短編
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※前半、夢主視点。後半、水口さん視点。
私の高校生活はまるで絵に描いたように充実っぷりだ。
思えば生きてきて苦悩や、後悔、絶望なんてものとは幸せなことに全くの無縁だったかもしれない。
優しい周りの人たちにも恵まれ、バイト先にもいいお客さんしか来ず、たまにクレームがあったとしても頼れる先輩が対応してくれたりとつらいこともなく生きてきた。
ふと、ある時私の頭にはあるひとつの疑問が浮かんだ。
……こんなに幸せでいいのだろうか?と。
「あれ?苗字さん。まだ教室に残っていたんですね」
頭上から声をかけられて意識が浮上した。
……どうやら、眠ってしまっていたらしい。
窓から夕陽が差し込み、茜色に染まる教室には私と、そして今私に声をかけてくれたクラスメイトの水口さんしかいなかった。
水口さんは柔らかい笑みを携えて私の頬に手を伸ばすと、口元の端を少し撫でてきて驚いて彼女を見つめると反対の手で自らの頬……唇の端近くを指さした。
「ここ。跡ができちゃってますよ」
『えっ!?』
バッと慌てて、手で触って確認しようとしたタイミングで水口さんの手が離れていく。
触れたら確かに跡がついている感触がして、恥ずかしさでそこを押えたまま水口さんを見上げた。
『うっ……恥ずかしい。教えてくれてありがとう。水口さん』
「いえ。なんだかかえって恥ずかしい思いをさせてしまったようで申し訳ないです……」
『そんなことないよ!知らないまま帰ってたらもっと恥ずかしいし!ありがとう…!』
「ふふっ。はい。……あっ」
ふと、水口さんが弾かれるように窓の方を見た。
街の方から微かに流れ聴こえてくるメロディは聞き覚えのあるもので、私は思わずガタッと音を立てて椅子から立ち上がった。
それをキョトンした顔の水口さんに見られているのにも構わず私は予め荷物をしまっておいた鞄を肩にかけた。
『私、もう行くね。起こしてくれて本当にありがとう!水口さん』
「えっ。あの、何か用事ですか?」
『うん!今日、近くの商店街でμがウィキッドの楽曲を歌うって噂で聞いて……それでデマか本当か情報流れてくるまで待ってたんだけどいつの間にか寝ちゃってて…』
「……ウィキッドの曲が、お好きなんですか?」
『んー、好きだよ。なんか私にとってはウィキッドの曲を聴くことが幸せと不幸の帳尻合わせになってるんだよね』
「…………そうなんですねぇ」
『変だよね。みんなにもよく言われるんだ。なんでわざわざ不幸でバランスを取ろうとするの?って、そんなの、そうしないと不安だからに決まってるのにね』
「苗字さんは、どうしてそんなにバランスを合わせたいんですか?」
水口さんが真剣な瞳が私を射抜く。
普段から水口さんは誰の話も真剣に、話しやすいように適度に相槌を打って聞いているように見えるけれど、今日はなんだか様子が違っていた。
好奇心とか、興味のようなそんな瞳に輝きを宿しているように見えて、だから私は対して親密というわけではない水口さんに言う必要のないことをペラペラ話してしまったのかもしれない。
『幸せすぎると怖いから。……だからウィキッドの曲を聞くと安心するのかも』
「怖い……?でも、ウィキッドは苗字さんの考えているような意図はなく曲を作っているのかもしれませんよ。私には聴く人の不安や不満を煽っているようにも、破滅を促しているようにも聴こえます」
『そうだね。水口さんの言うことは正しいと思う。でも、それでも私は好きだよ』
僅かに、水口さんが驚いた顔をした気がした。
「……あっ。その、引き止めてしまってすみません。苗字さんとお話できて良かったです」
『そ、そうかな?こっちこそ、話し聞いてくれてありがとう。じゃあ、また明日ね』
水口さんに手を振れば、彼女は笑顔で手を振り返してくれた。
その後すぐに教室を出て、小走りで廊下を行く。
曲がり角で鉢合わせた先生には注意されたけれど、立ち止まることはせず『すみません!次から気をつけます!』なんて謝罪もそこそこに立ち去った。
横を通る際にジジッと先生の顔にノイズが走ったように見えたけれど、今はそんなことを気にしてる場合じゃない。
(きっと、気の所為だよね…)
それに今は急がないと。
せめて、少しだけでもウィキッドの曲を歌うμを生でみたいから。
※※※※
この素晴らしい世界は綻びだらけ。
私にとっては好きに遊べる最高の舞台だけれど、その綻びのせいで最近少しずつ壊れつつある。
ラガード。
ここが現実でないと気づいた可哀想な奴らのせいで。
(……ソーンは一体何を考えているわけ?帰宅部の連中を野放しにして、何人かやられてる楽士の報告もしないで、やる気あるわけ?)
