ヒース・リヴィングトンの物語
リヴィングトン邸の陽光が差し込むサロン。
テーブルの上には、湯気の立つ紅茶と、一通の豪華な装飾が施された手紙が置かれていた。
「——さて、ヒース。このお申し出、あなたならどうお返事を書くかしら?」
ダフネは優雅にティーカップを傾けながら、微笑みを絶やさずにヒースへ問いかけた。
手紙の主は、リヴィングトン家と古くから付き合いのある名門貴族。
内容は「トレニア殿の持つ遺物の研究に協力したい。つきましては、将来優秀な後継者となるであろうヒース殿と、我が家の娘を一度顔合わせさせたい」という、あからさまな「遺物の利権狙い」と「輿入れによる取り込み」の打診だった。
ヒースは真剣な面持ちで手紙を読み込み、眉を少しひそめた。
「……相手の狙いは明確です。おじい様の研究結果と、リヴィングトンの名を我が物にするための足がかりにしたいのでしょう。断るにしても、角を立てたら『無礼だ』と噂を流されかねません。……『体調が優れないため』と理由をつけて、今回は辞退すると書くべきでしょうか?」
ヒースの答えを聞き、ダフネはふっと目元を和ませた。
「落第点ではないわ。相手の悪意をちゃんと見抜けているものね。……でも、ヒース。それでは相手に『ではお身体が良くなったら』という口実を与えてしまうわ。それに、病気を理由にするのは相手に『隙』を見せることと同じよ」
ダフネはそっと自分の手紙用羊皮紙を引き寄せると、ペンを滑らせた。
淀みのない美しい筆致で書き上げられた文面を、ヒースに見せる。
「『温かいお心遣いに深く感謝申し上げます。あいにく当家は現在、先代からの遺物の整理と保護区の管理という重大な責務に集中しており、他家様とのお付き合いを広げる余裕がございません。皆様の変わらぬご健勝をお祈り申し上げます』……」
ヒースが読み上げると、ダフネは満足そうに頷いた。
「ポイントはね『完璧な感謝と祝意で包み、何ひとつ新しい情報を与えず、ただ丁寧にドアを閉めること』よ」
「新しい情報を与えない……」
「ええ。怒りも見せず、哀れみも誘わず、かといって情も見せない。ただひたすらに『無難』であること。ヒース、覚えておきなさい。社交の場において、尖った個性や情熱は時に標的にされるわ。けれど——『付け入る隙のない無難さ』こそが、あなたを守る最強の武器になるのよ」
ダフネはペンを置くと、ヒースの元へ歩み寄り、椅子の後ろからそっと彼の肩に手を置いた。
その手はとても温かく、柔らかい。
「あなたが将来、一人でこの家名を返し、すべてを綺麗に仕舞い追える時……群がってくるハイエナたちは、あの手この手であなたの『感情』を揺さぶりに来るわ。『冷たい』『恩知らずだ』『若いのに生意気だ』とね。でも、あなたが完璧な笑顔と無難な言葉でそれらを全て受け流したなら、彼らはあなたに指一本触れることすらできないの」
「ダフネおばあ様……」
「あなたが傷つかないために。あなたが、私たちがいなくなった後も、誰の奴隷にもならずに自分の人生を生き抜くために……私はあなたに、この『つまらない大人の術』を教えるのよ」
ダフネの言葉の根底にあるのは、冷徹な計算などではなく、未来のヒースを孤独から守るための、深く途方もない愛だった。
ヒースは深い森のように静かなその瞳をまっすぐ見つめ返し、ダフネの手の上に自分の手を重ねた。
「……はい。僕、覚えます。どれだけ『つまらない』と言われても、完璧に無難にこなしてみせます。それが、お二人からこの家と未来を託された僕の……一番の仕事ですから」
「ふふ、いいお返事ね」
ダフネは嬉しそうに目を細めると、ヒースの額にそっと優しいキスを落とした。
その時、サロンの重厚な扉が静かに開く。
手に淹れたてのハーブティーのトレイを持ったトレニアが、ゆっくりと部屋へ入ってきた。
「おや、邪魔をしてしまったかな」
トレニアは、孫の頭を愛おしそうになでる妻と、まっすぐな瞳で自分を見つめ返すヒースの姿を交互に見やり、穏やかな目元にくっきりと深い笑みを刻んだ。
「いい顔になったね、ヒース。ダフネの教えは、どんな剣や盾よりも君を強く守ってくれるはずだ」
トレニアはトレイをテーブルに置くと、ヒースの肩に大きな、ゴツゴツとした力強い手をポンと置いた。
呪いを力で封じ続けてきた男の、温かく揺るぎない手だ。
「ワシが現場の泥を払い、ダフネが外の毒を跳ね返す。……そして君が、この家の歴史を誇り高く綺麗に締めくくる。完璧なチームじゃないか」
「おじい様……」
「さあ、根気を使う勉強のあとは甘いものでも食べなさい。ダフネも、お茶を淹れ直したよ」
「まあ、ありがとうトレニア。ふふ、それならヒース、社交術の続きは焼き菓子をいただいた後にしましょうか」
優雅に笑うダフネと、頼もしく包容力に満ちたトレニア。
二人が注ぐそれぞれのアプローチの愛が、ヒースという一人の少年を「孤高で隙のない仕舞い手」へと成長させていくのだった。
