エジプトまでの道程編
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次の日の朝。ポルナレフを除く面々は皆で集まってホテルで朝食を摂っていた。
「……結局、戻って来なかったな」
ジョセフがそう呟きながら、テーブルナプキンが置かれたままの空白の席を見つめる。周りの面々もジョセフの視線の先をたどるものの、皆一様に口を開かなかった。
異様な程重たい空気の中、紫苑達は無言で食事を摂っていく。その空気を反映するかのように、本日の空模様も最悪なものとなっていた。
「……まだ雨が強い。ポルナレフも戻って来ていないし、天気が回復するまでしばらくここで待機するとしよう。各自準備を整えて、部屋で待っていてくれ」
食事を終えると、ジョセフが窓の外を眺めながらそう皆に伝える。紫苑達はそれに了承すると、各自自分の部屋へと戻っていった。
「ポルナレフ、大丈夫かな……」
自室へと戻った紫苑は、出発の準備を整えながらそう呟く。何だか、嫌な予感がしてならないのだ。紫苑はため息を一つつくと、浮かない表情で黙々と手を動かす。一通りの準備を終え、ちらりと窓の外を見やるが、未だ雨は降り続いている。どす黒い雲があたり一面を覆っており、誰の目から見てもしばらくこのままの天気が続くことが予想出来た。
紫苑は荷物から1冊の本を取り出すと、ぽすりとベッドへ座り込む。これは船を乗り換える途中で購入した、生き物の細胞について詳しく書かれた本だ。紫苑のスタンド、ホワイトアイオーンは生きている細胞を活性化させる事が出来る。だから細胞についてもっとよく知ることができれば、治癒や骨を作り出すといった事以外にも様々な事ができるようになるのではないか。そう考えてちょっと難しそうな本をジョセフに頼んで購入したのだが、いざ読んでみるとこれが意外と面白い。
既に半分ほど読み込まれた本を開き、挟んでいた栞を抜き取る。雨粒が窓を打つ音を聞きながら、紫苑は本の世界に没頭していった。
どのくらいの時間が経ったのだろうか。キリのいい所まで読み終わった紫苑が本から視線を上げると、いつの間にか窓からは日が差しており、綺麗な青空が広がっていた。こんなに天気も回復したことだし、そろそろジョセフが出発の声掛けに来る頃だろう。そう思った紫苑が手に持っていた本をしまっていると、背後でドンドンと慌ただしく扉が叩かれた。
「紫苑、居るか!わしだ、ジョセフだ!」
扉の向こうからは、酷く焦ったようなジョセフの声が聞こえてくる。これは只事ではないと感じた紫苑はつんのめりそうになりながらもなんとか立ち上がり、慌てて扉に駆け寄りドアを開けた。
「ジョースターさん!どうかされたんですか」
扉を開けると、そこには息を切らせたジョセフが立っていた。ジョセフは紫苑が部屋から出てきたのを確認すると、間髪入れずに口を開く。
「アヴドゥルが居なくなったんじゃ。紫苑の部屋に来たりしていないか?」
「アヴドゥルさんが……!?いえ、私の部屋には来てないです」
「そうか……Holy shit ! アヴドゥルのやつ、一人でポルナレフを探しに出掛けたな……!」
ジョセフは眉間のシワを更に深くさせながら拳を握りしめると壁をドンと叩いた。紫苑はジョセフの周りをキョロキョロと見渡すと、とある疑問をぶつけた。
「先輩や花京院くんはどこに?」
「彼らには先に街に出てアヴドゥルを探してもらっておる。ここに来る前に彼らの部屋も見たんじゃが、アヴドゥルは見つからんかったからな」
ジョセフは額に手を当てながらそう答えると、ため息をつき紫苑の方へと視線を向ける。
「ここに居ても仕方がない、わしらもアヴドゥルを探しに行くぞ。……紫苑、お前さんはなるべくわしから離れんようにしなさい。ここは他の場所に比べれば治安は良いほうじゃが、決して安全とは言い難いからな」
「はい、わかりました」
ジョセフの言葉に頷くと、紫苑達は駆け足でホテルを出る。街中へ出て辺りを注意深く観察しながら走りまわるものの、アヴドゥルの姿はどこにも見当たらない。
お世辞にもきれいだとは言いがたい空気の中、全力疾走する紫苑とジョセフ。そこら中に充満する車の排気ガスや細かい塵のせいで、紫苑は何だか肺が痛むような気がした。
「ゲホゲホッ」
「大丈夫か?少しペースを落とすか」
風で舞い上がった砂埃を思い切り吸い込んでしまい、紫苑は涙目になりながら咳き込む。それを聞いたジョセフは忙しなく動かしていた足を止めると、心配そうな表情で紫苑の顔を覗き込みながら背中を撫で擦った。
「いえ、平気です。少しむせただけですから……ッ!!」
そう言って顔を上げようとした刹那、紫苑の胸にドスンという衝撃が走る。それと共に自身の身体から何かが抜けていくような感覚と、言いようのない息苦しさを感じた。恐る恐る視線を下げると、なんと紫苑の胸から青白く細い腕が出ていた。その手のひらには、何やら黄色く輝くもやのようなものが握られていた。
「こ、これは……ッ!」
「ハーミットパープル!」
紫苑の胸が何者かの腕で貫かれた様子を間近で目撃したジョセフは、すぐさま己のスタンドを呼び出しその青白い腕へと攻撃を仕掛けようとする。しかしその瞬間、青白い腕がスルリと抜けてこの場から姿を消した。ジョセフの放った紫の茨は、紫苑の胸の前で空を切った。
腕が抜けた衝撃により、紫苑は胸を抑えながらたたらを踏む。しかし不思議なことに、いくら腕が刺さっていた部位を触っても傷口がどこにも見当たらない。紫苑は首をかしげながら正面にいるジョセフを見上げた。ジョセフは真剣な表情で紫苑の身体をくまなく見て怪我が無いことを確認すると、周囲に視線を巡らせながら小声で紫苑に話しかける。
「先程のは恐らくスタンド……そうでなければあんな芸当はできまい」
「そうですね……」
「しかし妙じゃな。あんな即死級の攻撃を受けておきながら、お前さんはピンピンしておる」