クソみたいな現実に帰ろうとする奴らの気もしれない。
イライラしながら、可愛くていい子な茉莉絵ちゃんのSNSにアップする用のカフェの写真を撮りに行く道中、見覚えのある後ろ姿を見つけて思わず口角が上がった。
苗字 名前。
クラスメイトの一人。現実には気づいていないけれど、この世界への違和感は抱いている危険分子。守田鳴子との仲も悪くなく、気づかれたら確実に帰宅部に引き込まれる可能性大の面倒な存在。
幸い、私の曲が好きで頻繁に聴いてるおかげか未だに気づかない。
ただ、何度か中でも中毒性の高い曲を聴くように促してみて洗脳を試みたけど、何故か効果はなし。
……ほんと変な女。
「 名前さん。奇遇ですね…!」
『え、茉莉絵ちゃん!ほんと、偶然!』
背後から近寄って声をかければ、振り返った 名前は嬉しそうに笑った。
(……無警戒な顔…。私がなんで近づいたか知りもしないで笑える)
教室で話してから、私は 名前がラガードにならないように接近した。
違和感は否定して、守田鳴子や帰宅部の奴らにはなるべく近づけないように遠ざけて……。
それから、私もウィキッドが好きだということにして共通の話題を手に急接近することに成功した。
(私にかかればこれぐらいチョロいもんだわ。それに、ウィキッドのことを一番詳しいのは他でもない私だもの。それで興味を引くなんて容易いに決まってる)
あの、噂で聞いたんですけど……。ってまだ何処にも流してない新曲の情報を少し漏らせばすぐに食いついてくる。
名前で呼び合う関係になるのも時間はかからなかった。抵抗はかなりあるし、茉莉絵ちゃんとか呼ばれるのなんなら今でもキモイけど。
でも、 こいつがウィキッドを賞賛する言葉を聞くのは悪くない。
リスナーの声って大事だし?一応、ミジンコ程度には参考にしてあげなくもないとは思う。
まぁ、気が向いたらだけどね。
「これからカフェでひと休みしようかと思っていたんです。もしよかったら一緒にどうですか?」
『あ、もしかしてあそこのカフェ?』
「は、はい。もしかして 名前さんも行く予定でしたか?」
『うん!新作のケーキが食べたくて…』
「やっぱり!実は私もそうなんです」
『ほんと!?やっぱり私たち気が合うね…!』
心底嬉しそうに笑う 名前に思わず吹き出しそうになるのをなんとか堪えてテレ笑いを浮かべ「本当ですね」なんて嬉しそうに同意して見せた。
本当はあんたが好きそうだから、写真をアップするついでに休日に誘き寄せる口実にしようとしていたんだけど……その手間が省けたことに笑いを堪えるのが大変だった。
(ほんと、上手く行きすぎて逆に疑うレベルよ?)
