エジプトまでの道程編
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心地よい微睡みの中でゆっくりと覚醒する意識。軽やかな鳥のさえずりと人々が活動し始めた音が紫苑の耳に入ってくる。それらの音は早く起きろと言わんばかりに紫苑を攻めたて、起床を促す。まだこの心地よい感覚に浸っていたいとは思ったものの、今日は早く起きなければならない事を思い出した紫苑は微かに唸り声を上げながら重たい瞼を開いた。
外はともかく、部屋の中は静かだったので、まだアンは寝ているのだろう。そろそろ起こしてあげないとと思った紫苑はゴロリと寝返りをうち、アンが寝ているベッドの方へと身体を向ける。しかしそこにアンの姿はなく、少し歪なもののきちんと整えられたベッドだけがあった。
「……待って今何時!?」
もぬけの殻のベッドを見た途端嫌な考えがよぎった紫苑は慌てて飛び起き、壁に掛かっている時計を見る。針は、集合時刻の20分後を示していた。
「完全に寝坊した……うそでしょ……」
普段はあまりやらかさない寝坊という失態なだけに、紫苑は思わず項垂れる。ふとベッドサイドチェストの方へと視線を向けると、何やら1枚の紙が置かれていた。その紙には、『何回か起こしたんだけど、あんまり気持ち良さそうに寝てるからそのままにしておくわ。買い出しは私達だけで行ってくるから、心配しないで! アン』といった文章が書かれていた。それを見た紫苑は脳内に呆れた表情のアンを思い浮かべ、再び両手で顔を覆いながら項垂れた。
「アンちゃんには気を使わせちゃったな……。今から準備しても出発まで間に合わないだろうし、今日は一人で観光でもしていようかな」
自分に言い聞かせるようにしてそう呟き、まずは身だしなみを整えなければ、とベッドから降りる。そしてシャワーを浴び、髪の毛を整え、いつもの制服に着替えて出かける準備を整えた。
朝食はルームサービスに頼んで部屋に持ってきてもらい、自室でゆっくりと摂る事にした。カリカリのベーコンにふわふわのスクランブルエッグ、みずみずしい野菜をふんだんに使ったサラダに焼き立てのパン。それらをあっという間にぺろりと平らげ、食後のコーヒーを飲みながらまったりしていると、コンコンという控えめなノック音と共に「翠川さん、起きてるかい?」という花京院の声が聞こえてきた。紫苑は少しだけ首をかしげながらカップをソーサーに置き、小走りで扉に駆け寄った。
「花京院くん、どうしたの?アンちゃん達とチケットを買いに行ったはずじゃあ……」
扉を開けて開口一番、疑問に思っていた事を伝えると、花京院はやや目線を下げながら気まずそうな表情で頬を掻く。
「いや、実は……ぼくが忘れ物を取りに行っている間に、ふたりとも先に出発してしまったみたいなんだ」
「えっ、そうなの?」
意外な理由に紫苑は思わず目を見開く。承太郎もアンも、一緒に行く約束をしている人をおいて先に行くような人だとは思えなかったからだ。……紫苑の寝坊は別として。
「忘れ物を取りに行く時間くらい、待っていてくれそうな気もするけれど……」
「ぼくもそう思ったんだが、ロビーでいくら待っても来なくて、フロントの人に訪ねてみたら『先程外出なされましたよ』って言われてしまってね。それに承太郎に関しては翠川さんが寝坊した事を知った途端『アイツは置いていくぞ』って容赦なく言ってたし、もしかしたら結構時間には厳しいのかもしれない」
「ああ……そのことに関してはご迷惑をおかけしまして……」
「いや、気にしなくていいさ。色々あったし、疲れも溜まってたんだろう」
これは学校一の不良の逆鱗に触れてしまったかもしれない。冷たい目線を携えた承太郎の姿がはっきりと脳内に思い浮かんだ紫苑は、顔を青くさせながら身震いした。花京院は目に見えて顔色を悪くさせた紫苑を見て苦笑いを零すと、気にするなというように緩く首を振る。そして「ここからが本題なんだが」という前置きと共に、紫苑の両目を真っ直ぐに見つめた。
