくりと右下に落としながらしばし熟考する。そして思い当たる節に気がつくと、みるみるうちに顔を引きつらせた。
「あ……やば……」
そう呟いた紫苑が恐る恐る承太郎を見上げると、承太郎は眉間にシワを寄せながらいつもよりも数段低い声を出す。
「……てめー、ここでそれを言うかよ」
「すいません……もう伝えたつもりになってました……」
「……やれやれだぜ」
体を小さく縮こまらせて項垂れる紫苑に対し、承太郎は先程の表情を崩さないまま帽子のつばを引き下げる。そして気を取り直すようにして花京院へと視線をずらし、声をかけた。
「今ので大方察しがついたかもしれねーが……伝えておかなきゃならねー事がある。……場所を移すぜ」
「あ、ああ……わかった」
花京院は言葉をつかえさせながらもそう言うと、手に持っていたステッカーを棚に戻し、承太郎へと視線を向ける。その視線を受けた承太郎は目線だけであたりを見渡した後、ガンジス河の方角へと歩みを進めた。それに続いて花京院と紫苑もガンジス河の方へと歩き始める。こうして固まって歩く3人の間には、先程とは異なりただ一つの会話もなかった。
話を聞くと、どうやら彼女は聖地ベナレスの良家の娘らしく、ホル・ホースの為に家を飛び出してここまで来たらしい。それを聞いたポルナレフが「丁度いいから俺がベナレスまで護衛してあげよう」と言いだしたので、一行は成り行きでその女性と共にベナレスへと向かうことになった。
前からジョセフと承太郎、花京院と紫苑、そしてポルナレフといった順に座り、それぞれが硬い座席に身を預けバスに揺られること数分。ポルナレフはいつの間にか後ろを振り向き、自身の一つ後ろに座っている例の女性に熱く語りかけていた。
「良いか?俺はね、普通は説教なんてしない。頭の悪いヤツってのは言ってもわからねーから頭の悪いヤツなんだからよ。いるよなあ、何べん言ってもわからねータコ。でもな……ん?あ、えーと……名前、聞いてなかったな」
ポルナレフが指先で頭をトントンと叩きながら困った表情で女性を見る。すると彼女は無表情のままちらりと視線だけポルナレフによこすと、抑揚のない透き通った声でポツリと自分の名を呟いた。
「……ネーナ」
「ネーナ、良い名だ。君はこれから通る聖地ベナレスの良家の娘なんだろ?美人だし、凄く頭のいい子だとみた。俺は人を見る目があるしよ。だから説教するぜ」
ポルナレフがネーナに向かって熱心に語りかける中、承太郎は目をつむったまま揺れに身を任せ、花京院と紫苑は共にバスの外の風景に目を向け、ジョセフは腕にできた出来物をしきりに気にしていた。するとポルナレフは更に熱が入ってきたのか、背もたれから身を乗り出しながらネーナに話しかけた。
「ホル・ホースはとっても悪い嘘つき野郎なんだよ。君は騙されてる。親が悲しむよ?」
「……」
ポルナレフの言葉が響いていないのか、ネーナはなんの感情も抱いていないかのような白んだ目でポルナレフを見ている。それでもお構いなしに話を続けるポルナレフは、急に勢いよく立ち上がると視界を狭めるようにして両手を顔横に当て、その手をブンブンと前後に揺らし始めた。
「あのねえ、こーなっちゃあいけねーぜ。恋をするとなりやすいけどよ、こーいう風に物事を見ちゃあいけないぜ!冷静に広く見ることが大切だな」
「おい」
「ん?」
「見えてきたぞ。ベナレスの町だ」
花京院の言葉で、車内全員の視線が窓へと向く。窓の外には広大なガンジス河と、その河の向こうに立ち並ぶ趣のある町並みがあった。
――聖なる河、ガンジス。この河には、生まれてから死ぬまでの全てが縮図としてある。ここ、聖地ベナレスには何ヶ月いても飽きないと人々は言うが、それはここで出会う風景がきっとその人の魂の内なる風景だと感じるからなのだろう。
ガンジスの河は鈍色に光り、汚泥のように濁りきっている。その河の上を小舟や立派な貨物船などが細々と通り、川岸では数多くの老若男女が沐浴を行っていた。
そんな全てを包み込む母なる大河であるガンジス河の上を真一文字に横切るようにして架かっている、巨大な鉄骨橋。一行を乗せたバスはその橋の上を走り、着実にベナレスへと向かっていった。
