ラブストーリーは嫌い
夢小説設定
この小説の夢小説設定二人組シンガーソングライターユニット「こんばらりあ」
マネージャー→東海林(40代男性)、木野(20代女性歳下)
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「そろそろ楽屋挨拶行く?」
「うんー。あ……あの、Creepy Nutsのお二人は最後でもいい……?」
「だね、その方がよさそうだ」
キー局内楽屋。磨はトレードマークである目元のベールを着けつつ、テーブルの上に広げていたノートを閉じた。問題のラブソングはまだ1文字も書けないまま、締切が少しずつ、だが確実に迫っている。
「大丈夫? Rさんとまともに話せそう?」
「頑張る。そこは仕事だから、切り替えないとね」
MCである元アイドルと芸人、そして共演するアーティストとひととおり挨拶を済ませ、残るは一組。「Creepy Nuts様」と印刷された紙が提げられたドアの前で、磨はひとつ深呼吸をした。大丈夫。いつもどおり、笑顔で、礼儀正しく。意を決してノックをしようとした瞬間、ドアが開いた。
「うわあっ!」
「おわっ!」
すぐ目の前に広がった闇に驚き飛び退く。全身黒い衣装といえば、この楽屋から出てくる人物は一人しかいない。
「あっ、あ、Rさん! お、お、お疲れ様です!」
「おっ、おお。みすちゃん、潔ちゃん、お疲れえ。ごめんな、大丈夫? ドア当たってへん?」
「大丈夫です、避けたので!」
「お疲れ様ですー」
「あ、みすさん潔さんお疲れ」
「松永さん、お疲れ様です」
想定外の再会に心臓はまだ早鐘を打っているが、松永も来てくれたことによりなんとか持ち直す。
「Rさんどこか行くとこだったんですか?」
「喫煙所行こーかなて」
「え、もうリハ10分前ですよ……大丈夫ですか」
「だいじょーぶだいじょーぶ。ササッと吸って戻ってくるから」
「じゃあ、またあとで」
「うん、スタジオで」
二人と別れ、磨と潔はスタジオへ向かった。
「潔、私変じゃなかったかな」
「いや? 結構ちゃんといつもどおり話せてたよ。口数少なではあったかもだけど」
「よかったー……余計なこと喋るより全然いいよ」
リハーサルは滞りなく進み、本番までの空き時間を再度楽屋で過ごしていた時、ノックが聞こえた。
「はーい」
ドアを開けて入ってきたのは、共演者の一組である男性ダンスボーカルグループのメンバーだった。そういえば最近流行っているって聞いたことがあるなあ、と磨は頭の中で彼らの代表曲を流した。最近流行っているとは言ったものの、自分たちより先輩である。
「お疲れ様です」
「お疲れ様。いや俺、こんばらりあめっちゃ好きでさ、今日一緒に出るの楽しみにしてたんだよね」
「あら〜、そうなんですか! ありがとうございます」
先輩が自分たちの曲をいいと言ってくれることは素直に嬉しい。礼を述べると、そこから話は脱線して世間話に移る。あともう少しで本番が始まるのに、この人はいつまで話すつもりなんだろう。本番前に一服しに行きたいんだけどなあ。と磨は心密かに思っていた。助けを求めるように後ろに座っている潔に目配せすると、潔は微かに頷き、彼に笑いかけた。
「ユーゴさん、そろそろ本番の準備、した方がいいんじゃないですか」
「あ、そうだね。ちょっと話し足りないからさ、よかったら連絡先教えてくれない?」
なぜ私だけに……? と思いつつ、先輩なので断れないままトークツールの二次元コードを差し出す。
彼が楽屋を出ていったのを確認し、ため息をついた。
「潔、ありがとう。助かったよ」
「いいえー。…… みす、気をつけなよ。たぶんあの人近々二人で会おうって言ってくると思う」
「え〜? まさかぁ」
磨が笑うと、潔は苦虫を噛み潰したような表情で以前自分が被った面倒事を思い出しながら磨を諭すように話す。
「私も前にsecond.のリョースケさんに連絡先訊かれたでしょ、その後二人でご飯誘われたじゃん」
「あ……そういえば、あったねそんなこと」
以前他の音楽番組に出演した時のことだ。自分たちの楽屋に挨拶に来た際、彼は磨には目もくれず潔にしきりに話しかけ、半ば無理やり連絡先を交換していた。そしてその後二人きりで食事に誘われ、結局潔に助けを求められた磨が強引に乱入しことなきを得たのを思い出した。
「私の時とほぼほぼ同じシチュエーションだもん。絶対そうなるよ。まじで気をつけなよ」
