エジプトまでの道程編
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「……はぁ、海水でベタベタするわ……」
水夫達に連れられてやってきた部屋の隅っこで、やることもなくただぼーっと立つこと数分。アンが唐突に自分の体や髪の毛を触ってうんざりしたようにそう言い出した。
「ねぇ、シャワー浴びましょうよシャワー!」
「駄目だよ、さっきはぐれるなって言われたばかりだし」
「いいじゃない、ちょっと体を洗うだけよ。それに紫苑だって暫くシャワー浴びてないんじゃない?匂いとか気にならないの?」
「うっ、それは……」
単独行動はまずいと思い、やんわりとアンを止めようとするが、痛いところをつかれ言葉が詰まる。紫苑も暫く船の上で過ごしていた為汗を流せていないし、ずっと潮風に晒されていたので髪もベタついている気がするのだ。できれば体を奇麗にしたいという思いはある。
「水夫達は機械治すのに忙しそうだし、私達やることないじゃない。一緒に入れば時短にもなるわ。ほら、すぐそこなんだし行きましょ」
「……もう。ほんとに少しだけだよ?」
「わかってるって!」
何を言っても折れそうにないアンの勢いに押され、紫苑は渋々一緒にシャワーを浴びることにした。ちらりと水夫達の方を見ると、皆それぞれ忙しそうに機械をいじっており、とても集中している様子だった。まぁ、少しの間であれば彼らに気づかれずに戻ってくることも可能だろう。それにシャワーを浴びれるのも願ったり叶ったりだし……。そんな事を考えながら、紫苑はアンと一緒にこっそり部屋を抜け出して隣のシャワールームへと入った。
「ちゃんとお湯も出るみたいね。よかったわ」
「この船、設備はしっかりしてるみたいだからね……ほら、居なくなったのばれちゃうとまずいから早く服脱いじゃって」
アンがコックをひねり、お湯が出てくるのを確認する。紫苑はそれを横目で見ながら、着ていた制服を手早く脱いだ。カゴの中に入っていたバスタオルを持ち、カーテンで仕切られている個室へと入る。紫苑に続いてアンも同じ個室に入ったのを確認すると、カーテンを閉め、二人でシャワーを浴び始めた。温かいお湯を頭から被り、体にまとわりついていた不快感をきれいに洗い流していく。一人用の個室を二人で使っているのでちょっと手狭だが、そう激しく動くわけでもないし、さっと体を清めるくらいなら悪くはないだろう。
「はぁーっ、生き返るわ!やっぱりシャワー浴びて正解よ!紫苑もそう思うでしょ?」
「そうだね、正直私も汗を流したいなって思ってたし……?」
ニコニコとして機嫌の良さそうなアンとおしゃべりしながらシャワーを浴びていると、本当に微かではあるが、シャワーの水音に混じってギィと扉の開くような音が聞こえたような気がして思わず後ろを振り返る。不自然に言葉を区切った紫苑を見て、アンも不思議そうにしながら背後を振り返った。紫苑はカーテンを見つめたまま小声で「何かいる気がする」とアンに伝えると、脇に置いておいたバスタオルをわしづかみ、アンに手渡す。そして自分の分のバスタオルを手にとって、後ろ手でシャワーを止めた瞬間、勢いよくカーテンが開かれた。
「ひっ!」
「あんた、さっきの……!」
カーテンを開けたのは、先程まで檻の中にいたはずのオランウータンだった。オランウータンは鼻息を荒くしながら舐め回すように紫苑とアンの体を見つめる。そして無言で紫苑達ににじり寄り、手を伸ばし始めた。紫苑はバスタオルを体に巻きつけると、アンをかばうように抱き寄せながら後ずさる。しかしここはシャワールームの個室。3方向を取り囲む壁は硬いタイルでできているし、唯一の出入り口であるカーテンの方にはオランウータンがおり逃げられない。まさに絶体絶命である。ジリジリと壁際に追い詰められ、ついに紫苑の背中が壁についてしまう。するとオランウータンはしめたと言わんばかりに雄叫びを上げ、紫苑達に襲いかかってきた。
とにかく、アンの事は守らないと。そう思った紫苑は咄嗟にアンを抱きしめてオランウータンに背を向けた。大丈夫、私だって女の子一人守れる力くらいあるんだから。そう考えながら次に来るであろう痛みに備え、アンを強く抱きしめて固く目を瞑る。しかし、いくら待っても痛みどころか触れられる感覚さえ訪れない。その代わり、背後からオランウータンの悲痛な叫び声が聞こえたのだった。
「……は、え、なにこれ、どういうこと……?」
紫苑が恐る恐る目を開けると、オランウータンが血の滴る右手を押さえながら痛みで転げ回っていた。その右手には、いくつかの針で刺したような刺し傷があるようだった。
「大丈夫、紫苑?……って、その背中、どうしたの!?」
「背中?」
