同病相憐


同病相憐

「同病相憐(あいあわ)れむ」と読み下す。同じ病気の者同士は、苦痛がわかりあうという意味から、転じて、同じような境遇にある者は、互いの事情や立場がよく理解できるので、ともになぐさめあうということ。

某サイトより参照


いつもより滲んだ少年の目を見た瞬間、私の脳はぐらりと揺れた。


少年を私のもとに連れてきた男は、所謂育ての親とも呼べる存在だった。
育ての親と言うと、なにか感動的な思い出話でも出てきそうだが私と男の間にはそんな温かな話はない。
ここではあまり関係がないため割愛させてもらおう。

コイツを預かってくれ、そう言った男の顔は昔と変わらず品のない笑みを浮かべていた。
声の調子があまりにも軽かったため、男の後ろにいた少年が私の前に出てきた時でさえ、何を言っているんだこの男は、と頭に疑問符が踊る。
よろしくなと私の肩をぽんぽんと叩き、立ち去ろうとする男の背中に慌てて言葉を投げ掛けてみたものの。
男はこちらを振り返ることなく、右手を上げ左右に緩く振っただけだった。

私が自分の名前を告げると、少年も小さく口を開く。少年から名前を教えてもらった私は彼の姿を上から下へと眺めた。
白い髪に学生服、何歳なのか彼に尋ねてみたところ、十三と静かな声が返ってくる。
十三歳、その言葉に私の脳はぐらりと揺れた、ような感覚に陥った。

ーもう私が居なくても大丈夫よね
ーねぇ、もう良いでしょう?
ーいい加減にしてよ

少年から名前を呼ばれ、私は慌てて顔を上げる。
彼の視線は私のことを真っ直ぐに見つめており、その目から逃げるように私は顔を逸らした。

少年の存在は私の生活を劇的に変えたわけではなかったが、やはり多少の変化はあった。
恋人から仕事終わりの食事に誘われた際には事情を説明し、申し訳ないと頭を下げる。
どういう関係なのかと尋ねられ、見知らぬ少年を預かっていると説明するわけにもいかず。遠い親戚の子供だと伝える。
恋人は口をへの字に曲げ、短くため息をついた。

遅くならないように帰宅し、少年と食卓を囲む。
少年の視線は相変わらず私のことを真っ直ぐに見つめており、耐えられなくなった私は箸を置き、どうしたのだと尋ねる。
少年の話を纏めると、お付き合いしている人はいないのか、と言うことだった。
勘違いしないで欲しいのだが、少年は私に好意を向けているわけではなく、いい歳した大人なのに恋人もいないのか、という意味だろう。
嘘をつく理由もない。私が恋人の存在を話すと、彼は少しだけ目を丸くした。

少年と私の同居生活は滞りなく過ぎていく。
朝起きて、仕事に行って、帰宅して、床につく。
食事の時と休みの日は出来るだけ少年と過ごすようにしていた。
彼から頼まれたわけではない、私が勝手にしていることだ。

恋人からは不満の声が出ていたが、今度の休みの日に二人で出掛けようと私から誘ったら機嫌を直してくれたようだった。
少年には晩飯までには帰ってくるが、この日は朝から出掛けてくると伝えておいた。分かったと答えた彼の顔を見ることができず、私は視線を下に向ける。

恋人と過ごすための休日を迎えた私は朝飯の準備をしていたのだが、眠たい目を擦りながら起きてくる少年の、いつもの姿は一向に現れない。
不思議に思った私が彼の布団を小さく叩くと、苦しそうな息遣いが聞こえ、慌てて布団を捲るといつもよりも頬の赤い少年の姿がそこにはあった。
額に手をのせると汗ばんだ肌の熱さに驚き、意識はあるのかと彼の肩を小さく揺すると、ゆっくりと開く目。
氷枕と桶の中に水を入れ手拭を用意し、少年の頭を持ち上げ氷枕を敷き、水にくぐらせた手拭を額にのせる。
冷たかったせいか少年の眉間にはしわが寄っていたが、我慢してもらうしかない。
体温計を脇に挟むように言い、少しの間待つ。
少年から渡された体温計には見たことのない数字が表示されていた。

今日は出掛ける予定があるのだろうと苦しそうに口を動かし、少年は私のことを見つめる。
彼の視線から逃げるように顔を逸らすと、体温計を握る手を掴まれた。

「お願い、行かないで、傍にいて」

いつもより滲んだ少年の目を見た瞬間、私の脳はぐらりと揺れた。
思い出さないように蓋を閉めていた過去の記憶がぐるぐると回る。

ー体調悪い?
ー今日は出掛ける用事があるって言ってたわよね?どうして貴女はいつもそうなの?
ーやめて、お母さんを困らせないで

ため息をつく母の顔、そして家を出ていった母の背中。少年から名前を呼ばれ、意識は現在に戻る。
あの時、私は、

「大丈夫だよ、君の傍にいる。だから、そんな不安そうな顔をしないで」

私は少年の手を握り、恋人に連絡をするために立ち上がった。
電話口に出た恋人に事情を説明すると、誘ったのは君からなのに、仕事を調整するのにどれほどの労力を使ったと思っているんだ、そのまま寝かしておけば良いだろうと静かな声で淡々と言われてしまう。