「仕方がないから一人で日光浴でもしようかと思ったんだが、今朝翠川さんが寝坊していた事を思い出して、せっかくなら一緒に観光がてら街を見て回りたいなと思ったんだ。どうかな?」
「うん、いいよ。私も朝ごはん食べ終わったらブラブラしようと思ってたんだ。お財布とか持ってくるから、ちょっと待ってて」
「ありがとう、わかったよ」
やけに真剣な表情だった為何を言われるのか少々身構えた紫苑だったが、花京院の提案はこちらにとっても有り難いものだったので紫苑は二つ返事で了承する。その返事を聞いた花京院がホッとしたように表情を緩ませたのを視界の端に捉えながら、紫苑は必要な荷物を取ってくる為に一度部屋へと戻った。
とりあえず財布その他諸々をポケットに入れ、電話でルームサービスに朝食の皿を下げてもらうようお願いした後、改めて部屋を出て花京院と共に廊下を歩く。もう早朝と言うには遅い時間となっていたため、廊下にはまばらながらも人がちらほらといた。
しばらく2人で無言で歩いていると、花京院がそういえば、というふうに口を開いた。
「それにしても……翠川さんは朝が弱い方なのかい?」
「ううん、どちらかと言えば強いほうだし、寝坊だって1回あるかないかくらいだよ」
「そうなのか。……それじゃあやっぱり、ボート上での生活の疲れが溜まっていたんだな」
「それもあるかもしれないけれど……多分、一番の原因は昨日の夜中に敵に襲われたことかなぁ」
「え」
紫苑が何気なくそう零すと、隣を歩いていた花京院は突然ピタリと立ち止まり、グルンと勢いよく紫苑の方へと振り向く。そして焦ったような表情のまま近づいて来たかと思うと、紫苑の両肩をガッっとわしづかみ、ゆさゆさと小刻みに揺らしてきた。
「何だって!?大丈夫だったのかい!?」
「うわわ……待って待って、そんなに揺らさないで……朝ごはん出ちゃうから」
「す、すまない……」
柄にもなく慌てている花京院を咎めると、花京院はハッとした表情になり、申し訳無さそうに眉を下げながら両手を離した。しかし詳しい話を聞くまでは逃がさないぞといった様子で紫苑の事をジッと見つめてきたので、紫苑は再び歩きながら観念して夜中襲ってきた敵の特徴や、どうやって倒したのかについてをかいつまんで話していく。花京院は時折顔を顰めたりハラハラとした表情になったりしつつも、口を挟むことなく最後まで真剣に紫苑の話を聞いていた。
「大体こんな感じかな。ちょっと危なかったけど、一人でもなんとかなったよ」
「……はぁ……ぼく達が呑気に寝ている間に、まさか翠川さんが敵に襲われていたなんて……」
一通り話を聞き終えた花京院は面目ないな、と呟きながら顔を手のひらで覆う。紫苑はそんな花京院を見ながら肩をすくめた。
「しかも絵の中に閉じ込められちゃって助けを呼べる状況ですらなかったからね。まぁ迂闊に怪しい絵に触れちゃった私も私だし……これからは怪しいものにはなるべく触らないようにするよ」
「そうだな。翠川さんが一人でも戦える事は知っているけれど……やはり、用心するに越したことはないだろう」
2人でそんなふうに話しているうちに、いつの間にかエントランスに着いていた。すると花京院は気持ちを切り替えるかのようににこやかな顔で「さて、何処に行きたい?」と尋ねてきた。
「そうだね……ちょっとした食べ歩きとか、現地の物が売ってるお店とか見てみたいかも」
「わかった。翠川さんはさっき朝食を食べたばかりだろうし、先に雑貨店なんかを見てまわろうか」
紫苑はシンガポールに来たこともなかったし、定番の場所などもよくわからない。結構アバウトな要望しか伝えられなかったが、花京院はそんな難しい要求にも関わらずスマートに行き先を決めて先導してくれた。観光客に人気のお土産屋さんや小物が売っている雑貨店を順繰りに見て回っていく。花京院のオススメするお店はどれも面白く、2人の会話の話題も尽きなかった。
そうして通りを歩いていると、ふと一つのアクセサリーショップが目に入る。その店は、どうやらビーズなどを組み合わせて、手作りでアクセサリーを作っているようだった。その素朴ながらもキラキラとした輝きに目を奪われていると、それに気がついた花京院が声をかけてくる。
