エジプトまでの道程編
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列車で直接インドへは向かえないため、紫苑達は途中で船に乗り換えて目的地へと向かっていく。更に中間地点でいくつかの乗り換えを経て、遂にインドが目前へと迫っていた。もう少しで到着するという時刻になり皆で船を降りる準備をしていると、ジョセフが気まずそうに口を開いた。
「アヴドゥル……いよいよインドを横断するわけなんじゃが、その……ちょいと心配なんじゃ。……インドという国はカレーばかり食べていて、病気にすぐにでもかかりそうなイメージがある」
「俺、カルチャーギャップで体調を崩さねェか心配だな」
ジョセフに続き、ポルナレフも不安そうにアヴドゥルの方を見やる。彼らの言葉を受けたアヴドゥルは軽い笑い声を上げると、笑顔を絶やさないままこう言った。
「それは歪んだ情報です。心配無いです、素朴な国民のいい国です。私が保証しますよ」
その声を聞きながら、紫苑は船内の窓に近寄り外の景色を眺める。先程まで青い海だけが一面に広がっているだけだった景色も、もう肉眼で陸地が見える程にまでなっていた。
「さぁ、カルカッタです。出発しましょう」
遂に船は船着き場へと到着する。紫苑達は不安や期待など様々な思いを抱えながら目的地――インドのカルカッタへと降り立った。
――パァァーーーーッ
「ねェ、チップくれよッ!」
「荷物運ぶよ!」
「イレズミ彫らない?キレイね!」
「毒消しいらない?お腹こわさないよ」
「ホテル紹介するよ!」
「君カワイイね!ウチの息子と付き合ってみない?」
クラクションの音や住人の雑多な声が大きく響く街に一歩足を踏み入れた途端、多くの人々がやってきてあっという間に紫苑達は囲まれる。そしてチップの催促や様々な勧誘など、多種多様な声掛けが一斉に行われた。
「うえぇ〜〜!牛のウンコを踏んづけちまったチクショー」
「ぼくはもう財布をすられてしまった」
「み、身動きが取れない……」
大勢の人間に囲まれ思うように動けないポルナレフや花京院、紫苑は、慣れない土地ということもありそれぞれ災難に見舞われてしまう。
紫苑が人混みに飲まれないよう必死に抵抗しながらちらりと隣を見やると、承太郎が小さな子供たちに囲まれているのが見えた。子供たちは承太郎の学ランや襟元に付いている鎖を引っ張りながら、ひたすらにチップをねだっている。
「チップチップチップ〜」
「チップくれないと天国行けないぞ兄ちゃん」
「……」
「こら!鼻をつけるな鼻を!」
「ひえっ、今私のお尻触ったの誰……?」
「翠川さん!君、ポケットに手を入れられてるぞ!」
「え?わ、本当だ!ちょっと、やめてください……!」
切羽詰まった花京院の忠告により財布をすられそうになっている事に気がついた紫苑は、半泣きになりながらも慌てて抵抗する。その様子を見た花京院がハイエロファントグリーンを使ってさり気なくスリらしき人物を引き剥がしてくれたため、紫苑はなんとか事なきを得た。
アヴドゥル以外のメンバーは、この想像を超えるインドの日常風景に驚きを隠せない。インド、カルカッタ。20世紀のこの時、人口1100万人。都市に渦巻いているのは、凄まじいエネルギーであった。
「ア、アヴドゥル、これがインドか?」
もみくちゃにされながらジョセフがそう問う。それに対して、アヴドゥルは自信ありげに笑みを浮かべた。
「ね、いい国でしょう?これだから いいんですよ、これが !」
群がる人々をなんとか押しのけながら進み、紫苑達はやっとの思いで近場の飲食店へと転がり込む。ようやく訪れた平穏に、ジョセフは思わずため息をついた。
「た、たまらん雑踏じゃった……」
「ハハハ、さぁこれを。チャーイです、美味しいですよ」
アヴドゥルは笑顔でそう言うと、運ばれてきたカップを示して皆に勧める。