紫苑の腕の中から抜け出したアンが、幽霊でも見たかのように両目を見開いて紫苑の背中を指差す。紫苑が自分の背中を見てみると、なんとそこには背骨に沿って、太さ約3ミリ位の無数の白い針のようなものが生えていたのだ。針はよほど丈夫なのかバスタオルを貫通して生えており、いくつかの針には赤く血の跡がついていた。そしていつの間に出していたのか、自分のスタンドであるアイオーンが背中から生えている針の一つを指先で撫でていた。
それを見た瞬間、紫苑は確信した。これは自分のスタンド能力を応用させたものであると。
「紫苑はハリネズミにもなれるのね!……それとも恐竜?どっちでもいいけど、あの猿をやっつけちゃうなんて凄いわ!」
「ハリネズミ……うん、そうだね。それより、早くここから逃げよう。またあのオランウータンが襲って来るかもしれないから」
紫苑がそう呼びかけると、アンは頷いて立ち上がる。紫苑はさり気なくアイオーンを呼び出して背中の針を消してもらうと、床に蹲っているオランウータンの脇をアンと共に通り抜け、脱衣所に置いておいた自分の制服やアンの洋服を引っ掴み走り出した。二人で急いで扉の方に向かっていると、突如何かがぶつかってきた衝撃と共に紫苑の右肩に激痛が走る。見ると、紫苑の右肩には換気扇のプロペラが突き刺さっていた。
「……まさかとは思うけど、あんたがもしかして……」
紫苑はズキズキと痛む右肩を押さえ、オランウータンの方を振り返る。オランウータンは紫苑に攻撃が当たったのが嬉しいのか、手を叩いて機嫌良く鳴いていた。紫苑はアンに持っていた制服を手渡すと、アンの目の前に盾になるようにして立つ。オランウータンはそんな紫苑を見てニヤリと目を細めると、視線を紫苑の肩に突き刺さっているプロペラへと向けた。
このプロペラに何かあるのか?と思った紫苑は横目でちらりと右肩を見る。すると肩に刺さっていたプロペラの羽がぐにゃりと曲がり始めた。
「プ、プロペラがひとりでに曲がった!この鋼でできたプロペラが……うぐッ!」
「紫苑ッ!」
硬い金属でできているはずのプロペラは大きく羽をしならせると、勢いよく元に戻り紫苑の顔を弾き飛ばす。思い切り顔面を叩かれた紫苑の体は衝撃に耐えられず、壁を突き抜けて別の船室の方へと吹き飛ばされた。
全身が物凄いスピードで叩きつけられ、一瞬呼吸が止まる。しかしアンの悲痛な叫び声を聞いてここで意識を飛ばしては駄目だと思い直し、急いで体を起き上がらせるとアイオーンを呼び出した。背後からアイオーンが覆い被さり、即座に紫苑の傷を癒やしていく。その間、紫苑は先程自分から生えてきた背中の針について考えていた。
背骨に沿って生えていた白い針。アイオーンによって創り出されたものであるならば、あれはきっと自分の細胞が活性化したことにより現れたのだろう。そして針の色味と形状、生えていた部位から察するに、あれは骨だ。つまり今回の現象の原理は、自分の骨芽細胞を急速に活性化させることにより、通常ではありえない部位に骨を創り出した、ということなのではないかと紫苑は考えた。試しにアイオーンの指先を自分の指先と重ね合わせ、自分の指先に骨でできた鋭い鉤爪を生やすイメージを脳裏に浮かべてみる。するとアイオーンが勢いよく手を振り上げるのと同時に、みるみると鋭い鉤爪の形をした骨が現れた。
「これなら私も戦える……!よし!」
傷を癒やすことしかできないと思っていた自分のスタンド能力に、こんな使い方があったなんて。敵に対する対抗策を得た紫苑は、この自分一人しか居ないという状況の中、わずかな希望を見い出していた。紫苑は気合を入れるため自分の頬を一つ叩き、顔を上げる。すると、ふと視界の端がキラリと光ったような気がした。場所はちょうど紫苑の真上にある通気口の所だ。何かと思いその場所に目を凝らすと、花京院のハイエロファントグリーンの触脚が、あたりを探るようにして通気口の中で蠢いているのが見えた。
「もしかして、ハイエロファントグリーンで船内に探りを入れてる……?それなら好都合かも、これで応援も呼べる!」
紫苑は急いでアイオーンを通気口の所へと向かわせる。アイオーンは力任せに通気口の格子を外すと、スルスルと戻っていこうとするハイエロファントグリーンの触脚をわしづかんだ。
「シャワールームでオランウータンに襲われました。多分このオランウータンがスタンド使いだと見て間違いないと思います。今は私一人で応戦しているので、至急誰か来てください」
手短にスタンドを通じて要件を伝え、掴んでいた触脚を離す。多分、これで暫くしたら応援も来るだろう。なんとかなりそうな予感に、紫苑はホッと胸を撫で下ろした。
とりあえず今はシャワールームに取り残されたアンを誰かが来るまで守らなければならない。紫苑はグラグラと揺れる頭を押さえながら立ち上がると、全ての傷が治るのを待たずに再びシャワールームへと向かった。
