エジプトまでの道程編
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ボートに乗り、数時間が経過した。先程まで星が瞬いていた空も今はすっかり日が昇り、太陽が海面をキラキラと照らしている。
水夫達は未だ深く座り込んで寝ている者が多い。紫苑と同じボートに乗っている承太郎やアヴドゥル達は目をつぶって身体を休めてはいるものの、起きてはいるようであった。紫苑もまた先程までアンを抱えながら寝ていたが、不規則な揺れに加えこの狭いボート内ということもあり、あまり熟睡はできず直ぐに起きてしまっていた。それはアンも同じようで、更には緊張しているのか身体を縮こまらせながら紫苑に寄りかかっていた。
「水を飲むといい。救助信号は打ってあるからもうじき助けも来るだろう」
ジョセフがアンに水の入ったボトルを渡す。アンはボトルを受け取ると、少しだけ警戒した表情で承太郎やジョセフ達を見つめる。痛みを治してくれた紫苑には多少心を開いたようだが、それ以外の人物に対してはまだ警戒心が残っているようだ。
少しの間黙っていたアンだったが、しばらくして手元のボトルへと視線を移すと小声で「ありがとう」と言い、ボトルのキャップを開けて水を飲みはじめた。紫苑はそんなアンを抱きかかえながらぼんやりと空を眺める。気がつけばあたりは霧に覆われており、視界が悪くなっていた。ゆらゆらと揺れる白いもやを目で追いつつ、雨とか降らなければいいな、などと思っていると、突然アンが口から水を吹き出した。それに驚いた紫苑は思わずアンを抱えていた手を緩め、周りに座っていた他の人達もアンの方を振り返る。
「こらこら、大切な水じゃぞ。吐き出すやつがあるか」
「み、み……みんみんみん、みんなあれを見て!」
「……?……え!?」
咎めるジョセフを気にもとめず、アンは勢いよく立ちあがるととある一点を指さした。何事かと思った紫苑達がその方向を見てみると、なんと霧の中から巨大な貨物船が現れたのだ。音もなく現れたそれに、紫苑は目を大きく見開いた。
「き、気づかなかった……いつの間にこんなに近くまで来ていたんだ?」
「た、助かったッ!タラップが降りているぞ、救助信号を受けてくれたんだッ!」
船員達が口々に喜びの言葉を発し、ボートをタラップへと近づけていく。そんな中、承太郎だけは険しい表情で貨物船を睨みつけていた。
「承太郎、何を案じておる?まさかこの貨物船にもスタンド使いが乗っているかもしれんと考えておるのか?」
「いいや……タラップが降りているのに、何故誰も顔を覗かせないのかと考えていたのさ」
承太郎の言葉に紫苑もはっとなる。確かに、少し妙だ。こんなに巨大な貨物船なら乗組員もたくさんいるだろうし、何よりいくら霧が濃いとはいえ、こんな近くに船が来るまで誰も気が付かないだなんてあり得るのだろうか。
「ここまで救助に来てくれたんだ、誰も乗ってないわけねーだろーがッ!俺は乗るぜッ!」
ポルナレフはそう言うと我先にとタラップへ飛び乗り、自信満々に登っていく。小さくなっていくポルナレフの背を尻目に、紫苑達は顔を見合わせた。
「……どうする?」
「言われてみれば確かに怪しいですけど……彼一人を置いていくのもどうかと」
「……やれやれだぜ」
お互い目配せしあって意見を伺うが、もう既にポルナレフは貨物船へと一人乗り込んでいるのだ。置いていく訳にもいくまい。皆仕方がないといった様子でため息を吐くと、重たい腰を上げポルナレフを追うようにして順番にタラップへと飛び移り始めた。
「翠川さん、危ないですから……手を」
「ありがとうございます」