カップの中に入っているのはインドの庶民的飲物、チャーイ。紅茶と砂糖としょうがを牛乳で煮込んだ、甘い飲み物である。ジョセフはチャーイを一気に飲み干すと、疲れた体に染み渡る甘さに舌鼓を打った。
「はぁ、やっと落ち着いたわい」
「要は慣れですよ。慣れればこの国の懐の深さがわかります」
「中々気に入った。いいところだぜ」
「マジか承太郎!マジに言ってんの?お前」
意外とこの国を気に入った様子の承太郎に、ジョセフは素っ頓狂な声を上げて驚いた。
紫苑はチャーイを飲みながら、先程の光景を思い出す。確かに承太郎は子供たちから幾度となく駄賃をせがまれていたが、いつものように『うっとおしい』とは叫ばなかった。それもこれもこの国を気に入ったと思っていたからこそだったんだな、とぼんやり考える。紫苑としてはインドのあの雑踏は嫌いではないが、自分一人であの中に放り込まれるとなると話は別であった。多分、一生抜け出せないだろう。そこまで考えブルリと身体を震わせた紫苑は、心の中で密かに『ここでは単独行動は避けよう』と誓った。
そんな事を考えていると、ふと先程花京院が財布を盗られたと言っていた事を思い出す。それが気になった紫苑は隣でメニューを眺めている花京院の顔を覗き込み、小声で話しかけた。
「花京院くん、さっきお財布すられちゃったって言ってたけど大丈夫?」
「ん?ああ……メインで使っていた財布の方を盗られたから大丈夫とは言いがたいが……お金以外の大事な物は盗られなかったから平気だよ。それより翠川さんこそ大丈夫かい?君もすられそうになっていただろう」
「花京院くんが教えてくれたお陰でなんとか阻止できたから平気だよ、ありがとう。ハイエロファントグリーンも助けてくれたしね」
「そうか。なら良かった」
紫苑の返答に安心したような笑みを浮かべた花京院は、再び手元のメニューへと視線を戻す。大事には至らなかった様子の花京院を見て、紫苑はホッと胸をなで下ろした。
いい国だと言われても、やはり日本と比べると治安はあまり良くないらしい。これからはこういった事にも気をつけなければいけないな、と紫苑は思った。
「ふぅ……驚くべきカルチャーショック。慣れれば好きになる、か。まぁ人間は環境に慣れるって言うからな」
ポルナレフはチャーイを飲んで一息つくと、床に置いていた荷物を持って立ち上がる。そしてあたりをキョロキョロと見渡すと、近くの店員に声をかけた。
「手洗いは?」
「あちらでございます」
「ポルナレフ、注文はどうするんじゃ」
「任せる。とびっきりのを頼むぜ、フランス人の俺の口に合う、ゴージャスな料理をよ」
ポルナレフはそう言うと、ひらりと右手を上げながら颯爽とトイレへと向かっていく。その言葉を受けたジョセフが口をあんぐりと開け、何を言ってるんだアイツは……とでも言いたげな表情をしていると、一人静かにメニューをめくっていた花京院が口を開いた。
「まぁ何でも良いってことですよ、彼の口に合うって事は」
「あはは、辛辣だねぇ……」
紫苑は苦笑いを浮かべつつ、花京院と共にメニューを眺める。メニューには、紫苑の知らない様々な料理名がたくさん並んでいた。
「でも、頼むにしても文字だけじゃあどんなものなのか分からないな……アヴドゥルさん、何かオススメのものとかってあります?」
「ふむ、そうだな……まず定番のカレーの中でだったらムルグマカニというバターチキンカレーがオススメだな。生クリームやバターのコクにカシューナッツのアクセント、柔らかく煮込まれたチキンがとてもジューシーで美味いぞ。あとはビリヤニなんかもオススメだ。例えるならスパイスの効いたインド風の炒飯のようなものなんだが、パラパラした食感と肉や野菜のコク深い味がクセになるんだ」
アヴドゥルがメニューを開き、それぞれを指差しながら説明していく。紫苑はそれを聞いているだけで空腹感が刺激され、思わず自身のお腹を擦った。
「どれも美味しそうですね!迷っちゃうな……」