「その店が気になるのかい?行ってみようか」
「あ……ううん、良いよ。花京院くんは退屈しちゃうだろうし」
可愛らしいアクセサリーやストラップは、紫苑にとっては見ていてとても楽しいものであるが、花京院にとってはそうではないかもしれない。せっかく一緒にお店を回っているのだから自分だけが楽しんでしまうのも良くないし、しかも一度こういうものを見だしたらきっと長い時間見てしまうだろう。そう思った紫苑はほんの少しの名残惜しさを感じつつも、花京院の言葉に慌ててかぶりを振った。
花京院はそんな紫苑の様子をジッと見つめると、ほんの数秒の思案の後、笑みを浮かべながら口を開いた。
「……いや、ぼくもちょうどあの店のキーホルダーとか気になってるんだ。家族へのお土産に丁度いいかもしれないし、行ってみないかい?」
「う、うん。花京院くんがそう言うなら……」
「よし、決まりだ」
花京院はそう言うと自然な流れで紫苑の手を取り、件のアクセサリーショップへと連れ出す。花京院の大きな掌にすっぽりと覆われた自身の手を見た紫苑は、何だか少しだけ気恥ずかしくなり、視線を自分のつま先にピッタリと合わせたまま花京院に手を引かれて行った。
店にたどり着くと、すぐに視界いっぱいにきらびやかなアクセサリー達が広がる。それを見た瞬間、紫苑は先程の気恥ずかしさなんてあっという間に忘れて目の前の商品に目を奪われた。
「……ねぇ翠川さん、この中で何か欲しいものがあれば言ってくれるかい?ぼくが買ってあげるよ」
たくさんのアクセサリーに見入っている紫苑の隣でしばらくソワソワしていた花京院が、突然そんな事を言い出す。反射的に顔を上げて花京院を見たものの、彼の視線は卓上に並べられたアクセサリーに向いており目が合うことは無かった。紫苑はどうして突然そんな事を、と花京院の言動を疑問に思いながらも、正直申し訳無さが勝つので断ろうと口を開く。
「えっそんな、悪いよ」
「遠慮しないでくれ。……というか、その……ストレングスの時のお詫びも兼ねて、翠川さんにプレゼントを渡したいんだ」
「ストレングスの……?って、あ、あの事は早く忘れてよ……!!というかそんな気にしなくても私は平気だし……」
記憶から抹消したい失態であるあの貨物船での出来事を掘り返され、紫苑は頬を赤らめながら顔の前で両手を振る。花京院はそんな紫苑の様子を横目でちらりと見ると、顎に手を当てて考え込んだ。
「……そうだな。君に気を使わせてしまうのも良くない、あのときの話はこれでもう終わりにしよう。……ただ、ぼくがプレゼントを渡したい理由は他にもあって……いや違うな、むしろこっちが本当の理由なんだ」
「どういうこと?」
少しだけ言いづらそうにしているものの、真剣な表情の花京院を見た紫苑は真っ直ぐに花京院を見つめ、話を聞く体制をとる。すると花京院はゆっくりと紫苑の方に振り向き、目と目を合わせると意を決したような表情で語り始めた。
「翠川さんにとっては気持ちのいい話ではないと思うんだが……実を言うと、ぼくは治癒能力しか持たない君のことを見くびっていた。突出した能力といえば治癒能力だけだったし、スタンド自体の力が強いわけでもない。ましてや、君自身も特別喧嘩が強いといったわけでもなかっただろう。ぼくはそんな翠川さんの事を、守ってあげなきゃいけない人だと決めつけていた」
そこまで一息で言い切ると、花京院は一度瞼を閉じてふーっと長いため息をつく。そして再び目を開き、話を続けた。
「でも君は、守られるだけの人間じゃあ無かった。確かに純粋な力勝負では叶わないかもしれないが、自分のスタンドの能力をうまく使って、自分で考えてピンチを乗り越えていった。戦う力を、持っていたんだ……そんな姿を見て、ぼくは反省した。とんだ思い違いをしていた、とんでもなく失礼な態度を君にとっていたんじゃあないかってね」
そう言うと花京院は苦笑いを浮かべながら項垂れる。紫苑は花京院の一連の話を聞いて、はじめの頃妙に余所余所しかったのはそのせいか、と一人心の中で納得していた。
