ヒース・リヴィングトンの物語
リヴィングトン邸のヒースの部屋。
まだ暗く青い、静寂に包まれた早朝のこと。
静かに胸を上下させて眠るヒースのお腹の辺りで、トレニアからもらったキョジオーンの卵が、コツ、コツと音を立てていた。
かすかに響いていた硬質な音が、やがてパリパリと殻の裂ける音へと変わる。
「……こじ……」
ぽかぽかと温め続けてきた卵の表面に幾何学的な亀裂が走り、そこからひょっこりと顔を出したのは、四角くてコロコロとした小さな生き物だった。
生まれたてのコジオだ。
コジオは、まだ眠り続けるヒースの胸元にちょこんと前足を乗せ、クリクリとした目でふにゃりと寝ている「パパ」を見上げる。
——すぅ、すぅ。
「……ん……」
胸元をくすぐる温もりとモゾモゾとした感触に、ヒースはうっすらとオリーブグリーンの瞳を開けた。寝起きのぼんやりした視界のすぐ下に、小さな四角い頭がある。
ヒースは寝ぼけ眼のまま、ふにゃりと柔らかく微笑んだ。
「……ああ、おはよう、コジオ……生まれたんだね。でも、まだ空は暗いから……もう少し寝ようね……」
「コジ……?」
生まれたてで元気いっぱいのコジオをよそに、ヒースは「おやすみ」の代わりに愛おしそうにコジオの頭を撫でると、そのままもう一度すうすうと規則正しい寝息を立て始めた。
——完全に、二度寝である。
相棒のユキカブリが枕元から「ユキ?」と首をかしげ、棚の上から様子を窺っていたニャオハが「ニャ〜……」と呆れたようにあくびをした。
そして、数時間後。
「——って、夢じゃなかったっ!!??」
朝日が完全にのぼり明るくなった室内で、ヒースは跳ね起きた。
目の前ではすっかり殻を脱ぎ捨てたコジオが、スリングの布を「むにゅむにゅ」と美味しそうに噛み締めていた。
「う、生まれた……! 本当に生まれてる!? ぼく、夜中に『おはよう』って言ったあと、そのまま二度寝したよね!? え、夢じゃない!?」
寝癖だらけの黒髪に乱れたパジャマのまま、ヒースは真っ青になりながらも、慌ててコジオを両手で大切に抱き上げた。
「コジッ!♪」
コジオは眩しい朝の光の中で、誇らしげに小さな塩の体を揺らし、ヒースの手のひらにすり寄った。
「……おはよう、コジオ。これからよろしくね。
でもどうしよう……っ、おじい様! おばあ様!」
ヒースはパジャマのまま部屋を飛び出し、廊下を早足で抜け、二人が朝のティータイムを楽しんでいたサロンの扉を、はやる気持ちを抑えきれずにノックした。
室内からの許可を得て中に駆け込むなり、ヒースは勢いよく叫んだ。
「おじい様! おばあ様! キョジオーンの卵が……コジオが生まれました!」
ずっと抱えていた卵が孵り、興奮でオリーブグリーンの瞳をキラキラと輝かせながら、ヒースは二人に見えるようにコジオをぎゅっと抱え直した。
サロンに一瞬、静寂が訪れる。
「……おや!」
トレニアの目が見開かれた。
次の瞬間、百戦錬磨の老トレーナーは豪快に立ち上がり、大股でヒースのもとへ歩み寄ると、その大きな手で孫の肩をガシッと掴んだ。
「見事に孵化させたか、ヒース! むう……実にいい塩の質だ! 幾何学模様の張りも素晴らしい! 我がキョジオーンの血統を、お前がその愛情でしっかりと繋いでくれたのだな!」
トレニアは目元をくしゃくしゃにして大喜びし、ヒースと生まれたてのコジオをまとめて豪快に抱きしめた。
その横で、ダフネは優雅な手つきでティーカップをソーサーへ置いた。
カチリ、と微かな音。
その視線は、ヒースの寝起きのまま乱れたパジャマと、跳ね上がった髪の毛を冷静に捉えていた。
