ヒース・リヴィングトンの物語


「えっ……!? トレニア様から……俺を直接指導したいって伝言!?」

翌日、アカデミーの廊下。
ヒースから話を聞いたディイは、驚きのあまり目を丸くした。

「ああ。ディイの相棒はソウブレイズだし、将来はリヴィングトン家の遺物を管理するチームに入る予定だろう? だったら早いうちにソウブレイズの真の扱い方や、呪物との対峙法を仕込んでおきたいっておじい様が……」
「ま、マジか……! トレニア様と言えば、俺たち考古学を目指す者からしたら雲の上の伝説だぞ!? 住む世界が違いすぎて緊張で胃が痛くなりそうだけど……でも、そんな機会二度とない! ぜひお願いしますって伝えてくれ!」

目を輝かせるディイを見て、ヒースは「うん、伝えておくね!」と微笑んだ。

(ディイ……本当に、命だけは大事にしてね……)

心の中で親友にそっと合掌しつつも、ディイと別れたヒースの表情はすぐに陰りを見せた。
トレニアの言葉が、ずっと胸に引っかかっていたのだ。

(おじい様の言う通りだ……。僕の手持ちには、まだ呪いに対抗できるような『攻撃役(アタッカー)』がいない……)

現在のヒースの手持ちは、おっとりして心優しいユキカブリと、甘えん坊で「痛いのは絶対に嫌!」とバトルを嫌がるニャオハ。どちらも大切な家族だが、怨念やゴーストといった禍々しいエネルギーを打ち払う決定打にはなり得ない。
悩むあまり足が向かったのは、アカデミーの奥にあるアリッサム先生の研究室だった。歴史の授業で質問をするため、真夏にはユキカブリのリフレッシュに特大冷凍庫を借りに行くため、ヒースが日頃から頻繁に訪れている部屋だ。

「……はい、入りなさい。ヒースですね」
「失礼します、アリッサム先生……」

部屋の中には重厚な書棚が並び、羊皮紙や資料の匂いが充満している。
ヒースの表情を見たアリッサム先生は、手にしていたペンを置くと、眼鏡のフチをすっと上げた。

「……浮かない顔ですね。歴史の課題のことではないのでしょう?」
「……はい。実は、少し悩んでいて……」

慣れ親しんだ空間だからこそ、ヒースは素直に悩みを打ち明けた。
手持ちのポケモンたちの性格(優しさと痛がり)を傷つけず、かつ「ゴーストや呪い」といった非物質的なエネルギーに対抗するための攻撃手段はないか、と。
静かに耳を傾けていたアリッサム先生は、ふうと短く息を吐き出すと、温かい紅茶を淹れてヒースの前に置いた。

「手持ちの性格や気持ちを尊重しようとする姿勢……それはトレーナーとして美徳ですが、思考の柔軟性を欠いてはいけませんよ」

先生は自身の机の前に腰掛け、静かに語りかけた。

「ゴーストタイプや呪念とは、つまるところ未練や憎悪によって励起された、不定形のエネルギー体に過ぎません。熱や感情、あるいは中途半端な物理攻撃を与えれば、それらは余計に活性化し、膨れ上がります」 

先生は細い指を一本立てる。

「ですが——『氷』は違います。氷とは、分子の運動を極限まで停止させる現象。熱も、感情も、怨念というエネルギーの渦すらも、等しく絶対零度で物理的に固定(フリーズ)させます。どんなに恐ろしい呪いであれ、分子が動かなければ何事も起こせません」
「絶対零度……」
「ええ。ユキカブリの持つ『氷』の力で、モヤモヤしたエネルギーごと完全に凍らせ、そのまま砕いて無力化すればよいのです。相手を傷つけるための『暴力』ではなく、現象を止めるための『静寂』……心優しいあなたのユキカブリに、これほど理にかなった戦い方はないでしょう?」
「現象を、止める……」

ヒースの脳裏に、稲妻のような衝撃が走った。

(ユキカブリのあの『優しさ』は、競いたくない、相手を苦しめたくないという穏やかさだ。だったら……荒々しい炎や刃じゃなく、すべてを静かに眠らせるような、圧倒的な氷雪の領域を作り出せばいいんだ……!)

悩みの霧が晴れ、ヒースのオリーブグリーンの瞳にパッと輝きが戻る。

「先生……! ありがとうございます! 僕、ユキカブリと『すべてを静寂に包む吹雪』を練習してみます!」

勢いよく立ち上がったヒースを見て、アリッサム先生は口元にうっすらと温かい笑みを浮かべた。自分自身の厳しい威圧感を知っているからこそ、生徒が前を向いた時には惜しみなく言葉を与える教育者の顔だった。

「……いい顔になりましたね。自分の頭で捉え直すのが、少しは早くなったようです。論理を理解したなら、すぐに運動場へ行きなさい」

先生は再びペンを取ると、ヒースの背中をそっと押し出すように、穏やかな声をかけた。

「……精進しなさい、ヒース。あなたの『氷』が完成するのを楽しみにしていますよ」
「はいっ! ありがとうございました、アリッサム先生!」

深々と一礼し、元気よく研究室を飛び出していくヒースの後ろ姿を、アリッサムはどこか誇らしげに見送るのだった。

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