霊界探偵編
第二幕・運命の夜
ヒリついた顔合わせから三日。私達は再び、例の森に集まった。
吹き抜ける夜風は鋭く冷えていたが、四日後に向かう場所の緊張感に比べれば微々たるものだ。私は地面に、ありとあらゆる伝手を使って書き上げた見取り図と資料を拡げた。
「これが霊界大秘蔵館周囲の見取り図と、警備の詳細よ」
風に煽られないよう、手近な石で四隅を止める。この三日間、私は睡眠時間を削って霊界の防衛術式を紐解き、この完璧な図面を仕上げたのだ。
「見ての通り、秘蔵館の周囲には三重の多重結界が張ってある。そこに私が一時的な『隙間』を作るわ」
「隙間ァ? そんなもん、霊界の結界相手に出来んのかよ」
「出来るから言ってんの。脳筋は黙ってなさい。……もっとも、そこを突破さえしてしまえば中は案外警備が緩いわ。秘宝のある部屋まではほぼ素通りできるはず」
「……ふん。随分と舐められたものだな」
飛影が低く呟く。その瞳には、侮蔑よりもむしろ好戦的な光が宿っていた。
「舐めているわけじゃないでしょうよ。あいつらは自分の『守り』に絶対的な自信があるのよ。破られるはずがないという慢心――そこが唯一の突け入る隙ね」
「……それで、具体的な手筈は?」
蔵馬の問いに、私は図面の一点を指差した。
「まず、私が結界の糸を切って無理やり穴を開ける。術式が自己修復して穴が塞がるまで、猶予は約二十秒。その間に全員通り抜けなさい」
「二十秒か。十分だな」
「……蔵馬と飛影は大丈夫ね。問題はあんたよ、剛鬼。遅れんじゃないわよ。足手まといになったら容赦なく置いていくから」
「るせーよ! 俺様を誰だと思ってやがる」
不服そうな剛鬼を冷淡にあしらい、私は声を一段低くした。
「三つの結界を通り抜けたら、最奥の間に直行。それと……今回の目的はあくまで『盗み』よ。無用な殺傷は避けて。いいわね?」
飛影は無言で鼻を鳴らし、剛鬼は忌々しげに舌打ちをする。彼らにとって殺生は呼吸のようなものだろうが、今は私のルールに従ってもらう。
「そして、最奥の間の結界。これが一番厄介よ。……妖力に反応して、触れた者の力を根こそぎ吸い取る『寄生型』の結界。しかも三つの秘宝それぞれに独立して張られていて、三つ同時に解かないと即座に警報が鳴るわ」
「……で? それも当然、貴様が破るんだろうな」
「ええ。……ただし、私が中和して開けておけるのは、一秒足らず。その一瞬に合わせて、あんた達は同時に宝を奪って。ほんの少しでもタイミングがズレれば、死ぬまで妖力を絞り取られることになるわよ。……剛鬼、できる?」
「あァ!? なんでオレばっかり確認すんだよ!」
「この中で一番どんくさそうだからよ。死にたくなければ、私の合図を絶対に聞き逃さないことね」
***
そして、四日が過ぎ、運命の日
霊界大秘蔵館。静寂に包まれたその絶対領域の前に、私達は立っていた。
眼前に広がる空間は一見何も無いように見えるが、私の瞳には幾重にも重なる禍々しい霊力の糸が見える。
私は一歩前に出ると、かつての「霧夜小春」の穏やかさを完全に封印した。そして、封じていた妖力を解放すると、背後で飛影がほう、と感心したように呟いた。
(……隠していたわけか)
「……始めるわよ」
そんな飛影の様子を横目に、私は手刀を構え、指先に鋭利な妖気を集中させた。
それは情報屋『青華』として、数多の扉を暴いてきた「鍵」の力。
結界の急所に指先を差し入れると、空間が悲鳴を上げるような高音を立てた。そのままスッと縦に切り裂けば、闇の中に一人通れるほどの「裂け目」が口を開ける。
「――今よ! 行きなさい!」
私の号令とともに、三つの影が音もなく、死の隙間へと躍り込んだ。
三つの影が吸い込まれるのを確認し、私も最後の一人として滑り込む。
背後で結界が静かに、だが確実に塞がる音がした。もう後戻りはできない。
秘蔵館の内部は、外の森が嘘のように静まり返っていた。
冷徹な石造りの廊下、壁に並ぶ歴史的な呪具の数々。それらが発する微かな霊気が、肌をチクチクと刺す。
私達は音を殺し、影に溶け込むようにして最奥の間へと急いだ。
「……ここね」
巨大な扉の前に立ち、私は一度深く息を吐く。
