ラブストーリーは嫌い
夢小説設定
この小説の夢小説設定二人組シンガーソングライターユニット「こんばらりあ」
マネージャー→東海林(40代男性)、木野(20代女性歳下)
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数日後、磨は頭を抱えていた。
主題歌の作詞作業の締切がもうかなり迫ってきている。なのに確保したノートのページは依然真っ白のままだ。そろそろ初期段階だけでも出来上がっていないと危うい状況。それなのに、見慣れぬアイコンからの通知が携帯電話を鳴らしていた。差出人は以前共演した男性ダンスボーカルグループのメンバーであり、一度挨拶に行ったのにもかかわらずわざわざこんばらりあの楽屋に来たあの人物である。潔の予想は見事に的中し、今二人での食事に誘われている。正直あまり親しくない相手と二人きり、というのは苦手なので行きたくないが、先輩であるため断ることはできない。渋々了承の返事を送信し、すぐにトーク画面を切り替える。メッセージを送ると、すぐに既読が付いた。
『潔…… 潔の言ったとおりだったよ。今ユーゴさんからサシでご飯誘われた』
『やっぱりな……まじで気をつけて行っておいでね。何かあったらすぐ連絡してな』
『ありがとう……すぐ連絡するよ。その時はよろしくお願いします』
『任せて』
相方からの力強い返信に背中を押され、家を出る。待ち合わせ場所に向かうと、すでに相手は到着していた。もう帰りたい気持ちになりながらも、いやいや、単純に仲良くしたいと思ってくれているのかもしれない。と思い直し笑顔で駆け寄る。
「お疲れ様です! お待たせしてすみません」
「全然待ってないよ。ていうか、帽子とサングラスで一瞬わからなかった」
「あはは、すみません」
二人連れだって店までの道を歩く。時々肩に腕が触れるのが妙に嫌で、気取られぬように少しずつなるべく距離をとった。店に到着し、個室に通される。帽子を外して席につくと、相手は磨のサングラスを指さした。
「サングラスは外さないの?」
「え?」
「みすちゃんの素顔、見たいな」
「あ……あはは、帽子はファッションですけど、一応素顔は隠して活動してるので」
「え〜? どうしてもだめ?」
顔を覗き込まれる。この状況には見覚えがあった。でもあの時と違うのは、頬に集まる熱はなく、背筋が震えるような感覚。見せたくない。なんと言えば当たり障りなくそれを伝えられるだろうか。
「え、っと……すみません」
「……残念。じゃあ次会った時ね」
ひとまず引き下がってくれたことにホッと息をつく。なんとか助かった。初っ端からこんな調子で大丈夫だろうか。もうすでに潔に助けを求めたいところだが、一応先輩の手前、携帯電話を触ることも憚られる。
Rさんは初めてプライベートで会った時、サングラスのこと何も言わないでくれたのにな。
そこまで考えたところで、いやいや、どうして今Rさんのことになるんだ。と磨は気づかれぬよう小さく頭を振った。
その後はずっとうんざりする話の連続であった。武勇伝、今となっては顔も名前も思い出せない他のメンバーの武勇伝、また自分の武勇伝。武勇伝という言葉を思い浮かべすぎてそろそろ某お笑いコンビが磨の頭の中に置かれたサンパチマイクの前に躍り出てこようとしていた時、その時だった。
個人的にはまったく響かない武勇伝に「すごいですね〜」と笑顔で相槌を打っていた時、相手が悟ったような顔で言ったのだ。
「みすちゃん、Creepy Nutsさんよりさ、俺ともっと仲良くしようよ。あの二人もまあ、悪い人ではないだろうけど……なんていうか、さ? 俺ならこういう刺激的な経験させてあげられるし、その方が楽しいでしょ?」
思わず真顔になる。何を言われても笑って流すつもりだったが、もう我慢ならなかった。頭で考えるより先に口が開く。
「……何もわかってないですね」
「え?」
「私にとって、私たちにとってあのお二人は誰よりもかっこよくて、素敵で、尊敬できる先輩なんです」
「みすちゃ、」
「そんな聞くに耐えないイキった武勇伝よりも、真摯に自分の好きなものに向き合っているお二人の音楽のお話の方が、私にはよっぽど刺激的なんですよ。……あなたの話は刺激が足りない」