花京院はしばらくそのまま黙っていたが、やがてまたソワソワしだしたかと思うと、口をもごつかせながら再び言葉を紡ぎ始める。
「だから、これはお詫びの……いや、違うな。改めて……その……ぼくと、友達になって欲しいっていう気持ちを込めて、君に贈り物をしたいんだ。……ダメ、だろうか」
不安そうに眉を下げ、目線も彷徨わせながら恐る恐るそう話す花京院。そんな彼の様子を見た紫苑は何だか胸がきゅんと締め付けられるような気持ちになり、更には花京院の放った『友達』というワードを認知した途端、言いようのないぽかぽかとした感情が湧き上がってきた。
紫苑は自身の心臓の辺りをギュッと掴むと、顔をほころばせながら花京院を見上げた。
「うん、いいよ。もしお詫びだって言うなら意地でも受け取らなかったけど……『友達』からのプレゼントなら、拒否する理由なんてないもん」
「そうか……!良かった。じゃあ早速なんだが、何か欲しい物はあるかい?」
紫苑の返答を聞いた途端、花京院は肩の荷が降りたのか心底安心したかのように破顔する。紫苑はそんな花京院を見てあるお願いごとがしたくなって、少しだけニヤつきながら花京院の顔を覗き込んだ。
「それなんだけど、せっかくなら花京院くんが選んでくれない?」
「えっ、でも、女の子の好きそうなものとかわからないんだが」
「いいの!私、花京院くんが選んだやつが欲しいから」
「……あまり期待はしないでくれよ?」
「はいはい。じゃあ私、入口の方で待ってるから」
せっかくのプレゼントなのだから、紫苑が自分で選んだものではなく、花京院が選んだものが欲しい。そう思った紫苑が花京院にお願いしてみると、はじめは自信なさげに狼狽えていたものの、何度かお願いするうちになんとか了承してくれた。
期待しないでと言いつつも真剣に商品を選び始めた花京院を見て、ここは邪魔をしてはいけないなと思った紫苑は一度花京院の傍を離れて店の外へと出る事にした。そうやってしばらく一人で店の商品をぼんやりと眺めていると、プレゼントを買い終わった花京院が店の中から出てきた。手には小さな紙袋を持っている。
「お気に召してもらえるかはわからないが……翠川さんに似合うと思ったものを買ってきたんだ。どうぞ」
「ありがとう!今開けてみてもいい?」
「構わないよ」
紫苑にとって、友人からプレゼントを貰うというのは初めての事だった。はやる気持ちを抑えながら、紫苑は花京院から受け取った紙袋を丁寧に開いていく。中から出てきたのは、白いレースの上にエメラルド色のビーズがたくさん散りばめられたバレッタだった。
「わぁ……!きれい!ありがとう花京院くん!」
「気に入ってくれたようで良かったよ」
頬を上気させ、瞳をキラキラと輝かせながら嬉しそうにバレッタを見つめる紫苑を見た花京院は、ホッとすると同時に自分の選んだものを喜んで貰えて心が弾む思いだった。そうやって年相応にはしゃぐ紫苑を微笑ましげに見つめていると、紫苑が突然くるりとこちらを振り向き、照れ笑いを浮かべながらとあるお願いをしてきた。
「ねぇ、試しにちょっと着けてみてくれない?ここだと鏡がないから、自分じゃあうまく着けられなくて」
「ああ、良いよ。それじゃあ、後ろを向いてくれ」
「ありがとう」
花京院も丁度このバレッタを着けている紫苑が見たいと思っていた所だったので笑顔で快諾し、バレッタを受け取る。自分とは異ったサラサラとした髪の感触に少々苦戦しつつも、花京院はなんとかきれいにバレッタを留め終えた。
「よし、できたよ」
「ありがとう。……ふふ、本当にかわいいなぁ。どう、似合ってる?」
「ああ、とても似合っているよ」
紫苑はいそいそとポケットから手鏡を取り出し、つけてもらったバレッタを見てみる。花京院にも似合っているとのお墨付きを貰えた紫苑は、嬉しい気持ちでいっぱいになった。
「改めて、本当にありがとう。大切にするね。……さてと、次はどこのお店を見て回る?」
「そうだな……さっきこの近くにココナッツジュースを売っている露店を見かけたんだ。そこに行ってみないか?」
「いいね、行こう!」
