ヒース・リヴィングトンの誕生


ダフネが「特定の業界には恐れられる」とうっとりと微笑んだ直後。
ヒースはべっ甲眼鏡を直しながら、思わず首を傾げた。

「あの……特定の業界に恐れられる、とは……? リヴィングトン家は、歴史ある名家なのですよね?」

ヒースの純粋な問いに、トレニアは急に苦い虫を噛み潰したような顔になり、深く深く溜め息をついた。

「……はぁ。ヒースくん、ここからは我が家の『裏の顔』の話だ。驚かないで聞いておくれ」

トレニアは重々しい手つきで胸ポケットから、見たこともない複雑な意匠の古い銀の鍵を取り出し、テーブルの上にコンと置いた。

「我が家が代々管理してきた古代の遺物……。あれは単なる歴史的価値のある骨董品などではない。……それぞれに何がしか呪いのかかったとんでもない『特級呪物』の山なのだよ」
「っ……と、特級呪物……!?」
「そうだ」

トレニアはげっそりとした顔で、忌々しそうに鍵を見つめた。

「若い頃の私は血気盛んでね。『先祖代々の呪いなど自分の手で解き明かしてみせる!』と息巻いて蔵に乗り込み……散々痛い目を見た。命からがらなんとか無力化はしたものの、あんな恐ろしいもの、私はもう見るのも嫌だし一生近づきたくもない!」

「そうねぇ」とダフネが人畜無害な笑顔で優しくお茶を啜る。

「その時のトレニアの暴れぶりと、蔵から漏れ出たあまりの異質さに……裏社会や古い歴史を持つ名家の間ではね、すっかり尾ひれがついて語り継がれてしまったのよ。『リヴィングトンの蔵に眠る遺物には絶対に触るな』『あの家を怒らせたら、何が解き放たれるかわからない』ってね」
「触れてはいけないアンタッチャブルな家……それが、知る家なら知っている我が家の裏での評価というわけだ」
「だからこそ、だ! ヒースくん、特に君にお願いしたいのは……あの恐ろしい呪物たちの整理なのだよ! 幸い、君の友人には考古学者のラニナム氏を父に持つディイくんがいるのだろう? 彼らのチームに『所有権は我が家のまま』という形で展示・保管を委託し、私に代わってあの厄介事の手配を整えてほしい」
「展示と保管の委託……」

「ええ」とダフネが目を細める。

「所有権を手放せば、悪用しようとする不届者が現れないとも限らないわ。所有権は我が家に置いたまま、専門のチームへ管理を預ける。……表向きは『優雅で上品な名家による保護区と遺物の適切な譲渡・寄託』。でも裏では『危険すぎるアンタッチャブルな遺物の管理』……ね? 完璧でしょう?」

ダフネの完璧すぎる策士ぶりに、ヒースはゴクリと唾を飲み込んだ。
表の顔は、奨学金を全額負担してくれる優雅でお上品なパルデアの名家。
裏の顔は、触ると呪われる危険な遺物を大量に管理・封印してきたアンタッチャブルといわれる家。

(……すごい家だ。とんでもない『負の遺産』だ……)

けれど、トレニアが「頼むからあれには二度と触らないでくれ」という切実な顔と、ダフネのどこまでも頼もしい笑みを見て、ヒースの胸の中にあった恐れは、不思議と「やる気」へと変わっていった。

「……分かりました」

ヒースはオリーブグリーンの瞳をまっすぐに見開いた。

「ディイのお父様たちのチームなら、学術的な観察と厳重な保管を徹底してくれます。僕が間に入り、所有権の書類作成から搬送の手配まで、抜け目なく整えます。トレニア様が二度とあの遺物を見なくて済むように、僕が責任を持って『家仕舞い』の整理をしてみせます」