先にタラップへと飛び移っていた花京院が、転ばないようにと紫苑に向かって手を差し伸べてくる。申し訳ないので一瞬断ろうかとも思ったが、好意を無駄にするのも良くないし、何より紫苑にはタイガーバームガーデンで足をもつれさせて転びかけた前科もある。ボートも不規則に揺れており、下手したら海へ転落する可能性だって捨てきれなかったので、ここは素直にお言葉に甘えようと花京院の手を取った。ぐい、と程よい力加減で引き寄せられ、紫苑は難なくタラップへと飛び移る。揺れるタラップの上でバランスを取りながら、改めてもう一度お礼を言おうと顔を上げる紫苑。しかし花京院は紫苑が無事に移動できたのを確認すると、お礼を言う暇も無くすぐに手を離してさっさと甲板の方へと上がっていってしまった。少しだけ伸ばされた手は空を切り、行き場を失う。
……やはり紫苑が女性だということもあるのだろうか、花京院の紫苑に対する態度が他のメンバーとは少しだけ異なっている事に紫苑は薄々感づいていた。紫苑としては気にかけてくれるのは嬉しいのだが、今回の行動を含めこれはどちらかというと『仲間』としてというよりも『庇護対象』として見られているような気がするのだ。攻撃能力が無いとはいえ、自分の身くらい自分で守れるのに。紫苑は何だか戦力外通告を受けたような気持ちになり、少し寂しさを覚えたのだった。
遠くなっていく花京院の背中を見て声をかけるのは諦め、伸ばしていた腕をゆっくりと下ろす。そんなことより自分よりもアンの方が飛び移るのに苦労するのでは、と思った紫苑が後ろを振り向くと、丁度承太郎がアンに手を貸そうとしているところだった。しかしアンは差し出された手を見てしばし考え込んだあと、承太郎の隣に立っていたジョセフの方目掛けて飛び移る。そして承太郎に向かって舌を出すアンと、やれやれだぜと言いながら肩をすくめる承太郎を見て、随分嫌われたものだな、と紫苑は苦笑した。
甲板へと上がり、皆で手分けしてあたりを散策する。途中、ジョセフが見つけた操舵室へ皆で入ってみると、そこでは誰一人いないにも関わらず、舵や計器がひとりでに動いていた。
「何だこの船は、誰もおらんぞッ!それなのに見ろ、計器や機械類はどれも正常に作動している!」
「全員下痢気味で便所にでも入ってるんじゃあねーの?」
「おいッ!誰か居ないのか!!」
ポルナレフのふざけた発言を無視しつつジョセフが大声を出して周囲に呼びかけるものの、反応は見られない。それを後ろから見ていた紫苑が何だか不気味だなと思いつつ腕を擦っていると、突然クイクイッと誰かに袖を引っ張られる感触がした。
「……ん、アンちゃん。どうしたの?」
「ねぇ、ちょっとこっちの船室に来てみてよ」
紫苑の袖を引っ張っていた犯人はアンだった。アンは不安げに紫苑を見つめ、ある一つのドアを指差しながらグイグイと紫苑の手を引っ張っていく。そしてそのまま不用心に中に入ろうとするアンを紫苑はさり気なく制すると、自分が先陣を切り、あたりを警戒しながら重たい鉄の扉を押し開いて中へと入った。
「……檻がある、だけ?」
「檻の中を見てみて。猿がいるのよ」
「猿?」
入ってすぐは暗くてよく見えなかったが、アンに言われ檻に近づいてみると確かに中に猿が入っているのがわかる。比較的おとなしい性格なのか、猿は突然部屋の中に入ってきた紫苑達を見ても全く動揺せず、格子を掴みながらジッと座り込んでいた。
それにしても、どうして人の気配が全く無いこの船に猿がいるのだろうか。紫苑はこの違和感のある光景に不信感を覚え、檻の目の前で立ち止まって考え込む。やはりこの船、何か気味が悪いというか……どこかおかしいような気がしてならない。
「お、いたいた。おーいジョースターさん、紫苑達を見つけたぜ」
そうやって紫苑が思考の海に意識を飛ばしていると、突如背後からポルナレフの声が聞こえて思考を中断させられる。振り向くと、ポルナレフが開いた扉に腕をかけながら立っており、その後ろからジョセフがひょっこりと顔を覗かせていた。
「お前達、こんなところに居たのか。勝手にいなくなるのはよせ」
「あ、すみません、ジョースターさん……」