ちらりと時計を見た紫苑はもう少しだけ時間に余裕があることを悟ると、次はどこへ行こうかと花京院に尋ねる。そして花京院と共に次の行き先を決めると、その場所に向かって並んで歩き始めた。
2人の距離感はホテルを出る前に比べて目に見えて縮まっている。そうして2人は時間の許す限り、シンガポールの街を存分に楽しんだ。
外はともかく、部屋の中は静かだったので、まだアンは寝ているのだろう。そろそろ起こしてあげないとと思った紫苑はゴロリと寝返りをうち、アンが寝ているベッドの方へと身体を向ける。しかしそこにアンの姿はなく、少し歪なもののきちんと整えられたベッドだけがあった。
「……待って今何時!?」
もぬけの殻のベッドを見た途端嫌な考えがよぎった紫苑は慌てて飛び起き、壁に掛かっている時計を見る。針は、集合時刻の20分後を示していた。
「完全に寝坊した……うそでしょ……」
普段はあまりやらかさない寝坊という失態なだけに、紫苑は思わず項垂れる。ふとベッドサイドチェストの方へと視線を向けると、何やら1枚の紙が置かれていた。その紙には、『何回か起こしたんだけど、あんまり気持ち良さそうに寝てるからそのままにしておくわ。買い出しは私達だけで行ってくるから、心配しないで! アン』といった文章が書かれていた。それを見た紫苑は脳内に呆れた表情のアンを思い浮かべ、再び両手で顔を覆いながら項垂れた。
「アンちゃんには気を使わせちゃったな……。今から準備しても出発まで間に合わないだろうし、今日は一人で観光でもしていようかな」
自分に言い聞かせるようにしてそう呟き、まずは身だしなみを整えなければ、とベッドから降りる。そしてシャワーを浴び、髪の毛を整え、いつもの制服に着替えて出かける準備を整えた。
朝食はルームサービスに頼んで部屋に持ってきてもらい、自室でゆっくりと摂る事にした。カリカリのベーコンにふわふわのスクランブルエッグ、みずみずしい野菜をふんだんに使ったサラダに焼き立てのパン。それらをあっという間にぺろりと平らげ、食後のコーヒーを飲みながらまったりしていると、コンコンという控えめなノック音と共に「翠川さん、起きてるかい?」という花京院の声が聞こえてきた。紫苑は少しだけ首をかしげながらカップをソーサーに置き、小走りで扉に駆け寄った。
「花京院くん、どうしたの?アンちゃん達とチケットを買いに行ったはずじゃあ……」
扉を開けて開口一番、疑問に思っていた事を伝えると、花京院はやや目線を下げながら気まずそうな表情で頬を掻く。
「いや、実は……ぼくが忘れ物を取りに行っている間に、ふたりとも先に出発してしまったみたいなんだ」
「えっ、そうなの?」
意外な理由に紫苑は思わず目を見開く。承太郎もアンも、一緒に行く約束をしている人をおいて先に行くような人だとは思えなかったからだ。……紫苑の寝坊は別として。
「忘れ物を取りに行く時間くらい、待っていてくれそうな気もするけれど……」
「ぼくもそう思ったんだが、ロビーでいくら待っても来なくて、フロントの人に訪ねてみたら『先程外出なされましたよ』って言われてしまってね。それに承太郎に関しては翠川さんが寝坊した事を知った途端『アイツは置いていくぞ』って容赦なく言ってたし、もしかしたら結構時間には厳しいのかもしれない」
「ああ……そのことに関してはご迷惑をおかけしまして……」
「いや、気にしなくていいさ。色々あったし、疲れも溜まってたんだろう」
これは学校一の不良の逆鱗に触れてしまったかもしれない。冷たい目線を携えた承太郎の姿がはっきりと脳内に思い浮かんだ紫苑は、顔を青くさせながら身震いした。花京院は目に見えて顔色を悪くさせた紫苑を見て苦笑いを零すと、気にするなというように緩く首を振る。そして「ここからが本題なんだが」という前置きと共に、紫苑の両目を真っ直ぐに見つめた。
「仕方がないから一人で日光浴でもしようかと思ったんだが、今朝翠川さんが寝坊していた事を思い出して、せっかくなら一緒に観光がてら街を見て回りたいなと思ったんだ。どうかな?」
「うん、いいよ。私も朝ごはん食べ終わったらブラブラしようと思ってたんだ。お財布とか持ってくるから、ちょっと待ってて」