そのおかげか、不思議とこいつといるのはストレスが堪らなかった。
2人で並んで入店し、注文した商品を受け取ってから席に着く。
私の向かいに座った 名前は携帯でケーキの写真を撮ってGosippaにアップした。それを確認した後に名前より綺麗に撮った写真をアップすれば、私に気のある男共や、私と仲良いと勘違いしている女たちからのコメントやハートが飛んでくる。
名前のアップしたものとの差は歴然で、仲のいい数人からしか評価されない写真と、フォロー外からも反応が飛んでくる私の写真に内心ほくそ笑みながら、お情けで私は名前の写真にコメントを送信した。
「また一緒に来ましょうね。……なんて、気が早いですよね」
『茉莉絵ちゃん……!もちろん!』
送信したのと同じ言葉にプラスアルファして名前に言えば、名前は嬉しそうに笑ってケーキを頬張った。
『美味しい〜!茉莉絵ちゃんも食べてみて!』
「はいっ。……はむ。……んー!本当に美味しいですね」
『でしょ!……やっぱり茉莉絵ちゃんと一緒だからかな。私、茉莉絵ちゃんのこと一番の友達だと思ってるから』
「…!名前さん」
(一番の友達ですって……?冗談も程々にしなさいよ。私はあんたのこと友達だなんて思ってない。1度も思ったことなんかないッ!ちょっと良くしてやったからって調子に乗らないでほしいわ…。友情なんてない。いらないのよ、そんなくだらないもの。それに私はっ、)
──ガシャン
手からフォークが滑り落ちて、食器にぶつかって音が響いた。
一瞬、アホみたいに反射で注目した店内中からの視線は何事もないことを認識して離れていった。
名前はといえば、馬鹿みたいに心配そうな顔で私が落としたフォークに手を伸ばしている。
『茉莉絵ちゃん?大丈夫?』
拾ったフォークを私に差し伸べるその手首を掴んだ。
それは想像より細くて落ち着かない気分になる。
……取り繕うことをやめたのも同時だった。
「一緒に来て」
『えっ、ちょ、茉莉絵ちゃん!?』
そのまま席を立ち上がれば、手首を掴まれたままの名前も立ち上がって、歩き出した私に慌ててフォークを置いてから、半ば引き摺られる形で後ろを着いてくる。
『本当に大丈夫?具合い悪いの…?』
「大丈夫。だから、黙ってて」
『ま、茉莉絵ちゃん……?』
困惑しながらも着いてくるお人好しに口元が緩む。
(……あぁ、私どうかしちゃった?いや、もともと自分のこと正常だとかは思ってないけど。近づいたのはきっと間違いだった。ラガードになったところを狩れば良かった。そうすればこんな馬鹿なことしないで済んだのよ。……でも、興味を持った。ウィキッドを語る名前の瞳の輝きに……そうさせたのは自分だという事実にたまらなく気分が高揚してしまったから)
人家のない路地裏に名前を押し込んで、壁に追いやった。
多少、荒々しくしたからか名前は背中を打って苦痛に顔を歪めた。
それを見て、酷く興奮した私は未だに状況を理解していないうちに、名前の両足の間に片足を入れて、両手首を壁に縫い付けて動きを封じた。
『本当に、どうしちゃったの……?』
若干泣きそうになっている名前の表情に堪らなく唆られて、どうにかなってしまいそう……。
もう、どうだっていい。
あんたが私のモノになるんなら。
「どうもしねぇよ。これが私」
そう耳元で囁けばビクッと肩が跳ねた。
分かりやすい反応に気分を良くしてスーッと両足の間に入り込ませた足をわざとらしく上げれば、『や、やめっ!』なんて声を上げてまともに力の入っていない抵抗をしてくるものだから、それを封じるように唇を奪った。
『んんっ!?ふぅっ……んぅ!』
「…………ん。ふふっ」
すぐに息をあげる名前から唇を離して笑えば、名前は涙をポロポロと零して、恐怖を滲ませた顔で私を見てきた。
それだけじゃ満足出来なくて、もっと私のせいで歪む顔を見たくて再び名前に顔を近づける。
