ラブストーリーは嫌い
夢小説設定
この小説の夢小説設定二人組シンガーソングライターユニット「こんばらりあ」
マネージャー→東海林(40代男性)、木野(20代女性歳下)
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「『お二人は絶対にやりたくない仕事はありますか?』だって。私はホラー系のロケかな…… みすはある? やりたくない仕事」
「ラブストーリーの書き下ろし主題歌!」
深夜3時半のラジオブース。リスナーからの質問にみすと呼ばれた女—— 磨は間髪入れずに即答した。メールを読み上げた相方である潔が首を傾げる。
「限定的だね。ていうかみす書き下ろし得意でしょ、なんで?」
「ん〜……まあ潔が言うとおりホラー系のロケも嫌っちゃ嫌だけど、ラブストーリー苦手だからさ、絶対自分が満足する詞が書けないと思うんだぁ」
電波上オブラートに包んで「苦手」という言葉を選んだが、正直に言うと磨はラブストーリーが嫌いだった。周りを顧みず恋に一喜一憂するヒロインや相手役の男、相手役の男よりも明らかにいい子のはずのキャラクターが当て馬にされる展開、幸せな二人を別れさせようと企み邪魔をし揺さぶる恋敵。どの人物にも感情移入できないからである。いいなと思う作品にめぐり逢うことがまったくないというわけではないが、それはごく稀なケースだ。感情移入ができないのでは、いくらストーリーに沿った詞を書くことを得意とする彼女でも、書き下ろしの詞なんて書きようもない。
「なるほどねえ。みすは特にその作品の世界観に合わせられるかどうかが重要になってくるもんね」
「そうなの〜。あっ、ホラー作品の詞なら観るのは苦手だけど書けると思う!」
「ホラー系のロケは嫌とか言ってたくせに」
潔の愛ある野次により、少し後ろ向きな話題であったこの話はにこやかに終わり、次のリスナーからの質問に話題が移る。そのままいつもの調子で今日の放送も無事終了した。
ブースに二人残り雑談をしていると、磨の携帯電話が震える。この時間に彼女に連絡を寄越す人物は一人しかいない。手に取り顔認証でロックを解除すると、通知欄には最近よく連絡をとる先輩アーティストの名前が表示された。
「またRさん?」
「うん、今日の放送もリアタイしてくれてたみたい。面白かったって」
「ありがたいね。みすさあ、最近よくRさんと連絡とってるよね」
「うん。作詞の話とか、相談にのってくれるの」
手早くお礼の言葉を返信し、端末を閉じる。
「ふ〜ん……もしかして、二人で会ったりしてる?」
「ううん、してないよ」
確かに個人のチャットで話す機会は最近増えたが、二人きりで会うという考えに至ったことはない。磨と潔、R-指定とその相方の松永の四人で会うのが当たり前だったし、何より異性の先輩に自分から一対一で会いたいなんて、気にしいの彼女からは言えるはずもなかった。
「なんで? 会えばいいのに」
「潔、みす。ちょっといい?」
自分たちを呼ぶマネージャーの声に顔を上げ、二人は荷物を持ってブースをあとにした。
—————————————————————————
磨の心は沈んでいた。
昨夜潔と自分を呼んだマネージャー——東海林の、自分の顔色を窺うばつの悪そうな顔を思い出す。
「いや……さっきの話の後にこれ言うの申し訳ないんだが……実は次の仕事が、来々期の火10ドラマの主題歌なんだよ」
「火10……って、TBSの?」
「ああ、そうだ」
東海林の表情と「TBSの火10」という単語で磨の顔はどんどん曇っていき、そんな彼女の顔色を察して潔が東海林に尋ねた。
「あの……それって断ったりは」
「すまん、もうOKしちゃった」
「なーんでそこだけ思い切りいいかなぁ⁉︎ 相談してくださいよ!」
「だって……こんなでかい仕事来たの初めてでテンション上がっちゃってつい……」
渡された脚本をぱらぱらとめくる。内容は素性を隠して活動する歌手と、それを知らないまま一般人としての彼女に恋をする男性の話だった。先刻磨が“一番やりたくない仕事”に真っ先に挙げたラブストーリーの書き下ろし主題歌である。
「ラブソングなんかほぼ歌わないのになんでオファーが……? みす、どうする?」
「どうするって、もうOKしちゃったんだから、やるしかないよ。とりあえず明日休みだし、ちょっと考えてみる」
とは言ったものの、まったくいい詞が浮かばない。約2時間前に広げたノートは依然白紙のまま、ペンを握ることもできないでいた。
「……んあぁ〜〜〜〜!」
髪をわしゃわしゃと揉み、頭を抱える。本当に浮かばないのである。常日頃様々な景色を見ては二つ三つと思い浮かべるほどに頭の中を言葉で満たしているはずなのに、その時のストックはどこに行ってしまったのかと思えるほどに今彼女の脳内は空っぽになっていた。もうとりあえず今は諦めて別の作りかけの詞に取り掛かろうかと思ったその時、携帯電話が鳴った。潔だろうか、と液晶画面を覗くと、表示されていたのは石橋ではなく「Rさん」の文字。突然の電話にあたふたしつつ磨は通話アイコンをタップした。
「はい」
『あ、みすちゃん? お疲れぇ。今大丈夫?』