「まあ……とても愛らしいコジオねぇ。あなたの温もりと愛情がしっかりと伝わった証拠だわ、ヒース」
「おばあ様……! はい、実は夜のうちに生まれていて……僕、寝ぼけて『おはよう』って言って二度寝しちゃって……」
ヒースが照れくさそうに語るのを聞きながら、ダフネはそっと立ち上がった。
そして、ヒースの元へ優雅に歩み寄ると、自分の羽織っていた上質なストールをふんわりとヒースの肩にかけた。
「ふふ……でも、ヒース。少し落ち着いて頂戴?」
ダフネはヒースの目をじっと覗き込み、耳元で、甘く静かに、けれど逃げ場のない芯のある声で囁いた。
「……家の中で家族に見せる分には、どれほど慌てても愛らしい『孫』でいられるわ。けれど……将来あなたが外の人間——我が家の解体を狙って群がってくる有象無象の社交家たちと対峙する時、その『一瞬の動揺』や『乱れ』は、そのまま相手に食いつく隙を与えることになるのよ」
「っ……」
「どんなに胸の中で歓喜や不安が渦巻いていても、表面は優雅に、澄ました顔で微笑んで見せること。感情を悟らせない完璧な所作こそが、あなたがこれから一人で『リヴィングトン』を終わらせるための、何よりも頑丈な鎧になるの」
ダフネはヒースの黒髪の寝癖をそっと指先で整えると、ふっと春の陽だまりのように温かく、同時にどこか月のように悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「さあ、お着替えなささい。今日の午後は、他家から届いた手紙の『真意』の読み解き方と、品格ある断り状の書き方をみっちり叩き込みますからね」
「……はい! ダフネおばあ様!」
「よし! ならば朝食の後はコジオの塩分の調整とトレーニングだな!」と横で腕を組むトレニアの豪快な声に見送られながら、ヒースはコジオを大切に抱え直し、背筋をぴんと伸ばして部屋へと戻っていくのだった。
まだ暗く青い、静寂に包まれた早朝のこと。
静かに胸を上下させて眠るヒースのお腹の辺りで、トレニアからもらったキョジオーンの卵が、コツ、コツと音を立てていた。
かすかに響いていた硬質な音が、やがてパリパリと殻の裂ける音へと変わる。
「……こじ……」
ぽかぽかと温め続けてきた卵の表面に幾何学的な亀裂が走り、そこからひょっこりと顔を出したのは、四角くてコロコロとした小さな生き物だった。
生まれたてのコジオだ。
コジオは、まだ眠り続けるヒースの胸元にちょこんと前足を乗せ、クリクリとした目でふにゃりと寝ている「パパ」を見上げる。
——すぅ、すぅ。
「……ん……」
胸元をくすぐる温もりとモゾモゾとした感触に、ヒースはうっすらとオリーブグリーンの瞳を開けた。寝起きのぼんやりした視界のすぐ下に、小さな四角い頭がある。
ヒースは寝ぼけ眼のまま、ふにゃりと柔らかく微笑んだ。
「……ああ、おはよう、コジオ……生まれたんだね。でも、まだ空は暗いから……もう少し寝ようね……」
「コジ……?」
生まれたてで元気いっぱいのコジオをよそに、ヒースは「おやすみ」の代わりに愛おしそうにコジオの頭を撫でると、そのままもう一度すうすうと規則正しい寝息を立て始めた。
——完全に、二度寝である。
相棒のユキカブリが枕元から「ユキ?」と首をかしげ、棚の上から様子を窺っていたニャオハが「ニャ〜……」と呆れたようにあくびをした。
そして、数時間後。
「——って、夢じゃなかったっ!!??」
朝日が完全にのぼり明るくなった室内で、ヒースは跳ね起きた。
目の前ではすっかり殻を脱ぎ捨てたコジオが、スリングの布を「むにゅむにゅ」と美味しそうに噛み締めていた。