「フフ、たくさんあって選べない時なんかは、ターリーをオススメするぞ。北インドで食べられている定食なんだが、数種類のカレーにライスやナン、デザートなどが付いてくるから、お手軽に様々なインド料理が楽しめる」
「じゃあそれにします!他の皆はもう決まりましたか?」
「わしらは決まっておるぞ」
「私も決めたぞ」
「ぼくも決まりましたし、今店員を呼びますね。……すいません」
「はい、只今」
花京院が店員を呼び付け、皆それぞれ注文を済ませていく。そして今後の進路や計画について話し合いつつ、先程出されたチャーイを飲みながら待っていると、程なくして料理が運ばれてきた。
「わぁ、美味しそう!」
スパイシーな香り漂う数々の料理が目前に置かれていき、紫苑は目を輝かせながらそれらを目で追う。全員に料理が行き渡った事を確認し、手を合わせていざ食べようとナンに手を伸ばした所で、トイレへと繋がる通路の方からドタドタと人が慌てて走ってくるような音が聞こえてきた。
「スタンドッ!!」
通路から出てきたのは、酷く焦燥感に駆られた様子のポルナレフであった。額は汗に濡れ、その表情には焦りと共に憎悪までもが滲み出ていた。
「ほ……本体はどいつだ!?どの野郎だ!」
ポルナレフはそう言いながら店内にいる人物の手元をくまなく見ていく。しかしめぼしい人物は見当たらなかったのか、悔しそうに表情を歪めた。
「両方右腕のやつだ……!くそッ!」
そしてそう零すと、くるりと方向転換して出口の方へと走り出す。紫苑達が引き止める暇もないまま、ポルナレフは勢いよく店の扉を開け放って外へと出ていった。
ジョセフは呆気にとられた様子で開かれた扉の方を見やり、手に持っていたナンを皿の上に戻しながら怪訝そうな表情を見せる。
「どうしたんじゃポルナレフは……」
「何か、かなり焦っていましたね」
ジョセフの方を見ながら紫苑がそう答える。すると腕を組みながら扉の方を見ていたアヴドゥルが、皆の方へと視線を向けた。
「ここに駆け込んで来るなり『スタンド』と叫んでいたな。もしかして、敵のスタンド使いに遭遇したのか?」
「それに『両方右腕のやつ』とも聞こえたような気がします。その敵は、もしかするとポルナレフの妹のかたきである可能性も高い」
「……そうかもな。とりあえず一体外へ出よう、ポルナレフに話を聞くのが先決だ」
アヴドゥルと花京院の推測を聞いたジョセフは一気に表情を険しくさせると、皆に移動するよう促す。外へと出ると、そこではポルナレフがこれまた険しい表情で通りを行き交う人々を睨みつけていた。
「どうしたポルナレフ」
「何事だ」
未だ紫苑達に背を向けたままのポルナレフにジョセフとアヴドゥルがそう尋ねると、ポルナレフは下ろしたままの拳を強く握り、わなわなと身体を震わせた。
「今のが……今のが『スタンド』だとしたなら……遂に……遂にヤツが来たぜ!承太郎、お前が聞いた鏡を使うというスタンド使いが来た!」
「……!」
予想はしていたが、まさか本当にそいつが来ていたなんて。思っていたよりも早い遭遇、しかもポルナレフの様子が普段と一段と異なっているのを見て、紫苑はポルナレフの心情が心配になり眉を下げながら彼を見上げた。
「俺の妹を殺したドブ野郎ォッ……!妹の命を、魂を、尊厳を、全てを踏みにじったド腐れ野郎ッ……!遂に、遂に会えるぜ!」
「ポルナレフ……」
「お前の仇が、ここに……」
「ジョースターさん、俺はここであんた達とは別行動を取らせて貰うぜ」
「何……?!」
想像していない申し出に、ジョセフは愚か他のメンバーも驚きの表情を見せる。そんな彼らをよそに、ポルナレフはジョセフ達の方へと振り向くと憎悪に満ちた声で語っていく。
「妹の仇がこの近くにいるとわかった以上、もうあの野郎が襲ってくるのを待ちはしねぇぜ。敵の攻撃を受けるのは不利だし、俺の性に合わねぇ。こっちから探し出してぶっ殺すッ!!」
「相手の顔もスタンドの正体もよくわからないのにか?」
