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完全無欠のサブリーダー


仏のサブリーダー、ヒース・グラントは三十代後半にして独身。「周りはどんどん結婚していくけれど、君はしないの?」という無神経な世間の声にも、「ひとりが気楽なので」と波風を立てずに微笑んで流す、大人のスマートさで知られている。


だが年度末の残業に、他部署からの怒涛の依頼、さらには休日出勤まで重なり、ヒースの隠しパラメーターである「ひとり時間メーター」は完全に枯渇寸前だった。
付き合いの長い同僚たちはその危険信号をいち早く察し——あるいは「触らぬ神に祟りなし」とばかりにそっと距離を置いて、彼がひとりになれる隙間時間を作り出していた。 だが、そこにズカズカと空気を読まず踏み込んでくる他部署の若手が目につく。
見た目だけなら人畜無害そうで穏やかな三十代後半のお兄さん。ヒースは外面が良いぶん、無理な頼み事もしやすそうだと誤解されやすいのだ。

「——ですので、今週末も出勤お願いしたいです!」
「今月はもう残業も休日出勤も上限限界まできています。これ以上は協定違反になり、会社全体が罰せられますのでできかねます」

口調はどこまでも柔らかく、表情も申し訳なさそうに添えられている。しかし、その背後でスッパーン!とぶ厚い鉄壁のシャッターが下りた幻影を誰もが感じ取っていた。

(さすがサブリーダー、ブレない……!)

やり取りをハラハラ見守っていた同僚たちは内心で盛大な拍手を送る。 だが、めげない他部署の若手はなおも食い下がろうとした。その時、頭上から大きな影が落ちてくる。

「うちの部署の人間を都合よく使おうとしてんじゃねぇよ。今月は年度末の締めで残業も休日出勤も上限いっぱいなんだ。まず協定ってものがあってだな……」

背が高く、筋肉質で圧迫感のある「鬼のTL(チームリーダー)」フリード・シカドだった。 無理な休日出勤を強いてきた若手に対し、フリードは圧をかけつつも懇々と協定と労働規定を説明していく。元々面倒見が良く教え上手な彼は、あっという間に若手をぐうの音も出ないまま追い返してしまった。
「鬼」と「仏」の称号を時と場合によって交換するTLとSLを二本柱に、今日も支社は慌ただしく回っていた。



***



その夜。 明日は休みということもあり、フリードがヒースの家に泊まりに来ていた。
ヒースは黙々とコーヒー豆を挽き、ケトルのお湯が沸くのを待っている。 この無心になれる作業の時間こそが、彼の「ひとり時間メーター」をじわじわと回復させる特効薬だった。
自分好みの浅煎りコーヒーを淹れ、二つのマグカップを持ってソファへ向かう。片方をフリードに手渡した。

「サンキュ」

フリードの目元が甘く和らぐ。彼は余計な口を挟まず、ヒースが淹れたコーヒーをゆっくりと味わった。 その隣に腰を下ろし、ヒースはそのままフリードの側砲へと身体を預けた。
肩に太い腕が回り、硬くカサついた指先がヒースの頬を撫でる。

「ん……」

趣味の外岩登りで鍛え上げられた指先は、無骨で心地よい硬さを持っている。 その指が頬から首筋をゆっくりとなぞり、節くれだった大きな手が肩を抱え込んで、ぐいっと自分の方へ引き寄せた。

「大型犬にくっつかれてる気分だ」
「ふふん、あったかくていいだろ」
「熱いよ」

文句を言いながらも、ヒースは決して離れようとはしなかった。
コーヒーを飲みながら、ヒースはその大きな手をまじまじと観察し始める。 指先を岩の僅かな窪みに引っ掛け、その面積だけで全身を支えるとはどういう感覚なのだろう。 フリード自身は「趣味の範囲だ」と言っていたが、ボルダリングジムから帰ってきた彼の手の皮——特に指先は赤く擦り剥けていることが多かった。それが何度も繰り返され、今のような硬い皮膚へと育ったのだろう。 爪の周りの角質化した部分を指で触りながら、爪でカリッと引っかけ、感触を楽しんでみる。

「ヒース」

嗜めるように低い声で名前を呼ばれ、ヒースはようやく思考の海から引き揚げられてきた。 今度は指の関節を曲げて長さを比べたり、おもちゃのように折り曲げては伸ばしたりとやりたい放題だ。そのまま自身の指を絡め合わせ、感嘆の息を漏らした。

「大きな手だよね。関節もしっかりしていて男らしい……触りごたえがあるなあ」

すっかりご機嫌でフリードの手を眺めるヒースからは完全に毒気が抜け、日中の張り詰めた気配は綺麗に消え去っていた。 まるで友達の持っているカブトムシを羨ましがる少年のようなトーンに、フリードは「子供かよ」と呆れ混じりに苦笑した。

「男は気分ひとつで大人にも子供にもなれるものさ。僕は今、子供気分。君相手なら、多少しょうもない変なことを言っても構わないだろ?」

ヒースはフリードに背中をすっぽり預けたまま、手や手首、果ては筋張った前腕の筋肉まで触り倒してその感触を堪能している。

フリードはとっくに気づいていた。 ヒースは疲れてくると一人になりたがる。それは「完全無欠のサブリーダー」としての仮面を脱ぎ捨てる時間が欲しいからだ。 こうして密着し、側にいて、気の済むまで観察させたり他愛もない話をさせたりしていると、ふっと肩の力が抜けてスッキリした顔になる。もちろん食事や睡眠も大事だが、フリードはこの独特な気分転換の付き添いが嫌いではなかった。


——だが。


フリードは余裕の表情でヒースの子供気分を眺めていたのだが、何を思い立ったのかヒースの指先がパジャマの隙間からアポロの腰帯(※腹斜筋)あたりを熱心にまさぐり始めたので、遠慮なく押し倒すことにした。
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