「お疲れ様です、Rさん。大丈夫ですよ! どうしました?」
『いや、あんな……あのーい、今、何してた?』
「え? 今は、家で詞考えてるんですけど、でも全然浮かばなくて煮詰まっていたところです」
『あ、そうなん? みすちゃんも煮詰まることあるんや』
「ありますよ〜。いや、今度ね……」
磨は先輩であるR-指定に、詳細は濁しつつことの経緯を話した。
「というわけで……あ、ちょっと途中愚痴っぽくなっちゃいましたね、すみません」
『ああいや、ええんよ全然……あのさ』
「はい?」
『みすちゃんが良ければなんやけど、その、今から息抜きに、飯でも行く……?』
先輩からの嬉しい誘いに磨は顔をぱっと輝かせた。潔は自分と同じく休みであるし、R-指定から誘ってくれるということは松永も同席するのだろう。
「やった、もちろん! ちょっと待ってくださいね、潔にも連絡しますから」
『あっ、待って! その、今日は……ふ、二人で、とか……だめすか』
「えっ?」
思いもよらない言葉に素っ頓狂な声を出してしまった。つい昨夜潔に言われた言葉を思い出す。そういえば彼女は、どうしてあんなことを言ったのだろう。タイムリーにも程がある。
『…… みすちゃん?』
「あっわ、すみません! 全然大丈夫ですよ!」
R-指定の心配するような声で不意に現実に引き戻される。せっかくお誘いいただいたのにあまり黙ったままでは失礼だった。磨は慌てて、見えないのに手をブンブン振りながら了承した。
『ほんま? よかった。場所なんやけど渋谷とかでええかな』
「はい。渋谷だったら……ちょっと準備するので1時間くらいもらってもいいですか?」
『もちろん。じゃあ余裕もって1時間半後に渋谷駅で待ち合わせしよか』
「わかりました。じゃあ、またあとで」
『おん。またあとで』
電話から終話を告げる電子音が鳴るのを確認し、携帯電話を閉じる。
「……どうしよう」
いや、何を戸惑う必要がある。単に先輩からご飯に誘われただけだ。煮詰まって悩んでいる後輩を見かねて、息抜きさせてやろうと優しく手を差し伸べてくれているだけだ。まあいつもと異なる点は、大好きな相方ともう一人の尊敬する先輩がいないという大きすぎる事柄ではあるけれども。磨はブンブンと今度は頭を振り、再度携帯電話を開いて潔に一報入れた。ただの先輩後輩とはいえ、はたから見れば男女一組である。何か誤解が生じ、週刊誌にスッパ抜かれ、相方が何も知らなかったはよくない。いや、スッパ抜かれること自体まっぴらごめんではあるが。
『潔、今からRさんにサシでご飯誘われたから行ってくるね』
『承知! 行ってらっしゃい。マスコミにだけは気をつけてな。あれはこっちの実際の関係なんかどうでもいいっていう輩多いから』
『うん、ありがとう。気をつけて行ってくる』
携帯電話を閉じ、まずは顔を洗おうと磨は洗面所へ向かった。
時は少し遡り数分前。
「あーる、みすさんのことどう思ってんの?」
「は?」
相方の唐突な質問にR-指定は間の抜けた声をあげた。
「だってお前、最近スマホ見ながらにやけすぎじゃね? みすさんからLINE来た時だろ」
「ちゃうよ。今はトーク見返してただけ」
「余計やべえわ」
うっさいなー、と呟きつつR-指定の視線は手元の端末に落ちる。液晶画面には昨夜のやり取りが表示されていた。みすが所属するユニット、こんばらりあの深夜ラジオの放送終了直後に、リアルタイムで聴いていた旨と簡単な感想。すぐに付いた既読の文字。お礼の言葉。
深夜が主な活動時間である自分にとっては夜中の3時から5時というのはちょっとした夜ふかしくらいの時間帯であり、ラジオを聴くこともまったく苦ではない。以前はリアルタイムは時々、基本的にはラジオアプリのタイムフリー機能で聴いていたが、彼女らの番組にゲストとして出演し、公私ともに関わりを持ってからは、翌日が朝からでない限り毎週欠かさずリアルタイムで聴いている。
特にみすとはユニット内でともに作詞を担当している者同士共通する楽しさや悩みが多く、いつしかグループチャットから個人のトークルームで話すことが多くなっていた。他にもそういった仕事仲間や後輩は少なからずいるはずなのに、彼女を特別視するようになったのはいつからだろう。気がつけば返信が来るたびに嬉しく、トーク画面を遡ってはあの時この話ができてよかった、この話題はよくなかったなどと一喜一憂している自分がいた。
「二人で飯とか行かないの?」
「みすちゃんかて忙しいんやから、せっかくの自由時間に先輩とサシで飯行かすとか可哀想やん」
「わかんないじゃん。誘ってみなよ、今電話してさ」
「いやいやいやいや……」
と言いつつ彼女の連絡先を表示する。だが表示しただけで一向に発信アイコンに触れる気配がない。そのまま数分もだつくR-指定にとうとう松永が痺れを切らし背後から発信アイコンに指を押しつけた。
「あっ! ちょ、お前、何してくれてんねん!」
「お前がいつまでも押さないから押してあげたんじゃん」
言い合いしている間にも呼び出し音が2回鳴ったのち途切れ、『はい』と少年のような声が高音域の切られたスピーカーから聞こえた。慌てて携帯電話を持ち直す。
「あ、みすちゃん? お疲れぇ。今大丈夫?」