「『両腕とも右手』とだけわかっていれば十分!それにヤツの方も俺が追っていることを知っている。ヤツも俺に寝首をかかれねぇか心配のはずだぜ」
「でも、それなら尚更皆と一緒に居たほうがいいんじゃあ……」
「これは俺の問題なんだ、お前らの助けなんざ必要ねえ。お前らには関係の無いことなんだよ……じゃあな」
ポルナレフは花京院の真っ当な疑問も紫苑の提案もバッサリと切り捨てると、再びジョセフ達に背を向けて大通りへと歩きはじめる。
先程咎めようとした花京院や紫苑を含め、承太郎達が何も言えずに小さくなっていくポルナレフの背をただ見つめていると、紫苑の前に立っていたアヴドゥルが淡々とした声でこう放った。
「コイツはミイラ取りがミイラになるな」
「……!どういう意味だ」
アヴドゥルの言葉を受けたポルナレフは、怒りを滲ませた表情で振り返る。それに構わず、アヴドゥルは更に言葉を続ける。
「……今言った通りだ」
「お前、俺が負けるとでも?」
「ああ」
明らかに冷静さを失っているポルナレフを見てジョセフが前に出ようとするものの、アヴドゥルはそれを制して真っ直ぐにポルナレフを見る。
「敵は今、お前を一人にする為にワザと攻撃してきたのがわからんのか!別行動は許さんぞ、ポルナレフ!」
アヴドゥルがポルナレフを指差しながら叫ぶ。するとポルナレフはアヴドゥルの手を払い除けると、ズカズカと歩み寄ってアヴドゥルの胸元に人差し指を突きつけた。
「良いか!ここでハッキリさせておく。俺は元々DIOなんてどうでも良いのさ。香港で俺は復讐のために行動を共にすると断ったはずだぜ。ジョースターさんだって承太郎だって承知のはずだぜ」
「……」
そこまで言うと、ポルナレフは眉を寄せながら一歩引いてピンと人差し指を立てる。その怒りに満ちた瞳の中には、ほんの少しの哀情が混じり込んでいるようであった。
「俺は最初から一人さ!一人で戦っていたのさ!」
「……勝手な男だ!」
ポルナレフの言い草にアヴドゥルも我慢が効かなくなったのか、声を荒らげながら再びポルナレフに詰め寄る。
「DIOに洗脳されていたのを忘れたのか!DIOが全ての元凶だということを忘れたのかッ!」
「てめーに妹を殺された俺の気持ちがわかってたまるかッ!!」
二人の圧に紫苑は金縛りにあったように動けなくなり、心の中にモヤモヤとした気持ちを抱えながらもただ二人を見ている事しか出来ない。
その間もどんどんと二人の言い争いはヒートアップしていき、周りには何があったんだと言わんばかりに野次馬が集まりだしていた。
「以前DIOに出会った時、恐ろしくて逃げ出したそうだなッ!そんな腰抜け に俺の気持ちはわからねーだろーからよォ!」
「何だと?」
「俺に触るな!香港で運良く俺に勝ったってだけで俺に説教はやめな」
「貴様……!」
「ほぉ、プッツンくるかい!だがな、俺は今のてめー以上に怒っている事を忘れるな。あんたはいつものように大人ぶってドンと構えとれや!アヴドゥル」
「……こいつ!」
何を言っても分からないポルナレフに対し、遂に堪忍袋の緒が切れたアヴドゥルはなりふり構わずに拳を振り上げる。しかしすんでの所でジョセフがアヴドゥルの腕を掴み、その行動を制止した。
「ジョースターさん!」
「もういい、やめろ。行かせてやろう。こうなっては誰にも彼を止めることはできん」
「……いえ、彼に対して幻滅しただけです。こんな男だとは思わなかった」
ジョセフの制止により理性が戻ってきたのか、アヴドゥルは先程よりも幾分か落ち着いた様子で拳を下ろし、目を伏せながら失意を述べる。アヴドゥルの言葉を聞いたポルナレフは、それが癇に障ったのか勢いよく地面に唾を吐き捨てた。
「確かに私は恐怖して逃げた。しかし、だからこそ勝てると信じるし、お前は負けると断言できる」
アヴドゥルは顔を上げながらそう言うと、真っ直ぐにポルナレフを見つめる。するとポルナレフは額に青筋を浮かべ、顔をグイとアヴドゥルに近づけた。