ジョセフが顔を顰めながら部屋の中に入り、紫苑達を咎める。その後ろから花京院や承太郎も現れ、彼らもまたジョセフに続いて中に入って来た。どうやら急に姿を消した紫苑達を、探索のついでに皆で手分けして探していたらしい。心配をかけてしまったなと思った紫苑はジョセフの方に駆け寄り素直に謝った。
「ここに何かあったんですか?」
「アンちゃんが檻に入った猿を見つけたんです。ほら、あそこに」
不思議そうな表情の花京院に対し、紫苑は部屋の檻を指さして答える。花京院は指された方をまじまじと見ると、顎に手を当てながら考え込み「あれは……オランウータンか」と呟いた。
「猿なんぞどうでもいい!こいつに餌をやってる奴を手分けして探すぞ」
ジョセフはちらりとオランウータンを見たものの、興味がないとでも言うようにそう叫ぶとくるりとUターンし、そのままスタスタと船室を出ていってしまう。それに続いて承太郎達も部屋を出ていってしまったので、紫苑もいつまでもここに居ても仕方がないと思い、アンの手を引きながら船室を後にした。
甲板に戻ると、アヴドゥルと数名の水夫達が船首の方に設置されている機器をチェックしていた。その背後には大きなクレーンがあり、そこから吊り下げられたフックがゆらゆらと揺れている。ジョセフはそのフックを見てふと疑問に思った。何故そんなに風が吹いていないのにも関わらず重量のあるフックが揺れているのかと。不審に思ったジョセフがそのまま見つめていると、フックの揺れは次第に大きくなっていく。これは何かがおかしいと口を開こうとした瞬間、フックを吊り下げているクレーンがひとりでに動き出し、とある一人の水夫へと向かっていった。
「アヴドゥル!その水夫が危ないッ!」
ジョセフが慌てて大声を上げたものの、フックは容赦なく水夫の脳天を後ろから貫き、バリバリと不快な音をたてながら水夫は無惨な姿となって宙に釣り上げられた。
「……ッ!」
「きゃあああッッッ!!」
「やれやれ……こういう歓迎のあいさつは女の子にはきつすぎるぜ」
悲鳴を上げるアンの目元を、承太郎がそっと手のひらで覆う。紫苑も悲鳴こそ上げなかったが、その見るに堪えない光景にヒュッと息を呑んだ。
「だ、誰もあの操作レバーに触っていないのに、クレーンが勝手に動くのを俺は見たッ!ひ、ひとりでにあのクレーンはあいつを刺し殺したんだッ!」
周りにいた他の水夫の一人がクレーンを指さしながらそう叫ぶ。その言葉で、あたりに動揺が広まっていく。
「気をつけろ!やはり何処かに居るぞッ……おい、機械類や動いたりするものには一切触るんじゃあない!命が惜しければ全員わしの命令に従ってもらう!良いと言うまで全員下の船室内にて動くな!」
水夫達は動揺を隠せないままであったが、彼らも身の危険を感じたのだろう、少し不満気な顔をしつつも素直にジョセフに従い地下の船室へと向かっていく。一方、アンは紫苑の手をギュッと掴んでここから離れたく無さそうにしていた。
「アンちゃん」
「……」
紫苑がアンの名を呼ぶと、アンは紫苑の手だけで無く制服の裾を掴み、絶対に離れないからといった強い意志をあらわにする。
しかし紫苑達はこれからこの船の何処かに居るスタンド使いを見つけなければならない。このまま一緒に居るとかえって危険に晒してしまうだろう。心苦しく思いながら紫苑が「危ないからアンちゃんも彼らと一緒に行っておいで」と言うものの、アンはむっつりとした表情のまま紫苑の手を離そうとはしなかった。困り果てた紫苑は眉を下げながらジョセフの方を見て、どうしましょうか、と目線だけで訴える。
「やれやれ、仕方がない。紫苑、君も彼女と一緒に居なさい」
そんなアンの頑固な様子を見たジョセフはため息をつくと、渋々といった様子で紫苑にアンに付き添うよう命じる。そしてアンの前まで来てしゃがみこむと、未だ不安げな顔のアンと視線を合わせながら柔らかな笑みを浮かべた。
「君に対して一つだけ真実がある。我々は君の味方だ……彼女と一緒に皆の所にいなさい。いいな」
ジョセフの言葉に、アンは瞳を揺らす。そして素直に一言「うん」と零すと、紫苑の手を引っ張るようにして船室へと駆け出した。