「なんだよ……冗談だって。本気で受け止めないでよ、みすちゃん意外と子供なんだね」
「言っていい冗談と悪い冗談の区別もつかない人を許さなきゃいけないくらいなら、私子供でいいです」
呆気にとられている相手をよそに、磨は帽子をかぶってバッグを手に取った。
「すみません、用事を思い出したので帰りますね。作詞作業の締切近いの忘れてました! あはは」
テーブルに万札を置き、呼び止める声も聞かず店を出る。言いたいことを言えて風通しのよい気持ちになりつつ、やってしまったなあとも思う。でもいい。間違ったことは言っていない。きっと潔も、あの場にいたら同じことを言ったはず。
それにしても、あんなに心のままに怒ったのはいつぶりだっただろう。磨は立ち止まった。どうしてあんなふうに怒ることができたのだろう。自分と相方が大好きな先輩を貶されたことはもちろんだが、それだけではない気がする。
彼に先の言葉を言われた時、磨はR-指定と松永を貶されたことに憤ると同時に、この人は私の何を知っているんだろう、と思った。わかった気になって、的外れの磨をさも理解していますとばかりに披露する彼は、しまいには一言物申した自分を子供だと揶揄した。その時絶対に彼に私の本当など見せてやるものか、と思ったのだ。
あの人は違った。あの人は——R-指定は一度も磨の本当を決めつけることも、揶揄することもなかった。ただ聞いて、そのまま受け取り、同じ気持ちを自分の中から探して共有してくれた。そんなRさんなら、Rさんになら——。
一つの答えに至った磨は夜の雑踏を走り、通りがかったタクシーを捕まえた。
帰宅した磨はすぐに作業部屋へ向かい、机の上にノートを広げた。上着を脱ぐことも忘れ、脚本を読み返しながらペンを握った手を動かし続け、真っ白だったページに瞬く間に文字が羅列していく。ひととおり書き終え、1ページが埋まった頃には2時間が経過していた。
ペンを置き、そのまま携帯電話を手に取る。最初に潔の連絡先を開いた。
『はい。どうした、みす。まさか何かあった?』
「潔……書けたよ」
『え? 書けたってまさか、え、本当に? ……ていうかあんた、ユーゴさんとは大丈夫だったの?』
「あ……ごめん潔、啖呵切って帰ってきちゃった」
『は!? えっなに、なんでそうなった』
潔は思わず身を乗り出した。誰よりも長く隣で磨を見てきたと豪語できる潔ですら、彼女が誰かに面と向かって怒りをあらわにする姿をほとんどと言っていいほど見たことがないのだ。
『……だってあの人、Rさんと松永さんを悪く言ったんだもん』
ばつが悪そうに、そして少しだけ泣きそうな声で呟く磨の声を聞いて、潔は思わず笑みをこぼした。そうだ、この子は人のために喜んで、泣いて、怒ることができる子だ。磨に、自分以外にその対象ができたことに素直に喜ぶとともに、ほんの少しだけ嫉妬した。
「まあ、それは怒るわな。みすは間違ってないよ」
『うん……ありがとう、潔』
「いいえー。それより、書けたやつ見せてよ」
『うん。ちょっと待ってね、今iPadにおこしてるから……はい。送った!』
傍らに置いたパソコンに視線を移す。ポップアップをクリックし、受信したファイルを開いた。
暫し無言の時間が続く。磨は固唾を飲みながら潔の声を待った。
『…… みす』
「うん」
『いいよ、すっごくいい。ドラマの内容とも合ってる』
「ほ、ほんと?」
『まさか苦手だって言ってたラブソングまで書けるようになるとは……さすが天才』
「えへへ……あ、ねえトラック聴かせてよ。調整するからさ」
『まだだめで〜す』
「え!? なんでよ」
『これが書けたってことは、みすの中でももう答えは決まったってことだよね?』
「……うん」
『せっかくだからこれ見せてきなよ。トラック聴くのはそのあと』
「いいの?」
『Rさんのおかげでできた詞だからね』
「うん……」
やはり潔は、自分のことをよくわかっている。だが、あとはこの答えをR-指定に伝えればいい——というわけにはいかない。磨にはもう一つ懸念が残っていた。
「でも、Rさんに伝える前に松永さんにも伝えるべきだと思うんだ」