そこまで長い距離吹き飛ばされたわけでは無かった為、案外すぐにシャワールームへとたどり着いた。紫苑が息を切らせながら開け放たれたままの扉から中に入ると、オランウータンがタオル一枚のアンに襲いかかろうとしている所だった。その如何にも欲にまみれた行動に、紫苑はカッと頭に血がのぼるのを感じた。
「その子に触るなァァァァァ!」
大声で叫びながら、アンに手を伸ばそうとしているオランウータンの腕めがけ、アイオーンで創り出した鉤爪を振りかぶる。鉤爪は見事オランウータンの腕を貫通し、オランウータンは金切り声のような鳴き声を上げながら紫苑の方へと振り向いた。
「ウギャアアアア!!」
「あんたの相手はこっちだよッ!」
鉤爪を引き抜くと、オランウータンの腕には小さな穴があき、そこから血が吹き出す。続けて煽るように吐き捨てれば、オランウータンはターゲットを紫苑に変え、邪魔をするならお前から相手してやるといったように紫苑に向かって指をさした。
紫苑がアンを見やると、彼女は恐怖から腰を抜かしているようだった。あの様子では逃げるのも厳しいだろう。オランウータンの気をこちらに引きつつ、誰かが来るまで戦うしか無い。紫苑は恐怖や心細さや使命感といった様々な感情がごちゃまぜになり、震えた息を吐き出した。
オランウータンが目を細め、短く鳴き声を上げる。すると、四方八方から様々な機器やガラクタが紫苑に向かって一直線に飛んできた。
「こんなのッ!」
紫苑は迫りくるガラクタ達を、鋭い鉤爪で順番に弾き飛ばしていく。初めは順調であったが、金属の塊を骨で出来た鉤爪でいなすのにも限界がある。何度目かの物体を弾き飛ばした途端、その威力に耐え切れず鉤爪が数本折れてしまった。更に別方向から飛んできたよくわからない小型の機械によって他の鉤爪も折られてしまい、紫苑は思わず尻もちをつく。
「まずい!」
チャンスだと言わんばかりにオランウータンがニヤつきながら紫苑に向かって駆け出してくる。やられる、そう思った瞬間、オランウータンの背後に黒い大きな影がヌッと現れた。
「オラァ!」
「ギャッ!」
聞き馴染みのある声と共に、オランウータンは紫苑の真横を通って吹き飛んでいく。見上げると、正面に錠前を持った承太郎が立っていた。
「てめーの錠前だぜ、これは!」
「せ、先輩……」
「承太郎!」
頼もしい救世主が現れた事により、紫苑は安堵の声をもらし、アンは嬉しそうな声を上げた。承太郎は手に持っていた錠前を投げ捨てると、紫苑の方を見る。するといきなり目を見開いて「翠川、後ろだ!」と大声を上げた。
「え?うぎゃッ!?」
突如背中に重たい衝撃を食らう。オランウータンがそこら辺に置いてあった消火器を操り、隙きを突いて紫苑にぶつけたようだった。紫苑の身体は宙を舞い、ちょうど開いていた扉を抜け、勢いよく廊下を突き進む。そしてT字路になっている突き当たりに差し掛かり、ついに壁にぶつかるかもと思った瞬間、曲がり角からいきなり花京院が現れた。
「か、花京院くんどいッ!」
「うわッ」
先程の紫苑のメッセージを聞いて急いで駆けつけて来てくれたのだろう、廊下を全力で走っていた花京院はいきなり飛んできた紫苑を避けきることができず、二人はそのまま正面衝突してしまう。そして勢いよく壁にぶつかったかと思うと、どこからともなくパイプが現れ、二人まとめて壁にくくりつけられてしまった。
「いたた……ごめんなさい花京院くん、怪我とかありませんか?」
「う……はい、背中は打ちましたが、ぼくは平気です……」
紫苑は慌てて顔を上げ、花京院の様子を確認する。紫苑は花京院の身体がクッションになり、鼻を花京院の胸板にぶつけたくらいの怪我で済んでいたが、花京院は背中から思い切り壁に叩きつけられていたのだ。ダメージは大きいだろう。
しかし紫苑の呼びかけに対し、花京院はうめき声を上げながらも、はっきりとした受け答えをする。どうやら、そこまで大きな怪我は無いようだ。紫苑はその様子にホッと胸を撫で下ろした。
花京院は頭を振って髪の毛に付いた細かな瓦礫を落としながら、目をパチパチと瞬かせる。そして紫苑を目視すると、いきなり目をカッと見開いて口をパクパクとさせた。
「ちょ、翠川さん!き、君はなんて格好をッ……!」
花京院の上ずった声で紫苑はハッとする。先程まで必死に戦っていたのですっかり頭から抜け落ちていたが、紫苑の今の格好はバスタオル1枚だけである。そんな心もとない状態で花京院に壁ドンしている……つまり真正面から抱き合う格好になっているのだ。それに気がついた紫苑はボッと顔を赤らめ、慌てて弁解を始めようとする。
「あッ、こ、これには深い事情があって……!そ、その……うう……あんまり見ないで……」
「わかっているッ!!」