「それなんですけど、さっきのアレには攻撃の意思を感じませんでした。もっと他の目的があるような……そう、私の中から"何か"を取るため、といったふうに」
「何かを取るじゃと?そういえば、さっきヤツは手のひらに何か持っていたな……」
ジョセフが片眉を上げながら紫苑の方を見る。そして紫苑の頭上に視線を滑らせると、途端に目を大きく見開いて紫苑の方へと駆け出した。突然の事にきょとんした表情を浮かべる紫苑は、ジョセフに思い切り身体を押され道路へと倒れていく。ジョセフは倒れていく紫苑を抱きかかえながら身体を反転させると、背中を強かに地面に打ち付けながら転がった。その背後で、ガシャンという何かが割れる音が響いた。
砂埃が舞う中、紫苑はジョセフの腕の中からさっきまで自分がいた場所を覗き見る。そこには、無惨にも粉々になった植木鉢があった。その光景を視界に入れた紫苑は、もしあのままあの場所に立っていたら辿っていたであろう己の末路を想像し、ヒュッと息を飲んだ。
「う、うそ……」
「ッ……紫苑、怪我はないか?」
「あ……はい、ジョースターさんが助けてくれたお陰で、なんとか……」
「そうか、良かった……」
ジョセフが心底安心したようにホッと胸を撫で下ろす。紫苑はバクバクとうるさいくらいに鼓動する心臓を片手で抑えつつ、ジョセフに支えられながら身体を起き上がらせた。建物を見上げると、植木鉢を落とした人物であろう男性が青白い表情でベランダから割れた植木鉢を見下ろしている。その男性は紫苑と目が合うと、顔に焦燥感を携えながらベランダから身を乗り出した。
「す、すまねぇ!!うっかり手を滑らせちまって……怪我はないかい!」
「こちらは平気じゃ!だが危うく怪我人が出る所だったんだぞ、気をつけろ!」
「ほんとにすまねぇな爺さん!それに嬢ちゃんも」
「いえ……」
男性がペコペコと慌ただしく頭を下げるのを見て、わざとではないのだしあまり責め立てるのもなと思った紫苑はゆるく頭を振る。すると男性はホッとしたような表情になり、建物の中へと引っ込んだ後、玄関から再び外へと出てきて道路に散らばった植木鉢の残骸を拾い始めた。
「……全く危ないところだったわい。背筋がヒヤッとしたぞ」
「そうですね……でもまぁ、あの人も悪気があったわけではないようですし……」
「それはそうじゃが、こっちは危うく死にかけとるんだぞ?今回は運良くわしが気がついたから良かったものの……」
「……あッ!これは!!」
不満そうにブツブツと愚痴を零していたジョセフの背後から大きな叫び声が上がる。その声に驚いたジョセフと紫苑が後ろを振り返ると、先程植木鉢の破片を集めていた男性が、何かキラキラと光るものを手に持って掲げていた。
「あ……あったぞッ!!遂に見つけた!!失くしたと思っていた結婚指輪が!これで嫁に怒られずに済むッ!!土いじりをしていた時に落としたんだな……ああ良かった……」
男性は喜びに満ちた表情で結婚指輪を大切そうに胸に抱いている。そんな男性の様子を見たジョセフは呆れ返ったようにため息をついた。
「植木鉢が割れたお陰で土の中に入っていた捜し物が出てきたというわけか……全く、こっちは大変な目に合いかけたというのにあんなにはしゃぎおって」
「はは……まぁそれよりも、早くアヴドゥルさんを探さないと」
「おっと、そうじゃったな」
紫苑の言葉でジョセフは顔を引き締めると再び周囲に視線を巡らせながら走り出す。その後ろをついて行く紫苑の頭の中からは、先程の青白い腕の事などはすっかりと抜け落ちていた。
しかしその後も不可解な出来事が立て続けに起こる。民家の近くを走っていれば上からバケツの水が降り注ぎ、店の前を通れば丁度店から逃走しようとした万引き犯と衝突し、車通りの多い道路を走ればスリップした車が突っ込んで来た。紫苑とジョセフは息も絶え絶えになりながらなんとか迫りくる車をかわし、道路に転げ込む。車はスピードを落とすことなく店の窓ガラスに激突し、辺りに硝子の破片を撒き散らしながら停止した。
「や、やっぱり何かおかしい……!さっきからやたらツイてない気がするッ……!」
紫苑は砂まみれになってしまった制服の裾を手で払いながらゆっくりと立ち上がる。その隣ではジョセフも神妙な顔つきでジッと車を見つめていた。
「……やはり妙だ。通常では有り得ん程の災難に短時間で見舞われている……」
「もしかして、さっきのスタンド攻撃のせいでしょうか……?」
「……十分あり得るな。これはアヴドゥルを見つける前に先程のスタンド使いを見つける必要がありそうじゃ」
「アナタ達が私を見つけるのを待っていたら、とんでもなく時間がかかってしまいそうね」
「ッ!誰だッ!?」
突如、背後からカツリというヒールが地面を叩く音とともに聞き覚えのない女性の声が聞こえてくる。振り向くと、そこには黒いローブを身にまとった女性が立っていた。ローブのフードに隠れて顔はよく見えないが、ちらりと覗く口元は真っ赤なルージュで彩られており、気の強そうなオーラをひしひしと感じる出で立ちであった。
「冥土の土産に名乗ってあげる。私はレイラ。アナタ達、とんでもなく鈍感なのね。初めはうっかり運気を多く掴みすぎちゃって危うく捕まりそうになったけれど、それ以降全然警戒しないんだから。あの後何回かアナタから運気を奪ったのだけれど、気が付かなかったのかしら?」
ローブの女、レイラは口元に笑みを浮かべ、あざ笑うかのように己のスタンドを見せつけた。女の隣には、同じように裾の長いローブを纏い、目元を覆い隠すマスクを着けたスタンドがひっそりと佇んでいる。そのスタンドの頭には鎖が括り付けられた縦長の帽子が乗っており、その鎖からは天秤のようなものが吊り下がっていた。
「運気を奪ったじゃと?」
「……もしかして、あの手が持っていた黄色いモヤみたいなものは……!?」
「ふふふ、そうよ。アレは私のスタンド『調整 』がアナタから奪った『運』。私のスタンドは他人の『運』と『不運』を入れ替える事ができるの」