R-指定の唯一無二の相方である松永にも、このことは伝えなければならない。元々四人で始まった関係であり、今後のそれにも深く関わってくる事柄だからだ。この四人の誰かが反対した場合、この答えをR-指定本人に伝えるべきではない、心の奥にしまって一生表に出してはいけない。
『いや松永さんには、あー……まあいいや。グループ通話に切り替えて松永さん呼ぼう。私もいた方がいいと思うから』
「え? う、うん。わかった」
潔の発言の意図がいまいち掴めないが、どちらにせよ彼女がいてくれる方が心強いので通話を一旦切り上げ、三人のトークルームを作成してからグループ通話を開始した。今日生放送で出演していた番組の出番はすでに終わっているはずなので、出てくれることを祈って待つ。やがて、潔のアイコンの隣に松永のアイコンが表示された。
『お疲れ。どうしたの二人とも。グループ通話なんて珍しいじゃん。つかあーるは?』
「松永さんお疲れ様です。えっと、その、今近くにRさんいないですか?」
『うん。もう家だからいないけど』
「あの……えっと、その……」
『松永さんお疲れ様ですー。みすが、Rさんのこと好きだって気づいたそうですよ』
「ちょっと! 潔!?」
潔についていてもらうものの、ちゃんと自分の口から伝えなければと思っていたのに。彼女のフライングに慌てふためくとともに、黙ったままの松永に対して不安が募っていく。どんな言葉が返ってくるんだろう。アーティスト同士でこういうのはよくない、ならまだしも、もう四人で会うのはやめようなんて言われたら——最悪の未来が頭をよぎり、涙が出そうになる。1分にも満たない、でも磨にとっては無限にも思えるような沈黙を破り、松永が口を開いた。
『…… みすさん』
「は、はい」
『それ俺に言ってる場合じゃねーから』
「え?」
『早くあーるに伝えに行って』
「……松永さん、知ってたんですか」
『だって最初にあーるにみすさんとサシで飯行けってけしかけたの、俺だし。それに潔さんからもいろいろ聞いてたしね』
「そうだったんですか……あー……」
松永が反対していない、むしろ最初のきっかけであったことにひどく安堵し、磨は椅子の背もたれにしなだれかかった。
『な? 私いた方がよかっただろ?』
「うん、本当に」
『それはいいからさっさとあーるに伝えに行ってくんない? 今日なんの日かわかるでしょ』
「……はい」
『早くしないと今日終わっちゃうよ』
今日は9月10日。中秋の名月であり、R-指定の誕生日である。
「そう、ですね。伝えてきます。松永さん、お時間取らせてすみませんでした」
『あーいや、全然。むしろありがとね、事前に言おうとしてくれて……あ。あのさ』
「はい?」
『あーるのこと、よろしくね』
「……はい」
『じゃ、みす。頑張って』
「うん、ありがとう」
『じゃあまた』
グループ通話が終了して、そのまま磨はR-指定とのトークルームを開く。そこには昨夜日付が変わると同時に送った祝福の言葉と、それに対するお礼の言葉が表示されていた。その上の受話器アイコンをタップする。3コール後、呼出音がプツリと途切れた。
『もしもし、みすちゃん?』
「Rさん、お疲れ様です」
『お疲れえ。どしたん?』
「あの……Rさん、今からお会いできませんか」
『今から? ええけど……大丈夫? なんかあった?』
「お見せしたいものがあるんです」
『……うん、わかった』
場所を決め、電話を切る。時計は23時過ぎを指していた。まだ、間に合うだろうか。
磨はノートをバッグに詰め込み家を飛び出した。
「お疲れ様です。お待たせしました」
「お疲れえ。全然待ってへんよ」
お互いの家の中間くらいに位置する小さい公園で二人は待ち合わせしていた。昼間は親子連れや散歩をする老人が集まり少し賑やかな場所であるが、今の時間は二人以外に誰もいない。
「……そんで、見せたいもんって?」
「これ、です。トラックまだ聴いてないから、後々ちょっと変わるかもしれませんが」
みすはバッグからノートを取り出し、あるページを開いて差し出す。「本性」というタイトルの下には、さっきできたばかりの歌詞が記されていた。
滲む瞳に体溶けて 本性現れる
隠せない 繕えない 貴方の前では
包む笑みに心解けて 本当暴かれる
晒したい 綻びたい 貴方の前なら
ねえ 返さないで このまま日付越えても
初めての夜を 貴方と 踊り続けていたい