「はぁ〜〜?じゃあ俺も断言するぜ。てめーのその占いは外れるってな」
そう言い残すと、ポルナレフはくるりと背を向けて今度こそインドの街並みへと消えていく。その小さくなっていく背をジョセフ、アヴドゥル、承太郎の3人は見えなくなるまで見つめ、紫苑と花京院の2人はポルナレフを見ること無くただ静かに目を伏せていたのだった。
「……店に戻ろう。今日泊まるホテルについては彼も知っている、頭を冷やしたら戻ってくるだろう」
そう話すジョセフに続き、紫苑達も無言で店内へと戻っていく。とてつもなく重苦しい雰囲気の中、残された面々は無言で昼食を再開した。
昼食を取り終え、ホテルに着いた一行はポルナレフの分の部屋も取り彼の帰りを待つ。しかし結局その日ポルナレフが戻ってくる事は無く、彼の部屋はチェックイン時と同じ状態のまま、静かに夜が更けていった。
「アヴドゥル……いよいよインドを横断するわけなんじゃが、その……ちょいと心配なんじゃ。……インドという国はカレーばかり食べていて、病気にすぐにでもかかりそうなイメージがある」
「俺、カルチャーギャップで体調を崩さねェか心配だな」
ジョセフに続き、ポルナレフも不安そうにアヴドゥルの方を見やる。彼らの言葉を受けたアヴドゥルは軽い笑い声を上げると、笑顔を絶やさないままこう言った。
「それは歪んだ情報です。心配無いです、素朴な国民のいい国です。私が保証しますよ」
その声を聞きながら、紫苑は船内の窓に近寄り外の景色を眺める。先程まで青い海だけが一面に広がっているだけだった景色も、もう肉眼で陸地が見える程にまでなっていた。
「さぁ、カルカッタです。出発しましょう」
遂に船は船着き場へと到着する。紫苑達は不安や期待など様々な思いを抱えながら目的地――インドのカルカッタへと降り立った。
――パァァーーーーッ
「ねェ、チップくれよッ!」
「荷物運ぶよ!」
「イレズミ彫らない?キレイね!」
「毒消しいらない?お腹こわさないよ」
「ホテル紹介するよ!」
「君カワイイね!ウチの息子と付き合ってみない?」
クラクションの音や住人の雑多な声が大きく響く街に一歩足を踏み入れた途端、多くの人々がやってきてあっという間に紫苑達は囲まれる。そしてチップの催促や様々な勧誘など、多種多様な声掛けが一斉に行われた。
「うえぇ〜〜!牛のウンコを踏んづけちまったチクショー」
「ぼくはもう財布をすられてしまった」
「み、身動きが取れない……」
大勢の人間に囲まれ思うように動けないポルナレフや花京院、紫苑は、慣れない土地ということもありそれぞれ災難に見舞われてしまう。
紫苑が人混みに飲まれないよう必死に抵抗しながらちらりと隣を見やると、承太郎が小さな子供たちに囲まれているのが見えた。子供たちは承太郎の学ランや襟元に付いている鎖を引っ張りながら、ひたすらにチップをねだっている。
「チップチップチップ〜」
「チップくれないと天国行けないぞ兄ちゃん」
「……」
「こら!鼻をつけるな鼻を!」
「ひえっ、今私のお尻触ったの誰……?」
「翠川さん!君、ポケットに手を入れられてるぞ!」
「え?わ、本当だ!ちょっと、やめてください……!」
切羽詰まった花京院の忠告により財布をすられそうになっている事に気がついた紫苑は、半泣きになりながらも慌てて抵抗する。その様子を見た花京院がハイエロファントグリーンを使ってさり気なくスリらしき人物を引き剥がしてくれたため、紫苑はなんとか事なきを得た。
アヴドゥル以外のメンバーは、この想像を超えるインドの日常風景に驚きを隠せない。インド、カルカッタ。20世紀のこの時、人口1100万人。都市に渦巻いているのは、凄まじいエネルギーであった。
「ア、アヴドゥル、これがインドか?」
もみくちゃにされながらジョセフがそう問う。それに対して、アヴドゥルは自信ありげに笑みを浮かべた。
「ね、いい国でしょう?