「うん……わかった。もし会わなきゃいけなくなったら絶対気をつける」
「よし。じゃあ、本番前の一服といきますか」
喫煙所へ向かうと、中に先客がいるのが見える。さっきも見た全身黒い衣装。パーマのかかったロングヘア。
「あ……Rさんだ」
「お、本当だ。仕方ない、一服は本番終わりに取っときますか」
「そうだね……」
「何言ってんの。あなたは行くんだよ」
「えっ? ちょっと待ってよ。潔も一緒に吸おうよ」
「そういえば私途中まで作ったトラック聴き直したかったんだよね。件のラブソング〜」
「えっもうでき始めてるの? 私も聴きたい」
「だめ〜、あとでね。じゃ、私戻ってるから」
「ちょ、ちょっと! 一人にしないでよ〜……」
磨の懇願もむなしく、潔は振り向くこともせず楽屋へ戻って行ってしまった。このまま戻っても潔に「せっかく二人きりにしてやったのに」とどやされるだろう。磨は諦めて喫煙所の扉を開いた。
「……Rさん、お疲れ様です」
「あ……お疲れぇ。みすちゃんも本番前の一服?」
「はい」
「潔ちゃんはおらんの? 一人で来るなんて珍しいやん」
「潔は作りかけのトラックを聴き直したいからって、戻っちゃいました」
「そぉか……もしかして、例のラブソング?」
「です。まあ、私は未だに1行も書けてないんですけどね」
なんだかいつものようにすぐ隣に行く気になれなくて、少し距離を置いた場所に立ち、煙草に火を点ける。一口吸うと、メンソールとレーヨンに忍ばせた香水の風味がして、緊張していた心が少し落ち着いてきた。
「なあ、みすちゃん」
「はい」
「俺昨日、一人で真夜中に散歩したんよ」
「わ、いいですねえ」
「みすちゃんがこないだ、真夜中は自分にとって永遠の憧れやって言うてたんが気になってさ」
「やだ。べつに覚えていなくてもいいのに」
「んゃ、俺にとってはなんか刺さった言葉やったから……でな、そんで自分が初めて真夜中外に出た時のことを思い出してん。あん時の俺もきっと、今のみすちゃんと近い気持ちやったんちゃうかなって」
「……もしかしたらRさんは、わかってくれるんじゃないかと思ってましたよ。「よふかしのうた」を聴いた時から」
「……そっか」
何気なく、自分の気持ちを正直に表した言葉をR-指定がずっと覚えていてくれたこと、そして自分と同じ立場に立って共有してくれたことに対して、磨は驚くと同時に嬉しいと感じた。それは誰かに言えば嗤われてしまうような些細で子供っぽい考え、そう彼女は自覚していて、嗤わずとも、あまつさえ心を共有してもらえるなんて思ってもいなかったのだ。
「たぶんみすちゃんの真夜中は「ロスタイム」も合うんちゃうかな」
「あっ、「ロスタイム」ってアニメの挿入歌の方ですよね? あれ早くフルで聴きたいんですよ〜、そんなこと言われたらますますリリックが気になるじゃないですか」
「あかん。今度ラジオで流すから、それまでのお楽しみな」
「は〜い」
ふと携帯電話を見ると、ロック画面に表示されたデジタル時計は本番の10分前に差し掛かろうとする時刻を表示していた。スタジオへ向かわなければならない。
「Rさん、そろそろ行かないと」
「ああ、そぉやな。あっ、みすちゃん」
「はい?」
「今日この収録が終わった後って、暇やったりする?」
「今日……は、そうですね。収録が終わったら帰るだけです」
「じゃあ、また……飯行かへん? それと、真夜中の散歩も」
「……はい、ぜひ」
煙草をもみ消し、お互い相方を迎えに楽屋へ戻った。
「はあ〜ぁ、無事終わってよかったあ〜」
「よくトークで振られた時普通に答えられたね」
「そこはまあ、プロなんで」
本番も無事終わり、楽屋に戻ってくる。トークコーナーでCreepy Nutsとこんばらりあの仲が良いことを取り上げられる一幕があったが、磨は顔色を変えることなく「そうなんです〜」とにこやかに答えていた。同じくR-指定も「前に二人のラジオにゲストで呼んでもろて……」と話していたため、MCをはじめ共演者に勘づかれている可能性はまずないだろう。磨と潔はホッと胸を撫で下ろした。
「で、これから会ってくるんでしょ?」
「うん……時間ずらして待ち合わせしようかとは言ってたんだけど」
「おっけー。……今日返事するん?」
「い、いや! まだ、ちょっと……考えたい、かな」
「そっか。じゃあ、私は先帰るわ」