花京院は紫苑の真っ白な肌や僅かに上気した頬、恥ずかしさから涙目になっているその表情に思わず目がいってしまい、顔を赤くさせながら慌てて視線を逸らす。しかし紫苑がとにかく早くこのホースの拘束から抜け出そうと必死にもがき始めたことにより、女性特有の柔らかなふくらみが花京院の胸板に押し付けられ、花京院はますます焦りが募る。
「あ、あまり動かないでくれないか……!っその、色々当たって……!」
「そ、それはしょうがないでしょ!どうにかしてここから抜け出さないといけないんだから……あっ」
お互いパニックになりながらも必死にもがいていると、紫苑の耳にガリガリ、と壁を削るような音が入り、思わず動きを止める。音の発生源である指先を見ると、先程折られた鉤爪が数本、短くはあるがナイフのように鋭くなっていた。
「そうだ、これだ!」
紫苑はパァっと顔を輝かせると、腕をうまく動かしてまず両手を固定するパイプを掴み、指先で擦り始めた。
「一体何を……?」
「良いから見てて」
怪訝そうな表情の花京院をよそに、紫苑は指先の鉤爪を使って少しずつパイプを削っていく。両手のパイプが取れたら次は休む間もなく身体を拘束するパイプに取り掛かった。そうやって暫くパイプを擦っていると、パチンという音と共に身体を拘束していたパイプが全て切断された。
「わ、」
「おっ、と」
花京院が後ろへ倒れ込んだ紫苑の腰に手を回して支える。そして困惑した表情のまま、紫苑の指先に視線をやった。
「その指は……どうしたんだ?」
「これは骨で出来た鉤爪だよ。オランウータンに襲われたときに、急にできるようになって」
「……新しい能力かい?」
「いや、違うと思う。原理は治癒と一緒で、使い方を変えたって感じかな」
「なるほど」
紫苑がアイオーンを呼び出し、再び指先に鉤爪を生やすと、花京院は興味深そうにまじまじと鉤爪を見ていた。
「こんな感じで色々な所から生やせるの。ああそんな事より、向こうではまだ先輩がオランウータンと戦ってるはず……急いで応援に向かわないと」
「おっと、そうだね。……とりあえず君はこれを羽織っておくといい。その格好じゃあ心許ないだろう」
その言葉と共に紫苑の肩にふわりと布がかけられる。見ると、それは花京院の学ランであった。紫苑はありがたくその学ランに袖を通して「ありがとう」と告げる。ボタンをしっかりと上まで閉めると、ほんのりと花京院の香りがした。
「それじゃあ行こう。走れそうかい?」
「うん、平気」
これはこれで違う種類の羞恥心が湧き上がるが……タオル一枚よりかは随分マシだろう。紫苑はそう考え、先に走り出した花京院の後を追った。
紫苑達が承太郎の元へと駆けつけると、壁にはりつけられている承太郎と、船長のような服を着たオランウータンが大きく飛び上がるのが目に入った。すかさず花京院がハイエロファントグリーンを呼び出し、触脚でオランウータンの四肢を拘束する。その隙に紫苑は承太郎の元へと駆け寄り、鉤爪で承太郎に巻き付いているパイプを全て切り裂いた。
「大丈夫ですか先輩」
「ああ、助かったぜ翠川、花京院……さて、そんなふうに拘束されちゃあ満足に動けねーだろうな。よく聞けエテ公、さっき言った通り傷つくのは誇りじゃあねえ。テメーの脳天だ!」
承太郎がそう言うと、スタープラチナが承太郎の学ランのボタンを1つ取り、指先で思い切り弾き飛ばす。ボタンは弾丸と見まごう速さでオランウータンに向かっていき、その脳天を貫いた。
額に大穴を開けたオランウータンは情けない声を上げ、ビクビクと身体を痙攣させる。花京院が拘束を解くと、オランウータンは怯えたように壁に向かって後ずさり、着ていた服のボタンを開けて腹を見せた。
「恐怖した動物は降伏の印として自分の腹を見せるそうだが……許してくれ、ってことかな?」
花京院の言葉に、オランウータンは両手を上げコクコクと頷く。
「フン、しかしテメーは既に動物としてのルールの領域をはみ出した……駄目だね」
承太郎は問答無用で命乞いするオランウータンを切り捨てると、容赦なく無数のラッシュを叩き込んだ。オランウータンは大きく吹き飛ばされ、壁に激突したあとピクリとも動かなくなる。
そうして再起不能になったオランウータンを見て安心したのも束の間、ガコン、という大きな揺れが承太郎達を襲う。更には壁や天井といったありとあらゆるものがグニャリと曲がり始めた。
「ゆ、歪んでいるわ……!この船、ぐにゃぐにゃになってる!」
「おい、たまげるのは後にしな。この船はもう沈むぞ……脱出するぜ、乗ってきたボートでな」
目を見開くアンに対し、承太郎が冷静にそう告げる。
「もしかして、この格好のまま……?」
「着替えてる暇なんて無いぜ。腹を括るんだな」
「うう、そんな……」
「翠川さん、ぼくの事は気にしなくて良いから、そのままぼくの上着を着ておくといいよ」
「ありがとう花京院くん、暫くお借りするね……」
