ヒース・リヴィングトンの誕生
テーブルシティの喧騒から少し離れた、静かな高級住宅街。 そこに佇むリヴィングトンの屋敷は、広大な邸宅というよりは、小さくとも歴史を静かに重ねてきた格調高い装いを見せていた。
一歩足を踏み入れれば、磨き上げられたアンティークの調度品と、どこか懐かしく重厚な木々の香りが漂っている。
「……先生、本当に制服でよかったんでしょうか」
案内された応接室で、ヒースは居心地悪そうにオレンジアカデミーの制服の襟元を正した。 代々受け継がれてきた本物のヴィンテージ家具に囲まれ、今まで知らなかった洗練された世界に、べっ甲眼鏡の奥の瞳が緊張でわずかに泳いでいる。
「ええ。あなたはただの『私の優秀な生徒』として呼ばれたのだから、制服が一番正しい装いよ」
アリッサムは背筋をピンと伸ばしたまま、優雅に扇子を畳んだ。 「堂々としていなさい」という言葉なき教えに、ヒースは「はい」と小さく息を吸い込み、姿勢を正した。
重厚な木製のドアが静かに開き、二人の人物が姿を現す。
「やあ、アリッサム。遠いところよく来てくれたね」
すっと背筋を伸ばし、洗練されたスーツを立ち姿も美しく着こなして入ってきたのは、リヴィングトン家当主、トレニア・リヴィングトン。長年、家の重圧と事業に苦労してきた深みのある目元と、どこか気品を感じさせる男性だ。 そしてその隣には、妻のダフネ。ふくよかで温和な笑みをたたえ、春の陽だまりのような柔らかな雰囲気を纏っている。
ふたりを迎えたヒースは、慌てて立ち上がり深く頭を下げる。
「お久しぶりです、トレニア様、ダフネ。……こちらが、話していた生徒のヒースです」
「はじめまして、ヒースです。オレンジアカデミーに在籍しています。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
初々しくも誠実なその礼儀正しさに、ダフネの目元がふっと優しく緩んだ。
「はじめまして、ヒースくん。リヴィングトンへようこそ。さあ、そんなに緊張しないで、楽にして頂戴ね」
ダフネの温かな声に促され、ソファーに腰を下ろす。 運ばれてきた香り高い紅茶を口に含みながら、まずは当たり障りのない会話が交わされた。
「アカデミーでの勉強は楽しいかい?」
「はい。歴史の授業はもちろんですが、最近は友人の……考古学者の息子なのですが、彼の手伝いでパルデア各地の遺跡を見に行ったり、昔の文献を読み解くのがとても楽しくて」
「ほう、遺跡か。若い頃の私も、あちこちの遺跡に足を運んでは痛い目を見たものだよ……」
トレニアがどこか遠い目をして苦笑すると、すささっとダフネが「そうね、本当に手を焼かされたわねぇ」と穏やかな笑顔で相槌を打つ。
学校での日常、相棒のユキカブリのユキのこと、観察眼を活かしたポケモンバトルの工夫……。 ヒースが言葉を選びながら真摯に語る姿を、トレニアとダフネは慈しむような温かい眼差しで見つめていた。
トレニアとダフネの瞳もまた、どこか深い深緑を帯びたグリーンだった。 血の繋がりはないはずなのに、べっ甲眼鏡の奥にあるヒースの深みのあるオリーブグリーンの瞳と不思議な親和性があり、初対面とは思えない温かな空気が部屋を満たしていく。
野心も偽りもなく、ただ自分の好きなことや言葉、ポケモンに対してまっすぐで誠実。 ダフネは一目で「アリッサムの言っていた通りね」と確信し、トレニアもまた、かすかに目を輝かせて彼を見ていた。
やがて、ひと通りの談笑が落ち着いたところで、アリッサムが静かに紅茶のカップを皿に置いた。
カチャリ、と澄んだ音が響く。
「……トレニア様、ダフネ。そろそろ『本題』に入られては?」
アリッサムの一言で、室内の空気がふっと引き締まった。
ヒースは「本題……?」と首をかしげ、べっ甲メガネをクイと直して二人の顔を見つめる。
トレニアはゆっくりと深く頷くと、ソファーの背もたれから上体を起こし、ヒースのオリーブグリーンの瞳を正面からまっすぐに見つめたのだった。