群がる人々をなんとか押しのけながら進み、紫苑達はやっとの思いで近場の飲食店へと転がり込む。ようやく訪れた平穏に、ジョセフは思わずため息をついた。
「た、たまらん雑踏じゃった……」
「ハハハ、さぁこれを。チャーイです、美味しいですよ」
アヴドゥルは笑顔でそう言うと、運ばれてきたカップを示して皆に勧める。
カップの中に入っているのはインドの庶民的飲物、チャーイ。紅茶と砂糖としょうがを牛乳で煮込んだ、甘い飲み物である。ジョセフはチャーイを一気に飲み干すと、疲れた体に染み渡る甘さに舌鼓を打った。
「はぁ、やっと落ち着いたわい」
「要は慣れですよ。慣れればこの国の懐の深さがわかります」
「中々気に入った。いいところだぜ」
「マジか承太郎!マジに言ってんの?お前」
意外とこの国を気に入った様子の承太郎に、ジョセフは素っ頓狂な声を上げて驚いた。
紫苑はチャーイを飲みながら、先程の光景を思い出す。確かに承太郎は子供たちから幾度となく駄賃をせがまれていたが、いつものように『うっとおしい』とは叫ばなかった。それもこれもこの国を気に入ったと思っていたからこそだったんだな、とぼんやり考える。紫苑としてはインドのあの雑踏は嫌いではないが、自分一人であの中に放り込まれるとなると話は別であった。多分、一生抜け出せないだろう。そこまで考えブルリと身体を震わせた紫苑は、心の中で密かに『ここでは単独行動は避けよう』と誓った。
そんな事を考えていると、ふと先程花京院が財布を盗られたと言っていた事を思い出す。それが気になった紫苑は隣でメニューを眺めている花京院の顔を覗き込み、小声で話しかけた。
「花京院くん、さっきお財布すられちゃったって言ってたけど大丈夫?」
「ん?ああ……メインで使っていた財布の方を盗られたから大丈夫とは言いがたいが……お金以外の大事な物は盗られなかったから平気だよ。それより翠川さんこそ大丈夫かい?君もすられそうになっていただろう」
「花京院くんが教えてくれたお陰でなんとか阻止できたから平気だよ、ありがとう。ハイエロファントグリーンも助けてくれたしね」
「そうか。なら良かった」
紫苑の返答に安心したような笑みを浮かべた花京院は、再び手元のメニューへと視線を戻す。大事には至らなかった様子の花京院を見て、紫苑はホッと胸をなで下ろした。
いい国だと言われても、やはり日本と比べると治安はあまり良くないらしい。これからはこういった事にも気をつけなければいけないな、と紫苑は思った。
「ふぅ……驚くべきカルチャーショック。慣れれば好きになる、か。まぁ人間は環境に慣れるって言うからな」
ポルナレフはチャーイを飲んで一息つくと、床に置いていた荷物を持って立ち上がる。そしてあたりをキョロキョロと見渡すと、近くの店員に声をかけた。
「手洗いは?」
「あちらでございます」
「ポルナレフ、注文はどうするんじゃ」
「任せる。とびっきりのを頼むぜ、フランス人の俺の口に合う、ゴージャスな料理をよ」
ポルナレフはそう言うと、ひらりと右手を上げながら颯爽とトイレへと向かっていく。その言葉を受けたジョセフが口をあんぐりと開け、何を言ってるんだアイツは……とでも言いたげな表情をしていると、一人静かにメニューをめくっていた花京院が口を開いた。
「まぁ何でも良いってことですよ、彼の口に合うって事は」
「あはは、辛辣だねぇ……」
紫苑は苦笑いを浮かべつつ、花京院と共にメニューを眺める。メニューには、紫苑の知らない様々な料理名がたくさん並んでいた。
「でも、頼むにしても文字だけじゃあどんなものなのか分からないな……アヴドゥルさん、何かオススメのものとかってあります?」
「ふむ、そうだな……まず定番のカレーの中でだったらムルグマカニというバターチキンカレーがオススメだな。生クリームやバターのコクにカシューナッツのアクセント、柔らかく煮込まれたチキンがとてもジューシーで美味いぞ。あとはビリヤニなんかもオススメだ。例えるならスパイスの効いたインド風の炒飯のようなものなんだが、パラパラした食感と肉や野菜のコク深い味がクセになるんだ」
アヴドゥルがメニューを開き、それぞれを指差しながら説明していく。紫苑はそれを聞いているだけで空腹感が刺激され、思わず自身のお腹を擦った。
「どれも美味しそうですね!迷っちゃうな……」