こんな無防備な格好のまま皆の所に行くことが確定し、紫苑は思わず項垂れる。そして2人は着替えることも出来ないまま、承太郎達と共に急いでこの貨物船から脱出したのだった。
水夫達に連れられてやってきた部屋の隅っこで、やることもなくただぼーっと立つこと数分。アンが唐突に自分の体や髪の毛を触ってうんざりしたようにそう言い出した。
「ねぇ、シャワー浴びましょうよシャワー!」
「駄目だよ、さっきはぐれるなって言われたばかりだし」
「いいじゃない、ちょっと体を洗うだけよ。それに紫苑だって暫くシャワー浴びてないんじゃない?匂いとか気にならないの?」
「うっ、それは……」
単独行動はまずいと思い、やんわりとアンを止めようとするが、痛いところをつかれ言葉が詰まる。紫苑も暫く船の上で過ごしていた為汗を流せていないし、ずっと潮風に晒されていたので髪もベタついている気がするのだ。できれば体を奇麗にしたいという思いはある。
「水夫達は機械治すのに忙しそうだし、私達やることないじゃない。一緒に入れば時短にもなるわ。ほら、すぐそこなんだし行きましょ」
「……もう。ほんとに少しだけだよ?」
「わかってるって!」
何を言っても折れそうにないアンの勢いに押され、紫苑は渋々一緒にシャワーを浴びることにした。ちらりと水夫達の方を見ると、皆それぞれ忙しそうに機械をいじっており、とても集中している様子だった。まぁ、少しの間であれば彼らに気づかれずに戻ってくることも可能だろう。それにシャワーを浴びれるのも願ったり叶ったりだし……。そんな事を考えながら、紫苑はアンと一緒にこっそり部屋を抜け出して隣のシャワールームへと入った。
「ちゃんとお湯も出るみたいね。よかったわ」
「この船、設備はしっかりしてるみたいだからね……ほら、居なくなったのばれちゃうとまずいから早く服脱いじゃって」
アンがコックをひねり、お湯が出てくるのを確認する。紫苑はそれを横目で見ながら、着ていた制服を手早く脱いだ。カゴの中に入っていたバスタオルを持ち、カーテンで仕切られている個室へと入る。紫苑に続いてアンも同じ個室に入ったのを確認すると、カーテンを閉め、二人でシャワーを浴び始めた。温かいお湯を頭から被り、体にまとわりついていた不快感をきれいに洗い流していく。一人用の個室を二人で使っているのでちょっと手狭だが、そう激しく動くわけでもないし、さっと体を清めるくらいなら悪くはないだろう。
「はぁーっ、生き返るわ!やっぱりシャワー浴びて正解よ!紫苑もそう思うでしょ?」
「そうだね、正直私も汗を流したいなって思ってたし……?」
ニコニコとして機嫌の良さそうなアンとおしゃべりしながらシャワーを浴びていると、本当に微かではあるが、シャワーの水音に混じってギィと扉の開くような音が聞こえたような気がして思わず後ろを振り返る。不自然に言葉を区切った紫苑を見て、アンも不思議そうにしながら背後を振り返った。紫苑はカーテンを見つめたまま小声で「何かいる気がする」とアンに伝えると、脇に置いておいたバスタオルをわしづかみ、アンに手渡す。そして自分の分のバスタオルを手にとって、後ろ手でシャワーを止めた瞬間、勢いよくカーテンが開かれた。
「ひっ!」
「あんた、さっきの……!」
カーテンを開けたのは、先程まで檻の中にいたはずのオランウータンだった。オランウータンは鼻息を荒くしながら舐め回すように紫苑とアンの体を見つめる。そして無言で紫苑達ににじり寄り、手を伸ばし始めた。紫苑はバスタオルを体に巻きつけると、アンをかばうように抱き寄せながら後ずさる。しかしここはシャワールームの個室。3方向を取り囲む壁は硬いタイルでできているし、唯一の出入り口であるカーテンの方にはオランウータンがおり逃げられない。まさに絶体絶命である。ジリジリと壁際に追い詰められ、ついに紫苑の背中が壁についてしまう。するとオランウータンはしめたと言わんばかりに雄叫びを上げ、紫苑達に襲いかかってきた。
とにかく、アンの事は守らないと。そう思った紫苑は咄嗟にアンを抱きしめてオランウータンに背を向けた。大丈夫、私だって女の子一人守れる力くらいあるんだから。そう考えながら次に来るであろう痛みに備え、アンを強く抱きしめて固く目を瞑る。しかし、いくら待っても痛みどころか触れられる感覚さえ訪れない。その代わり、背後からオランウータンの悲痛な叫び声が聞こえたのだった。
「……は、え、なにこれ、どういうこと……?」
紫苑が恐る恐る目を開けると、オランウータンが血の滴る右手を押さえながら痛みで転げ回っていた。その右手には、いくつかの針で刺したような刺し傷があるようだった。
「大丈夫、紫苑?……って、その背中、どうしたの!?」
「背中?」