紫苑とアンは手を繋ぎながら、数々の扉が立ち並ぶ廊下を通り、操舵室を抜けて奥へと進んでいく。そして先程オランウータンが居た部屋を通り過ぎようとした時、檻の方からガチャガチャという金属音が聞こえ、二人は思わず立ち止まった。見ると、オランウータンが片手で格子を掴んで揺らしており、もう片方の手は折の上にある錠前を指さしていた。
「錠を開けてくれっていうの?」
アンの問いに、オランウータンは肯定するかのようにウホ、と一鳴きした。
「だめよ……キーがどこかわからないし、あんた大きいもの」
「……人間の言葉がわかるんだね」
意思疎通が取れている状況を見た紫苑は、オランウータンから視線を睨みつけるようにしながら警戒心を強める。いくらオランウータンがヒトに近く、知能の高い動物であるとはいえ、ここまで言葉を理解し、それに対して適切な返答ができるとなると、人間によって躾けられている可能性が高い。もしかしたらここに潜んでいるスタンド使いに飼われている動物かもしれないのだ。
そんな警戒心が伝わったのか、オランウータンはどこからともなく半分に切られたりんごを差し出してくる。
「りんごくれるの?……でもおかしいわ。このりんご、ナイフで切ってある」
「それに切り口がまだ変色してない。つまりこれはついさっき切ったばかりって事……」
差し出されたりんごの状態から、ますますこの船に人が居る可能性が高くなってきた。アンもそう感じたのか、オランウータンの前にしゃがみこみ更に質問を重ねる。
「ねぇ……やっぱりこの船、誰か乗ってるのね?あんたがエサをもらう人、どこにいるか知ってる?」
そう言ってアンと紫苑が周囲を見渡してオランウータンから視線を外した瞬間、檻の中からボッという音が聞こえた。驚いて視線を戻すと、どこから取り出したのかオランウータンはマッチに火をつけており、更には口にタバコをくわえ、先端に火をつけて正しくタバコを吸っていた。
「あ、あんた……随分頭のいい猿なのね」
「……」
流石のアンも気味が悪いと感じたのか、体を後ろに引いていた。紫苑もアンと同じように一歩後ろに後ずさる。
オランウータンはそんな二人を気にも留めず、背後からとある雑誌――いわゆる成人向けの、際どい格好をした女性が載っている雑誌を取り出すと、だらしなく寝そべりながらそれらを眺め始めたのだ。
「な、なにこの猿……!」
「猿のあんたが人間の女の子のピンナップ見て……面白いの……?」
紫苑はオランウータンの行動にドン引きし、思い切り顔をしかめる。するとオランウータンは持っていた雑誌から目線を上げると、紫苑達の事をじっとりと見つめ、ニヤリと笑った。その視線に気がついた紫苑はゾワリ、と背筋に寒気が走った。
「おい!気をつけろ!」
「!」
自分達を性的な目で見つめるオランウータンに嫌気が差した紫苑が、そろそろここを出よう、とアンに言おうとした途端、背後から男性の声が聞こえてきた。振り向くと、紫苑達が入ってきた扉とは別の扉の所に、先に船室へと向かっていた2人の水夫がいた。
「オランウータンは人間の5倍くらいの力があるって言うからな。腕くらい簡単に引きちぎられるぞ」
「さぁ、向こうの部屋で我々と一緒にいるのだ。女子供だけで行動するな」
そう言って水夫は紫苑達の背中を押し、奥の船室へと誘導する。紫苑がちらりと後ろを振り返ると、オランウータンは既に紫苑達から視線を外しており、ただ静かに雑誌のページを捲っていた。
確証があったり、また明確に危害を加えられた訳でもないが、紫苑はそんなオランウータンに対し何か引っかかるものを感じていた。このオランウータンがやけに人間臭い行動をとったのを見た途端、漠然と『コイツはただの猿じゃあない』という考えが頭をよぎったのだ。しかしこんな根拠のない考えを他人に話しても、あまり信じては貰えないだろう。伝えたとしても、考えすぎじゃあないか、と言われてしまうのがオチだ。色々考えてみたが結局どうすれば良いのかわからず、紫苑はモヤモヤとした感情を抱えたまま、水夫に連れられるようにしてこの部屋を後にしたのだった。