「フフ、たくさんあって選べない時なんかは、ターリーをオススメするぞ。北インドで食べられている定食なんだが、数種類のカレーにライスやナン、デザートなどが付いてくるから、お手軽に様々なインド料理が楽しめる」
「じゃあそれにします!他の皆はもう決まりましたか?」
「わしらは決まっておるぞ」
「私も決めたぞ」
「ぼくも決まりましたし、今店員を呼びますね。……すいません」
「はい、只今」
花京院が店員を呼び付け、皆それぞれ注文を済ませていく。そして今後の進路や計画について話し合いつつ、先程出されたチャーイを飲みながら待っていると、程なくして料理が運ばれてきた。
「わぁ、美味しそう!」
スパイシーな香り漂う数々の料理が目前に置かれていき、紫苑は目を輝かせながらそれらを目で追う。全員に料理が行き渡った事を確認し、手を合わせていざ食べようとナンに手を伸ばした所で、トイレへと繋がる通路の方からドタドタと人が慌てて走ってくるような音が聞こえてきた。
「スタンドッ!!」
通路から出てきたのは、酷く焦燥感に駆られた様子のポルナレフであった。額は汗に濡れ、その表情には焦りと共に憎悪までもが滲み出ていた。
「ほ……本体はどいつだ!?どの野郎だ!」
ポルナレフはそう言いながら店内にいる人物の手元をくまなく見ていく。しかしめぼしい人物は見当たらなかったのか、悔しそうに表情を歪めた。
「両方右腕のやつだ……!くそッ!」
そしてそう零すと、くるりと方向転換して出口の方へと走り出す。紫苑達が引き止める暇もないまま、ポルナレフは勢いよく店の扉を開け放って外へと出ていった。
ジョセフは呆気にとられた様子で開かれた扉の方を見やり、手に持っていたナンを皿の上に戻しながら怪訝そうな表情を見せる。
「どうしたんじゃポルナレフは……」
「何か、かなり焦っていましたね」
ジョセフの方を見ながら紫苑がそう答える。すると腕を組みながら扉の方を見ていたアヴドゥルが、皆の方へと視線を向けた。
「ここに駆け込んで来るなり『スタンド』と叫んでいたな。もしかして、敵のスタンド使いに遭遇したのか?」
「それに『両方右腕のやつ』とも聞こえたような気がします。その敵は、もしかするとポルナレフの妹のかたきである可能性も高い」
「……そうかもな。とりあえず一体外へ出よう、ポルナレフに話を聞くのが先決だ」
アヴドゥルと花京院の推測を聞いたジョセフは一気に表情を険しくさせると、皆に移動するよう促す。外へと出ると、そこではポルナレフがこれまた険しい表情で通りを行き交う人々を睨みつけていた。
「どうしたポルナレフ」
「何事だ」
未だ紫苑達に背を向けたままのポルナレフにジョセフとアヴドゥルがそう尋ねると、ポルナレフは下ろしたままの拳を強く握り、わなわなと身体を震わせた。
「今のが……今のが『スタンド』だとしたなら……遂に……遂にヤツが来たぜ!承太郎、お前が聞いた鏡を使うというスタンド使いが来た!」
「……!」
予想はしていたが、まさか本当にそいつが来ていたなんて。思っていたよりも早い遭遇、しかもポルナレフの様子が普段と一段と異なっているのを見て、紫苑はポルナレフの心情が心配になり眉を下げながら彼を見上げた。
「俺の妹を殺したドブ野郎ォッ……!妹の命を、魂を、尊厳を、全てを踏みにじったド腐れ野郎ッ……!遂に、遂に会えるぜ!」
「ポルナレフ……」
「お前の仇が、ここに……」
「ジョースターさん、俺はここであんた達とは別行動を取らせて貰うぜ」
「何……?!」
想像していない申し出に、ジョセフは愚か他のメンバーも驚きの表情を見せる。そんな彼らをよそに、ポルナレフはジョセフ達の方へと振り向くと憎悪に満ちた声で語っていく。
「妹の仇がこの近くにいるとわかった以上、もうあの野郎が襲ってくるのを待ちはしねぇぜ。敵の攻撃を受けるのは不利だし、俺の性に合わねぇ。こっちから探し出してぶっ殺すッ!!」
「相手の顔もスタンドの正体もよくわからないのにか?」
「『両腕とも右手』とだけわかっていれば十分!それにヤツの方も俺が追っていることを知っている。ヤツも俺に寝首をかかれねぇか心配のはずだぜ」
「でも、それなら尚更皆と一緒に居たほうがいいんじゃあ……」
「これは俺の問題なんだ、お前らの助けなんざ必要ねえ。お前らには関係の無いことなんだよ……じゃあな」