「えっ? ちょっと待って、新しいトラックは?」
「まだだめ〜。みすが歌詞できてからね。じゃお疲れ」
「そんなぁ〜……」
颯爽と帰っていく潔の背中を見送り、磨はトークツールを開いてR-指定に連絡を入れた。
『お疲れ様です。こっちは終わったので、いつでも出られます』
既読はすぐに付き、返信が来た。
『俺も準備できたから、先に向かってるわ。こないだの店で待ってるから、気をつけて来てな』
『はい、ありがとうございます。私は10分後に出て向かいますね』
そのまま楽屋で10分待ち、キー局の前でタクシーを拾う。店の住所を伝え、運転手がナビに登録すると同時に走り出した。
タクシーに揺られながら、磨は数年前と随分様変わりした今の境遇を顧みる。数年前—— みすという名が相方のつけてくれたあだ名だけであった頃、電車やバス、徒歩が当たり前で、比較的高価なタクシーはそれらではどうしても門限である0時に帰宅できない時のみ利用する最終手段であった。今では電車やバスなどの人目に触れやすい交通機関はできるだけ避けるよう言われ、運転免許を所持しているものの、公的身分証明書の役割しかもたないほど運転が苦手な自分はタクシーと徒歩以外の移動手段を使うことがなくなった。随分いいご身分になったものだと自身を少し嘲る。
次に、今頃店で待っているであろうR-指定に思いを馳せた。彼は今日、先日の返事を急かしてくるだろうか。正直まだ、答えを返せる状態に至っていない。それを伝えて、彼は理解してくれるだろうか。
磨の中で、日々R-指定の存在は大きくなっていき、頭の中を占めるようになっていた。それは自分が異性として彼に惹かれているからか、ただ告白されて意識しているだけなのか、彼女には依然判断がつかない。そもそもこれは自分とR-指定だけの問題ではない。潔には知らせているものの、彼の相方であり、彼と同じく自分にとって尊敬してやまない先輩である松永はこのことを知っているのだろうか。知ったら反対するかもしれない。そしてどこよりも心地よいあの四人の関係が壊れてしまったら……そう思うと、返事について考えることも嫌になってくる。
——それならばお断りしたらいいのでは。それが一番いいはずなのに、どうしてそれを理由に断る、という選択肢を避けているのだろう。
「お客さん、着きましたよ」
「……えっ? あ、ああ。すみません」
運転手の声により磨の物思いは中断される。考え事をしている間にタクシーは店の前に到着していた。とりあえず今日は、急かされない限りこの話題を出すことは避けよう。磨はそう心に決め、運賃を支払い運転手にお礼を伝え、タクシーを降りた。
「今日は晴れてるし、暑くもなくなってきたし、気持ちええなあ」
「そうですねえ」
食事を終えた磨とR-指定は、少し秋めいた夜空の下、また真夜中の散歩という名の家路についていた。
結局R-指定は先日の返事を急かすこともなく、いつもどおり話していた。磨が訝しがるほどにいつもどおり過ぎるのである。もしかして、この間の告白は一時の気の迷いで、自分にはもう気持ちがないのだろうか。横を歩くR-指定の顔を見ることができないまま、磨は少し下を向いて歩いた。
「みすちゃん」
「……」
「みすちゃん?」
「あ、えっ? ああ、すみません。なんですか?」
ふいに顔を覗き込まれ驚いた様子の磨に、R-指定は人差し指を上に挙げて見せた。
「ああいや、大したことやないねんけど……上見て」
「上? ……あ」
言われたとおり空を見上げると、半分になりかけている三日月が白く煌々と輝いていた。
「うわあ、綺麗ですねえ」
「うん……そぉやな」
自分から言い出した割には気の抜けた返事をするR-指定の声に磨はハッとした。月を綺麗と言うのは、今となっては中々メジャーな愛の言葉であるからだ。違う、今のは、そういう意味じゃなくて。と慌てるものの、もし自分の勘違いだったらと思うとうまく弁解できない。
「みすちゃん、大丈夫?」
「あっ……えと、はい。大丈夫、です……」
「……ふ」
思わず漏れてしまったかのような笑い声。R-指定が自分を見て笑っている。熱でじわじわと溶けていく飴玉のように滲む瞳があまりにも優しくて、磨は暫しそれから目が離せなくなり、我に返って反射的に逸らした。そのまま見つめていたら、自分が見せないようにしていた感情が奥底から溢れそうになる気がしたのだ。
自分が見せないようにしていた感情——?
