ムース
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仕事終わりにピコン、とスマホの通知が鳴った。画面に写し出されたのは、
《店に来るdッダ。舞っとpる》
という片言の日本語と誤字の目立つ文。
こんな文章を送ってくるのは、彼しかない。
私は《わかった》と送り主――ムースへ返事をした。
場所は変わって――猫飯店。
「なまえ!待っておったぞ!」
「いつもお邪魔しちゃって大丈夫?遅い時間だし……コロンさんに叱られない?」
「大丈夫じゃ、おばばにもちゃんと許可をもらっておる」
「そ、か……」
夜の22時。
お店はとっくに閉まっている時間なのに、彼は私を温かく迎えてくれた。
最近は仕事が終わって、猫飯店で晩御飯をご馳走になるのが日課になりつつある。
「ほら、食うだ」
「ありがとう」
「今日は太平燕(タイピンイェン)じゃぞ」
「太平燕?」
「中国の福建省の名物じゃ」
「ふーん」
たくさんのお野菜にたまご、春雨のような麺が入っている。お腹が空いていたので見た目からも美味しさが伝わる。
スープを口にすると、あっさりしながらも、もっと食べたくなる味だった。
「おいしい」
「良かっただ」
ムースはにこっと笑った。
向かいの席に腰掛けるとムースはお盆をテーブルに置いた。
「日本にも太平燕があっての、これは日本のレシピで作っただ」
「へぇ……日本にもあるんだね」
「熊本というところらしい。どこじゃ?」
「うーんと、ここからだと飛行機で2時間くらい?ちょっと遠いかな」
「そうだか」
半透明のスープをれんげですくって、喉に流す。
いつも試作品だと言って出してくれるけれど、試作品というよりは完成品としか思えない味ばかり。
仕事で疲れきった体にはおいしさと優しさが染みていく。
「む、お冷出しとらんかったの。持ってくるだ」
「あ、ありがとう」
そう言ってムースが席を立つと、お店の奥の方からシャンプーがやってきた。
「やぱりなまえ来てたか」
「あ、シャンプー。ごめんね、遅くに……お邪魔してます」
「気にしてないね、いつでも来るよろし」
「ありがとう」
にこりと微笑んで私の隣に腰かけたシャンプーは、かわいらしい寝間着を着ている。
妖艶なその姿にかわいいな、色っぽいな、なんて考えていると、冷めない内に食べるね。というシャンプーの言葉に急かされて、私は箸を進めた。
そしてグラスを三つお盆にのせたムースがこちらに戻ってきた。
「ありがとう、ムース」
「ムース、わたし水じゃなくてハーブティーがいいね」
「な、早う言わんかい」
シャンプーの一言に彼女の前に置いたグラスを戻し、ぶつくさ言いながらムースは再び厨房へ向かった。
そんなやり取りを他所に、はふはふと麺を啜っていると、シャンプーは小さな声で私に話し掛けてきた。
「最近どうあるか?」
「んー……ぼちぼち、かなぁ」
「仕事どうか?」
「まだまだ。覚えることたくさんあるし、自分の仕事も満足に出来てないよ」
「社畜になたらダメね」
「どこで覚えたの、その言葉……」
ニュースでそんな特集でもしていたのだろうか。
シャンプーを見ると足を組んで頬杖を付いている。なんて様になる姿なんだろう。
私がそんなことを考えているなんて思ってもいない(と思う)シャンプーは、うっすら目を細めると口角を上げた。
「ムース、なまえのこと心配してたある」
「え?」
「ご飯食べてるか、寝てるか、いじめられてないか……よくぼやいてるね」
「……そうなんだ」
私のいないところで私のこと考えてくれてるなんて……ちょっと嬉しい。
「それ」
「?」
目配せをしたそれは、食べかけの太平燕。
「それもなまえのためある」
「お店の試作品じゃないの?」
「ムースの言い訳ね」
ムースの話では、厨房を任せられてるからこそ腕を磨くために新しい料理に挑戦しているだー!とか、そんなはずだったんだけど……。
二の句が継げない私は、落ち着こうとグラスに手を伸ばした。
「なまえ、ムースのこと好きか?」
「っ!?」
思いがけない言葉にグラスを落としそうになるのを耐えてシャンプーを見た。
わかりやすいあるな、そう言いながら大きな瞳が私を捉えている。
「ムースがこなことする、なまえしかいないね。それにわざわざ遅くに店に開けるバカいないある」
「バ、バカ……」
続けられた言葉に思わず苦笑いをした。
こんなやり取りをしているのを、ムースは気付いているんだろうか。チラリと厨房へ目を向けるも、彼はご指名を受けたハーブティーの準備に忙しそうだ。
「なまえも薄々気付いてる、違うか?」
「……、」
「わたし、二人がどうなろうと構わないね。だけど見ててイライラするある」
「えええ」
シャンプーは頬杖を付いていた手を胸の前で組むと、背もたれに寄り掛かった。
これで気付かないならなまえもだいぶ鈍感あるぞ、なんて聞こえたけど聞こえないふりをして箸を進める。
そこへハーブティーのセットをお盆に乗せてムースがやってきた。
「なんの話してるだか?」
「ムースが男らしくない話ね」
「な、なんじゃあ!?」
「言葉にしないと伝わらない、そんな話ある。わたし、もう寝るね」
「は、ハーブティーは……」
「部屋で飲むね。なまえ、ゆっくりしてくよろし」
「あ、ありがとう」
そう言ってシャンプーはムースからハーブティー一式が乗ったお盆を受けとると、足早に去っていった。
その後ろ姿を見送って、ムースは先ほどまでシャンプーが座っていた椅子に腰掛けた。
「太平燕、おいしかったよ。ありがとう」
「口に合うたんなら良かっただ」
空になった丼を見て、ムースはにこりと笑った。
眼鏡越しに見えたその眼差しはとても優しげで、不覚にもドキリとしてしまう。
『ムースがこなことする、なまえしかいないね』
『なまえも薄々気付いてる、違うか?』
……シャンプーの思わせ振りな言葉に、私は期待していいんだろうか。
だけど本人から聞いた訳じゃないし、好意はなんとなく感じてはいるけど……それが《友達》としてなのか《女性》としてなのかはわからないし、その辺はあやふやすぎる。
「天道あかねから聞いただ。仕事が大変そうじゃと、飯を食ってるのかも気になってな」
「そうだったんだ」
「……おらに出来るのはこんくらいしかないからの……もっとなまえの力になりたいんじゃが」
「その気持ちだけで十分嬉しいのに」
こんなにも良くしてくれてるのに全然足りないと言うムースの優しさが本当に嬉しい。
それなのに私の心はシャンプーの言葉が引っ掛かったまま。
ねぇムース、本当に試作品じゃないの?