ポルナレフは花京院の真っ当な疑問も紫苑の提案もバッサリと切り捨てると、再びジョセフ達に背を向けて大通りへと歩きはじめる。
先程咎めようとした花京院や紫苑を含め、承太郎達が何も言えずに小さくなっていくポルナレフの背をただ見つめていると、紫苑の前に立っていたアヴドゥルが淡々とした声でこう放った。
「コイツはミイラ取りがミイラになるな」
「……!どういう意味だ」
アヴドゥルの言葉を受けたポルナレフは、怒りを滲ませた表情で振り返る。それに構わず、アヴドゥルは更に言葉を続ける。
「……今言った通りだ」
「お前、俺が負けるとでも?」
「ああ」
明らかに冷静さを失っているポルナレフを見てジョセフが前に出ようとするものの、アヴドゥルはそれを制して真っ直ぐにポルナレフを見る。
「敵は今、お前を一人にする為にワザと攻撃してきたのがわからんのか!別行動は許さんぞ、ポルナレフ!」
アヴドゥルがポルナレフを指差しながら叫ぶ。するとポルナレフはアヴドゥルの手を払い除けると、ズカズカと歩み寄ってアヴドゥルの胸元に人差し指を突きつけた。
「良いか!ここでハッキリさせておく。俺は元々DIOなんてどうでも良いのさ。香港で俺は復讐のために行動を共にすると断ったはずだぜ。ジョースターさんだって承太郎だって承知のはずだぜ」
「……」
そこまで言うと、ポルナレフは眉を寄せながら一歩引いてピンと人差し指を立てる。その怒りに満ちた瞳の中には、ほんの少しの哀情が混じり込んでいるようであった。
「俺は最初から一人さ!一人で戦っていたのさ!」
「……勝手な男だ!」
ポルナレフの言い草にアヴドゥルも我慢が効かなくなったのか、声を荒らげながら再びポルナレフに詰め寄る。
「DIOに洗脳されていたのを忘れたのか!DIOが全ての元凶だということを忘れたのかッ!」
「てめーに妹を殺された俺の気持ちがわかってたまるかッ!!」
二人の圧に紫苑は金縛りにあったように動けなくなり、心の中にモヤモヤとした気持ちを抱えながらもただ二人を見ている事しか出来ない。
その間もどんどんと二人の言い争いはヒートアップしていき、周りには何があったんだと言わんばかりに野次馬が集まりだしていた。
「以前DIOに出会った時、恐ろしくて逃げ出したそうだなッ!そんな
「何だと?」
「俺に触るな!香港で運良く俺に勝ったってだけで俺に説教はやめな」
「貴様……!」
「ほぉ、プッツンくるかい!だがな、俺は今のてめー以上に怒っている事を忘れるな。あんたはいつものように大人ぶってドンと構えとれや!アヴドゥル」
「……こいつ!」
何を言っても分からないポルナレフに対し、遂に堪忍袋の緒が切れたアヴドゥルはなりふり構わずに拳を振り上げる。しかしすんでの所でジョセフがアヴドゥルの腕を掴み、その行動を制止した。
「ジョースターさん!」
「もういい、やめろ。行かせてやろう。こうなっては誰にも彼を止めることはできん」
「……いえ、彼に対して幻滅しただけです。こんな男だとは思わなかった」
ジョセフの制止により理性が戻ってきたのか、アヴドゥルは先程よりも幾分か落ち着いた様子で拳を下ろし、目を伏せながら失意を述べる。アヴドゥルの言葉を聞いたポルナレフは、それが癇に障ったのか勢いよく地面に唾を吐き捨てた。
「確かに私は恐怖して逃げた。しかし、だからこそ勝てると信じるし、お前は負けると断言できる」
アヴドゥルは顔を上げながらそう言うと、真っ直ぐにポルナレフを見つめる。するとポルナレフは額に青筋を浮かべ、顔をグイとアヴドゥルに近づけた。
「はぁ〜〜?じゃあ俺も断言するぜ。てめーのその占いは外れるってな」
そう言い残すと、ポルナレフはくるりと背を向けて今度こそインドの街並みへと消えていく。その小さくなっていく背をジョセフ、アヴドゥル、承太郎の3人は見えなくなるまで見つめ、紫苑と花京院の2人はポルナレフを見ること無くただ静かに目を伏せていたのだった。
「……店に戻ろう。今日泊まるホテルについては彼も知っている、頭を冷やしたら戻ってくるだろう」
そう話すジョセフに続き、紫苑達も無言で店内へと戻っていく。とてつもなく重苦しい雰囲気の中、残された面々は無言で昼食を再開した。
昼食を取り終え、ホテルに着いた一行はポルナレフの分の部屋も取り彼の帰りを待つ。しかし結局その日ポルナレフが戻ってくる事は無く、彼の部屋はチェックイン時と同じ状態のまま、静かに夜が更けていった。