「私、あんたのこと1度も友達だなんて思ったことないから」
『う、嘘……』
「嘘じゃねぇからこんなことしてんだろーが。普通お友達にこんなことするかよ。あぁん!?」
『……っ、でも、だからってこんなこと…』
「あ?こんなことってなんだよ。ちゃんと言えよ」
『〜〜〜!だからっ、なんで、キス……?』
「はっ。その足りねぇ頭でよーく考えれば?」
『そんなこと言われたって……』
『ちっ。あ〜〜〜もう、うるせぇなぁ!!?』
両手を更に壁に押し付けて凄めば、名前はぎゅっと目を閉じて黙った。
その身体がかすかに震えているのに気づいて、他人を支配する楽しさに口角が上がる。
「それともう1つ。……私がウィキッド。あんた
のだーいすきな楽士よ」
『へ……?』
「よかったじゃない。憧れのウィキッド様にキスしてもらえて」
『………こんなの違う。だってこんなの私、望んでない』
「ハァ?」
苛立ちを隠さずに睨んでも、名前は引くつもりは無いらしく、開いた目を私にしっかり向けた。
『茉莉絵ちゃんのこともウィキッドのことも好きだけど、そういう好きじゃない。……私は確かに幸せと不幸のバランスを……幸せなこの世界でバランスを取るために負の楽曲で不幸を補ってたけど、でもこんなことは望んでない!私は、友達でいたいよ、茉莉絵ちゃん』
「もしかして、お前……」
(とっくにラガードだった?わかってて、何も知らないフリをしてこの世界で過ごしていたってこと……?何よ、それ……)
「アハッ!アハハハハッ!アハハハハハハハッ……。ふぅ……。そう。なら、勝手にそう思ってろよ。果たしていつまで友達と思えるか見ものだな」
そう言って名前から身体を離せば、情けなくその場にへたりこんだ。
「……大丈夫ですか?名前さん」
『っ!だ、大丈夫』
優等生の顔で手を差し伸べるも名前は手を取らず立ち上がった。……真面目に返事をするあたり名前らしい。
「ふふっ。これからは遠慮しないので、覚悟してくださいね。名前さん」
優しい微笑みを浮かべれば、名前は恐怖の中に困惑を滲ませた表情をした後『お願いだから、やめて……』と目を潤ませたものだから耳元に唇を寄せた。
「それじゃあ、逆効果ですよ」
私の高校生活はまるで絵に描いたように充実っぷりだ。
思えば生きてきて苦悩や、後悔、絶望なんてものとは幸せなことに全くの無縁だったかもしれない。
優しい周りの人たちにも恵まれ、バイト先にもいいお客さんしか来ず、たまにクレームがあったとしても頼れる先輩が対応してくれたりとつらいこともなく生きてきた。
ふと、ある時私の頭にはあるひとつの疑問が浮かんだ。
……こんなに幸せでいいのだろうか?と。
「あれ?苗字さん。まだ教室に残っていたんですね」
頭上から声をかけられて意識が浮上した。
……どうやら、眠ってしまっていたらしい。
窓から夕陽が差し込み、茜色に染まる教室には私と、そして今私に声をかけてくれたクラスメイトの水口さんしかいなかった。
水口さんは柔らかい笑みを携えて私の頬に手を伸ばすと、口元の端を少し撫でてきて驚いて彼女を見つめると反対の手で自らの頬……唇の端近くを指さした。
「ここ。跡ができちゃってますよ」
『えっ!?』
バッと慌てて、手で触って確認しようとしたタイミングで水口さんの手が離れていく。
触れたら確かに跡がついている感触がして、恥ずかしさでそこを押えたまま水口さんを見上げた。
『うっ……恥ずかしい。教えてくれてありがとう。水口さん』
「いえ。なんだかかえって恥ずかしい思いをさせてしまったようで申し訳ないです……」
『そんなことないよ!知らないまま帰ってたらもっと恥ずかしいし!ありがとう…!』
「ふふっ。はい。……あっ」
ふと、水口さんが弾かれるように窓の方を見た。
街の方から微かに流れ聴こえてくるメロディは聞き覚えのあるもので、私は思わずガタッと音を立てて椅子から立ち上がった。
