オーレリア戦記
夢小説設定
この小説の夢小説設定二人組シンガーソングライターユニット「こんばらりあ」
マネージャー→東海林(40代男性)、木野(20代女性歳下)
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翌日。みすはテレビ局の楽屋で昨日の展示を観ながら書いたメモと作詞用のノートを並べていた。
よいインスピレーションをくれた熱帯魚やクラゲを思い出しながらノートに詞を紡いでいく。彼らとともに脳裏をよぎる存在は今は思い出していない振りをした。そのはずなのに、じわじわと頭を占めていくその人に甘く苦しめられている自分に気がつく。普段と変わらないはずなのに少し違って見えた出で立ち、見慣れない黒いマスク、悪戯っぽく自分の名前を呼ぶ声、手を添えさせられた腕、自分を愛おしげに見つめる涼しげな目元。みすはううん、と小さく唸った。違う、書きたいのはそれではなく。
結局埒が明かなくなり、作詞作業を中断し喫煙所へ向かった。その道中でも昨日のことが頭から離れない。彼が——松永が好きなのは自分の顔であって、自分じゃない。その認識は今も変わらないはずなのに、昨日の松永の気遣いや言葉、視線が、感じ取った自分の心が、それを否定しているような気がした。
先ほどの潔との会話を思い出す。
——で、どうだったの。昨日は
——水族館行ったんだけどね。展示がすごく現代的で、魚も映像も照明も綺麗で……特にクラゲがよかったなあ
——ふーん……楽しかったんだ
まったく相方は、こちらの捉えなくていい心情まで如実に捉えてくる。そこが彼女の尊敬すべき点ではあるのだが。
確かに潔の言うとおり、楽しかった。美しい展示も、初めて二人で交わしたまともな会話も。
考えておくとは言ったけど、もう一回くらい行ってもいいかな。などと考えたところで、廊下の先にその本人がいることに気がつく。とりあえず挨拶と昨日のお礼を言おうと一歩踏み出した瞬間、彼の声と一緒に甘く鼻にかかった声が聞こえた。
「ずっと好きだったんです! 共演できて嬉しい」
「マジで? 嬉しいな。ありがとうございます」
相手は今日、自分や松永と共演する女性アイドルグループのメンバーのようだった。松永の言葉に対して嬉しそうに跳ねる彼女に合わせて、鳶色のセミロングが揺れる。フリルから伸びる白く滑らかな腕が松永の腕に絡みつく。
「松永さん、今度一緒にご飯行きません?」
「あ〜いいっすね」
みすは喫煙所に行こうとしていたことも忘れ、踵を返しその場を立ち去った。
彼女の整った大きい胸元が松永の腕に密着したところで、もう限界だった。何より松永が満更でもなさそうに彼女に笑顔を向けていることが、それに対して嫉妬という感情が自分の身を焦がしている事実が悔しくて、虚しくて、悲しくて仕方がない。なぜそう思うのかなど考える余裕もなく、楽屋までの道を早足で引き返した。
一方松永は擦り寄ってくる彼女に対してにこやかに接しつつ、内心面倒に思っていた。今日はせっかくこんばらりあと共演するのだから、みすに会いに行きたい。まだ言葉を交わしていなければ、顔すら見られていないのだ。たとえ昨日の今日でも、彼女に会いに行けるこの短い空き時間を1分1秒でも無駄にしたくない。
「やった! じゃあ連絡先交換しません?」
「あー……スマホ楽屋に置いてきちゃって、今持ってないんですよね」
この話をどう躱そうかと目を逸らした先に大好きな後ろ姿が早足で歩いていくのが見えた。じゃあまたあとで、とまだ話したげな彼女を残して松永はその背中に駆け寄る。昨日のお礼をまた言いたい。あわよくば次の約束を取り付けたい。
「みすさん」
だが、みすは松永の声に一瞬足を止め、冷たい視線で彼を一瞥してすぐに歩き出した。
「みすさん?」
普通の挨拶も、お決まりの不機嫌そうな「げ」という声もなくその場を去ろうとするみすを追いかける。昨日別れてから今まで言葉を交わしていないはずなのに、どうして今彼女は自分に対して冷ややかな態度をとるのか皆目見当もつかない。
「みすさん待って。……ねえ、待てって」
先ほどまで白く滑らかな腕が絡みついていた松永の手が自分の腕をつかむ。振りほどこうにも男性の力に適うわけもなく、みすはやっと足を止めた。
「なんで逃げんの。俺なんかした?」
「……なんでこっち来るんですか。あの可愛い子とお喋りしてればいいのに」
自分の口から言いたくもない言葉が零れる。彼女と楽しそうに話す松永の姿を見て柄にもなく怒る自分も、松永が彼女ではなく自分のもとへ来てくれたことに対して嬉しいと思ってしまった自分も、何もかもが嫌だった。
「俺はみすさんと喋りたい」
「なんなんですか、なんで私なんですか……」
「好きだから。みすさんは、俺のことどう思ってんの。なんでそんな顔すんの」
そしてこの期に及んで、松永は自分が心の奥底で何より欲しがっていた言葉を口にしてくるのだ。
彼の指す「そんな顔」がどのような表情なのかがわからないほど、みすは鈍感ではない。しつこいほどに自分を恋う松永に、知らず知らずのうちに自分も恋をしていたことがわかってしまったみすは、真っ直ぐ自分を見つめる松永から目を逸らす。
「……待って。言いたく、ないです」
「待たない。言って」
「いや……ごめんなさい」