水夫達は未だ深く座り込んで寝ている者が多い。紫苑と同じボートに乗っている承太郎やアヴドゥル達は目をつぶって身体を休めてはいるものの、起きてはいるようであった。紫苑もまた先程までアンを抱えながら寝ていたが、不規則な揺れに加えこの狭いボート内ということもあり、あまり熟睡はできず直ぐに起きてしまっていた。それはアンも同じようで、更には緊張しているのか身体を縮こまらせながら紫苑に寄りかかっていた。
「水を飲むといい。救助信号は打ってあるからもうじき助けも来るだろう」
ジョセフがアンに水の入ったボトルを渡す。アンはボトルを受け取ると、少しだけ警戒した表情で承太郎やジョセフ達を見つめる。痛みを治してくれた紫苑には多少心を開いたようだが、それ以外の人物に対してはまだ警戒心が残っているようだ。
少しの間黙っていたアンだったが、しばらくして手元のボトルへと視線を移すと小声で「ありがとう」と言い、ボトルのキャップを開けて水を飲みはじめた。紫苑はそんなアンを抱きかかえながらぼんやりと空を眺める。気がつけばあたりは霧に覆われており、視界が悪くなっていた。ゆらゆらと揺れる白いもやを目で追いつつ、雨とか降らなければいいな、などと思っていると、突然アンが口から水を吹き出した。それに驚いた紫苑は思わずアンを抱えていた手を緩め、周りに座っていた他の人達もアンの方を振り返る。
「こらこら、大切な水じゃぞ。吐き出すやつがあるか」
「み、み……みんみんみん、みんなあれを見て!」
「……?……え!?」
咎めるジョセフを気にもとめず、アンは勢いよく立ちあがるととある一点を指さした。何事かと思った紫苑達がその方向を見てみると、なんと霧の中から巨大な貨物船が現れたのだ。音もなく現れたそれに、紫苑は目を大きく見開いた。
「き、気づかなかった……いつの間にこんなに近くまで来ていたんだ?」
「た、助かったッ!タラップが降りているぞ、救助信号を受けてくれたんだッ!」
船員達が口々に喜びの言葉を発し、ボートをタラップへと近づけていく。そんな中、承太郎だけは険しい表情で貨物船を睨みつけていた。
「承太郎、何を案じておる?まさかこの貨物船にもスタンド使いが乗っているかもしれんと考えておるのか?」
「いいや……タラップが降りているのに、何故誰も顔を覗かせないのかと考えていたのさ」
承太郎の言葉に紫苑もはっとなる。確かに、少し妙だ。こんなに巨大な貨物船なら乗組員もたくさんいるだろうし、何よりいくら霧が濃いとはいえ、こんな近くに船が来るまで誰も気が付かないだなんてあり得るのだろうか。
「ここまで救助に来てくれたんだ、誰も乗ってないわけねーだろーがッ!俺は乗るぜッ!」
ポルナレフはそう言うと我先にとタラップへ飛び乗り、自信満々に登っていく。小さくなっていくポルナレフの背を尻目に、紫苑達は顔を見合わせた。
「……どうする?」
「言われてみれば確かに怪しいですけど……彼一人を置いていくのもどうかと」
「……やれやれだぜ」
お互い目配せしあって意見を伺うが、もう既にポルナレフは貨物船へと一人乗り込んでいるのだ。置いていく訳にもいくまい。皆仕方がないといった様子でため息を吐くと、重たい腰を上げポルナレフを追うようにして順番にタラップへと飛び移り始めた。
「翠川さん、危ないですから……手を」
「ありがとうございます」
先にタラップへと飛び移っていた花京院が、転ばないようにと紫苑に向かって手を差し伸べてくる。申し訳ないので一瞬断ろうかとも思ったが、好意を無駄にするのも良くないし、何より紫苑にはタイガーバームガーデンで足をもつれさせて転びかけた前科もある。ボートも不規則に揺れており、下手したら海へ転落する可能性だって捨てきれなかったので、ここは素直にお言葉に甘えようと花京院の手を取った。ぐい、と程よい力加減で引き寄せられ、紫苑は難なくタラップへと飛び移る。揺れるタラップの上でバランスを取りながら、改めてもう一度お礼を言おうと顔を上げる紫苑。しかし花京院は紫苑が無事に移動できたのを確認すると、お礼を言う暇も無くすぐに手を離してさっさと甲板の方へと上がっていってしまった。少しだけ伸ばされた手は空を切り、行き場を失う。