「良いのかい、ヒースくん」

ヒースの誠実で頼もしい宣言に、トレニアが目を見開き、身を乗り出した。 ヒースは二人に向かってまっすぐに微笑んだ。

「はい。学費の援助は、僕にとって夢のようなお話です。ですが……何より、お二人が僕という人間を……女性を愛せない僕のあり方を、隠すことも恥じることもなく、そのまま評価してくださったことが、嬉しかったんです」

ヒースの声には、一切の迷いも偽りもなかった。

「リヴィングトン家が背負ってきた歴史の重みも、呪われた遺物の整理も、保護区の譲渡も……僕の持てる限りの知識と、細やかさでお手伝いさせていただきます。『家仕舞い』という大切なお仕事、僕に任せてください」

その誇り高く誠実な言葉に、トレニアは息をのんだ。 そして次の瞬間、ダンディな目元を歪ませ、涙ぐみそうな表情で破顔した。

「ああ……! ありがとう、ヒース! いや……ヒースくん、いや……ヒース!」

トレニアはたまらず立ち上がり、ヒースの元へ歩み寄ると、その細い肩をガシッと力強く抱きしめた。 長年、家の重圧と負の遺産に苦しみ、自分の代でどうにか始末をつけなければと一人で肩を落としてきた当主が、ようやく出会えた「最高の孫」を心から歓迎する抱擁だった。

「ようこそ、リヴィングトンへ! 私たちの孫になってくれて、本当にありがとう……!」
「トレニア様……っ」

トレニアの温かい腕の体温に、ヒースの胸の奥がじんわりと熱くなる。 失ったはずの故郷の代わりに、ここに自分を受け入れてくれる「新しい家族」ができたのだと、身体中で実感していた。
その光景を、ダフネは柔らかな笑みを深めながら見守っていた。 彼女は机の引き出しから、契約のための上質な万年筆と書類を取り出し、優雅な仕草でヒースの前に置いた。

「ふふ、トレニアったら、気が早いわねぇ。……さあ、ヒースちゃん。こちらにサインを頂戴? これであなたも、今日から『ヒース・リヴィングトン』よ」

ダフネの「ヒースちゃん」という気さくな呼び方に、ヒースは少し照れくさそうに「はい」と頷いた。
渡された万年筆を握り締め、インクを走らせる。 『ヒース・リヴィングトン』。
その名を書き終えた瞬間、横で見守っていたアリッサムが、パチンと美しく扇子を閉じた。

「……おめでとう、ヒース。これであなたも、歴史ある家の正式な一員よ」

アリッサムの厳格な声の裏にある、誇らしげで温かな情。 ヒースが自分の足で新しい居場所を掴み取ったことを、師としても心から祝福していた。 
「さて! 家族になったからには、まず形から入らなくっちゃね」

ダフネはうっとりとした口調で手をパンと叩いた。

「ヒースちゃん、今度のお休みはトレニアと一緒にハッコウシティまでお洋服を買いに行きなさい。アカデミーの制服もいいけれど、リヴィングトンの孫として相応しい、上質なお仕立ての服を揃えましょうね」
「えっ!? ふ、服ですか……? 僕はそんな、高級な服なんて……」
「ダフネの言う通りだ!」

トレニアがおじい様全開の笑顔でヒースの背中をポンポンと叩く。

「若い男の子がおしゃれをするのは良いことだ! 私がとびっきり格好いいジャケットを選んであげるからね。なんなら眼鏡も、もっと上質なべっ甲のものを新調しようじゃないか!」
「おじい様、そこまでしていただくのは……っ」

思わず叫んだ「おじい様」という言葉に、ヒースはハッと口を押さえた。 しかし、トレニアは一瞬固まったあと、爆発したような笑顔で「もう一度言ってくれ!」とヒースの手を握りしめた。

「ふふふ、賑やかになりそうねぇ」

ダフネは上品に紅茶を口に含み、策士としての鋭い瞳を優しく細めた。
かつてナッペ山で孤独に凍えていた少年は、いま、どこよりも温かく、少しだけ賑やかで頼もしい「家族の愛」に包まれていたのだった。


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