『お疲れ様です、Rさん。大丈夫ですよ! どうしました?』
「いや、あんな……あのーい、今、何してた?」
しどろもどろになっている自分を見ながら愉快そうに笑う松永を睨みつつ、R-指定がどうみすを食事に誘おうか迷っていると、彼女は困ったような声で作詞作業の途中だが煮詰まってしまったと話す。
「みすちゃんも煮詰まることあるんや」
『ありますよ〜。いや、今度ね……』
彼女が言うには、書き下ろしの主題歌の仕事が舞い込んだらしい。内容はラブストーリー。昨夜ちょうどラジオで苦手だと話した直後で思わず同情する。自分もラブソングなどほとんど書いたことがないのでアドバイスのしようがなく、頼りない自分を少し憎らしく感じた。
『というわけで……あ、ちょっと途中愚痴っぽくなっちゃいましたね、すみません』
「ああいや、ええんよ全然……」
ことの経緯を話していたつもりが少々愚痴になってしまったことを詫びる彼女に問題ない旨を伝えたところで会話が途切れる。どうしよう。動揺しすぎて話題がまったく浮かばない。助けを求めるかのような目でチラチラと松永を見ると、声には出さず口の動きのみで「いけ、いけ」と食事に誘うよう促される。いけ、R-指定。覚悟を決めろ。
「……あのさ」
『はい?』
「みすちゃんが良ければなんやけど、その、今から息抜きに、飯でも行く……?」
いった。ほんの少しの沈黙。ああ言ってしまった、と思う余裕もないうちに電話口から嬉しそうなみすの声が聞こえた。
『やった、もちろん! ちょっと待ってくださいね、潔にも連絡しますから』
「えっ……」
今度は本当に助けを求める気持ちで松永を見るR-指定。いつも四人で会うのが当たり前だったため、今回もそうだと疑わないみす。当然の展開だがまったく予想していなかった松永は同じく予想外の彼女の反応に無言で慌てまくるR-指定に向かってブンブンと首を振った。
「あっ、待って! その、今日は……ふ、二人で、とか……だめすか」
『えっ?』
先ほどよりもさらに長い沈黙。待てど暮らせど返ってこない返事にR-指定は絶望した。今彼女は尊敬する先輩に裏切られたような気持ちになっているのかもしれない。最近不定期でやっていたお互いのラジオへのゲスト出演も、四人での定期的な食事会も、音楽番組で共演するたびに嬉しそうに挨拶をしてくれる二人の笑顔も、もう二度と叶わぬ過去の思い出になっていくように思えて、足がふらつく。
とうとう居た堪れなくなり、震えそうな声をなんとか抑えながら彼女の名を呼んだ。
『あっわ、すみません! 全然大丈夫ですよ!』
慌てつつもいつもの調子のみすの声に安堵するどころか叫びたい気持ちを押し殺し、時間と場所を決める。
「じゃあ余裕もって1時間半後に渋谷駅で待ち合わせしよか」
『わかりました。じゃあ、またあとで』
「おん。またあとで」
どうやら無事に誘うことができたようである。R-指定は未だ震える指で終話アイコンをタップするとともに、膝から力が抜けるような感覚に陥った。
「誘えたじゃん、よかったね」
「おっまえなあ……まじでええ加減にせえよ」
「おい、誰のおかげで誘えたと思ってんだ」
「ほんま終わった思たわ……」
「俺もちょっとヒヤヒヤした」
「でもまあ、ちょっとは松永さんのおかげやんな。ありがとぉ」
「200パーセント俺のおかげだろうが。感謝しろよ、一生感謝しろ」
「わかったわかった……ありがとぉほんまに」
「今度なんか奢りな」
「わかったって。ほな、行ってくるわ」
「うん、お疲れー」
お疲れ、と松永を残して楽屋を出る。しどろもどろやら憎らしいやら、動揺やら絶望やらで忘れていたが、初めて二人で会うのである。俺、どっかおかしいとこないかな。なんて、今からどうこうできるわけでもないのに廊下の壁に貼られていた姿見を覗く。いや、先輩としておかしいとこないかな、という意味で。
「……うっさいな」
いつもどおりの真っ黒い塊だろうが、おかしいもくそもないだろ。とまだ楽屋にいるはずの相方の声が聞こえた気がして、悪態をついてからエレベーターのフロアへ向かった。
午後8時40分。約束の時間まであと5分ほどあるが、R-指定はすでに待ち合わせ場所である渋谷駅に到着していた。
「はあ〜……」
平日でも変わらず人で賑わう四方を見渡しつつ、いざ二人で会うとなると、来てほしいような来てほしくないような複雑な心持ちでみすを待つ。あと5分で心の準備ができるのか、正直不安でしかない。二人で会っても話題はいつも四人で集まっている時となんら変わらないとは思うが、よく喋る頼もしい相方と、彼女の最大限の笑顔をいつも引き出してくれる彼女の相方がいないことは、自分にとっては大きなハンディキャップのように感じた。
待ち焦がれながらももはや帰りたいとすら思えてきたその時、ふと自分が目を向けた方向からこちらに向かって歩いてくる人影が見えた。
「あー……! っんん、お疲れ様です! お待たせしました」
「あっ、あーいや、お疲れ。全然待ってへんよ」
二人して世に知れ渡った名前を呼びそうになり、変にぎこちない挨拶になる。少し間を置いて、耐えきれないというようにみすがくすくすと笑った。
「っふふ、えと、あなた、やっぱり真っ黒だからすぐわかりますね」