……やはり紫苑が女性だということもあるのだろうか、花京院の紫苑に対する態度が他のメンバーとは少しだけ異なっている事に紫苑は薄々感づいていた。紫苑としては気にかけてくれるのは嬉しいのだが、今回の行動を含めこれはどちらかというと『仲間』としてというよりも『庇護対象』として見られているような気がするのだ。攻撃能力が無いとはいえ、自分の身くらい自分で守れるのに。紫苑は何だか戦力外通告を受けたような気持ちになり、少し寂しさを覚えたのだった。
遠くなっていく花京院の背中を見て声をかけるのは諦め、伸ばしていた腕をゆっくりと下ろす。そんなことより自分よりもアンの方が飛び移るのに苦労するのでは、と思った紫苑が後ろを振り向くと、丁度承太郎がアンに手を貸そうとしているところだった。しかしアンは差し出された手を見てしばし考え込んだあと、承太郎の隣に立っていたジョセフの方目掛けて飛び移る。そして承太郎に向かって舌を出すアンと、やれやれだぜと言いながら肩をすくめる承太郎を見て、随分嫌われたものだな、と紫苑は苦笑した。
甲板へと上がり、皆で手分けしてあたりを散策する。途中、ジョセフが見つけた操舵室へ皆で入ってみると、そこでは誰一人いないにも関わらず、舵や計器がひとりでに動いていた。
「何だこの船は、誰もおらんぞッ!それなのに見ろ、計器や機械類はどれも正常に作動している!」
「全員下痢気味で便所にでも入ってるんじゃあねーの?」
「おいッ!誰か居ないのか!!」
ポルナレフのふざけた発言を無視しつつジョセフが大声を出して周囲に呼びかけるものの、反応は見られない。それを後ろから見ていた紫苑が何だか不気味だなと思いつつ腕を擦っていると、突然クイクイッと誰かに袖を引っ張られる感触がした。
「……ん、アンちゃん。どうしたの?」
「ねぇ、ちょっとこっちの船室に来てみてよ」
紫苑の袖を引っ張っていた犯人はアンだった。アンは不安げに紫苑を見つめ、ある一つのドアを指差しながらグイグイと紫苑の手を引っ張っていく。そしてそのまま不用心に中に入ろうとするアンを紫苑はさり気なく制すると、自分が先陣を切り、あたりを警戒しながら重たい鉄の扉を押し開いて中へと入った。
「……檻がある、だけ?」
「檻の中を見てみて。猿がいるのよ」
「猿?」
入ってすぐは暗くてよく見えなかったが、アンに言われ檻に近づいてみると確かに中に猿が入っているのがわかる。比較的おとなしい性格なのか、猿は突然部屋の中に入ってきた紫苑達を見ても全く動揺せず、格子を掴みながらジッと座り込んでいた。
それにしても、どうして人の気配が全く無いこの船に猿がいるのだろうか。紫苑はこの違和感のある光景に不信感を覚え、檻の目の前で立ち止まって考え込む。やはりこの船、何か気味が悪いというか……どこかおかしいような気がしてならない。
「お、いたいた。おーいジョースターさん、紫苑達を見つけたぜ」
そうやって紫苑が思考の海に意識を飛ばしていると、突如背後からポルナレフの声が聞こえて思考を中断させられる。振り向くと、ポルナレフが開いた扉に腕をかけながら立っており、その後ろからジョセフがひょっこりと顔を覗かせていた。
「お前達、こんなところに居たのか。勝手にいなくなるのはよせ」
「あ、すみません、ジョースターさん……」
ジョセフが顔を顰めながら部屋の中に入り、紫苑達を咎める。その後ろから花京院や承太郎も現れ、彼らもまたジョセフに続いて中に入って来た。どうやら急に姿を消した紫苑達を、探索のついでに皆で手分けして探していたらしい。心配をかけてしまったなと思った紫苑はジョセフの方に駆け寄り素直に謝った。