「う、生まれた……! 本当に生まれてる!? ぼく、夜中に『おはよう』って言ったあと、そのまま二度寝したよね!? え、夢じゃない!?」
寝癖だらけの黒髪に乱れたパジャマのまま、ヒースは真っ青になりながらも、慌ててコジオを両手で大切に抱き上げた。
「コジッ!♪」
コジオは眩しい朝の光の中で、誇らしげに小さな塩の体を揺らし、ヒースの手のひらにすり寄った。
「……おはよう、コジオ。これからよろしくね。
でもどうしよう……っ、おじい様! おばあ様!」
ヒースはパジャマのまま部屋を飛び出し、廊下を早足で抜け、二人が朝のティータイムを楽しんでいたサロンの扉を、はやる気持ちを抑えきれずにノックした。
室内からの許可を得て中に駆け込むなり、ヒースは勢いよく叫んだ。
「おじい様! おばあ様! キョジオーンの卵が……コジオが生まれました!」
ずっと抱えていた卵が孵り、興奮でオリーブグリーンの瞳をキラキラと輝かせながら、ヒースは二人に見えるようにコジオをぎゅっと抱え直した。
サロンに一瞬、静寂が訪れる。
「……おや!」
トレニアの目が見開かれた。
次の瞬間、百戦錬磨の老トレーナーは豪快に立ち上がり、大股でヒースのもとへ歩み寄ると、その大きな手で孫の肩をガシッと掴んだ。
「見事に孵化させたか、ヒース! むう……実にいい塩の質だ! 幾何学模様の張りも素晴らしい! 我がキョジオーンの血統を、お前がその愛情でしっかりと繋いでくれたのだな!」
トレニアは目元をくしゃくしゃにして大喜びし、ヒースと生まれたてのコジオをまとめて豪快に抱きしめた。
その横で、ダフネは優雅な手つきでティーカップをソーサーへ置いた。
カチリ、と微かな音。
その視線は、ヒースの寝起きのまま乱れたパジャマと、跳ね上がった髪の毛を冷静に捉えていた。
「まあ……とても愛らしいコジオねぇ。あなたの温もりと愛情がしっかりと伝わった証拠だわ、ヒース」
「おばあ様……! はい、実は夜のうちに生まれていて……僕、寝ぼけて『おはよう』って言って二度寝しちゃって……」
ヒースが照れくさそうに語るのを聞きながら、ダフネはそっと立ち上がった。
そして、ヒースの元へ優雅に歩み寄ると、自分の羽織っていた上質なストールをふんわりとヒースの肩にかけた。
「ふふ……でも、ヒース。少し落ち着いて頂戴?」
ダフネはヒースの目をじっと覗き込み、耳元で、甘く静かに、けれど逃げ場のない芯のある声で囁いた。
「……家の中で家族に見せる分には、どれほど慌てても愛らしい『孫』でいられるわ。けれど……将来あなたが外の人間——我が家の解体を狙って群がってくる有象無象の社交家たちと対峙する時、その『一瞬の動揺』や『乱れ』は、そのまま相手に食いつく隙を与えることになるのよ」
「っ……」
「どんなに胸の中で歓喜や不安が渦巻いていても、表面は優雅に、澄ました顔で微笑んで見せること。感情を悟らせない完璧な所作こそが、あなたがこれから一人で『リヴィングトン』を終わらせるための、何よりも頑丈な鎧になるの」
ダフネはヒースの黒髪の寝癖をそっと指先で整えると、ふっと春の陽だまりのように温かく、同時にどこか月のように悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「さあ、お着替えなささい。今日の午後は、他家から届いた手紙の『真意』の読み解き方と、品格ある断り状の書き方をみっちり叩き込みますからね」
「……はい! ダフネおばあ様!」
「よし! ならば朝食の後はコジオの塩分の調整とトレーニングだな!」と横で腕を組むトレニアの豪快な声に見送られながら、ヒースはコジオを大切に抱え直し、背筋をぴんと伸ばして部屋へと戻っていくのだった。