それをキョトンした顔の水口さんに見られているのにも構わず私は予め荷物をしまっておいた鞄を肩にかけた。
『私、もう行くね。起こしてくれて本当にありがとう!水口さん』
「えっ。あの、何か用事ですか?」
『うん!今日、近くの商店街でμがウィキッドの楽曲を歌うって噂で聞いて……それでデマか本当か情報流れてくるまで待ってたんだけどいつの間にか寝ちゃってて…』
「……ウィキッドの曲が、お好きなんですか?」
『んー、好きだよ。なんか私にとってはウィキッドの曲を聴くことが幸せと不幸の帳尻合わせになってるんだよね』
「…………そうなんですねぇ」
『変だよね。みんなにもよく言われるんだ。なんでわざわざ不幸でバランスを取ろうとするの?って、そんなの、そうしないと不安だからに決まってるのにね』
「苗字さんは、どうしてそんなにバランスを合わせたいんですか?」
水口さんが真剣な瞳が私を射抜く。
普段から水口さんは誰の話も真剣に、話しやすいように適度に相槌を打って聞いているように見えるけれど、今日はなんだか様子が違っていた。
好奇心とか、興味のようなそんな瞳に輝きを宿しているように見えて、だから私は対して親密というわけではない水口さんに言う必要のないことをペラペラ話してしまったのかもしれない。
『幸せすぎると怖いから。……だからウィキッドの曲を聞くと安心するのかも』
「怖い……?でも、ウィキッドは苗字さんの考えているような意図はなく曲を作っているのかもしれませんよ。私には聴く人の不安や不満を煽っているようにも、破滅を促しているようにも聴こえます」
『そうだね。水口さんの言うことは正しいと思う。でも、それでも私は好きだよ』
僅かに、水口さんが驚いた顔をした気がした。
「……あっ。その、引き止めてしまってすみません。苗字さんとお話できて良かったです」
『そ、そうかな?こっちこそ、話し聞いてくれてありがとう。じゃあ、また明日ね』
水口さんに手を振れば、彼女は笑顔で手を振り返してくれた。
その後すぐに教室を出て、小走りで廊下を行く。
曲がり角で鉢合わせた先生には注意されたけれど、立ち止まることはせず『すみません!次から気をつけます!』なんて謝罪もそこそこに立ち去った。
横を通る際にジジッと先生の顔にノイズが走ったように見えたけれど、今はそんなことを気にしてる場合じゃない。
(きっと、気の所為だよね…)
それに今は急がないと。
せめて、少しだけでもウィキッドの曲を歌うμを生でみたいから。
※※※※
この素晴らしい世界は綻びだらけ。
私にとっては好きに遊べる最高の舞台だけれど、その綻びのせいで最近少しずつ壊れつつある。
ラガード。
ここが現実でないと気づいた可哀想な奴らのせいで。
(……ソーンは一体何を考えているわけ?帰宅部の連中を野放しにして、何人かやられてる楽士の報告もしないで、やる気あるわけ?)
クソみたいな現実に帰ろうとする奴らの気もしれない。
イライラしながら、可愛くていい子な茉莉絵ちゃんのSNSにアップする用のカフェの写真を撮りに行く道中、見覚えのある後ろ姿を見つけて思わず口角が上がった。
苗字 名前。
クラスメイトの一人。現実には気づいていないけれど、この世界への違和感は抱いている危険分子。守田鳴子との仲も悪くなく、気づかれたら確実に帰宅部に引き込まれる可能性大の面倒な存在。
幸い、私の曲が好きで頻繁に聴いてるおかげか未だに気づかない。
ただ、何度か中でも中毒性の高い曲を聴くように促してみて洗脳を試みたけど、何故か効果はなし。
……ほんと変な女。
「 名前さん。奇遇ですね…!」
『え、茉莉絵ちゃん!ほんと、偶然!』
背後から近寄って声をかければ、振り返った 名前は嬉しそうに笑った。
(……無警戒な顔…。私がなんで近づいたか知りもしないで笑える)
教室で話してから、私は 名前がラガードにならないように接近した。