「ここに何かあったんですか?」
「アンちゃんが檻に入った猿を見つけたんです。ほら、あそこに」
不思議そうな表情の花京院に対し、紫苑は部屋の檻を指さして答える。花京院は指された方をまじまじと見ると、顎に手を当てながら考え込み「あれは……オランウータンか」と呟いた。
「猿なんぞどうでもいい!こいつに餌をやってる奴を手分けして探すぞ」
ジョセフはちらりとオランウータンを見たものの、興味がないとでも言うようにそう叫ぶとくるりとUターンし、そのままスタスタと船室を出ていってしまう。それに続いて承太郎達も部屋を出ていってしまったので、紫苑もいつまでもここに居ても仕方がないと思い、アンの手を引きながら船室を後にした。
甲板に戻ると、アヴドゥルと数名の水夫達が船首の方に設置されている機器をチェックしていた。その背後には大きなクレーンがあり、そこから吊り下げられたフックがゆらゆらと揺れている。ジョセフはそのフックを見てふと疑問に思った。何故そんなに風が吹いていないのにも関わらず重量のあるフックが揺れているのかと。不審に思ったジョセフがそのまま見つめていると、フックの揺れは次第に大きくなっていく。これは何かがおかしいと口を開こうとした瞬間、フックを吊り下げているクレーンがひとりでに動き出し、とある一人の水夫へと向かっていった。
「アヴドゥル!その水夫が危ないッ!」
ジョセフが慌てて大声を上げたものの、フックは容赦なく水夫の脳天を後ろから貫き、バリバリと不快な音をたてながら水夫は無惨な姿となって宙に釣り上げられた。
「……ッ!」
「きゃあああッッッ!!」
「やれやれ……こういう歓迎のあいさつは女の子にはきつすぎるぜ」
悲鳴を上げるアンの目元を、承太郎がそっと手のひらで覆う。紫苑も悲鳴こそ上げなかったが、その見るに堪えない光景にヒュッと息を呑んだ。
「だ、誰もあの操作レバーに触っていないのに、クレーンが勝手に動くのを俺は見たッ!ひ、ひとりでにあのクレーンはあいつを刺し殺したんだッ!」
周りにいた他の水夫の一人がクレーンを指さしながらそう叫ぶ。その言葉で、あたりに動揺が広まっていく。
「気をつけろ!やはり何処かに居るぞッ……おい、機械類や動いたりするものには一切触るんじゃあない!命が惜しければ全員わしの命令に従ってもらう!良いと言うまで全員下の船室内にて動くな!」
水夫達は動揺を隠せないままであったが、彼らも身の危険を感じたのだろう、少し不満気な顔をしつつも素直にジョセフに従い地下の船室へと向かっていく。一方、アンは紫苑の手をギュッと掴んでここから離れたく無さそうにしていた。
「アンちゃん」
「……」
紫苑がアンの名を呼ぶと、アンは紫苑の手だけで無く制服の裾を掴み、絶対に離れないからといった強い意志をあらわにする。
しかし紫苑達はこれからこの船の何処かに居るスタンド使いを見つけなければならない。このまま一緒に居るとかえって危険に晒してしまうだろう。心苦しく思いながら紫苑が「危ないからアンちゃんも彼らと一緒に行っておいで」と言うものの、アンはむっつりとした表情のまま紫苑の手を離そうとはしなかった。困り果てた紫苑は眉を下げながらジョセフの方を見て、どうしましょうか、と目線だけで訴える。
「やれやれ、仕方がない。紫苑、君も彼女と一緒に居なさい」
そんなアンの頑固な様子を見たジョセフはため息をつくと、渋々といった様子で紫苑にアンに付き添うよう命じる。そしてアンの前まで来てしゃがみこむと、未だ不安げな顔のアンと視線を合わせながら柔らかな笑みを浮かべた。
「君に対して一つだけ真実がある。我々は君の味方だ……彼女と一緒に皆の所にいなさい。いいな」
ジョセフの言葉に、アンは瞳を揺らす。そして素直に一言「うん」と零すと、紫苑の手を引っ張るようにして船室へと駆け出した。