そのまま特に何事もなくベナレス内のバス停に着き、一行はベナレスの町に降り立つ。簡素な住宅街にひっそりと存在するバス停の周りは人通りも少なく、2メートルくらいあるであろう塀は薄汚れて所々色が剥げていた。ネーナを含めた全員がバスから降り、乗客の居なくなったバスが砂煙を上げながら走り去っていく。そんな中承太郎は、一人眉を寄せながら自身の腕を見ているジョセフに話しかけた。
「どうした?じじい、元気ないな」
「うむ……虫に刺されたと思っていた所にバイ菌が入ったらしい」
ジョセフはそう言うと皆に右腕を見せる。ジョセフのすぐ近くにいた承太郎や花京院、紫苑と、後ろから歩いて来たポルナレフが差し出された腕を見てみると、丁度右腕の肘から下のあたりに真っ赤に膨れ上がった出来物があるのが見えた。それを見た紫苑は顔を顰め、思わず口元を手で覆う。
「すごい腫れてるじゃあないですか!」
「そうですね。それ以上悪化しないうちに医者に見せたほうがいい」
紫苑の言葉に花京院も同調して、冷静に受診を促す。そんな2人の発言を聞いたジョセフはゲッ、というような表情を見せ、ちらりと紫苑を見た。
「ううむ……やっぱり病院に行くべきか?紫苑のスタンドで何とかできないのか?」
「怪我では無いので難しいと……腫れた所を切り取った後、皮膚を再生するっていうならできると思いますけど」
「き、切り取るじゃと!?そ、それは遠慮しておこう。……はぁ、大人しく医者に見せるか」
ほんの少しの期待を胸に治療できないかと紫苑に聞いたジョセフだったが、期待通りの返答は得られずガックリと肩を落とす。そんなジョセフの腕を一人まじまじと見ていたポルナレフは、顎に手をやりながら不思議そうに口を開いた。
「ん?なんかこれ、人の顔に見えないか?」
「おい、冗談はやめろよポルナレフ」
ジョセフは少し語気を強めながらそう言うと、出来物ができた方の腕をサッともう片方の腕で隠し、ポルナレフの視線を遮る。するとポルナレフは両手を上げ、悪意はないとの意思表示をしつつも半笑いで謝罪した。
「へへへ、悪い悪い。病院、付き添ってやろうか?」
「いらん!年寄り扱いするな」
ジョセフはそう言ってそっぽを向くと、一人でそそくさと歩き出す。そして数歩進んだ所でくるりと振り返り「とりあえず今日泊まるホテルまで行くぞ」と言うと、付いて来るようジェスチャーをして紫苑達を促した。
数十分ほど歩いて着いたホテルは、他の建物よりも幾分か新しく、外装もきれいな場所であった。ロビーに入るとやや小ぶりではあるがきらびやかな光を放つシャンデリアと、滑らかな手触りのサテン生地のソファーやチェア、そして伝統的な草花のモチーフが描かれた絨毯が一行を出迎える。ここまで格式高いホテルに泊まる人は少ないのかロビーは閑散としており、部屋数にも余裕があった為あっという間に人数分の部屋の確保が済んだ。
チェックインも終わった所で、ジョセフはフロントから受け取った部屋の鍵をそれぞれに渡しながら、今後の予定について話し始めた。
「とりあえずわしは今から病院へ行ってくる。お前達も散策やら何やら好きなように過ごしてくれて構わん。ただし、夕食の時刻までには戻るようにな」
ジョセフはそう言うとゆったりとした足取りでホテルのロビーを出ていく。するとポルナレフも「俺はデートに行ってくるぜ。外にネーナを待たせているからな」と言って鼻歌を歌いながら軽やかな足取りでホテルを出ていった。
そんな上機嫌なポルナレフを見送った後、花京院はこの場に残された紫苑達に視線を向けた。
「さて……ぼくたちはどうする?」
「おれは町の方へ行くぜ」
「私も色々お店を見て回りたいかな」
「それじゃあ皆で一緒に行動しようか。……承太郎もそれで構わないかい」
「ああ」
こうして一緒に行動することに決めた3人は、早速ホテルを出て旧市街の中を歩いていく。道路脇に落ちているゴミや往来する自転車、そして我が物顔で道路を闊歩する牛達を上手いこと避けつつ、骨董品店に雑貨屋、お香を販売している店やお土産屋など様々な露店を巡っていった。
