番外編・阿修羅に睨まれた狐


 飛影との死闘を終えた町外れの倉庫。静寂が戻るはずのそこには、今、戦いの余韻をかき消すほどに鋭く、低い怒声が木霊こだましていた。
 
​「……さて、 どーして降魔の剣を自分の腹にぶっ刺して捕ろうなんていう、トチ狂った結論になったのか、納得のいく説明をしてくれるかしら?」
 
​ 月華は、包帯で容赦なく「相棒」の腹を締め上げ、至近距離で睨み付けた。

「 ――蔵馬」
 
 普段の彼女は、吸い込まれるような青い瞳を持つ、誰もが振り返るほどの美人だ。だが、今のその瞳には、かつての「情報屋・青華」としての鋭い光――というよりは、完全に「ブチ切れた母親」のような凄みが宿っている。
 
​「い゙っ……! てて……あー、ええっと、その……あれが一番手っ取り早くて、確実だったから……かな……? 飛影の目眩ましもしなきゃだったし……効率的だし……」
 
「はあ? 『効率的』ですって?」
 
 さらに包帯がきつく、ギリ、と音をたてた。 
​ 腹部の傷を締め上げられる痛みに顔をひきつらせながら、蔵馬は気まずそうに視線を泳がせた。
 
 霊界探偵・浦飯幽助を庇い、身を挺しての秘宝と解毒剤の奪還。本来なら「見事」と称賛されるべき場面だが、相手が月華となれば話は別だ。
 
「他に何万通りも方法があるにも関わらず、な・ん・で、よりにもよって、腹に風穴開ける方法を真っ先に選ぶわけ!? 異常に頭良い癖して思考回路が狂ってんのよ、あんたは! 少しは自分の身体大事にしなさいよ、バカ狐!  ……ちょっと聞いてんの、蔵馬!?」
 
​ 月華の説教は、もはや止まらない。
 一千年以上前から、この男の「目的のためなら自分すら駒にする」危うさを隣で見てきた。そのたびに肝を冷やし、後始末をしてきたのだ。怒りは、彼女なりの深い慈愛の裏返しでもあった。

「昔っからそうよ、あんたは! 暗黒鏡の時はまあ、まだ解るわよ? あれしか方法なかったろうし、私もそうしたし。け・ど! 今回は違うでしょうが!! あんたは自分の命チップかなんかとでも思ってるの? 毎度毎度後始末するこっちの身にもなりなさいよ、この自傷癖!」
 
​ ――そこから数分間、夜の倉庫に彼女の叱咤が響き渡り、蔵馬はただひたすらに、嵐が過ぎ去るのを待つ小動物のように肩をすくめていた。
 
​「はは……まあ、これくらい大丈夫だから。急所は外したし……」
 
​ ようやく口を開く隙を見つけた蔵馬が、なだめるように微笑む。だが、その「いつもの微笑み」が、さらに火に油を注いだ。
 
 その瞬間、蔵馬は確かに聞いた。月華の堪忍袋の「緒」どころか、「袋そのもの」が木っ端微塵に弾け飛んだ音を。
 

「あんたの『大丈夫』は一番信用できませんっ!!!」  


「っ……!」

 至近距離で放たれた一喝に、あの冷静沈着な妖狐が、喉の奥で情けない声を漏らした。

 もはやいつもの蒼い瞳の美女はいない。そこにいたのは、目尻を吊り上げ背後に怒気と殺気を漂わせる「阿修羅」であった。
 
​「バカ、アホ。万年無茶狐」
「………う………」
 
​ 最後にとどめ、とばかりに言葉の弾丸で蜂の巣にされ、蔵馬は完全に沈黙した。月華が本気でキレた時、反論は死を意味することを、一つの言い訳に十の正論が光の速さで返ってくることを、彼は誰よりも理解していたからだ。
 
​「次やったら、顔にでっかく『バカ』って書いてやるから。油性の太っといやつで。一ヶ月は落ちないやつだからね」
「…………それだけは、勘弁してください……」
 
​ もはや魔界の伝説的盗賊の面影はない。項垂れる蔵馬の姿に、少し離れた場所で見守っていたぼたんと幽助は、引き気味どころかドン引き状態で立ち尽くしていた。
 
​「……あ、あはは……。なんか、螢子ちゃんと幽助の最終進化形を見てるみたいだねえ」
 
 ぼたんが頬を引きつらせながら乾いた笑い声を上げる。
 彼女の膝の上では、呪縛から解き放たれた螢子が深く、安らかな眠りについていた。その平和な寝顔は、凄惨な戦場において唯一の救いのように見えたが、同時にこの場のカオスな空気をよりシュールなものに仕立て上げていた。
 
​「……いや、あいつの方がよっぽど怖えーよ……螢子のビンタなんて、まだ愛があったんだな……」
 
​ 戦い終えたばかりの幽助が、戦慄した面持ちで呟いた。
 喧嘩の場数を踏んでいる彼ですら、今の月華が展開している「絶対不可侵説教結界」には、指一本触れる勇気すら湧いてこない。
 あの「阿修羅の結界」に比べれば、いつも自分が螢子から受けている小言とビンタなどかわいい物に思えてきた。
 
 出来れば螢子はこのまま「阿修羅」にはならないで欲しい。
 静かな寝息を立てる螢子の寝顔を見つめながら、心の底からそう思った。

 
 月華は最後にこれ以上無いくらい強く包帯を止めると、青白い顔の蔵馬は無視し、鋭い視線を幽助達に移した。
 
「さて、次はあんたよ、幽助。それと、ぼたんだっけ?貴女の腕も見せなさい」
 
「「は、はい!」」

​ そして、その数メートル先。
幽助との激闘で気を失ったまま、縄でぐるぐる巻きにされた飛影が、完全に忘れ去られて転がっていた。
​ 木霊す姦しい怒鳴り声に、彼の眉間に僅かに皺がよる。
 彼が目を覚ました時、この「熟年夫婦」のあまりに平和的(?)な修羅場を見て何を思うのか。それは、まだ誰も知らない。
 
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