「自分まで言うやん……」
みすはもちろんR-指定の本名は知っているが、彼は本名も少なからずファンには知れ渡っているため迂闊には呼べず、R-指定はそもそもみすの本名を知らない上に後輩である女の子をお前呼ばわりするのも気が引けて、お互いが慣れない二人称を使って会話をする、という妙な状況となっていた。
「とりあえず、行こか」
「はい」
交差点を抜け、センター街に入る。夜の渋谷は地獄絵図のようにごった返していた。この時間にもう酔っ払って道の端で騒いでいる男性グループ、キラキラと着飾った女性2人組、連れ添って歩く恋人らしき男女。今並んで歩いている自分たちも、はたから見たら恋人同士に見えるのだろうか。ふと頭をよぎった考えを振り切り、店を目指した。
「わぁ〜、すごい! Rさん、お酒飲まないのにこういうお店知ってるんですね」
「あ〜まあ、こういう店やないと席で煙草吸えるとこあんまないから」
「あはは、確かに」
個室へ案内され、戸が閉まったところでみすが帽子とサングラスを外す。最近やっと見慣れてきた素顔が露になった。
「早速でアレですけど……吸っていいですか?」
「あーもちろん。てか俺も吸うわ」
R-指定は煙草に火を点けつつ、こっそりみすを見る。ティップを咥えるボルドーに塗られた唇、ジッポーのフリント・ホイールを回す青紫色に塗られた指先。それは彼女の幼さが残る風姿にフィットして、妙なコントラストを放っていた。
「……Rさん、私そんなに見られたら穴が開いちゃいますよ」
「えっ、あーごめん。見てんのバレてた?」
「なんとなく」
二人の間に沈黙が流れる。四人でいれば話題は尽きないのに、どうして半分になるだけで妙にぎこちない雰囲気になってしまうのだろうと、磨は心の中で最愛の相方に届かぬ助けを求めた。
「…… みすちゃんも災難やな」
沈黙を破ったのはR-指定である。
「え?」
「これはやりたくないって言った直後にそのとおりの仕事が来るなんてなあ」
「本当、フラグ建てたつもりはなかったんですけどねえ」
「昨日あれ聴いて、確かにこんばの曲でラブソングってないなあ思て。それっぽいのもあんねんけど、なんか恋愛とはまたちゃうのよなあ」
「えっ、よくわかりますね。そういう曲はね、だいたい潔を思い浮かべながら書いているんですよ」
「やっぱそうなん」
「はい。私があんなふうに想える相手なんて、潔しかいませんから」
「意識して書かんようにしてたん?」
「いいえ。単純に書けないだけです」
「でも、今までの話聞いてる限り恋愛したことないってわけやないやろ?」
R-指定の問いかけに、いつも明るいみすの瞳が僅かに翳った。
「はい。でもわからないんですよ。“どうしようもないほど好き”とか“この人じゃないと嫌だ”とか。私恋愛でそういうふうに思ったことないんです。別れ話を持ちかけられても食い下がったことないし。なんか、別れたいって言われた瞬間もういいやってなっちゃうんですよね」
磨は過去を一つずつ思い出しながらゆっくり言葉を選ぶように話す。相手に気持ちがないのであればこの先付き合っていても意味がないし、自分が辛いだけだ。そう思うといつも「どうして」や「自分の何が駄目だったのか」という問いかけの前に了承の返事が口をついて出てしまっていた。
「そぉか……」
「Rさんはそういう気持ちになったことあります? ラブソングはほぼ書かないけど、恋愛はしてたでしょう? 時々ラジオで元恋人のお話されてますし」
「え、ええやん俺の話は……」
興味津々、といった表情のみすに気圧される。正直気になっている女の子の前で自分の過去の恋愛話などしたくないが、自分も先ほど同じようなことを訊いてしまった手前、はぐらかすのも気が引ける。観念したようにため息をついた。
「……さっきみすちゃんが言ったどっちも思ったことあるよ。まあ、振られたけどな」
「大好きだったんですね、その人のこと」
「好きやったよ。ほんまに」
恋愛は何度かしたものの自分が未だ味わったことのない感情がR-指定の言葉の中から垣間見えて、磨は感嘆の吐息を漏らした。自分もこの境地にたどり着くことができれば、ラブストーリーに相応しい詞が書けるだろうか。そう考えた言葉はそのまま口からこぼれ出た。
「私もそれくらい誰かを好きになれば、書けますかね」
「え?」
みすの唐突な言葉に、思わず上擦ったような声が出る。
「だ、誰かって……誰を」
「わかりません!」
あはは、といつもの調子で笑うみすにこちらは調子を狂わされたような気持ちになり、R-指定はすっかり短くなった煙草に口をつけた。コロコロと顔に感情が出やすい彼女であるが、時々こういう読めないところがある。だがその二面性が彼女の書く詞の最たる魅力なのだ。こんばらりあの歌は今の彼女の笑顔のように眩しいものも、そして先ほどの翳った瞳のように見えない闇が流れ込むものもある。
みすは、本当に恋をするつもりなのだろうか。音楽のために、誰に。これ以上何も訊けないまま、店員が戸をノックして食事を運んできたためこの話はそのまま終わってしまった。
「ちょっと、便所行ってくるわ」
「はい、行ってらっしゃい」
彼が席を外した隙に、磨は相方に連絡をとる。