扉の向こう側から漏れ出るのは、三つの秘宝が放つ圧倒的な「魔力」だ。特に暗黒鏡の放つ、吸い込まれるような闇の気配は、かつて魔界にいた頃の忌まわしい記憶を呼び覚ます。
蔵馬が私と視線を合わせ、小さく頷いた。その瞳は、目的を前にして冷徹なまでに研ぎ澄まされている。
扉を音もなく開け放つと、中央の祭壇に三つの秘宝が並んでいた。
すべてを切り裂くような禍々しさを放つ「降魔の剣」。
底なしの空腹感を体現したような「餓鬼玉」。
そして、全てを映し出し、全てを奪う漆黒の鏡――「暗黒鏡」。
「各自、持ち場へ。……合図は一度きりよ」
飛影が剣の前に、剛鬼が玉の前に、そして蔵馬が鏡の前へと音もなく移動する。
私は祭壇の中央、三つの結界が交差する「力の結節点」に両手をかざした。
「……ッ!」
触れた瞬間、指先から妖力が奔流となって引きずり出される。
思わず膝が崩れそうになるのを耐え、私は全妖力を一点に集中させた。
霊界のシステムに『毒』を流し込む。
回路を狂わせ、警報を沈黙させ、一瞬だけ、守護を無効化する。
「三、二、一……今よッ!!」
私の叫びと同時に、三人の手がそれぞれの秘宝に伸びる。
時間は引き延ばされ、一秒が永遠のように感じられた。
蔵馬の指先が暗黒鏡に触れたその瞬間、鏡の奥で禍々しい光が明滅し、私の視界が白く染まる。
「ぐ、あぁ……ッ!!」
剛鬼の低い呻きが聞こえた。
結界が私の制御を振り切り、猛烈な勢いで反撃を開始したのだ。
三人の手が、それぞれの秘宝を掴み取る。
私の指先から流し込んでいた中和妖気が、限界を迎えて火花を散らした。
「――っ、撤収よ! 急いで!!」
私の叫びと同時に、結界が凄まじい復元力で閉じようとする。
剛鬼が大きな餓鬼玉を抱えて飛び退き、飛影は一閃、降魔の剣を背負って影へと消える。最後の一人、蔵馬が暗黒鏡を手中に収めたのを確認し、私はようやく指先を離した。
瞬間、全身を襲う凄まじい脱力感。膝が折れそうになるのを、誰かの腕が強く支えた。
「……無茶をしたね、月華」
「……あんたのために、三日三晩寝ずに計算したんだから。……倒れさせてくれないわよね、蔵馬?」
蔵馬は苦笑し、私を支えたまま廊下へと駆け出した。
背後で、ようやく異常を察知した霊界の警報が鳴り響く。
だが、もう遅い。私達はすでに最奥の間を離れ、出口への最短ルートを走っていた。
「おい、蔵馬! あっちからも足音が聞こえるぞ!」
剛鬼が焦った声を上げる。前方の角から、霊界特防隊の放つ清廉な霊気が近づいてくるのが分かる。
「……飛影、左を頼む。剛鬼は右の壁を壊せ。……月華、指示を」
蔵馬の冷静な声に、私は意識を無理やり覚醒させた。脳内に描いた図面を高速で検索する。
「……突き当たりを上よ! 天井の換気孔に、私が細工をしておいたわ。そこから外の結界の『継ぎ目』に直結できる!」
「フン、その程度か。……見ていろ」
飛影が跳躍し、瞬く間に特防隊の先遣隊を翻弄して隙を作る。
その隙に剛鬼が壁をぶち抜き、私達は迷路のような秘蔵館を、ネズミのように、だが確実に、光の射す出口へと駆け抜けていった。
***
なんとか無事に、私達は人間界へ逃げ帰ることが出来た。
だが、まだ終わっていない。本当の山場はこれからだ。
例の森へ帰ってきて、各々の戦利品を確かめる。
その中で蔵馬が告げた、「オレは抜ける」と言う言葉に二人がいきり立ち、始まった仲間割れ。妖気を消耗した今の状態なら勝てると思ったのだろう。剛鬼は力ずくで奪い取ろうと殴りかかってきた。
――その時、威勢のいい声がその場に割り込んだ。
「待てーい!!」
全員驚いて声がした方をみると、そこには緑の短ランを着た、リーゼントの少年が立っていた。
「宝は三つ共こっちに渡して貰うぜ、盗賊さんよ。仲間割れはその後にしな」
その言葉にギョッと目を見開く。
――なんでこいつ、私達や宝の事を知ってるの!?
「誰だテメエは!一体何者だ!?」
「聞いて驚けよ!オレは霊界探偵の浦飯幽助様だ!神妙にお縄につけや!」
――なるほど。霊界探偵――追跡者か。でも……
(それにしては全然霊力を感じないわね……。隙だらけだし。なんで霊界はこんなん使ってんのかしら。舐めてるの?)