そう言うとレイラは表情を一変させ、憂いを帯びた表情になる。
「……やっと……やっとだわ。これでやっと恨みを晴らせる……弟が殺された恨みをね」
「弟?……ッ!まさか、あなたショーンの……!」
「おまえが気安くその名を呼ぶなッ!!慈悲もなく無惨に弟の命を奪ったこの悪魔め!!」
紫苑がショーンの名を呼んだ途端、レイラがガバリと勢いよく顔を上げ大声で怒鳴る。その拍子にレイラのフードが取れてその顔があらわになった。
「私はおまえを許さない……私のかわいい弟を……私のたった一人の家族を奪ったおまえをッ!!……あの方に『仲間の言うことは聞くように』と言われていたからあのホル・ホースとかいう軟派な男の指示に従ってアナタを足止めしていたけれど……こんなチャンス黙って見過ごせないわ。命をとるなとは言われていなから平気よね」
そう言うとレイラは再びスタンドを出し、一直線にジョセフの元へと向かわせた。攻撃されるなら紫苑だろうと踏んでいたジョセフは紫苑を守る体制に入っていた為反応が遅れてしまい、気が付いた時にはジョセフの胸元にはアジャストメントの腕が刺さっており、その手のひらには黄色いモヤが握られていた。
「しまったッ!」
「ジョースターさんッ!」
「油断しちゃあだめじゃない。隙だらけよ?」
ジョセフから運気を奪い取ったアジャストメントは近くにいた適当な人間の方へと向かうと、その人の胸元にも腕を突き刺す。そしてその人間から青いモヤを奪い取り、帽子に括り付けられている天秤の皿の上に黄色いモヤと青いモヤをそれぞれ置いた。すると青いモヤがジョセフに向かって飛んでいき、逆に黄色いモヤは先程青いモヤを奪われた人間の方へと向かっていく。それは、あっという間の出来事であった。
「これで運気の交換は完了。ジョセフ・ジョースター、不運に見舞われたくなければそこから動かない事ね。大事な仲間がアナタの不運に巻き込まれたら大変でしょう?」
「くっ……」
「……さぁ、これで邪魔する人はいなくなったわ。死んで償え、翠川紫苑!!」
レイラが憎悪に満ちた目で紫苑を睨みつけたかと思うと、アジャストメントが一目散に紫苑へと襲いかかってくる。紫苑は咄嗟にホワイトアイオーンを出し、迫りくるアジャストメントの腕を掴んだ。両者のスタンドのパワーは拮抗しているのか、お互いにつかみ合ったまま中々動かない。
「ふふ、ふふふ……お互いパワーに関してはあまり無いようね。私達のように特殊な能力を持つスタンドは、純粋なスピードやパワー勝負には弱い傾向にある……アナタにもそれが当てはまるようで安心したわ」
「でもそれじゃあ、一生私に触れることはできない。安心するのはまだ早いんじゃあないの?」
「……それはどうかしら?」
レイラは目をすうっと細めると、懐から折り畳みの小型ナイフを取り出す。そして軽々と地面を蹴り上げると、目にも留まらぬ速さで紫苑の目前に移動し、その勢いのまま素早くナイフを振りかぶった。
「うわッ!?」
「紫苑ッ!……うおおッ!?」
「えっ……ジョ、ジョースターさん!?」
紫苑は咄嗟に上半身を仰け反らせ、レイラの攻撃を間一髪で躱す。その直後に背後からジョセフの叫び声が聞こえたので振り返ると、なんとそこには店の商品の山に埋もれているジョセフがいた。近くには空になった商品棚が倒れており、どうやら紫苑を助けようと一歩踏み出した所で棚が倒れてきて、商品の雪崩に巻き込まれたようだ。
「な、なんでこんな時に棚が倒れてくるんじゃ……!」
「あらあら。だから動くなと言ってあげたのに……理解力の無い御方ね。それよりも翠川紫苑。アナタ、あの老いぼればかりに気を取られていていいのかしら?」
レイラはその言葉とともに攻撃を再開する。紫苑はかろうじて繰り出されるナイフによる攻撃を交わしていくが、その動きは先程よりも鈍くなっていた。
「ふふふ、スタンドの能力は同レベルでも、生温い日本で平和な学生生活を送っていたアナタと、明日も知れぬ生活を強いられていた私……どちらが強いかなんて明白よね」
ナイフによる攻撃を単調に繰り出していたレイラは突如攻撃を止め、紫苑に対し足払いを仕掛けてくる。ナイフを避けることに集中していた紫苑は突然の事に対応できず、足がもつれ思わず尻餅をついた。レイラはそんな紫苑の様子を見て笑みを深めると、ちらりとアジャストメントの方へと視線を向ける。するとアジャストメントがホワイトアイオーンの拘束を振りほどき、紫苑の懐へと潜り込みその胸元へ右腕を突き刺した。ゆっくりと引き抜かれていくアジャストメントの手のひらには黄色いモヤが握られている。
「ッぐ……!」
「少しイレギュラーな事態が起きただけで集中が切れるだなんて、アナタ全然スタンドを使いこなせていないじゃない。……ああ、何故アナタが弟に勝ったのか全くわからないわ」
「……あなたの弟、自分のスタンドで自爆したようなものだけれど……」
「黙りなさいッ!!……実力は確かに弟の方が上だったのよ。……ああ、あの子にはあの時『運』が無かったんだわ。やっぱり私がついていってあげるべきだった」
紫苑が思ったことをそのままポロリと零すと、レイラは眉尻を釣り上げ、尻餅をついている紫苑を蔑むような目で見下ろす。そして馬鹿にしたように鼻で笑うと、運気の交換を行う相手を探すため周囲に視線を巡らせた。
その瞬間、紫苑の身体に紫色の茨が巻き付き、ふわりと身体が浮いた。
「これは……ハーミットパープル……!」
「一旦逃げるぞ紫苑!」
「ッ!しゃしゃるんじゃあないわよこの老いぼれジョースターッ!!逃げるならお前一人にしろッ!!」
「仲間を見捨てて逃げるなんて事はせんわい!ここは戦略的撤退じゃ!」
ジョセフはハーミットパープルで紫苑の身体を引き寄せると、そのまま紫苑を腕に抱えて一目散に走り出す。背後には、何かを喚き散らしながらアジャストメントを使って近くを歩く人間から不運を奪い取っているレイラの姿が見えた。