紫苑とアンは手を繋ぎながら、数々の扉が立ち並ぶ廊下を通り、操舵室を抜けて奥へと進んでいく。そして先程オランウータンが居た部屋を通り過ぎようとした時、檻の方からガチャガチャという金属音が聞こえ、二人は思わず立ち止まった。見ると、オランウータンが片手で格子を掴んで揺らしており、もう片方の手は折の上にある錠前を指さしていた。
「錠を開けてくれっていうの?」
アンの問いに、オランウータンは肯定するかのようにウホ、と一鳴きした。
「だめよ……キーがどこかわからないし、あんた大きいもの」
「……人間の言葉がわかるんだね」
意思疎通が取れている状況を見た紫苑は、オランウータンから視線を睨みつけるようにしながら警戒心を強める。いくらオランウータンがヒトに近く、知能の高い動物であるとはいえ、ここまで言葉を理解し、それに対して適切な返答ができるとなると、人間によって躾けられている可能性が高い。もしかしたらここに潜んでいるスタンド使いに飼われている動物かもしれないのだ。
そんな警戒心が伝わったのか、オランウータンはどこからともなく半分に切られたりんごを差し出してくる。
「りんごくれるの?……でもおかしいわ。このりんご、ナイフで切ってある」
「それに切り口がまだ変色してない。つまりこれはついさっき切ったばかりって事……」
差し出されたりんごの状態から、ますますこの船に人が居る可能性が高くなってきた。アンもそう感じたのか、オランウータンの前にしゃがみこみ更に質問を重ねる。
「ねぇ……やっぱりこの船、誰か乗ってるのね?あんたがエサをもらう人、どこにいるか知ってる?」
そう言ってアンと紫苑が周囲を見渡してオランウータンから視線を外した瞬間、檻の中からボッという音が聞こえた。驚いて視線を戻すと、どこから取り出したのかオランウータンはマッチに火をつけており、更には口にタバコをくわえ、先端に火をつけて正しくタバコを吸っていた。
「あ、あんた……随分頭のいい猿なのね」
「……」
流石のアンも気味が悪いと感じたのか、体を後ろに引いていた。紫苑もアンと同じように一歩後ろに後ずさる。
オランウータンはそんな二人を気にも留めず、背後からとある雑誌――いわゆる成人向けの、際どい格好をした女性が載っている雑誌を取り出すと、だらしなく寝そべりながらそれらを眺め始めたのだ。
「な、なにこの猿……!」
「猿のあんたが人間の女の子のピンナップ見て……面白いの……?」
紫苑はオランウータンの行動にドン引きし、思い切り顔をしかめる。するとオランウータンは持っていた雑誌から目線を上げると、紫苑達の事をじっとりと見つめ、ニヤリと笑った。その視線に気がついた紫苑はゾワリ、と背筋に寒気が走った。
「おい!気をつけろ!」
「!」
自分達を性的な目で見つめるオランウータンに嫌気が差した紫苑が、そろそろここを出よう、とアンに言おうとした途端、背後から男性の声が聞こえてきた。振り向くと、紫苑達が入ってきた扉とは別の扉の所に、先に船室へと向かっていた2人の水夫がいた。
「オランウータンは人間の5倍くらいの力があるって言うからな。腕くらい簡単に引きちぎられるぞ」
「さぁ、向こうの部屋で我々と一緒にいるのだ。女子供だけで行動するな」
そう言って水夫は紫苑達の背中を押し、奥の船室へと誘導する。紫苑がちらりと後ろを振り返ると、オランウータンは既に紫苑達から視線を外しており、ただ静かに雑誌のページを捲っていた。
確証があったり、また明確に危害を加えられた訳でもないが、紫苑はそんなオランウータンに対し何か引っかかるものを感じていた。このオランウータンがやけに人間臭い行動をとったのを見た途端、漠然と『コイツはただの猿じゃあない』という考えが頭をよぎったのだ。しかしこんな根拠のない考えを他人に話しても、あまり信じては貰えないだろう。伝えたとしても、考えすぎじゃあないか、と言われてしまうのがオチだ。色々考えてみたが結局どうすれば良いのかわからず、紫苑はモヤモヤとした感情を抱えたまま、水夫に連れられるようにしてこの部屋を後にしたのだった。