紫苑の腕の中から抜け出したアンが、幽霊でも見たかのように両目を見開いて紫苑の背中を指差す。紫苑が自分の背中を見てみると、なんとそこには背骨に沿って、太さ約3ミリ位の無数の白い針のようなものが生えていたのだ。針はよほど丈夫なのかバスタオルを貫通して生えており、いくつかの針には赤く血の跡がついていた。そしていつの間に出していたのか、自分のスタンドであるアイオーンが背中から生えている針の一つを指先で撫でていた。
それを見た瞬間、紫苑は確信した。これは自分のスタンド能力を応用させたものであると。
「紫苑はハリネズミにもなれるのね!……それとも恐竜?どっちでもいいけど、あの猿をやっつけちゃうなんて凄いわ!」
「ハリネズミ……うん、そうだね。それより、早くここから逃げよう。またあのオランウータンが襲って来るかもしれないから」
紫苑がそう呼びかけると、アンは頷いて立ち上がる。紫苑はさり気なくアイオーンを呼び出して背中の針を消してもらうと、床に蹲っているオランウータンの脇をアンと共に通り抜け、脱衣所に置いておいた自分の制服やアンの洋服を引っ掴み走り出した。二人で急いで扉の方に向かっていると、突如何かがぶつかってきた衝撃と共に紫苑の右肩に激痛が走る。見ると、紫苑の右肩には換気扇のプロペラが突き刺さっていた。
「……まさかとは思うけど、あんたがもしかして……」
紫苑はズキズキと痛む右肩を押さえ、オランウータンの方を振り返る。オランウータンは紫苑に攻撃が当たったのが嬉しいのか、手を叩いて機嫌良く鳴いていた。紫苑はアンに持っていた制服を手渡すと、アンの目の前に盾になるようにして立つ。オランウータンはそんな紫苑を見てニヤリと目を細めると、視線を紫苑の肩に突き刺さっているプロペラへと向けた。
このプロペラに何かあるのか?と思った紫苑は横目でちらりと右肩を見る。すると肩に刺さっていたプロペラの羽がぐにゃりと曲がり始めた。
「プ、プロペラがひとりでに曲がった!この鋼でできたプロペラが……うぐッ!」
「紫苑ッ!」
硬い金属でできているはずのプロペラは大きく羽をしならせると、勢いよく元に戻り紫苑の顔を弾き飛ばす。思い切り顔面を叩かれた紫苑の体は衝撃に耐えられず、壁を突き抜けて別の船室の方へと吹き飛ばされた。
全身が物凄いスピードで叩きつけられ、一瞬呼吸が止まる。しかしアンの悲痛な叫び声を聞いてここで意識を飛ばしては駄目だと思い直し、急いで体を起き上がらせるとアイオーンを呼び出した。背後からアイオーンが覆い被さり、即座に紫苑の傷を癒やしていく。その間、紫苑は先程自分から生えてきた背中の針について考えていた。
背骨に沿って生えていた白い針。アイオーンによって創り出されたものであるならば、あれはきっと自分の細胞が活性化したことにより現れたのだろう。そして針の色味と形状、生えていた部位から察するに、あれは骨だ。つまり今回の現象の原理は、自分の骨芽細胞を急速に活性化させることにより、通常ではありえない部位に骨を創り出した、ということなのではないかと紫苑は考えた。試しにアイオーンの指先を自分の指先と重ね合わせ、自分の指先に骨でできた鋭い鉤爪を生やすイメージを脳裏に浮かべてみる。するとアイオーンが勢いよく手を振り上げるのと同時に、みるみると鋭い鉤爪の形をした骨が現れた。
「これなら私も戦える……!よし!」
傷を癒やすことしかできないと思っていた自分のスタンド能力に、こんな使い方があったなんて。敵に対する対抗策を得た紫苑は、この自分一人しか居ないという状況の中、わずかな希望を見い出していた。紫苑は気合を入れるため自分の頬を一つ叩き、顔を上げる。すると、ふと視界の端がキラリと光ったような気がした。場所はちょうど紫苑の真上にある通気口の所だ。何かと思いその場所に目を凝らすと、花京院のハイエロファントグリーンの触脚が、あたりを探るようにして通気口の中で蠢いているのが見えた。
「もしかして、ハイエロファントグリーンで船内に探りを入れてる……?それなら好都合かも、これで応援も呼べる!」
紫苑は急いでアイオーンを通気口の所へと向かわせる。アイオーンは力任せに通気口の格子を外すと、スルスルと戻っていこうとするハイエロファントグリーンの触脚をわしづかんだ。
「シャワールームでオランウータンに襲われました。多分このオランウータンがスタンド使いだと見て間違いないと思います。今は私一人で応戦しているので、至急誰か来てください」
手短にスタンドを通じて要件を伝え、掴んでいた触脚を離す。多分、これで暫くしたら応援も来るだろう。なんとかなりそうな予感に、紫苑はホッと胸を撫で下ろした。
とりあえず今はシャワールームに取り残されたアンを誰かが来るまで守らなければならない。紫苑はグラグラと揺れる頭を押さえながら立ち上がると、全ての傷が治るのを待たずに再びシャワールームへと向かった。