違和感は否定して、守田鳴子や帰宅部の奴らにはなるべく近づけないように遠ざけて……。
それから、私もウィキッドが好きだということにして共通の話題を手に急接近することに成功した。
(私にかかればこれぐらいチョロいもんだわ。それに、ウィキッドのことを一番詳しいのは他でもない私だもの。それで興味を引くなんて容易いに決まってる)
あの、噂で聞いたんですけど……。ってまだ何処にも流してない新曲の情報を少し漏らせばすぐに食いついてくる。
名前で呼び合う関係になるのも時間はかからなかった。抵抗はかなりあるし、茉莉絵ちゃんとか呼ばれるのなんなら今でもキモイけど。
でも、 こいつがウィキッドを賞賛する言葉を聞くのは悪くない。
リスナーの声って大事だし?一応、ミジンコ程度には参考にしてあげなくもないとは思う。
まぁ、気が向いたらだけどね。
「これからカフェでひと休みしようかと思っていたんです。もしよかったら一緒にどうですか?」
『あ、もしかしてあそこのカフェ?』
「は、はい。もしかして 名前さんも行く予定でしたか?」
『うん!新作のケーキが食べたくて…』
「やっぱり!実は私もそうなんです」
『ほんと!?やっぱり私たち気が合うね…!』
心底嬉しそうに笑う 名前に思わず吹き出しそうになるのをなんとか堪えてテレ笑いを浮かべ「本当ですね」なんて嬉しそうに同意して見せた。
本当はあんたが好きそうだから、写真をアップするついでに休日に誘き寄せる口実にしようとしていたんだけど……その手間が省けたことに笑いを堪えるのが大変だった。
(ほんと、上手く行きすぎて逆に疑うレベルよ?)
そのおかげか、不思議とこいつといるのはストレスが堪らなかった。
2人で並んで入店し、注文した商品を受け取ってから席に着く。
私の向かいに座った 名前は携帯でケーキの写真を撮ってGosippaにアップした。それを確認した後に名前より綺麗に撮った写真をアップすれば、私に気のある男共や、私と仲良いと勘違いしている女たちからのコメントやハートが飛んでくる。
名前のアップしたものとの差は歴然で、仲のいい数人からしか評価されない写真と、フォロー外からも反応が飛んでくる私の写真に内心ほくそ笑みながら、お情けで私は名前の写真にコメントを送信した。
「また一緒に来ましょうね。……なんて、気が早いですよね」
『茉莉絵ちゃん……!もちろん!』
送信したのと同じ言葉にプラスアルファして名前に言えば、名前は嬉しそうに笑ってケーキを頬張った。
『美味しい〜!茉莉絵ちゃんも食べてみて!』
「はいっ。……はむ。……んー!本当に美味しいですね」
『でしょ!……やっぱり茉莉絵ちゃんと一緒だからかな。私、茉莉絵ちゃんのこと一番の友達だと思ってるから』
「…!名前さん」
(一番の友達ですって……?冗談も程々にしなさいよ。私はあんたのこと友達だなんて思ってない。1度も思ったことなんかないッ!ちょっと良くしてやったからって調子に乗らないでほしいわ…。友情なんてない。いらないのよ、そんなくだらないもの。それに私はっ、)
──ガシャン
手からフォークが滑り落ちて、食器にぶつかって音が響いた。
一瞬、アホみたいに反射で注目した店内中からの視線は何事もないことを認識して離れていった。
名前はといえば、馬鹿みたいに心配そうな顔で私が落としたフォークに手を伸ばしている。
『茉莉絵ちゃん?大丈夫?』
拾ったフォークを私に差し伸べるその手首を掴んだ。
それは想像より細くて落ち着かない気分になる。
……取り繕うことをやめたのも同時だった。
「一緒に来て」
『えっ、ちょ、茉莉絵ちゃん!?』
そのまま席を立ち上がれば、手首を掴まれたままの名前も立ち上がって、歩き出した私に慌ててフォークを置いてから、半ば引き摺られる形で後ろを着いてくる。
『本当に大丈夫?具合い悪いの…?』