紫苑は顔を上げ、ジョセフの顔を下から覗き込む。
「ありがとうございますジョースターさん。えっと、私自分で走れますから……」
「いや、構わんよ。それにちょいと確かめたいことがあるんじゃ。しばらくジッとしといてくれ」
「確かめたいこと……?」
紫苑が首を傾げると、ジョセフはニヤリと口角を上げる。そして少しだけスピードを落としながら、人通りの多い道や露店の近くをわざと走り始めたのだった。
紫苑はその行動に目をまんまるにしながら驚き、ジョセフの胸元をバシバシと叩いた。
「ジョ、ジョースターさん!もっと何もないところを通らないとまた不運に巻き込まれちゃいますよ!」
「いーや、わしの考えが合っていれば平気じゃ。ほれ、大人しくせんかい」
「うう……」
紫苑はジョセフが転んで自分を落としてしまうのではとか、ジョセフもろとも事故に巻き込まれてしまうのではないかなどありとあらゆる不運を思い浮かべ、身構えるように身体を縮こまらせてギュッと目をつむる。しかしいくら待っても紫苑が想像するような不運は起こらない。しばらくするとジョセフが立ち止まったので恐る恐る目を開くと、目前にはしてやったりといった表情のジョセフがいた。
「ほらな。今までは運気を入れ替えられた後、何かしらのアクションを起こした直後に不運が起きていたが、今回は起こらなかった。如何にも不運が起こりそうな場所で走り回っていたにも関わらずじゃ。そしてあのレイラとか言う女の『不運な目に合いたくなければそこから動くな』という言葉を加味して考えると……恐らく、運気を入れ替えられた本人 が動く、もしくは何かアクションを起こさない限り不運の効果は発動しないんじゃろう」
「なるほど……さっきまで動いていたのはあくまでジョースターさんだけで、私自身は何もしていなかったから不運が起こらなかったんですね。……でも、それじゃあ私、いつまで経っても動けなくないですか……?」
「……そうじゃな」
紫苑の言葉に、ジョセフは気まずそうに視線を逸らす。紫苑がさっきまでの自信満々な表情はどうしたんだと言わんばかりにジョセフをジト目で見ていると、うーんと唸っていたジョセフが何か思いついたのか、ぱっと表情を明るくさせ紫苑の方を見た。
「紫苑自身は動けなくてもスタンドなら平気なんじゃあないか?」
「スタンド……そうか、やってみますね。……ホワイトアイオーン」
紫苑が呼びかけると、ホワイトアイオーンがするりと現れる。とりあえずアイオーンにはそこらへんに落ちていた石ころを拾ってもらい、その石を軽く投げさせた。投げられた石はコロコロと地面を転がっていき、やがて何事もなかったかのように止まった。
「何も起こらない……ということは私自身が 動かない限り本当に何も起こらないんだ……」
「そういうことじゃ。……まぁしかし、これからどうしたもんかのぉ。スタンドを使う分には問題無いとはいえ、これでは迂闊に動けんわい」
ジョセフが紫苑を抱え直しながらため息をつく。紫苑はそんなジョセフの腕の中でうつむきながら、とある事を考えていた。紫苑のスタンドはアヴドゥルのマジシャンズレッドや花京院のハイエロファントグリーンのように、スタンド自体に攻撃手段があるわけでは無い。かと言ってスタンドのパワーが強い訳でもない。そのため、今までは紫苑自身をホワイトアイオーンの能力で強化し、自身の身体のみで闘ってきた。つまり紫苑自身が動けない場合、何もできることがなかったのだ。
しかし今は、厳密に言うと何も出来ないわけでは無かった。以前、船でインドへと向かう途中でアヴドゥルにどうしてそんなに多彩な技が使えるようになったのかと尋ねた事がある。するとアヴドゥルは『スタンドはイメージだ。普通なら出来そうにないと思うことでも、完成形をイメージし、その技を使っている自分をイメージする。そして自分自身が出来ると信じていれば、自ずとできるようになるさ』と語ってくれた。紫苑はそのアドバイスを元にジョセフに買ってもらったあの細胞の本を読み、とある一つの技を思いついていたのだ。
では何故その技を使おうとしないのか。それはとある理由により、技を使うことに対して恐怖心があったからである。しかし敵に追い詰められている今、状況を打破する一手があるにもかかわらずそれをやらないだなんて馬鹿げているにも程がある。紫苑は一度ギュッと目をつむってからゆっくりと瞼を開くと、意を決して顔を上げた。
「……ジョースターさん。私に一つ、考えがあるんですが……」
「うん?何じゃ?」
きょとりとした表情で返事をするジョセフに対し、紫苑は自分の新しい技の事、そしてそれを使った作戦を伝えた。するとジョセフは微かに目を見開き、驚きの表情を見せる。
「紫苑……お前さん、いつの間にそんなことができるようになったんじゃ」
「まだ植物でしか試していないので、確実にできるかと言われれば微妙な所ですが……」
「いや、植物でできているなら人間に対してもできるのじゃろう。……うむ……その作戦についてじゃが、わしは構わんが紫苑は平気なのか?何せ紫苑の負担がいささか大きいような気がするが……」
「平気です。それに、自分の能力の可能性を確かめてみたいんです」
紫苑はそう言ってジョセフの目をしっかりと見つめる。ジョセフはそんな紫苑を黙って見つめ返していたが、やがて短いため息をつくと表情を緩めた。
「……そうか、わかった。しかし無理はするんじゃあないぞ」
「はい。わかってます」
「そうじゃな……そうしたらヤツともう一度会うため、少し人気の少ない所で待つとするか」
ジョセフはそれだけ言うと再び紫苑をしっかり抱え直し、もと来た道へ向かって歩き出す。紫苑はさっきはああいったが、決して恐怖心がなくなったわけではなかった。やはり新しい技を使うことに対して恐怖がある。しかし、弱音を吐いている暇などない。この間にも刺客は紫苑達のことを探し回っているし、アヴドゥルだって刺客と鉢合わせているかもしれないのだ。紫苑はジョセフの腕の中で揺られながら微かに震える両手を握りしめる。そして水平線を睨みつけながら、先程ジョセフに伝えた作戦の内容を頭の中で反芻していた。