そしてそれぞれ欲しい物を購入したり食べたりしながら歩き回ること数時間。3人はベンガリートラ通りの一画にあるラッシー屋で休憩をとっていた。店内のベンチに座ってラッシーを食べながら話すのは、先程見て回った露店についての話題だった。
「ここの通りは見ているだけでも面白いものがたくさんあったな」
「そうだね、さっきのお香もたくさん種類があってどれもいい香りだったなぁ……あっ、あれ何だろう、美味しそう」
「……まだ食うのか」
「おやつって別腹ですよね」
「……」
「冗談ですよ、流石にもうお腹いっぱいです」
承太郎の呆れた物言いに対し満面の笑みで答えた紫苑だったが、やや引いたような視線を向けられている事に気づき慌てて発言を撤回する。そんな2人の横では、花京院が向かいの通りにある看板を目を凝らして眺めていた。
「へぇ、あれはマライヨって言うのか、たしかに美味しそうだ。……でも翠川さん、これを買うのは今食べているラッシーを食べ終わってからの方が良いと思うぞ」
「だから冗談だってば」
花京院がニコニコしながら紫苑に視線を向けると、紫苑はもう、と漏らしながらむくれた表情を作る。そして器の中に刺していた木製のスプーンを手に取り、まだ半分ほど残っている乳白色のとろみのある液体――ラッシーをすくい取った。一口食べると、ほのかな酸味と濃厚な甘さが口の中に広がっていく。その美味しさに、紫苑は思わず顔をほころばせた。
「うん、やっぱり美味しい」
「ぼくもラッシーは初めて食べたが、フルーツとの相性も良くて美味しかったな。今度は他の味も食べてみたいと思ったよ……承太郎はどうだい」
「悪くはなかったぜ」
「あれ、先輩もう食べ終わったんですか」
「ああ」
「はや……というか花京院くんももうほとんど食べ終わってるし、2人とも食べるの早くない?」
紫苑が呆けた顔で承太郎と花京院の手元にある器を覗き込む。花京院は紫苑の視線を受けながら最後の一口を飲み込むと、首を傾げた。
「そうかい?普通だと思うんだが……」
「翠川は一口が小せえんだろ」
「ああなるほど、だからですか……う~ん、一口でこのくらいいってた……?」
「それは……大盛りだな……」
「……詰まらせるんじゃあねーぜ」
「むぐ……わかってますよ」
そう言って紫苑は口をモゴモゴさせながらラッシーを食べていく。そんな紫苑の様子を見た花京院は、何だかリスみたいだと思いつつ小さく笑った。そして紫苑にゆっくり食べて構わないという事を告げると、承太郎に新たな話題を振った。
急がなくて良いと言われた紫苑は、2人の会話に耳を傾けながら黙々とラッシーを食べ進める。クリーミーだがさっぱりした甘さに舌鼓を打っていると、あっという間に完食してしまった。空になった器をテーブルの上に置き、一息ついた所で小さく手を合わせ「ごちそうさまでした」と言う。すると紫苑の隣で会話していた承太郎と花京院がちらりと紫苑を見た後器を持って席を立ったので、紫苑もそれに習って立ち上がり、2人の後をついていった。このあとはどうしようか、などとぼんやり考えながら店の外に出ると、先頭に立っていた花京院がおもむろに殻になった素焼きの陶器を道路の隅で叩き割る。その光景を見た紫苑はえっ、と小さく声を上げ、粉々になった器の破片を尻目に口を開いた。
「わ……割っちゃったけど……いいの?」
「ああ。この素焼きの器は使い捨てだからね。食べ終わったらこうして叩き割って器を捨てるんだ」
「なるほどな。道理で道端に陶器の破片が多い訳だぜ」
花京院の解説を聞いた承太郎は道路の隅に視線をやりながらそう零すと、特に躊躇もなくひょいと器を投げ捨てる。紫苑は自分の手にある器と道端に落ちている粉々になった陶器の欠片をいくらか見比べた後、少し腰をかがめながらゆっくりと器を放り投げた。紫苑の手を離れた器はふわりと宙に浮き、コン、と小さな音を立てて道路にぶつかると呆気なく2つに割れた。
「うーん、洗ったらまだ使えそうだったから、ちょっともったいない気もするなぁ」
「確かにそうだな。でも、これで生計を立てている人もいるそうだから、そういう人にとっては使い捨ててもらったほうが良いんだろう」