「ありがとう、わかったよ」
やけに真剣な表情だった為何を言われるのか少々身構えた紫苑だったが、花京院の提案はこちらにとっても有り難いものだったので紫苑は二つ返事で了承する。その返事を聞いた花京院がホッとしたように表情を緩ませたのを視界の端に捉えながら、紫苑は必要な荷物を取ってくる為に一度部屋へと戻った。
とりあえず財布その他諸々をポケットに入れ、電話でルームサービスに朝食の皿を下げてもらうようお願いした後、改めて部屋を出て花京院と共に廊下を歩く。もう早朝と言うには遅い時間となっていたため、廊下にはまばらながらも人がちらほらといた。
しばらく2人で無言で歩いていると、花京院がそういえば、というふうに口を開いた。
「それにしても……翠川さんは朝が弱い方なのかい?」
「ううん、どちらかと言えば強いほうだし、寝坊だって1回あるかないかくらいだよ」
「そうなのか。……それじゃあやっぱり、ボート上での生活の疲れが溜まっていたんだな」
「それもあるかもしれないけれど……多分、一番の原因は昨日の夜中に敵に襲われたことかなぁ」
「え」
紫苑が何気なくそう零すと、隣を歩いていた花京院は突然ピタリと立ち止まり、グルンと勢いよく紫苑の方へと振り向く。そして焦ったような表情のまま近づいて来たかと思うと、紫苑の両肩をガッっとわしづかみ、ゆさゆさと小刻みに揺らしてきた。
「何だって!?大丈夫だったのかい!?」
「うわわ……待って待って、そんなに揺らさないで……朝ごはん出ちゃうから」
「す、すまない……」
柄にもなく慌てている花京院を咎めると、花京院はハッとした表情になり、申し訳無さそうに眉を下げながら両手を離した。しかし詳しい話を聞くまでは逃がさないぞといった様子で紫苑の事をジッと見つめてきたので、紫苑は再び歩きながら観念して夜中襲ってきた敵の特徴や、どうやって倒したのかについてをかいつまんで話していく。花京院は時折顔を顰めたりハラハラとした表情になったりしつつも、口を挟むことなく最後まで真剣に紫苑の話を聞いていた。
「大体こんな感じかな。ちょっと危なかったけど、一人でもなんとかなったよ」
「……はぁ……ぼく達が呑気に寝ている間に、まさか翠川さんが敵に襲われていたなんて……」
一通り話を聞き終えた花京院は面目ないな、と呟きながら顔を手のひらで覆う。紫苑はそんな花京院を見ながら肩をすくめた。
「しかも絵の中に閉じ込められちゃって助けを呼べる状況ですらなかったからね。まぁ迂闊に怪しい絵に触れちゃった私も私だし……これからは怪しいものにはなるべく触らないようにするよ」
「そうだな。翠川さんが一人でも戦える事は知っているけれど……やはり、用心するに越したことはないだろう」
2人でそんなふうに話しているうちに、いつの間にかエントランスに着いていた。すると花京院は気持ちを切り替えるかのようににこやかな顔で「さて、何処に行きたい?」と尋ねてきた。
「そうだね……ちょっとした食べ歩きとか、現地の物が売ってるお店とか見てみたいかも」
「わかった。翠川さんはさっき朝食を食べたばかりだろうし、先に雑貨店なんかを見てまわろうか」
紫苑はシンガポールに来たこともなかったし、定番の場所などもよくわからない。結構アバウトな要望しか伝えられなかったが、花京院はそんな難しい要求にも関わらずスマートに行き先を決めて先導してくれた。観光客に人気のお土産屋さんや小物が売っている雑貨店を順繰りに見て回っていく。花京院のオススメするお店はどれも面白く、2人の会話の話題も尽きなかった。
そうして通りを歩いていると、ふと一つのアクセサリーショップが目に入る。その店は、どうやらビーズなどを組み合わせて、手作りでアクセサリーを作っているようだった。その素朴ながらもキラキラとした輝きに目を奪われていると、それに気がついた花京院が声をかけてくる。
「その店が気になるのかい?行ってみようか」
「あ……ううん、良いよ。花京院くんは退屈しちゃうだろうし」