『潔助けて……なんかいつものRさんじゃないよ』
暫し待ったのち、携帯電話が震えた。
『いつものRさんじゃないってどういうこと……?』
『なんかよそよそしいというか、初めてプライベートで会った時みたいな人見知り発動というか……とにかくよくわからないんだよ。もしかして私なんか怒らせちゃったのかな……』
R-指定が先の磨の言動にやきもきしている一方、磨は困惑していた。どこかいつも四人で会っている時のR-指定と違う。そもそもどうして急に二人で会おうなんて言ったのか。何を考えているのか。元々人の心を推し量ることが苦手な彼女には到底思いつくことができない。
磨は磨で、正直R-指定のことは気になっていた。初めて目の前に現れた彼は想像していたよりも物静かだけど、それでも自分が思っていたとおりの、少しだらしがないけど優しく、楽しく、そして自分の好きなものにただただ真摯に向き合う人で、自分もそんな彼と同じ楽しさや悩みを共有できることが嬉しかった。ラジオや自分に対してわかりやすく、無邪気に楽しそうに自分の好きなものについて話す彼のことを好きなのか、純粋に先輩として尊敬しているのか磨自身まだわからない。彼女は自分の心さえも推し量るのが苦手であった。
『怒らせた覚えないんでしょ? 怒ってることはないんじゃないかなあ』
『そう……?』
「ごめん、待たせたわ」
返事を打とうとしたところでR-指定が戻ってくる。携帯電話を置いた時また震えたが、もう返事を見ることはできない。また孤軍奮闘である。
「みすちゃん時間大丈夫? 明日も仕事やろ?」
時刻はそろそろ日付が変わろうという時。あの後R-指定が御手洗から戻ってきてからはまだぎこちなさが残るもののほぼ普段と変わらぬ調子で会話に花が咲き、磨は安堵していた。どうやら怒っているわけではないらしい。自分は知らず知らずのうちに無神経なことを言ってしまうことが多いと自負しているため、いつか彼に何か失礼なことを言ってしまったのではないかと心配していたが、杞憂だったようである。
そろそろ帰ろうかということだろうか。磨は誰かと会う時、この質問がいつも嫌いだった。楽しい時間が終わってしまう合図のようだし、もしかして相手は早く帰りたいのだろうか。楽しくなかったのだろうか。と答えの出ない自問自答をしてしまう。とりあえず嘘はつかず、なおかつ彼が帰りやすい雰囲気を醸す言葉を選んだ。
「明日は夜からなので大丈夫です。でもそろそろお開きにしますか……Rさんだって明日も仕事でしょう?」
「いや、俺はー……明日は休みやから、その……」
R-指定はここまで話して口ごもる。彼も同じようなことを思っていたのだった。みすが大丈夫と言うのなら、正直まだこのまま話していたい。でもお開きに、というのは彼女はもう帰りたいと思っているということではないのか。
みすが心配そうにR-指定の顔を覗き込む。意を決するように顔を上げ、彼女を見つめた。
「Rさん……?」
「あ、の…… みすちゃんが良ければさ、俺まだ帰らんで話してたいって思うねんけど……だめ、かな」
「え……」
磨はR-指定が早く帰りたい、楽しくないと思っていたわけではないことに安堵しつつ、まだ帰りたくない、話していたいという彼の言葉に驚いていた。ここでお開きになり、まだ冷めやらぬ自分の楽しい気持ちを人知れず置き去りにされたまま帰るのがいつものこういった“お楽しみ”の終わりであったのだが、今日は違うらしい。先延ばしとなる“お楽しみ”の終わりに、磨は喜んだ。
「もちろん! Rさんが大丈夫なら、私もまだ話したいです」
「ほんま? よかった……じゃああの、さっきの続きなんやけど——」
お互いが安堵し、話に戻る。二人が再び時間に気がつく頃には、終電もとっくに過ぎていた。
「さすがにそろそろ帰ろか。みすちゃんタクシーやろ?」
「いいえ。私、歩いて帰ります」
「えっ? みすちゃん、今2時半……やけど」
「はい。ここから歩いてでも全然帰れますから」
確かにみすの住まいは渋谷から徒歩で帰れる距離ではある。が、歩くには時間がよろしくない。丑三つ時半ばにうら若い女性が一人で夜道を歩くには何かと心配である。ここはなんとか説得し、タクシーに乗せたいところだが、彼女がこういった場ではなぜか一度こうと決めたら引かない部分があることをR-指定はすでに知っていた。
「う〜ん……せやったら俺も一緒に行くよ」
「え? いや、Rさんはタクシーで帰ればいいじゃないですか」
「ええから。俺んち渋谷からならみすちゃんよりちょい先行った辺りやし。みすちゃんのこと送って、そっからタクシー拾って帰るわ」
「……じゃあ、真夜中の散歩と洒落込みますか」
斯くして、二人で真夜中の街道を歩いて家路についた。自分より一歩先を歩くみすの背中が楽しそうなのは、元々の彼女の性格なのか、アルコールが入っているゆえなのかR-指定には判断しかねる。
「楽しそうやな」
「はい、私夜歩くの好きなんです。踊りだしたくなっちゃう」
「夜限定なん?」
「うーん。まあ朝も好きですけど、夜がいっとう好きですね。一人で好きな音楽を聴きながら歩くのも、こうして誰かとお話しながら歩くのも楽しいです」