申し訳ないと謝るしかない。恋人はため息をつくように小さく笑い声を漏らし、貧乏くじを引かされたなと言葉を続ける。
その言葉に、私の脳はまたぐらりと揺れた。

ー何をやってもぱっとしない子なんですよ
ー顔も別れた主人に似てきちゃって
ー子供のことはお前に任せるなんて言って、要は自分が貧乏くじを引きたくなかっただけなんですよ

育ての親である男に預けられる際、母は私のことをそう紹介した。
私が子供の頃、子供を誉められても謙遜する親の方が多かった記憶がある。私だけではない、時代がそうだっただけだ。でも、そうだったとしても。
あの時、私は、

「彼は人間で、ましてや貧乏くじなんかじゃない」

私の言葉に恋人はもういいとだけ呟き、電話は切れた。

数日後、無事に体調が回復した少年と過ごす休日の昼下がり。
開け放した窓から静かに洗濯物の香りが部屋の中へと溶け込み、私は目蓋が重くなる気配を感じた。
不意に少年の謝罪の声が聞こえ、謝られる理由もない私は空耳かと聞き流していたのだが、少年が私の隣に座り、私のことを真っ直ぐに見上げ、再び謝罪の言葉を口にした。
何がだと慌てて聞き返すと、恋人と別れたことに対しての謝罪のようだった。

「オレが行かないでって言ったから。オレのせいで、ごめんなさい」

正座をし、小さく肩を丸め、自分の膝を見つめる少年。そんな彼の姿に私の脳はぐらりと揺れる。

ーあの子のせいでまた駄目だった
ー分かってるわよ、でも母親だからといって、全てを諦めなくちゃいけないの?

受話器に向かってため息をつく母親の声。
誰かに愚痴をこぼしていたのだろう。
私がいることに気づいていたのか、いなかったのか、今となってはもう分からない。
少年の方へ視線を動かし、顔を上げてくれ、ついでに足も崩してくれと伝える。
あの時、私は、

「君のせいじゃない」

私がそう言うと、少年は真っ直ぐに私のことを見つめた。足を崩した彼は横に座り、その小さな頭を私の肩へとのせる。

「優しいね、アンタは」

少年は歌うかのように私のことを誉める。
違うと否定の言葉を口にすると、少年は不思議そうに首を傾げ、そんな彼の目から逃げるために顔を下に向けた。

「私は、そんなに良い人間じゃない」

少年と出来るだけ食事をしていたのも、休みの日を過ごしていたのも、看病をしたのも、言い返したのも。
全部、全部自分のためだった。

ー大丈夫だよ、君の傍にいる。だから、そんな不安そうな顔をしないで
ー貧乏くじなんかじゃない
ー君のせいじゃない

私が欲しかった言葉を言っただけだ。 
過去の自分を助けるため、少年のためではなかった。そのことに気づいていたのに、私は目を背けていた。
少年の神様でも見るかのような目に罪悪感が拭えない、自分のために彼を利用しているのだ。
この事は彼に伝えるべきではないと黙ったままの私に少年は腕を絡ませ、そのまま手を握られる。
彼の体温と物理的な近さに驚き、離れようとしたのだが、指の隙間を埋めるように彼の指が侵入していた。

「それでもオレは嬉しかったよ」

少年は内緒話をするかのように私の耳元で囁く。

「ねぇ、名前で呼んでよ」

名前、と私が呟くと少年は首を縦に振る。柔らかな髪の毛が耳に当たり、くすぐったさから身を捩りたくなった。彼の名前を呟くと、お互いの視線が混じり合う。

「初めて、名前呼んでくれた」

いつも君って呼ばれてたから、そう言った少年の顔は年齢にそぐわない笑みを浮かべていた。
甘えるかのように抱きついてきた彼に、思わず体がはねる。

ーねぇ、あの時どうしたかったの?

少年の声が聞こえてきたが、今度こそ空耳だろう。私は慌てて彼の肩を押し返す。
冗談じゃない。母に抱き締めて欲しいと過去の自分が思っていたとしても、目の前の少年を抱き締めるなんて。それは違う。

空気が重くならないように、私は彼の肩を叩き、食事は何が良いかと尋ねると台所へ移動する。


逃げるように台所へと移動した彼女の背中を、少年を見つめていた。
自分の姿に過去の記憶を重ねていることに気づいた少年は、これを生かさない手はないだろうとほくそ笑み策を練る。
恋人と別れたと知った時には、こうも上手く行くとは、嬉しい誤算だと笑ってしまいそうになった。
自分のことを抱き締め返さなかった時は急ぎすぎたかと残念に思ったが、まぁ良い、時間はたくさんあるのだから。
少年は、彼女の背中を静かに見つめていた。
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