可愛らしいアクセサリーやストラップは、紫苑にとっては見ていてとても楽しいものであるが、花京院にとってはそうではないかもしれない。せっかく一緒にお店を回っているのだから自分だけが楽しんでしまうのも良くないし、しかも一度こういうものを見だしたらきっと長い時間見てしまうだろう。そう思った紫苑はほんの少しの名残惜しさを感じつつも、花京院の言葉に慌ててかぶりを振った。
花京院はそんな紫苑の様子をジッと見つめると、ほんの数秒の思案の後、笑みを浮かべながら口を開いた。
「……いや、ぼくもちょうどあの店のキーホルダーとか気になってるんだ。家族へのお土産に丁度いいかもしれないし、行ってみないかい?」
「う、うん。花京院くんがそう言うなら……」
「よし、決まりだ」
花京院はそう言うと自然な流れで紫苑の手を取り、件のアクセサリーショップへと連れ出す。花京院の大きな掌にすっぽりと覆われた自身の手を見た紫苑は、何だか少しだけ気恥ずかしくなり、視線を自分のつま先にピッタリと合わせたまま花京院に手を引かれて行った。
店にたどり着くと、すぐに視界いっぱいにきらびやかなアクセサリー達が広がる。それを見た瞬間、紫苑は先程の気恥ずかしさなんてあっという間に忘れて目の前の商品に目を奪われた。
「……ねぇ翠川さん、この中で何か欲しいものがあれば言ってくれるかい?ぼくが買ってあげるよ」
たくさんのアクセサリーに見入っている紫苑の隣でしばらくソワソワしていた花京院が、突然そんな事を言い出す。反射的に顔を上げて花京院を見たものの、彼の視線は卓上に並べられたアクセサリーに向いており目が合うことは無かった。紫苑はどうして突然そんな事を、と花京院の言動を疑問に思いながらも、正直申し訳無さが勝つので断ろうと口を開く。
「えっそんな、悪いよ」
「遠慮しないでくれ。……というか、その……ストレングスの時のお詫びも兼ねて、翠川さんにプレゼントを渡したいんだ」
「ストレングスの……?って、あ、あの事は早く忘れてよ……!!というかそんな気にしなくても私は平気だし……」
記憶から抹消したい失態であるあの貨物船での出来事を掘り返され、紫苑は頬を赤らめながら顔の前で両手を振る。花京院はそんな紫苑の様子を横目でちらりと見ると、顎に手を当てて考え込んだ。
「……そうだな。君に気を使わせてしまうのも良くない、あのときの話はこれでもう終わりにしよう。……ただ、ぼくがプレゼントを渡したい理由は他にもあって……いや違うな、むしろこっちが本当の理由なんだ」
「どういうこと?」
少しだけ言いづらそうにしているものの、真剣な表情の花京院を見た紫苑は真っ直ぐに花京院を見つめ、話を聞く体制をとる。すると花京院はゆっくりと紫苑の方に振り向き、目と目を合わせると意を決したような表情で語り始めた。
「翠川さんにとっては気持ちのいい話ではないと思うんだが……実を言うと、ぼくは治癒能力しか持たない君のことを見くびっていた。突出した能力といえば治癒能力だけだったし、スタンド自体の力が強いわけでもない。ましてや、君自身も特別喧嘩が強いといったわけでもなかっただろう。ぼくはそんな翠川さんの事を、守ってあげなきゃいけない人だと決めつけていた」
そこまで一息で言い切ると、花京院は一度瞼を閉じてふーっと長いため息をつく。そして再び目を開き、話を続けた。
「でも君は、守られるだけの人間じゃあ無かった。確かに純粋な力勝負では叶わないかもしれないが、自分のスタンドの能力をうまく使って、自分で考えてピンチを乗り越えていった。戦う力を、持っていたんだ……そんな姿を見て、ぼくは反省した。とんだ思い違いをしていた、とんでもなく失礼な態度を君にとっていたんじゃあないかってね」
そう言うと花京院は苦笑いを浮かべながら項垂れる。紫苑は花京院の一連の話を聞いて、はじめの頃妙に余所余所しかったのはそのせいか、と一人心の中で納得していた。
花京院はしばらくそのまま黙っていたが、やがてまたソワソワしだしたかと思うと、口をもごつかせながら再び言葉を紡ぎ始める。
「だから、これはお詫びの……いや、違うな。改めて……その……ぼくと、友達になって欲しいっていう気持ちを込めて、君に贈り物をしたいんだ。……ダメ、だろうか」