「なるほど……」
そう言ってふんふんと頷きながら、紫苑はかがめていた腰をもとに戻す。その隣にいた花京院は手についた汚れを軽くはたいて落とすと、さて、と前置きしつつ承太郎達に視線を向けた。
「お腹も膨れた所で、次はどこに行こうか」
「向こうの方角はまだ回ってねぇんじゃあねぇか」
花京院の問いに対し、承太郎が東の方角に目線を向けながら答える。これに紫苑も同意を示した所で次のルートを決めた3人は、ベンガリートラ通りを東に向かって歩き出した。そうしてなんとなく歩くこと数分、紫苑はある一つの店が目について立ち止まる。そこには机の上だけでなく壁にまで色鮮やかなステッカーが所狭しと並べられていた。こんなお店もあるのかと思いながら一歩踏み出そうとした紫苑だったが、前を歩く2人が立ち止まった自分に気が付かずにそのまま歩いていくのを見て慌てて声をかける。
「すいません、ちょっとこのお店見たいです」
「ん?ああ、構わないよ」
そう言ってくるりと後ろを振り返り元来た道を引き換えす花京院と、その後ろに続く承太郎。2人は紫苑の隣へと来ると、カウンターの上に並ぶ商品を見渡した。花京院は大小様々なデザインのステッカーを目の前にすると、興味深そうにその中の一つのステッカーを手に取った。
「へぇ、ステッカーが売っているのか。面白いデザインだな」
「すごいいっぱいある……あ、これとか可愛くない?」
そう言ってニコニコと笑いながら紫苑が見せてきたステッカーは、目がチカチカするような原色でプリントされたシヴァ神のイラストだった。はい、と言ってステッカーを手渡された花京院はしばし無言で自分の手のひらにあるステッカーを見つめた後、眉をキュッと寄せ困惑した表情を浮かべた。
「……かわいい……のか?」
花京院がそう言って首を傾げながら承太郎を見上げると、その視線に気がついた承太郎は渋い顔で「おれに振るんじゃあねぇ」と零す。そんな2人を後目に籠いっぱいに積まれたステッカーを上機嫌に見繕う紫苑は、とある1枚のステッカーを見つけると、あ、と声を零した。
「これ、アヴドゥルさんに似てる……」
そのちいさな呟きを聞いた花京院はピクリと肩を震わせ、一瞬にしてピリリとした空気を纏う。不穏な空気を感じ取った承太郎が声を発そうとする前に、紫苑は更に言葉を続けた。
「これ、退院祝いとかにあげたらアヴドゥルさん喜びそうじゃあないですか?ほら、すごいそっくり」
そう言いながら笑顔でステッカーを見せる紫苑の言葉を聞いた花京院は、強ばらせていた表情を緩め、ぽかんとした顔で紫苑を見つめる。承太郎は未だクスクスと笑っている紫苑と固まったままの花京院を交互に見やると、一つため息を零した後すぐさま紫苑の方に射るような眼差しを送った。
その鋭い眼光と目線がかち合った紫苑はピタリと笑うのをやめ、視線をゆっくりと右下に落としながらしばし熟考する。そして思い当たる節に気がつくと、みるみるうちに顔を引きつらせた。
「あ……やば……」
そう呟いた紫苑が恐る恐る承太郎を見上げると、承太郎は眉間にシワを寄せながらいつもよりも数段低い声を出す。
「……てめー、ここでそれを言うかよ」
「すいません……もう伝えたつもりになってました……」
「……やれやれだぜ」
体を小さく縮こまらせて項垂れる紫苑に対し、承太郎は先程の表情を崩さないまま帽子のつばを引き下げる。そして気を取り直すようにして花京院へと視線をずらし、声をかけた。
「今ので大方察しがついたかもしれねーが……伝えておかなきゃならねー事がある。……場所を移すぜ」
「あ、ああ……わかった」
花京院は言葉をつかえさせながらもそう言うと、手に持っていたステッカーを棚に戻し、承太郎へと視線を向ける。その視線を受けた承太郎は目線だけであたりを見渡した後、ガンジス河の方角へと歩みを進めた。それに続いて花京院と紫苑もガンジス河の方へと歩き始める。こうして固まって歩く3人の間には、先程とは異なりただ一つの会話もなかった。
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