そこまで長い距離吹き飛ばされたわけでは無かった為、案外すぐにシャワールームへとたどり着いた。紫苑が息を切らせながら開け放たれたままの扉から中に入ると、オランウータンがタオル一枚のアンに襲いかかろうとしている所だった。その如何にも欲にまみれた行動に、紫苑はカッと頭に血がのぼるのを感じた。
「その子に触るなァァァァァ!」
大声で叫びながら、アンに手を伸ばそうとしているオランウータンの腕めがけ、アイオーンで創り出した鉤爪を振りかぶる。鉤爪は見事オランウータンの腕を貫通し、オランウータンは金切り声のような鳴き声を上げながら紫苑の方へと振り向いた。
「ウギャアアアア!!」
「あんたの相手はこっちだよッ!」
鉤爪を引き抜くと、オランウータンの腕には小さな穴があき、そこから血が吹き出す。続けて煽るように吐き捨てれば、オランウータンはターゲットを紫苑に変え、邪魔をするならお前から相手してやるといったように紫苑に向かって指をさした。
紫苑がアンを見やると、彼女は恐怖から腰を抜かしているようだった。あの様子では逃げるのも厳しいだろう。オランウータンの気をこちらに引きつつ、誰かが来るまで戦うしか無い。紫苑は恐怖や心細さや使命感といった様々な感情がごちゃまぜになり、震えた息を吐き出した。
オランウータンが目を細め、短く鳴き声を上げる。すると、四方八方から様々な機器やガラクタが紫苑に向かって一直線に飛んできた。
「こんなのッ!」
紫苑は迫りくるガラクタ達を、鋭い鉤爪で順番に弾き飛ばしていく。初めは順調であったが、金属の塊を骨で出来た鉤爪でいなすのにも限界がある。何度目かの物体を弾き飛ばした途端、その威力に耐え切れず鉤爪が数本折れてしまった。更に別方向から飛んできたよくわからない小型の機械によって他の鉤爪も折られてしまい、紫苑は思わず尻もちをつく。
「まずい!」
チャンスだと言わんばかりにオランウータンがニヤつきながら紫苑に向かって駆け出してくる。やられる、そう思った瞬間、オランウータンの背後に黒い大きな影がヌッと現れた。
「オラァ!」
「ギャッ!」
聞き馴染みのある声と共に、オランウータンは紫苑の真横を通って吹き飛んでいく。見上げると、正面に錠前を持った承太郎が立っていた。
「てめーの錠前だぜ、これは!」
「せ、先輩……」
「承太郎!」
頼もしい救世主が現れた事により、紫苑は安堵の声をもらし、アンは嬉しそうな声を上げた。承太郎は手に持っていた錠前を投げ捨てると、紫苑の方を見る。するといきなり目を見開いて「翠川、後ろだ!」と大声を上げた。
「え?うぎゃッ!?」
突如背中に重たい衝撃を食らう。オランウータンがそこら辺に置いてあった消火器を操り、隙きを突いて紫苑にぶつけたようだった。紫苑の身体は宙を舞い、ちょうど開いていた扉を抜け、勢いよく廊下を突き進む。そしてT字路になっている突き当たりに差し掛かり、ついに壁にぶつかるかもと思った瞬間、曲がり角からいきなり花京院が現れた。
「か、花京院くんどいッ!」
「うわッ」
先程の紫苑のメッセージを聞いて急いで駆けつけて来てくれたのだろう、廊下を全力で走っていた花京院はいきなり飛んできた紫苑を避けきることができず、二人はそのまま正面衝突してしまう。そして勢いよく壁にぶつかったかと思うと、どこからともなくパイプが現れ、二人まとめて壁にくくりつけられてしまった。
「いたた……ごめんなさい花京院くん、怪我とかありませんか?」
「う……はい、背中は打ちましたが、ぼくは平気です……」
紫苑は慌てて顔を上げ、花京院の様子を確認する。紫苑は花京院の身体がクッションになり、鼻を花京院の胸板にぶつけたくらいの怪我で済んでいたが、花京院は背中から思い切り壁に叩きつけられていたのだ。ダメージは大きいだろう。
しかし紫苑の呼びかけに対し、花京院はうめき声を上げながらも、はっきりとした受け答えをする。どうやら、そこまで大きな怪我は無いようだ。紫苑はその様子にホッと胸を撫で下ろした。
花京院は頭を振って髪の毛に付いた細かな瓦礫を落としながら、目をパチパチと瞬かせる。そして紫苑を目視すると、いきなり目をカッと見開いて口をパクパクとさせた。
「ちょ、翠川さん!き、君はなんて格好をッ……!」
花京院の上ずった声で紫苑はハッとする。先程まで必死に戦っていたのですっかり頭から抜け落ちていたが、紫苑の今の格好はバスタオル1枚だけである。そんな心もとない状態で花京院に壁ドンしている……つまり真正面から抱き合う格好になっているのだ。それに気がついた紫苑はボッと顔を赤らめ、慌てて弁解を始めようとする。
「あッ、こ、これには深い事情があって……!そ、その……うう……あんまり見ないで……」
「わかっているッ!!」
花京院は紫苑の真っ白な肌や僅かに上気した頬、恥ずかしさから涙目になっているその表情に思わず目がいってしまい、顔を赤くさせながら慌てて視線を逸らす。しかし紫苑がとにかく早くこのホースの拘束から抜け出そうと必死にもがき始めたことにより、女性特有の柔らかなふくらみが花京院の胸板に押し付けられ、花京院はますます焦りが募る。