「……結局、戻って来なかったな」
ジョセフがそう呟きながら、テーブルナプキンが置かれたままの空白の席を見つめる。周りの面々もジョセフの視線の先をたどるものの、皆一様に口を開かなかった。
異様な程重たい空気の中、紫苑達は無言で食事を摂っていく。その空気を反映するかのように、本日の空模様も最悪なものとなっていた。
「……まだ雨が強い。ポルナレフも戻って来ていないし、天気が回復するまでしばらくここで待機するとしよう。各自準備を整えて、部屋で待っていてくれ」
食事を終えると、ジョセフが窓の外を眺めながらそう皆に伝える。紫苑達はそれに了承すると、各自自分の部屋へと戻っていった。
「ポルナレフ、大丈夫かな……」
自室へと戻った紫苑は、出発の準備を整えながらそう呟く。何だか、嫌な予感がしてならないのだ。紫苑はため息を一つつくと、浮かない表情で黙々と手を動かす。一通りの準備を終え、ちらりと窓の外を見やるが、未だ雨は降り続いている。どす黒い雲があたり一面を覆っており、誰の目から見てもしばらくこのままの天気が続くことが予想出来た。
紫苑は荷物から1冊の本を取り出すと、ぽすりとベッドへ座り込む。これは船を乗り換える途中で購入した、生き物の細胞について詳しく書かれた本だ。紫苑のスタンド、ホワイトアイオーンは生きている細胞を活性化させる事が出来る。だから細胞についてもっとよく知ることができれば、治癒や骨を作り出すといった事以外にも様々な事ができるようになるのではないか。そう考えてちょっと難しそうな本をジョセフに頼んで購入したのだが、いざ読んでみるとこれが意外と面白い。
既に半分ほど読み込まれた本を開き、挟んでいた栞を抜き取る。雨粒が窓を打つ音を聞きながら、紫苑は本の世界に没頭していった。
どのくらいの時間が経ったのだろうか。キリのいい所まで読み終わった紫苑が本から視線を上げると、いつの間にか窓からは日が差しており、綺麗な青空が広がっていた。こんなに天気も回復したことだし、そろそろジョセフが出発の声掛けに来る頃だろう。そう思った紫苑が手に持っていた本をしまっていると、背後でドンドンと慌ただしく扉が叩かれた。
「紫苑、居るか!わしだ、ジョセフだ!」
扉の向こうからは、酷く焦ったようなジョセフの声が聞こえてくる。これは只事ではないと感じた紫苑はつんのめりそうになりながらもなんとか立ち上がり、慌てて扉に駆け寄りドアを開けた。
「ジョースターさん!どうかされたんですか」
扉を開けると、そこには息を切らせたジョセフが立っていた。ジョセフは紫苑が部屋から出てきたのを確認すると、間髪入れずに口を開く。
「アヴドゥルが居なくなったんじゃ。紫苑の部屋に来たりしていないか?」
「アヴドゥルさんが……!?いえ、私の部屋には来てないです」
「そうか……Holy shit ! アヴドゥルのやつ、一人でポルナレフを探しに出掛けたな……!」
ジョセフは眉間のシワを更に深くさせながら拳を握りしめると壁をドンと叩いた。紫苑はジョセフの周りをキョロキョロと見渡すと、とある疑問をぶつけた。
「先輩や花京院くんはどこに?」
「彼らには先に街に出てアヴドゥルを探してもらっておる。ここに来る前に彼らの部屋も見たんじゃが、アヴドゥルは見つからんかったからな」
ジョセフは額に手を当てながらそう答えると、ため息をつき紫苑の方へと視線を向ける。
「ここに居ても仕方がない、わしらもアヴドゥルを探しに行くぞ。……紫苑、お前さんはなるべくわしから離れんようにしなさい。ここは他の場所に比べれば治安は良いほうじゃが、決して安全とは言い難いからな」
「はい、わかりました」
ジョセフの言葉に頷くと、紫苑達は駆け足でホテルを出る。街中へ出て辺りを注意深く観察しながら走りまわるものの、アヴドゥルの姿はどこにも見当たらない。
お世辞にもきれいだとは言いがたい空気の中、全力疾走する紫苑とジョセフ。そこら中に充満する車の排気ガスや細かい塵のせいで、紫苑は何だか肺が痛むような気がした。
「ゲホゲホッ」
「大丈夫か?少しペースを落とすか」
風で舞い上がった砂埃を思い切り吸い込んでしまい、紫苑は涙目になりながら咳き込む。それを聞いたジョセフは忙しなく動かしていた足を止めると、心配そうな表情で紫苑の顔を覗き込みながら背中を撫で擦った。
「いえ、平気です。少しむせただけですから……ッ!!」
そう言って顔を上げようとした刹那、紫苑の胸にドスンという衝撃が走る。それと共に自身の身体から何かが抜けていくような感覚と、言いようのない息苦しさを感じた。恐る恐る視線を下げると、なんと紫苑の胸から青白く細い腕が出ていた。その手のひらには、何やら黄色く輝くもやのようなものが握られていた。
「こ、これは……ッ!」
「ハーミットパープル!」
紫苑の胸が何者かの腕で貫かれた様子を間近で目撃したジョセフは、すぐさま己のスタンドを呼び出しその青白い腕へと攻撃を仕掛けようとする。しかしその瞬間、青白い腕がスルリと抜けてこの場から姿を消した。ジョセフの放った紫の茨は、紫苑の胸の前で空を切った。
腕が抜けた衝撃により、紫苑は胸を抑えながらたたらを踏む。しかし不思議なことに、いくら腕が刺さっていた部位を触っても傷口がどこにも見当たらない。紫苑は首をかしげながら正面にいるジョセフを見上げた。ジョセフは真剣な表情で紫苑の身体をくまなく見て怪我が無いことを確認すると、周囲に視線を巡らせながら小声で紫苑に話しかける。
「先程のは恐らくスタンド……そうでなければあんな芸当はできまい」
「そうですね……」
「しかし妙じゃな。あんな即死級の攻撃を受けておきながら、お前さんはピンピンしておる」