「なんで?」
「……Rさん、今日はなんだか質問ばっかり」
みすは足を止め、振り向いてR-指定の顔を見る。
一見なんでもない行動でも、みすの中には確固たる理由がある。初めて会った時から今までの彼女を見てそれはR-指定にもだんだんとわかっていた。彼女は開けっぴろげに見えて中々それを見せてくれない。自分がここまでそれを垣間見ることができたのは、彼女の心の声を汲み取り表へ出すよう促してくれた潔のおかげでもあった。でも今日は、自分がそれを汲み取ってみたい。だがそんなことはもちろん、奥手な自分は彼女に言えないのである。
「そ、そーかな……嫌やったら、ごめん」
「いいえ。……私ね、実家で暮らしていた頃門限があったんです」
「門限?」
「はい。0時だったんですけど、成人してからも、実家にいる間はずっとあって」
「それは……きついなあ」
「でしょ? だからこの時間に外に出ることができなくて。私の好きなエッセイにね、真夜中に散歩している話がよく出るんです。私それがずっと羨ましくて」
「それは今、こうしていつでも外に出られるようになっても変わらんの?」
街灯に照らされた彼女の目はこの夜に陶酔するようにうっとりと光っている。その姿はいつもの“こんばらりあのみす”ではなく、初めての世界に足を踏み入れた少女のようにR-指定の目に映った。
「はい。真夜中は空や街灯の色も、空気の匂いも、世界そのものが違うんです。真夜中のお外はね、私にとって永遠の憧れなんですよ」
みすはまたR-指定の少し先を歩き始める。ダンスフロアで踊るダンサーさながらの動きで軽やかに、楽しそうに歩を進める彼女を追いかけることも忘れ、R-指定はみすの背中を見つめた。
先ほどのみすの言葉を思い出す。
——私もそれくらい誰かを好きになれば
自分がその“誰か”になりたい。今はっきりとそう思った。“こんばらりあのみす”じゃない、今少しだけみすが覗かせた彼女の本当をもっと知りたい。あのうっとりとした瞳に自分を映してほしい。それが恋心であることをR-指定は知っていた。
だからそう思った瞬間、口が開いてしまったのである。
「…… みすちゃん」
「はい?」
「さっき、私もそれくらい誰かを好きになればラブソング書けるかって言うてたよな。どうしようもなく好きって、この人やないと嫌やって思えるくらい誰かを好きになればって」
「えっと、はい。言いました」
「……それ、俺じゃ駄目かな」
「へっ?」
先輩の唐突な言葉に磨は目を丸くした。好きになる相手が俺じゃ駄目か、なんて。人の心を推し量ることが苦手な彼女でもさすがにわかる。これは告白だ。R-指定が、自分に。唐突で想像だにしなかった状況に磨がただただ硬直していると、R-指定はハッとした顔をして口を押さえた。が、あとの祭りである。
「いや、あー……あの、えっと……へ、返事は、今やなくてええから」
嘘ではない手前、「やっぱ今のなし」と茶化すこともできず、R-指定はしどろもどろになりながらもなんとかこの話を一旦終わらせた。終わりではなく、ただ先延ばしにしているだけなのは重々承知している。でも、驚いたまま微動だにしない彼女に対してこれ以上自分が居た堪れない。
「えっと、あ、はい。わかりました……」
先ほどまでの楽しそうな雰囲気はどこへやら、二人は磨の住むマンションまでの道を、無言のまま、一度も互いの顔を見ることができないまま歩いた。
「……あ。じゃあ私の家、ここなので」
「そ、そっか」
「送っていただいて、ありがとうございます」
「いや、ええんよ。こちらこそありがとぉな」
「いいえ。楽しかった、です」
お互い待ち合わせた時よりさらにぎこちなく挨拶を交わす。とりあえずさっさと家に入ってしまおうとオートロックに駆け込もうとする磨をR-指定が呼び止めた。
「あの。……また、誘ってもええ?」
「あっ、はい! それは、もちろん」
「よかった。じゃあ……また連絡するわ」
「はい。私も予定わかったら連絡しますね。じゃあ……おやすみなさい」
「おん、おやすみ」
R-指定が見送る中、磨はオートロックをくぐった。半ば放心状態のままエレベーターに乗り、自宅のドアの鍵を開ける。
「……はあぁあ〜〜〜〜」
玄関に入った瞬間、その場にへたり込んだ。なんだったんだ、さっきのは。まさか今日、このために二人で会おうと言ったのか。いや、それにしてはいきなりすぎるだろう。酔いはすっかり醒めたはずなのに考えはさっぱりまとまらない。ひとしきり唸って叫んでも何もわかるわけもなく、磨はまだ起きているであろう相方の携帯電話を鳴らした。
『はい。どした、みす。Rさんとはもうバイバイしたの?』
誰よりも聞き慣れた最愛の相方の声が電話口から聞こえ、磨はやっと夢から抜け出し、現実に戻れたような気がして息をついた。
一方潔は、電話をかけてきた相方のため息に少々不安が募る。まさか、何かあったのか。
『みす、大丈夫? もしかして何かあった?』
「…… 潔、どうしよ。私Rさんに告白されちゃった」
間。
『……まじで?』
「うん……どうしよう」
『なんて告白されたん』
「えっとね……」
磨は今夜あったことをすべて石橋に話した。
『あ……それは、どう考えても告白だなあ。え、なんて返事したの?』