「大丈夫。だから、黙ってて」
『ま、茉莉絵ちゃん……?』
困惑しながらも着いてくるお人好しに口元が緩む。
(……あぁ、私どうかしちゃった?いや、もともと自分のこと正常だとかは思ってないけど。近づいたのはきっと間違いだった。ラガードになったところを狩れば良かった。そうすればこんな馬鹿なことしないで済んだのよ。……でも、興味を持った。ウィキッドを語る名前の瞳の輝きに……そうさせたのは自分だという事実にたまらなく気分が高揚してしまったから)
人家のない路地裏に名前を押し込んで、壁に追いやった。
多少、荒々しくしたからか名前は背中を打って苦痛に顔を歪めた。
それを見て、酷く興奮した私は未だに状況を理解していないうちに、名前の両足の間に片足を入れて、両手首を壁に縫い付けて動きを封じた。
『本当に、どうしちゃったの……?』
若干泣きそうになっている名前の表情に堪らなく唆られて、どうにかなってしまいそう……。
もう、どうだっていい。
あんたが私のモノになるんなら。
「どうもしねぇよ。これが私」
そう耳元で囁けばビクッと肩が跳ねた。
分かりやすい反応に気分を良くしてスーッと両足の間に入り込ませた足をわざとらしく上げれば、『や、やめっ!』なんて声を上げてまともに力の入っていない抵抗をしてくるものだから、それを封じるように唇を奪った。
『んんっ!?ふぅっ……んぅ!』
「…………ん。ふふっ」
すぐに息をあげる名前から唇を離して笑えば、名前は涙をポロポロと零して、恐怖を滲ませた顔で私を見てきた。
それだけじゃ満足出来なくて、もっと私のせいで歪む顔を見たくて再び名前に顔を近づける。
「私、あんたのこと1度も友達だなんて思ったことないから」
『う、嘘……』
「嘘じゃねぇからこんなことしてんだろーが。普通お友達にこんなことするかよ。あぁん!?」
『……っ、でも、だからってこんなこと…』
「あ?こんなことってなんだよ。ちゃんと言えよ」
『〜〜〜!だからっ、なんで、キス……?』
「はっ。その足りねぇ頭でよーく考えれば?」
『そんなこと言われたって……』
『ちっ。あ〜〜〜もう、うるせぇなぁ!!?』
両手を更に壁に押し付けて凄めば、名前はぎゅっと目を閉じて黙った。
その身体がかすかに震えているのに気づいて、他人を支配する楽しさに口角が上がる。
「それともう1つ。……私がウィキッド。あんた
のだーいすきな楽士よ」
『へ……?』
「よかったじゃない。憧れのウィキッド様にキスしてもらえて」
『………こんなの違う。だってこんなの私、望んでない』
「ハァ?」
苛立ちを隠さずに睨んでも、名前は引くつもりは無いらしく、開いた目を私にしっかり向けた。
『茉莉絵ちゃんのこともウィキッドのことも好きだけど、そういう好きじゃない。……私は確かに幸せと不幸のバランスを……幸せなこの世界でバランスを取るために負の楽曲で不幸を補ってたけど、でもこんなことは望んでない!私は、友達でいたいよ、茉莉絵ちゃん』
「もしかして、お前……」
(とっくにラガードだった?わかってて、何も知らないフリをしてこの世界で過ごしていたってこと……?何よ、それ……)
「アハッ!アハハハハッ!アハハハハハハハッ……。ふぅ……。そう。なら、勝手にそう思ってろよ。果たしていつまで友達と思えるか見ものだな」
そう言って名前から身体を離せば、情けなくその場にへたりこんだ。
「……大丈夫ですか?名前さん」
『っ!だ、大丈夫』
優等生の顔で手を差し伸べるも名前は手を取らず立ち上がった。……真面目に返事をするあたり名前らしい。
「ふふっ。これからは遠慮しないので、覚悟してくださいね。名前さん」
優しい微笑みを浮かべれば、名前は恐怖の中に困惑を滲ませた表情をした後『お願いだから、やめて……』と目を潤ませたものだから耳元に唇を寄せた。
「それじゃあ、逆効果ですよ」