「それなんですけど、さっきのアレには攻撃の意思を感じませんでした。もっと他の目的があるような……そう、私の中から"何か"を取るため、といったふうに」
「何かを取るじゃと?そういえば、さっきヤツは手のひらに何か持っていたな……」
ジョセフが片眉を上げながら紫苑の方を見る。そして紫苑の頭上に視線を滑らせると、途端に目を大きく見開いて紫苑の方へと駆け出した。突然の事にきょとんした表情を浮かべる紫苑は、ジョセフに思い切り身体を押され道路へと倒れていく。ジョセフは倒れていく紫苑を抱きかかえながら身体を反転させると、背中を強かに地面に打ち付けながら転がった。その背後で、ガシャンという何かが割れる音が響いた。
砂埃が舞う中、紫苑はジョセフの腕の中からさっきまで自分がいた場所を覗き見る。そこには、無惨にも粉々になった植木鉢があった。その光景を視界に入れた紫苑は、もしあのままあの場所に立っていたら辿っていたであろう己の末路を想像し、ヒュッと息を飲んだ。
「う、うそ……」
「ッ……紫苑、怪我はないか?」
「あ……はい、ジョースターさんが助けてくれたお陰で、なんとか……」
「そうか、良かった……」
ジョセフが心底安心したようにホッと胸を撫で下ろす。紫苑はバクバクとうるさいくらいに鼓動する心臓を片手で抑えつつ、ジョセフに支えられながら身体を起き上がらせた。建物を見上げると、植木鉢を落とした人物であろう男性が青白い表情でベランダから割れた植木鉢を見下ろしている。その男性は紫苑と目が合うと、顔に焦燥感を携えながらベランダから身を乗り出した。
「す、すまねぇ!!うっかり手を滑らせちまって……怪我はないかい!」
「こちらは平気じゃ!だが危うく怪我人が出る所だったんだぞ、気をつけろ!」
「ほんとにすまねぇな爺さん!それに嬢ちゃんも」
「いえ……」
男性がペコペコと慌ただしく頭を下げるのを見て、わざとではないのだしあまり責め立てるのもなと思った紫苑はゆるく頭を振る。すると男性はホッとしたような表情になり、建物の中へと引っ込んだ後、玄関から再び外へと出てきて道路に散らばった植木鉢の残骸を拾い始めた。
「……全く危ないところだったわい。背筋がヒヤッとしたぞ」
「そうですね……でもまぁ、あの人も悪気があったわけではないようですし……」
「それはそうじゃが、こっちは危うく死にかけとるんだぞ?今回は運良くわしが気がついたから良かったものの……」
「……あッ!これは!!」
不満そうにブツブツと愚痴を零していたジョセフの背後から大きな叫び声が上がる。その声に驚いたジョセフと紫苑が後ろを振り返ると、先程植木鉢の破片を集めていた男性が、何かキラキラと光るものを手に持って掲げていた。
「あ……あったぞッ!!遂に見つけた!!失くしたと思っていた結婚指輪が!これで嫁に怒られずに済むッ!!土いじりをしていた時に落としたんだな……ああ良かった……」
男性は喜びに満ちた表情で結婚指輪を大切そうに胸に抱いている。そんな男性の様子を見たジョセフは呆れ返ったようにため息をついた。
「植木鉢が割れたお陰で土の中に入っていた捜し物が出てきたというわけか……全く、こっちは大変な目に合いかけたというのにあんなにはしゃぎおって」
「はは……まぁそれよりも、早くアヴドゥルさんを探さないと」
「おっと、そうじゃったな」
紫苑の言葉でジョセフは顔を引き締めると再び周囲に視線を巡らせながら走り出す。その後ろをついて行く紫苑の頭の中からは、先程の青白い腕の事などはすっかりと抜け落ちていた。
しかしその後も不可解な出来事が立て続けに起こる。民家の近くを走っていれば上からバケツの水が降り注ぎ、店の前を通れば丁度店から逃走しようとした万引き犯と衝突し、車通りの多い道路を走ればスリップした車が突っ込んで来た。紫苑とジョセフは息も絶え絶えになりながらなんとか迫りくる車をかわし、道路に転げ込む。車はスピードを落とすことなく店の窓ガラスに激突し、辺りに硝子の破片を撒き散らしながら停止した。
「や、やっぱり何かおかしい……!さっきからやたらツイてない気がするッ……!」
紫苑は砂まみれになってしまった制服の裾を手で払いながらゆっくりと立ち上がる。その隣ではジョセフも神妙な顔つきでジッと車を見つめていた。
「……やはり妙だ。通常では有り得ん程の災難に短時間で見舞われている……」
「もしかして、さっきのスタンド攻撃のせいでしょうか……?」
「……十分あり得るな。これはアヴドゥルを見つける前に先程のスタンド使いを見つける必要がありそうじゃ」
「アナタ達が私を見つけるのを待っていたら、とんでもなく時間がかかってしまいそうね」
「ッ!誰だッ!?」
突如、背後からカツリというヒールが地面を叩く音とともに聞き覚えのない女性の声が聞こえてくる。振り向くと、そこには黒いローブを身にまとった女性が立っていた。ローブのフードに隠れて顔はよく見えないが、ちらりと覗く口元は真っ赤なルージュで彩られており、気の強そうなオーラをひしひしと感じる出で立ちであった。
「冥土の土産に名乗ってあげる。私はレイラ。アナタ達、とんでもなく鈍感なのね。初めはうっかり運気を多く掴みすぎちゃって危うく捕まりそうになったけれど、それ以降全然警戒しないんだから。あの後何回かアナタから運気を奪ったのだけれど、気が付かなかったのかしら?」
ローブの女、レイラは口元に笑みを浮かべ、あざ笑うかのように己のスタンドを見せつけた。女の隣には、同じように裾の長いローブを纏い、目元を覆い隠すマスクを着けたスタンドがひっそりと佇んでいる。そのスタンドの頭には鎖が括り付けられた縦長の帽子が乗っており、その鎖からは天秤のようなものが吊り下がっていた。
「運気を奪ったじゃと?」
「……もしかして、あの手が持っていた黄色いモヤみたいなものは……!?」
「ふふふ、そうよ。アレは私のスタンド『