「返事できなかった。Rさんに「今じゃなくていいから」って言われちゃって」
『そうかぁ…… みすはなんて答えるつもり?』
「わかんないの……Rさんのことは好きよ。でもそれが先輩としてなのか、お……男の人として、なのか、まだわかんないんだ」
好意を向けられた瞬間意識して、自分も相手のことが好きになったように錯覚してしまうのは、磨の昔からの悪い癖だった。それで今まで何度も嫌な思いをしてきたのだ。男性というのは、こちらが好意を表に出した途端、すぐにつけ上がり、大事にしなくなり、こちらの性格を見た途端、すぐに嫌悪感を露呈し、適当な理由をつけて捨てる。R-指定も同じ、だとは今までの彼を見てきた以上そうは思い難いが、恋愛となっては話が別である。
『まあ、わからん限りは返事のしようもないもんな……Rさんがそう言ってくれてるんだったら、とことん考えた方がいいよ。お互い芸能界にいる身でもあるしな』
「うん……そうだよね、じっくり考えてみる。ありがとう、潔。こんな時間にごめんね」
『いんだよ〜、私も起きてたし。じゃあまた明日ね、おやすみ。と言っても、しばらく寝れんと思うけど、ほどほどにな。明日も仕事なんだから』
「うん、ありがとう。おやすみ」
終話アイコンをタップし、また一つため息をつく。とりあえず、就寝の準備をしよう。シャワーを浴びに磨は立ち上がり、脱衣所へ向かった。
一方潔は、未だ切話音の鳴る携帯電話を見つめ、どうしたものかとこれまたため息をついていた。まさかこんなに早く、この時が来るとは。
先輩であるR-指定が相方に対して後輩以上の感情を抱いているらしいのは薄々勘づいていた。相方にだけのメディア出演への感想、彼の相方である松永も加わっての四人での食事会の際、彼がみすに向ける視線が自分に向けるそれと少し、だが明らかに違う意味を孕んでいるらしいのは、他人の心を推し量ることを得意とする潔の目には明らかであった。
いつかくっついたらいいなとは思っていたけど、告白されるなんて、今のみすには刺激の強すぎるイベントだなあ、と潔は天を仰いだ。彼女は今、もっとも苦手とするラブソングの作詞作業を抱えているのである。まあその話から飛躍しての今の状況だろうとは思うのだが、まさか自分にラブストーリーの導入——いやすでに中間の大詰めか——のような出来事が降り掛かるとは彼女は夢にも思っていなかっただろう。これが彼女の作詞作業によい影響を及ぼせば願ったり叶ったり、悪い影響を及ぼせばその時は自分がフォローしてあげなければ。潔はどう彼女を支えるべきか思慮しつつ、個人用トークツールに冗談めかした議題を投じた。
『お疲れ様です。お宅の相方さん、やってくれましたねえ』
みすが自宅のオートロックをくぐってすぐの頃、R-指定もまた先の自分の言動を反芻してその場にしゃがみ込んでいた。
「っあぁ〜〜〜……」
もう一人になったというのに居た堪れなさは消えず、R-指定は携帯電話を取り出し、まだ起きているであろう相方の携帯電話を鳴らした。唯一無二の相方を持つと、窮地に立たされた時にやることは同じのようである。
『お前、何時だと思ってんだ』
「すまん……てか、お前いつもこの時間起きとるやろ」
『まあ起きてるけど。どうした、みすさんに振られた?』
「ふ、振られてへん! まだ……」
『は? まだってどういうことだよ』
「……どうしよ松永さん。俺言ってしもた」
『は⁉︎ 待て、お前。詳しく聞かせろ』
R-指定は今夜あったことをすべて松永に話した。
『お前……んだよそのダッセえ告白は』
「うっさい……自分でもわかってんねんダサいのは」
『そのダッセえ告白した挙句、自分から返事先延ばしにしたのか』
「もお言わんといて……」
自身が奥手であることは、R-指定は自分のことながら重々理解しつつ、どうにかしたいとは思っていた。本当に今日言うつもりなどなかった。今日は二人で食事に行ければそれでよかったのだ。そこから少しずつ二人で会う回数を増やしていき、いずれは……と考えていたのに。たった1回目で告白してしまうなんて、ここまで後先考えない大胆さは望んでいない。
みすは今頃何を考えているのだろうか。今度こそ本当に先輩として素直に尊敬してくれていたのに、その気持ちを裏切ってしまったかもしれない。もう関わりたくないと思われていたら……とR-指定の中で絶望的な妄想が膨らんでいく。
『言ったもんは仕方ないし、みすさんの返事を待つしかないんじゃないの』
「わかってる。けど……あー、返事もらうまで気が気じゃないんやけど……」
『それはお前が悪いんだから我慢しろ。四人で会う時変な態度とんなよ』
「わーってるよ……そこは、なんとか頑張る」
『まあ、俺もフォローするから。けしかけたの俺だし。こんな展開早いと思わなかったけど』
「おん、ありがとぉな」
『あと100回言え』
「あれ、なんか電波悪いな。松永さん切るでー。ほな」
『あっお前、おい!』
まだ何か言っている松永を残し、終話アイコンをタップする。二人になってしまうと、返事を急かしてしまいそうで怖いから、次会う時は二人がええな。そう考えながら、R-指定はタクシーを呼ぶのも忘れ、まだ夜明けの遠い道を歩き出した。