貴方だけに見せるから
本当暴いて 本性表して
受け取って
「…… みすちゃん、これ」
「Rさんは私の本当を知っても嗤わないで、受け止めてくれて、自分の中に共通点を探してくれて、それを私に共有してくれましたよね。私、それがすごく嬉しかったんです」
ただ返事をすればいいだけなのに、磨の心からはどんどん言葉が出てくる。もう止めようとも思わない。溢れる心を言葉に変換しながら、私はこんなに自分の感情をノータイムで言葉にできる人間だったのか、と磨は自分に驚いていた。
「だから、Rさんになら見せられる……じゃなくて、私の本当を見せる相手は、Rさんじゃなきゃ嫌だ、って、思ったんです」
R-指定にとって、みすの詞と言葉は告白の返事として十分なものだった。勝手に上がってしまう口角を隠そうと口元を押さえるが、どうしても堪えられない。みすが今まで味わったことのない「この人じゃないと嫌だ」という感情を、想像以上のニュアンスで自分が引き出せたこと、そしてその感情が今自分に向けられていることが嬉しくて仕方がなかった。あの夜衝動的に口にしてしまった願望が今、確かに叶えられたのだ。
「……ええ詞やんな。潔ちゃんのトラックで歌うてるの聴くんが楽しみやわ」
「でもまだだめです!!」
みすはR-指定の手からノートを奪い取った。
「え、ええ? ちょ、みすちゃん……?」
ただただ困惑するR-指定。まさかこの流れで振られるのか……? と絶望しかけたままみすの挙動を見守る。そんな彼の顔を見ていられず、磨はノートで自分の顔を隠した。だめなのだ、まだ。自分がこれからどれほど恥ずかしいことを言おうとしているかなど十分わかっている。それでも、どうしてもちゃんと言葉で伝えてほしい。磨は消え入りそうな声で呟いた。
「だめです。だって……わたし、まだちゃんと、好きって言ってもらって、ないから……」
R-指定は今まで味わったことのない気持ちになり、胸の辺りが苦しくなった。自分がそれを伝える恥ずかしさよりも、目の前の彼女に対する愛おしさの方がずっと大きくて、どうにかなりそうだ。
「…… みすちゃん」
「は、はい」
「顔、見して」
「む、むりです」
「ちゃんと言うから、頼むわ」
ノートを掴む手を下げさせる。みすの顔は満月の下でもわかるほど真っ赤になっていた。これ以上ないほどの勝ち戦を敷いてくれた彼女の目を、R-指定は己の羞恥心を押し殺しつつ見つめた。
「みすちゃん、好きです」
「う……は、はい。私も、好き、です」
「俺と、お付き合いしてもらえます?」
「はい……お付き合い、させて、ください」
「あー……あかんわ。めっちゃ恥ずい……」
お互いもうこれ以上は堪らなくなり、どちらからともなくR-指定の腕にみすが収まる。自分の腕の中で真っ赤な顔をくしゃくしゃにするみすを見て、R-指定はもう堪えきれず吹き出した。恋をした彼女はこんな顔をするのか。また一つ彼女の本当を知ることができ、胸中は多幸感に満ち溢れている。まさか誕生日終了直前にこんなプレゼントが待っていたとは。
だが、R-指定はもう一つ欲しいものがあった。
「あのさ」
「はい」
「俺、一番知りたいみすちゃんの本当があんねんけど、訊いていい?」
「なんですか?」
「みすちゃんの、本当の名前」
「あ……そういえば、まだ言ったことありませんでしたっけ」
R-指定の要望にみすははっとした。彼に隠していたつもりはなかったが、そういえば確かに今まで名乗った覚えがない。
「うん。教えてくれる?」
もう長らく名乗っていなければ、呼ばれてもいない本名。きっとここで名乗れば、彼はこれからその名前で自分を呼ぶだろう。でも、彼になら呼ばれてもいい、呼ばれたいと思うのだ。
「私の本当の名前は——」
磨はラブストーリーが嫌いだった。周りを顧みず恋に一喜一憂するヒロインや相手役の男、相手役の男よりも明らかにいい子のはずのキャラクターが当て馬にされる展開、幸せな二人を別れさせようと企み邪魔をし揺さぶる恋敵。どの人物にも感情移入できないからである。それは今でも変わらない。
ただ、こんな歌が書けるなら、こんな気持ちを知ることができるなら、時には自分がそのヒロインになってみるのも、悪くないのかもしれない。とも思うのだった。