お店を開けてくれるのも私だけなの?
他の女の子にはこんなこと、しないの……?
聞きたいことはたくさんあるのに、聞く勇気がなくて言葉を飲み込む。
聞いたところでもし否定されたらきっとしばらく顔を見れなくなる。それどころか連絡も取らないかもしれない。
私はこの以上未満関係という生ぬるい距離感を利用した、ムースの優しさに甘えてばかりのズルい女なんじゃないのだろうか。
「……なまえ」
「!」
良くわからない独りよがりの考えを巡らせていると、ムースの声に呼び戻された。
顔を上げるとムースは額に眼鏡を乗せ、私の目をじっと見つめてくる。
「シャンプーになにを言われたかはわからんが、おらはいつもお前のことを考えてるだ」
「……え、」
「なまえの力になりたい、そう言うた気持ちにウソはない。おらに出来ることならなんでもするだ。お前さんを近くで支えたいと思うとる」
「……ムース?」
そう熱く語るムースは前のめりになると私の両腕をがしっと掴んだ。
思わぬ行動で一気に近くなる距離に驚くも、私はムースの瞳から目を逸らすことが出来なかった。
「……じゃから、もし、なまえさえよければ、その……っ!」
「……!」
……え、え?
ちょっと待って。
ぎゅっとムースの力が強くなったような気がして、次に続く言葉に生唾を飲んだ。
ま、さか。まさか、ね……。
「…………あ、あああ明日も店に来るだ」
「……え、」
「な、何時になっても構わん。明日だけじゃのーて、明後日も、その次も……!」
「……う、ん。ありがとう」
もしかしたら……を期待したけれど、ムースが言おうとした言葉はムースによってうやむやにされてしまった。
しばらくお互いに固まったままだったけど、ムースは私から離れると丼やお箸などをお盆に乗せて席を立つと厨房へ向かった。
漆黒の髪の間から赤い耳が覗いているのが見えたけれど、きっと私も彼と同じ赤い耳をしているのだろう。
「(……ズルい、)」
ムースの後ろ姿が厨房へ消えたと同時に胸の高鳴りが遅れてやってきた。
あの言葉の続きは――。
考えれば考えるほど恥ずかしくなってきて、私は心を落ち着かせようとグラスに手を伸ばした。
お冷やと同じくらい、早く体の熱が冷めてほしい……そう思いながら。
《なまえさえよければ、付き合ってくれねぇだか》
《そうしたら職場の近くまで迎えにも行くだ。困ったときはおらが助けてやる》
《なまえのことが――好きじゃ》
いつも言おう言おうと決めているというのに……どうして言えんのじゃ。
あああ。たった一言がなぜ言えんのじゃ。
ハーブティーを準備している間に、きっとシャンプーもなまえをそそのかしていたに違いないというのに。
……じゃが、情けないことになまえを前にするとやはり怯んでしまう自分がおる。
「(これがヘタレというやつじゃの……)」
仕事中にも店が休みのときも、シャンプーに最近良く言われるフレーズを思い出して耳が痛くなる。
しかしあれだけ近付いたというのに、拒否されんかったということは……望みはある、はず。
付かず離れずのこの距離感もキライではないが、おらはもっと距離を縮めたい。ならばちゃんと伝えるべきじゃ。
そう決心して緊張感がほどけたのか、心臓がバクバクと音をたて始める。おらは厨房のシンクに丼を下げると、まるで空気が抜けたようにその場にしゃがみこまずにはおられんかった。
「(似た者同士あるな……)」
厨房の更に奥の方では部屋に戻ったはずのシャンプーが、こっそりと二人の様子を伺っていた。
両思いだとお互いに気付いてるはずなのにくっつかない、だから見ていてイライラするというのに。
そんな二人をちゃっちゃとくっつけようとそれぞれにはっぱをかけたというものの……惜しくもその関係は友達以上恋人未満のまま。
「(まぁ、いずれそうなるね)」
厨房でしゃがみこむ後ろ姿へ「ヘタレ!」と罵ってやりたい気持ちを抑えつつ、シャンプーは自室へ足を向けた。
二人の距離が縮まるのも時間の問題。
そう遠くはない未来を思い、シャンプーはようやくハーブティーを口にするのだった。
END.
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中盤でほぼ告白じみたこと言ってるのにね(笑)
ムースは「好き」「付き合ってください」という《言葉のけじめ》がなければ、お付き合いを始めないんじゃないかなーと思いました。
ちなみに太平燕は日本ではタイピーエンと呼ばれています。おいしいよ。