とりあえず、妖気の残量がほとんどない今の状態で無謀な賭けに出るつもりはない。蔵馬を促し、その場から退いた。
***
不気味に静まりかえった病院の屋上、その上に立つ私達を、無慈悲な月光が冷たく切り裂いていた。
志保利さんの恋人、畑中さんに告げられた、志保利さんの危篤。もはや猶予は無い。
蔵馬は、私の手にその重すぎる呪具――暗黒鏡を預けた。
「母さんの様子を見てくる。……月華、頼むよ」
それは、同志への絶対的な信頼。だが、私は彼が背を向けた瞬間、その信頼を裏切る決意を固めていた。
最初に話を聞かされた日から、私はずっと考えていた。蔵馬も志保利も救える方法を。
(やっぱり、これしか無い)
「……ごめん、蔵馬。でも、あんたが死ぬのを黙って見てるなんて、私にはできない。――あんたのいない未来なんて、私には考えられないの」
目を細め鏡を睨み付けるように見ると満月をその漆黒の面に映し取った。すう、と息を吸い込む。
そして私はこの魔の鏡を目覚めさせるべく口を開いた。
『暗黒鏡よ、月の光を受け目覚めたまえ。その面に我が望みを映しだし、力を示したまえ』
淀みなく呪文を唱えると、鏡の中の月が歪み、南野志保利の姿が映しだされた。
『……この女の幸福な人生……それがお前の望みか?』
「そうよ」
『本当にいいのか? 自分の命を犠牲にしてまで他人を守ろうというのか!?』
「あいつも、志保利さんも、絶対に死なせたくない。……大切な人を失うのは、もう嫌なのよ」
『……よし。では望み通り、願いを叶えてやろう!』
瞬間、鏡から触手が伸びるように冷徹な光が溢れ出し、私の心臓を直撃した。
熱が奪われる。妖気を吸い取るあの秘蔵館の結界とは違う、まさに『命』を絞り取られる感覚。ぐらりと視界が回り、意識が遠のいてゆく。
だが、それでいい。これで、あの人は助かる。そして、蔵馬も。
「――っ! 月華!? 何やってるんだ! 死ぬ気か!?」
異変を察知して戻ってきた蔵馬が、絶叫とともに私の肩を掴んだ。常に冷静な彼の、見たこともないほど取り乱した顔。
「……っ、あんたを、死なせるわけいかないでしょ……!」
「このバカ! 暗黒鏡、止めろ! 月華の命じゃなくて、オレの命を取れ!」
蔵馬が無理やり鏡を奪い取ろうとし、私と彼の間で命を吸う光が狂乱する。二人の命が、底なしの闇へと引きずり込まれていく。
そこへ――場違いなほど力強い足音が、その絶望を蹴散らした。
「おい、鏡! オレの命も分けてやる! だからこいつらの命、全部取るんじゃねぇ!」
緑の学ランを着た少年――浦飯幽助が、躊躇いもなく鏡の面に手を差し出した。
「な、何やってんのあんた!?」
「止めろ幽助! 君まで死ぬぞ!」
蔵馬の静止も聞かず、幽助はニカッと笑った。
「三人分だ、足りねえとは言わせねぇぞ、コノヤロー!」
鏡が激しく鳴動した。
私と、蔵馬と、幽助。三人の命の灯火が鏡の中で混ざり合う。
――光が爆発する。
***
「……う、ん……」
目を開けて、信じられない思いで辺りを見回した。そばに倒れていた蔵馬達も気がついたらしい。
鏡は沈黙し、元の古びた鏡に戻っていた。
「……生き、てる?」
私は自分の胸に手を当てた。トク、トクと、確かな鼓動が刻まれている。
隣では蔵馬が荒い息をついている。彼もまた、信じられないものを見る目で幽助を見つめていた。
「……全く、なんて無茶苦茶な奴だ……」
「へへっ、お互い様だろ? そっちの姉ちゃん……月華だったっけ?あんたも相当な頑固者みたいだしな。……そうだ、お袋さん大丈夫か?」
幽助の屈託のない言葉に、私はようやく力が抜け、その場にへたり込んだ。
蔵馬が慌てて立ち上がり、志保利さんのところへ向かうかと思ったが、足を止めて、そっと、震える手で私の頭を撫でた。
「……月華、二度とあんな真似はしないでくれ。心臓が止まるかと思った」
「……それは、こっちのセリフよ。蔵馬」
三つの命が奇跡的に繋ぎ止められた夜。
暗黒鏡の呪いすら、たった一人の少年の「お人好し」に敗北したのだ。
(……とんでもないやつね)
私はビルの向こう、沈みゆく月を見上げながら、これから始まる騒がしい予感に、小さく苦笑いを浮かべた。
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