「あ、あまり動かないでくれないか……!っその、色々当たって……!」
「そ、それはしょうがないでしょ!どうにかしてここから抜け出さないといけないんだから……あっ」
お互いパニックになりながらも必死にもがいていると、紫苑の耳にガリガリ、と壁を削るような音が入り、思わず動きを止める。音の発生源である指先を見ると、先程折られた鉤爪が数本、短くはあるがナイフのように鋭くなっていた。
「そうだ、これだ!」
紫苑はパァっと顔を輝かせると、腕をうまく動かしてまず両手を固定するパイプを掴み、指先で擦り始めた。
「一体何を……?」
「良いから見てて」
怪訝そうな表情の花京院をよそに、紫苑は指先の鉤爪を使って少しずつパイプを削っていく。両手のパイプが取れたら次は休む間もなく身体を拘束するパイプに取り掛かった。そうやって暫くパイプを擦っていると、パチンという音と共に身体を拘束していたパイプが全て切断された。
「わ、」
「おっ、と」
花京院が後ろへ倒れ込んだ紫苑の腰に手を回して支える。そして困惑した表情のまま、紫苑の指先に視線をやった。
「その指は……どうしたんだ?」
「これは骨で出来た鉤爪だよ。オランウータンに襲われたときに、急にできるようになって」
「……新しい能力かい?」
「いや、違うと思う。原理は治癒と一緒で、使い方を変えたって感じかな」
「なるほど」
紫苑がアイオーンを呼び出し、再び指先に鉤爪を生やすと、花京院は興味深そうにまじまじと鉤爪を見ていた。
「こんな感じで色々な所から生やせるの。ああそんな事より、向こうではまだ先輩がオランウータンと戦ってるはず……急いで応援に向かわないと」
「おっと、そうだね。……とりあえず君はこれを羽織っておくといい。その格好じゃあ心許ないだろう」
その言葉と共に紫苑の肩にふわりと布がかけられる。見ると、それは花京院の学ランであった。紫苑はありがたくその学ランに袖を通して「ありがとう」と告げる。ボタンをしっかりと上まで閉めると、ほんのりと花京院の香りがした。
「それじゃあ行こう。走れそうかい?」
「うん、平気」
これはこれで違う種類の羞恥心が湧き上がるが……タオル一枚よりかは随分マシだろう。紫苑はそう考え、先に走り出した花京院の後を追った。
紫苑達が承太郎の元へと駆けつけると、壁にはりつけられている承太郎と、船長のような服を着たオランウータンが大きく飛び上がるのが目に入った。すかさず花京院がハイエロファントグリーンを呼び出し、触脚でオランウータンの四肢を拘束する。その隙に紫苑は承太郎の元へと駆け寄り、鉤爪で承太郎に巻き付いているパイプを全て切り裂いた。
「大丈夫ですか先輩」
「ああ、助かったぜ翠川、花京院……さて、そんなふうに拘束されちゃあ満足に動けねーだろうな。よく聞けエテ公、さっき言った通り傷つくのは誇りじゃあねえ。テメーの脳天だ!」
承太郎がそう言うと、スタープラチナが承太郎の学ランのボタンを1つ取り、指先で思い切り弾き飛ばす。ボタンは弾丸と見まごう速さでオランウータンに向かっていき、その脳天を貫いた。
額に大穴を開けたオランウータンは情けない声を上げ、ビクビクと身体を痙攣させる。花京院が拘束を解くと、オランウータンは怯えたように壁に向かって後ずさり、着ていた服のボタンを開けて腹を見せた。
「恐怖した動物は降伏の印として自分の腹を見せるそうだが……許してくれ、ってことかな?」
花京院の言葉に、オランウータンは両手を上げコクコクと頷く。
「フン、しかしテメーは既に動物としてのルールの領域をはみ出した……駄目だね」
承太郎は問答無用で命乞いするオランウータンを切り捨てると、容赦なく無数のラッシュを叩き込んだ。オランウータンは大きく吹き飛ばされ、壁に激突したあとピクリとも動かなくなる。
そうして再起不能になったオランウータンを見て安心したのも束の間、ガコン、という大きな揺れが承太郎達を襲う。更には壁や天井といったありとあらゆるものがグニャリと曲がり始めた。
「ゆ、歪んでいるわ……!この船、ぐにゃぐにゃになってる!」
「おい、たまげるのは後にしな。この船はもう沈むぞ……脱出するぜ、乗ってきたボートでな」
目を見開くアンに対し、承太郎が冷静にそう告げる。
「もしかして、この格好のまま……?」
「着替えてる暇なんて無いぜ。腹を括るんだな」
「うう、そんな……」
「翠川さん、ぼくの事は気にしなくて良いから、そのままぼくの上着を着ておくといいよ」
「ありがとう花京院くん、暫くお借りするね……」
こんな無防備な格好のまま皆の所に行くことが確定し、紫苑は思わず項垂れる。そして2人は着替えることも出来ないまま、承太郎達と共に急いでこの貨物船から脱出したのだった。