そう言うとレイラは表情を一変させ、憂いを帯びた表情になる。
「……やっと……やっとだわ。これでやっと恨みを晴らせる……弟が殺された恨みをね」
「弟?……ッ!まさか、あなたショーンの……!」
「おまえが気安くその名を呼ぶなッ!!慈悲もなく無惨に弟の命を奪ったこの悪魔め!!」
紫苑がショーンの名を呼んだ途端、レイラがガバリと勢いよく顔を上げ大声で怒鳴る。その拍子にレイラのフードが取れてその顔があらわになった。
「私はおまえを許さない……私のかわいい弟を……私のたった一人の家族を奪ったおまえをッ!!……あの方に『仲間の言うことは聞くように』と言われていたからあのホル・ホースとかいう軟派な男の指示に従ってアナタを足止めしていたけれど……こんなチャンス黙って見過ごせないわ。命をとるなとは言われていなから平気よね」
そう言うとレイラは再びスタンドを出し、一直線にジョセフの元へと向かわせた。攻撃されるなら紫苑だろうと踏んでいたジョセフは紫苑を守る体制に入っていた為反応が遅れてしまい、気が付いた時にはジョセフの胸元にはアジャストメントの腕が刺さっており、その手のひらには黄色いモヤが握られていた。
「しまったッ!」
「ジョースターさんッ!」
「油断しちゃあだめじゃない。隙だらけよ?」
ジョセフから運気を奪い取ったアジャストメントは近くにいた適当な人間の方へと向かうと、その人の胸元にも腕を突き刺す。そしてその人間から青いモヤを奪い取り、帽子に括り付けられている天秤の皿の上に黄色いモヤと青いモヤをそれぞれ置いた。すると青いモヤがジョセフに向かって飛んでいき、逆に黄色いモヤは先程青いモヤを奪われた人間の方へと向かっていく。それは、あっという間の出来事であった。
「これで運気の交換は完了。ジョセフ・ジョースター、不運に見舞われたくなければそこから動かない事ね。大事な仲間がアナタの不運に巻き込まれたら大変でしょう?」
「くっ……」
「……さぁ、これで邪魔する人はいなくなったわ。死んで償え、翠川紫苑!!」
レイラが憎悪に満ちた目で紫苑を睨みつけたかと思うと、アジャストメントが一目散に紫苑へと襲いかかってくる。紫苑は咄嗟にホワイトアイオーンを出し、迫りくるアジャストメントの腕を掴んだ。両者のスタンドのパワーは拮抗しているのか、お互いにつかみ合ったまま中々動かない。
「ふふ、ふふふ……お互いパワーに関してはあまり無いようね。私達のように特殊な能力を持つスタンドは、純粋なスピードやパワー勝負には弱い傾向にある……アナタにもそれが当てはまるようで安心したわ」
「でもそれじゃあ、一生私に触れることはできない。安心するのはまだ早いんじゃあないの?」
「……それはどうかしら?」
レイラは目をすうっと細めると、懐から折り畳みの小型ナイフを取り出す。そして軽々と地面を蹴り上げると、目にも留まらぬ速さで紫苑の目前に移動し、その勢いのまま素早くナイフを振りかぶった。
「うわッ!?」
「紫苑ッ!……うおおッ!?」
「えっ……ジョ、ジョースターさん!?」
紫苑は咄嗟に上半身を仰け反らせ、レイラの攻撃を間一髪で躱す。その直後に背後からジョセフの叫び声が聞こえたので振り返ると、なんとそこには店の商品の山に埋もれているジョセフがいた。近くには空になった商品棚が倒れており、どうやら紫苑を助けようと一歩踏み出した所で棚が倒れてきて、商品の雪崩に巻き込まれたようだ。
「な、なんでこんな時に棚が倒れてくるんじゃ……!」
「あらあら。だから動くなと言ってあげたのに……理解力の無い御方ね。それよりも翠川紫苑。アナタ、あの老いぼればかりに気を取られていていいのかしら?」
レイラはその言葉とともに攻撃を再開する。紫苑はかろうじて繰り出されるナイフによる攻撃を交わしていくが、その動きは先程よりも鈍くなっていた。
「ふふふ、スタンドの能力は同レベルでも、生温い日本で平和な学生生活を送っていたアナタと、明日も知れぬ生活を強いられていた私……どちらが強いかなんて明白よね」
ナイフによる攻撃を単調に繰り出していたレイラは突如攻撃を止め、紫苑に対し足払いを仕掛けてくる。ナイフを避けることに集中していた紫苑は突然の事に対応できず、足がもつれ思わず尻餅をついた。レイラはそんな紫苑の様子を見て笑みを深めると、ちらりとアジャストメントの方へと視線を向ける。するとアジャストメントがホワイトアイオーンの拘束を振りほどき、紫苑の懐へと潜り込みその胸元へ右腕を突き刺した。ゆっくりと引き抜かれていくアジャストメントの手のひらには黄色いモヤが握られている。
「ッぐ……!」
「少しイレギュラーな事態が起きただけで集中が切れるだなんて、アナタ全然スタンドを使いこなせていないじゃない。……ああ、何故アナタが弟に勝ったのか全くわからないわ」
「……あなたの弟、自分のスタンドで自爆したようなものだけれど……」
「黙りなさいッ!!……実力は確かに弟の方が上だったのよ。……ああ、あの子にはあの時『運』が無かったんだわ。やっぱり私がついていってあげるべきだった」
紫苑が思ったことをそのままポロリと零すと、レイラは眉尻を釣り上げ、尻餅をついている紫苑を蔑むような目で見下ろす。そして馬鹿にしたように鼻で笑うと、運気の交換を行う相手を探すため周囲に視線を巡らせた。
その瞬間、紫苑の身体に紫色の茨が巻き付き、ふわりと身体が浮いた。
「これは……ハーミットパープル……!」
「一旦逃げるぞ紫苑!」
「ッ!しゃしゃるんじゃあないわよこの老いぼれジョースターッ!!逃げるならお前一人にしろッ!!」
「仲間を見捨てて逃げるなんて事はせんわい!ここは戦略的撤退じゃ!」
ジョセフはハーミットパープルで紫苑の身体を引き寄せると、そのまま紫苑を腕に抱えて一目散に走り出す。背後には、何かを喚き散らしながらアジャストメントを使って近くを歩く人間から不運を奪い取っているレイラの姿が見えた。
紫苑は顔を上げ、ジョセフの顔を下から覗き込む。