一方松永は、意図せず終了させられた液晶画面を見つめつつ、さてどうしたものかと顎に指を添えた。確かに二人で食事に行くようけしかけたのは自分であるが、こんなに早くこの時を迎えるとは思ってもみなかった。奥手だと思っていた相方の思わぬ思い切りの良さには吃驚させられたが、想いを伝えてしまった以上は応援してやりたいし、もし成就しなかったとしても四人の関係が壊れることはなんとか避けたい。
そう思ったところで、再度携帯電話が震えた。通知画面には珍妙なアイコンが表示されている。みすの相方である潔からだ。こんな時間に珍しい——と思いつつ通知センターを開くと、画面には
『お疲れ様です。お宅の相方さん、やってくれましたねえ』
とあった。
これは怒っている……? どうやらみすも潔にことの経緯は話し済みらしい。まあ、事が事だし、相方には言わざるを得ないだろう。元々四人で始まった関係でもあるわけだし。もし本当に怒っているのであれば、まず彼女を説得することは相方を応援する身として最優先事項となるだろう。普段はみすが潔にべったりくっついている印象が目立つが、実のところ潔もみすのことを唯一無二の相方として愛してやまないのだ。
松永はトーク画面の受話器アイコンをタップした。
『はい、お疲れ様です』
「あの……すみません、うちの相方が」
『ほんと、やってくれましたよね。みすが困惑しまくってましたよ』
本題を挙げずとも伝わる会話に内心面白くなってきながらも、ここはちゃんと彼女を説得しないと、と松永は姿勢を正した。
「え、やっぱ反対なの。潔さんは」
『まさか。松永さんだったらめちゃくちゃ反対しましたけど』
「おい」
『冗談です。でもまあ、Rさんがみすに気があるのはなんとなく察してましたし、みすもRさんのこと良く思ってましたし、Rさんいい人だし。二人が想い合ってくっつくんだったらもう言うことないですよ。ただ……タイミングが悪い』
「ああー……ラブソングだっけ」
昨夜のラジオは松永も聴いていた。みすが最もやりたくない仕事に挙げたラブソングの作詞。それがラジオ終了直後にまさにそのとおりの仕事が彼女に舞い込んだことも今日の彼女とR-指定の通話で聞いている。確かに今の状況は彼女にとって吉と出るか凶と出るか、といったところだ。
「みすさん、書き下ろし得意なのに意外だね」
『まあ、みすがラブストーリー嫌いってのもありますけど』
松永は首を傾げつつこんばらりあのディスコグラフィーをたどった。
「あれ、でも今までラブソングっぽいの作ってなかった?」
『あれは全部私へのラブレターなんで』
潔の少し得意げな声で松永は納得した。今までみすのしたためる愛の曲が一概にラブソングと捉えられなかった理由はそれだったようだ。
「なるほどな、それでか……ところで、困惑しまくってるっつってたけど、みすさんはあーるのことどう思ってるっぽいの」
『Rさんのことは好きだけど、先輩としてなのか異性としてなのかがまだわからないそうです』
「え、結構脈アリな感じ? 少なからず今日で意識し始めてはいるでしょ」
R-指定の話ではほぼ振られる前提のように聞こえたが、どうやらそうではないらしい。心の中で彼によかったな、と言いつつ松永は改まって潔に問いかけた。
「潔さん」
『はい』
「俺としてはあーるのこと応援してるし、できればくっついてほしいと思ってる。それは潔さんも同じってことでいい?」
『まあ、そうですね』
「じゃあなんとかご尽力いただけませんかね」
『いいですよ。みすには幸せになってほしいし、面白そうだし。ただ意外ですね』
「何が?」
『松永さんは反対すると思ってたんで』
松永は今まで目の当たりにしてきたみすの姿を思い浮かべる。煙草とピアスだらけの見た目の割にいつも笑顔で礼儀正しく、奔放に見えて気にしいで、怒ることが大の苦手な彼女は、客観的に見ても、煙草とロングヘアに髭という見た目の割に腰が低く、遅刻癖があるくせに真面目で、人が怒っている場面が大の苦手な相方とお似合いだと思った。
「あー……まあ、他のよく知らない同業者とかだったらしてたかもしれないけど、みすさんだからいいかなって」
『あ、そこには同意です。私もRさんだからいいかなって思ってます』
「潔さんだったらめちゃくちゃ反対してたけどね」
『冗談ですか?』
「うん、冗談」
『仕返ししてこないでくださいよ……まあとりあえず私はRさんに何も言いません。松永さんもみすには何も言わないでください。たぶんその方がいいと思います』
互いの相方に助言をするのはいいが、R-指定は潔が、みすは松永が今夜の一連の出来事を知っていることを知らない。潔は二人を手助けしたいと思いつつ、自分たちが余計なことをするのだけは避けたかった。
「わかった。近々四人で会う予定あったっけ」
『えっとー……あ、来週テレビ収録ご一緒する予定でしたよね?』
「あー、あれか。テレビの収録かあ、怖いな」
『フォロー頼みましたよ。こっちもなんとかやりますから』
「うん、頼むわ」
『じゃ、私はそろそろ寝るんで』
「うん。じゃーおやすみ」
『はいー、おやすみなさい』
こうして深夜の秘密の打ち合わせは幕を閉じた。