「みすちゃん? ほんまに大丈夫? もしかして気分悪いとか……」
「いっ、いえ! 本当に、ほんとに大丈夫です!」
月に対する「綺麗ですねえ」という言葉に少し動揺しつつも、明らかにいつもと違う様子のみすをR-指定は素直に心配していた。自分が今彼女に対してどんな顔をしていたかまったく自覚がなく、その上目を逸らされたことに対して、もしかして俺嫌われた……? などと思っている始末である。告白したからといって距離が近すぎたのだろうか。実際アプローチにもならないほどのものだが、普段人との距離を取りがちな彼にとっては、精一杯の距離であった。
「なら、ええんやけど……」
磨は少しだけ垣間見えた自分の本心を見て見ぬふりをするように早歩きをする。先ほどから彼の一挙手一投足に一喜一憂させられているのが嫌で仕方がなかった。だってこんなの、自分があれほど忌み嫌っていたラブストーリーのようじゃないか。月はそんな彼女を追いかけるように速度を上げたように見えた。
「じゃあ、Rさん。今日も送っていただいてありがとうございました」
「おん、こちらこそありがとぉな。今日も楽しかった」
「私も楽しかったです。気をつけて帰ってくださいね。じゃあ……また」
「ありがとぉ。また……」
オートロックをくぐるみすを見送り、R-指定は歩き始めつつまた松永に電話をかけた。
『……お前さ、毎回二人で会った後俺に報告してくるつもり』
「いや、そんなつもりないねんけど……なんか、なあ」
『なんだよ。ついに振られたの』
「もしかしたら、振られるかもしれん……」
あまり茶化すべきではなさそうなR-指定の声色に、松永は口を閉じた。
うんざりしているような口ぶりだが、実のところ彼は相方が逐一自分に恋の報告を寄越してくることを嬉しく感じていた。みすに想いを寄せる彼を誰よりも応援していると自負しているから、というのもあるが、単純にみすの一挙手一投足に一喜一憂する彼は面白い、というのもある。ただ今は面白がっている場合ではなさそうだ。松永はどう彼を慰めようか考えつつ、質問した。
「なんでそう思うの」
『いや、なんか……今日のみすちゃん、なんか変やったんよな』
「どんなふうに」
『どんなふうに……具体的には言われへんけど、最後の方俺と目合わしてくれんかったし、いつもより喋りも歯切れ悪なってたし……』
「お前、なんかしたの?」
『なんも……ただちょっと、みすちゃんが俯いてる時に心配で顔覗き込んだりしたけど』
それは照れていただけではないのか。松永はため息をついた。先ほどの自分の心配を返してほしい。相方が自分に向けられる好意に対して鈍感なのはわかっていたが、まさか想い人に対してもこうだとは。いや、もしかすると勘違いしたくない、もし違っていた場合傷つきたくないという感情の裏返しなのかもしれない。正直みすがもし「YES」と答えたとしても、こいつがこの調子ではまっすぐ捉えることができずすれ違ってしまうのではないかと、いささか二人のこの先が違う意味で心配になってくる。まあもし「YES」だった場合の話ではあるが。
「……あーる。それはまあ、気にすんな」
『え? いや、気になるやろ』
「いーから。お前は何も気にすんな。そんでみすさんの返事を待て。それまでは余計なこと考えんな」
『ええー……?』
まだ不安そうに独りごちるR-指定をなんとか宥め、電話を切って松永はまた一つため息をついた。
「……もう、早くくっついてくんねえかなあ」
頼むよ、みすさん。
松永は中断していた制作作業を再開しつつ、心の中でみすに念を押した。