「ありがとうございますジョースターさん。えっと、私自分で走れますから……」
「いや、構わんよ。それにちょいと確かめたいことがあるんじゃ。しばらくジッとしといてくれ」
「確かめたいこと……?」
紫苑が首を傾げると、ジョセフはニヤリと口角を上げる。そして少しだけスピードを落としながら、人通りの多い道や露店の近くをわざと走り始めたのだった。
紫苑はその行動に目をまんまるにしながら驚き、ジョセフの胸元をバシバシと叩いた。
「ジョ、ジョースターさん!もっと何もないところを通らないとまた不運に巻き込まれちゃいますよ!」
「いーや、わしの考えが合っていれば平気じゃ。ほれ、大人しくせんかい」
「うう……」
紫苑はジョセフが転んで自分を落としてしまうのではとか、ジョセフもろとも事故に巻き込まれてしまうのではないかなどありとあらゆる不運を思い浮かべ、身構えるように身体を縮こまらせてギュッと目をつむる。しかしいくら待っても紫苑が想像するような不運は起こらない。しばらくするとジョセフが立ち止まったので恐る恐る目を開くと、目前にはしてやったりといった表情のジョセフがいた。
「ほらな。今までは運気を入れ替えられた後、何かしらのアクションを起こした直後に不運が起きていたが、今回は起こらなかった。如何にも不運が起こりそうな場所で走り回っていたにも関わらずじゃ。そしてあのレイラとか言う女の『不運な目に合いたくなければそこから動くな』という言葉を加味して考えると……恐らく、運気を入れ替えられた
「なるほど……さっきまで動いていたのはあくまでジョースターさんだけで、私自身は何もしていなかったから不運が起こらなかったんですね。……でも、それじゃあ私、いつまで経っても動けなくないですか……?」
「……そうじゃな」
紫苑の言葉に、ジョセフは気まずそうに視線を逸らす。紫苑がさっきまでの自信満々な表情はどうしたんだと言わんばかりにジョセフをジト目で見ていると、うーんと唸っていたジョセフが何か思いついたのか、ぱっと表情を明るくさせ紫苑の方を見た。
「紫苑自身は動けなくてもスタンドなら平気なんじゃあないか?」
「スタンド……そうか、やってみますね。……ホワイトアイオーン」
紫苑が呼びかけると、ホワイトアイオーンがするりと現れる。とりあえずアイオーンにはそこらへんに落ちていた石ころを拾ってもらい、その石を軽く投げさせた。投げられた石はコロコロと地面を転がっていき、やがて何事もなかったかのように止まった。
「何も起こらない……ということは
「そういうことじゃ。……まぁしかし、これからどうしたもんかのぉ。スタンドを使う分には問題無いとはいえ、これでは迂闊に動けんわい」
ジョセフが紫苑を抱え直しながらため息をつく。紫苑はそんなジョセフの腕の中でうつむきながら、とある事を考えていた。紫苑のスタンドはアヴドゥルのマジシャンズレッドや花京院のハイエロファントグリーンのように、スタンド自体に攻撃手段があるわけでは無い。かと言ってスタンドのパワーが強い訳でもない。そのため、今までは紫苑自身をホワイトアイオーンの能力で強化し、自身の身体のみで闘ってきた。つまり紫苑自身が動けない場合、何もできることがなかったのだ。
しかし今は、厳密に言うと何も出来ないわけでは無かった。以前、船でインドへと向かう途中でアヴドゥルにどうしてそんなに多彩な技が使えるようになったのかと尋ねた事がある。するとアヴドゥルは『スタンドはイメージだ。普通なら出来そうにないと思うことでも、完成形をイメージし、その技を使っている自分をイメージする。そして自分自身が出来ると信じていれば、自ずとできるようになるさ』と語ってくれた。紫苑はそのアドバイスを元にジョセフに買ってもらったあの細胞の本を読み、とある一つの技を思いついていたのだ。
では何故その技を使おうとしないのか。それはとある理由により、技を使うことに対して恐怖心があったからである。しかし敵に追い詰められている今、状況を打破する一手があるにもかかわらずそれをやらないだなんて馬鹿げているにも程がある。紫苑は一度ギュッと目をつむってからゆっくりと瞼を開くと、意を決して顔を上げた。
「……ジョースターさん。私に一つ、考えがあるんですが……」
「うん?何じゃ?」
きょとりとした表情で返事をするジョセフに対し、紫苑は自分の新しい技の事、そしてそれを使った作戦を伝えた。するとジョセフは微かに目を見開き、驚きの表情を見せる。
「紫苑……お前さん、いつの間にそんなことができるようになったんじゃ」
「まだ植物でしか試していないので、確実にできるかと言われれば微妙な所ですが……」
「いや、植物でできているなら人間に対してもできるのじゃろう。……うむ……その作戦についてじゃが、わしは構わんが紫苑は平気なのか?何せ紫苑の負担がいささか大きいような気がするが……」
「平気です。それに、自分の能力の可能性を確かめてみたいんです」
紫苑はそう言ってジョセフの目をしっかりと見つめる。ジョセフはそんな紫苑を黙って見つめ返していたが、やがて短いため息をつくと表情を緩めた。
「……そうか、わかった。しかし無理はするんじゃあないぞ」
「はい。わかってます」
「そうじゃな……そうしたらヤツともう一度会うため、少し人気の少ない所で待つとするか」
ジョセフはそれだけ言うと再び紫苑をしっかり抱え直し、もと来た道へ向かって歩き出す。紫苑はさっきはああいったが、決して恐怖心がなくなったわけではなかった。やはり新しい技を使うことに対して恐怖がある。しかし、弱音を吐いている暇などない。この間にも刺客は紫苑達のことを探し回っているし、アヴドゥルだって刺客と鉢合わせているかもしれないのだ。紫苑はジョセフの腕の中で揺られながら微かに震える両手を握りしめる。そして水平線を睨みつけながら、先程ジョセフに伝えた作戦の内容を頭の中で反芻していた。