不安そうに眉を下げ、目線も彷徨わせながら恐る恐るそう話す花京院。そんな彼の様子を見た紫苑は何だか胸がきゅんと締め付けられるような気持ちになり、更には花京院の放った『友達』というワードを認知した途端、言いようのないぽかぽかとした感情が湧き上がってきた。
紫苑は自身の心臓の辺りをギュッと掴むと、顔をほころばせながら花京院を見上げた。
「うん、いいよ。もしお詫びだって言うなら意地でも受け取らなかったけど……『友達』からのプレゼントなら、拒否する理由なんてないもん」
「そうか……!良かった。じゃあ早速なんだが、何か欲しい物はあるかい?」
紫苑の返答を聞いた途端、花京院は肩の荷が降りたのか心底安心したかのように破顔する。紫苑はそんな花京院を見てあるお願いごとがしたくなって、少しだけニヤつきながら花京院の顔を覗き込んだ。
「それなんだけど、せっかくなら花京院くんが選んでくれない?」
「えっ、でも、女の子の好きそうなものとかわからないんだが」
「いいの!私、花京院くんが選んだやつが欲しいから」
「……あまり期待はしないでくれよ?」
「はいはい。じゃあ私、入口の方で待ってるから」
せっかくのプレゼントなのだから、紫苑が自分で選んだものではなく、花京院が選んだものが欲しい。そう思った紫苑が花京院にお願いしてみると、はじめは自信なさげに狼狽えていたものの、何度かお願いするうちになんとか了承してくれた。
期待しないでと言いつつも真剣に商品を選び始めた花京院を見て、ここは邪魔をしてはいけないなと思った紫苑は一度花京院の傍を離れて店の外へと出る事にした。そうやってしばらく一人で店の商品をぼんやりと眺めていると、プレゼントを買い終わった花京院が店の中から出てきた。手には小さな紙袋を持っている。
「お気に召してもらえるかはわからないが……翠川さんに似合うと思ったものを買ってきたんだ。どうぞ」
「ありがとう!今開けてみてもいい?」
「構わないよ」
紫苑にとって、友人からプレゼントを貰うというのは初めての事だった。はやる気持ちを抑えながら、紫苑は花京院から受け取った紙袋を丁寧に開いていく。中から出てきたのは、白いレースの上にエメラルド色のビーズがたくさん散りばめられたバレッタだった。
「わぁ……!きれい!ありがとう花京院くん!」
「気に入ってくれたようで良かったよ」
頬を上気させ、瞳をキラキラと輝かせながら嬉しそうにバレッタを見つめる紫苑を見た花京院は、ホッとすると同時に自分の選んだものを喜んで貰えて心が弾む思いだった。そうやって年相応にはしゃぐ紫苑を微笑ましげに見つめていると、紫苑が突然くるりとこちらを振り向き、照れ笑いを浮かべながらとあるお願いをしてきた。
「ねぇ、試しにちょっと着けてみてくれない?ここだと鏡がないから、自分じゃあうまく着けられなくて」
「ああ、良いよ。それじゃあ、後ろを向いてくれ」
「ありがとう」
花京院も丁度このバレッタを着けている紫苑が見たいと思っていた所だったので笑顔で快諾し、バレッタを受け取る。自分とは異ったサラサラとした髪の感触に少々苦戦しつつも、花京院はなんとかきれいにバレッタを留め終えた。
「よし、できたよ」
「ありがとう。……ふふ、本当にかわいいなぁ。どう、似合ってる?」
「ああ、とても似合っているよ」
紫苑はいそいそとポケットから手鏡を取り出し、つけてもらったバレッタを見てみる。花京院にも似合っているとのお墨付きを貰えた紫苑は、嬉しい気持ちでいっぱいになった。
「改めて、本当にありがとう。大切にするね。……さてと、次はどこのお店を見て回る?」
「そうだな……さっきこの近くにココナッツジュースを売っている露店を見かけたんだ。そこに行ってみないか?」
「いいね、行こう!」
ちらりと時計を見た紫苑はもう少しだけ時間に余裕があることを悟ると、次はどこへ行こうかと花京院に尋ねる。そして花京院と共に次の行き先を決めると、その場所に向かって並んで歩き始めた。
2人の距離感はホテルを出る前に比べて目に見えて縮まっている。そうして2人は時間の許す限り、シンガポールの街を存分に楽しんだ。