結局最後まで素直になることなどできず、緩んだ松永の手を今度こそ振りほどき一目散に駆ける。楽屋に飛び込み乱暴にドアを閉めた瞬間、急に戻ってきたみすにびっくりした様子で潔が駆け寄ってきた。
「みす!? どうした、喫煙所行ったんじゃなかったの?」
みすは堪らなくなってその場に座り込んだ。聞き慣れた相棒の声が自分を悪い夢から連れ戻してくれたような心地がして涙が出そうになる。
「みす……?」
「……もうやだ。なんなの……」
今にも泣き出しそうなみすの苦しげな呻きに、潔は声をかけてやることもできず黙って彼女の丸まった背中をさすった。
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目が覚める。枕元の携帯電話に目をやると、アラームをセットした時間よりも5分ほど早かった。
アラームを解除してのそのそと起き上がる。今日も通知はない。数週間前までうんざりするほどにこれを鳴らしていた松永からの連絡は、あの日みすが彼から逃げ出した瞬間から途切れた。連絡だけではない。事務所での鉢合わせも、喫煙所での待ち伏せも、ばったり顔を合わせれば寄る、逃げるの攻防も。すべてがあの日からぱったりなくなり、代わりにぎこちない挨拶を交わすだけになった。
清々する。清々するはずなのに、胸に埋まらない穴が空いてしまったような心地だ。みすはそれを隠すようにそっと自分の胸元に手を添えてから、仕事へ向かうべく準備を始めた。
心情と表情が直結していると言えるほど思っていることが顔に出やすい彼女だが、仕事の場ではそれを見事に隠し普段どおりの“こんばらりあのみす”を演じている。その奥に垣間見える彼女に気がつけるのは相方である潔ただ一人だ。
潔は潔で、みすに対してのみ現れる松永の奇行が見られなくなってしまったことをつまらなく思いつつ、あの日以降不自然なほどにいつもどおり振る舞うみすを心配していた。
「みす、松永さんと何があったん?」
「……べつに何もないよ。言ったでしょ、あの人は私の顔しか見てないって。本当にそうだったってだけ」
「本当に今でもそう思ってんの?」
本当に、この相方はこちらが察して欲しくない心まで察してくるから困りものである。いや、私が隠すの下手くそなだけか。みすは潔の顔を一瞥し、ため息をついた。
彼女の言うとおり、今は松永が自分の顔だけに執着していたなどと思っていない。だがそんな彼の想いから逃げたのは紛れもない自分である。きっと自分のことなどもう忘れ、あの日彼に擦り寄っていた可愛い彼女と宜しくやっていることだろう。自分の行き場のない想いを隠して慰めるのに、先のような悪態をつく以外に逃げ道がないだけだ。
「……もう、遅いの。いいのよ、もう終わったことなんだから。それより潔、この間渡した詞のトラックの進捗はどんな感じ?」
「あっ……いや、えっと……Aメロまでは書いた」
「進んでないってことね」
「そうとも言う」
今しがたの話など忘れたように慌て始める潔を見て、みすも忘れるように笑った。
草木も眠る夏の丑三つ時。みすは自宅の作業部屋で制作の続きに取りかかるべく作詞用のノートを開いた。作りかけの数曲からどれを進めようか吟味しているところで、その内の1ページに目が留まる。水やクラゲを想起させる単語が羅列したそれは、あの日から1行も進んでいない彼と行った水族館に棲まう生き物たちからインスピレーションを受け書こうとした詞の残骸だった。読み返せば水中を優雅に踊る彼らと、それを一緒に見つめる彼を思い出す。
あの日、逃げずに素直になれていたら、ちゃんと想いを伝えていたなら、自分は今松永の隣にいられただろうか。また彼の腕に手を添えることができただろうか。彼の愛に包まれ、自分も同等の愛を返せていただろうか。もうどんなに想っても取り戻せないことはわかっている。後悔もしている。それでも、彼のストーカーのようなアプローチも、最初で最後のデートも、思っていたよりも嬉しく、楽しかった思い出として胸中で光を放っていた。
もう届けられないなら、せめて自分の生業でこの想いを残したい。みすは徐にペンを取り、以前二重線で消した彼への想いの続きをノートに記していった。
みすがやっとペンを置いたのはそれから2時間後のことだった。夜の短いこの季節、もうカーテンの隙間からは曙光が覗いている。みすは傍らの携帯電話を手に取り潔を呼んだ。まだ起床する人間の方が少ないであろうこの時分に電話をかけるなどという迷惑千万な行為を躊躇なくできるのは、彼女が夜を使い果たしていることを確信しているからだ。
『みす、どうした。こんな時間まで起きてるなんて珍しいじゃん』
「うん……ちょっと、興がのっちゃってね」
『えっうそ、どうしよ。私あれから進んでないんだけど』
「あいや、いいのよ。これは仕事じゃないから」
『んん……? まあいいや。ほれ、はよ』
「あはは、待ってよ急かさないで。今送るから」
暫し経ってから、ノートパソコンにポップアップが表示される。開いたファイルに記されている詞を読んだ潔は、ため息を一つこぼした。
『あんたさあ、やっと素直になった結果がこれ?』
「そうみたい……ねえ潔、これはこんばらりあのみすじゃなくて、親友の磨としてのお願い。この詞に似合うトラックを作ってほしいの」
『……おっけー。任せろ』
自分が作った詞にメロディーをつける相手は、彼女以外に考えられない。誰よりも頼もしく、力強い返事にみすは安堵した。