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オトモダチ計画


「瓶の中で反省してなさい!」

 小指の爪サイズにも満たない小さな瓶を魂に向ける。今はやりの最高吸引力を誇るゾウ・サン会社の掃除機ばりに魂が吸い込まれていった。キュッキュと蓋を閉め、胸元にしまいこんだメガネの隣に収納する。

 ドサリと死体が倒れた。
 魂さえ引き剥がせば、あとは無理やり動かされた心臓が止まっていくのを待つだけでいい。体はだんだんと硬くなっていったが、口だけは何かを呟いて動いている。

 そっと耳を近づけると、「マヤ…マヤ…新しい子どもの名前を…考…た……君たちの…ために、たく…さん、働くから…」と呟いている。そのうち唇も硬直し、呟きは止まった。

 紫穏]は開いた目に手を当て、ゆっくりと瞼を閉じさせたのだった。

 遺体をその場に置き、竜泉のもとへ戻って怪我人の人数と容体を確認する。六名ほどの若い男女が負傷している。各々怪我をした部分を抑え、うめいていた。トラックが宝石店に突っ込んだ時に、ショーウィンドウのガラスの破片が容赦なく彼らを襲ったのだ。

 首や手首など、動脈の部分を押さえている人もいて、紫穏]は肝が冷えた。

 意識を失っている母親にすがるようにして泣き続ける男児の背中を撫でてやる。
 
「大丈夫。お母さんは助かるよ」
「ひっ、ぃっく、うっ、うう…!」

 全員思っていたより出血の量が少ない。竜泉を見ると、怪我人の心臓や首筋を指で突いている。的確にツボを押し、血の流れを遅くしているのがわかった。

「竜泉君、怪我人はこれで全員?」

 近くで救急箱を手にして雪音が負傷者に包帯を巻いてあげているのが見える。

「ええ。あと一時間以内に救急車が来れば出血多量で死ぬことはないでしょう」

 竜泉が最後の一人の怪我人の手当てを始める。紫穏]の同僚が救急箱、水が入ったペットポトル、タオルなどをもって駆けつけてきた。

 遠くから、救急車のピーポーというけたたましい音が近づいてくるのがわかる。死人が出ていないことに安堵した紫穏]は油断していた。

竜泉が「すみません、誰か服をいただけませんか?ガーゼがわりにしたいんです」と言いながら周囲を見渡す。

 近くにいた人から服をもらい、それを使って止血をしていた。見れば男性は皆上半身が裸だ。あと一人分の止血のために、竜泉は躊躇なく自分の腕の部分を破った。

(あ、竜泉って着やせするタイプなんだ…)

 細マッチョな彼の上腕二頭筋を見た紫穏]は盛大に鼻血をふく。連日出血多量だった体は限界を超え、フッとその場で気絶をしたのだった。





[newpage]
………


仙人、家を探す①

………


 紫穏]がブルリと寒さで体をふるわせる。シクシクと誰かが泣いている声と、セミのジリジリとした鳴き声が耳に届く。

「雪音さん、また涙が氷になってます。気温が下がるので泣くなら外でお願いできますか。俺が寧さんの容態を見てますから」
「……頼みます」

 コツ…コツ…とゆっくりした足音から、彼女が憔悴しているのがわかる。いらぬ心労をかけてしまったと申し訳なく思った。すぐにでも雪音を追いかけて、大丈夫!私の意識、戻ってるよ!と言いに行きたいが、口元どころか、指先すら動かない。目を開くことが出来ず、呼吸だけを繰り返す。

 首筋に何かあたる。乱れた脈が整っていくのを感じた。エレベーターでしてくれたように、竜泉が術を使って癒してくれているようだ。

 ほんのりと穏やかで、懐かしい香りがふわりと鼻孔を通り過ぎる。この香りがあるとき、振り向くといつも貴方がいて、「好きだよ」と言ってくれた。奥に閉じ込めたはずの熱い気持ちが涙と共にあふれ出した。重かった瞼が開いていく。心配そうに見下ろす竜泉と、昔の柔らかく見つめてくる想い人が重なる。

「……君は、本当に私を覚えていないのか?」

 まず先に出たのはその言葉だった。首を振る竜泉の様子に、紫穏]は残念そうに目を閉じ、こぼれた涙を手の甲で拭った。

 竜泉が寧紫穏という名を忘れているならそれでいい。紫穏]の一番醜い部分もまとめて忘れてくれているなら、それ以上のことはない。そう思った方が彼と自分のためだ。余計な感情は捨てるのが最善なのだ。

「ごめん、人違いだよ。夢を見ていたみたいだ」
「…そうですか。体は平気ですか?さっき、医者がとんでもないことを言っていましたよ」

 紫穏]は力なく笑った。この部屋には見覚えがある。紫穏]が倒れるたびにお世話になっている行きつけの病院だ。

「私の余命が残り半年とか?」
「余命一ヶ月とのことです」
「ずいぶん短くなったものだ」

 余命三日よりはマシだなと軽く笑う上司に、竜泉は眉を寄せた。

「ご自分の余命ですよ。笑い事ではないです」
「私のかかりつけ医は大袈裟にモノを言う人なんだ。真に受けなくていい。君の余命はあと半年もたないんだから無茶をするな!って来る度に注意されるんだ。五年前からずっとね」

 紫穏]は窓を見た。日が暮れようとしている。

「雪音君に退勤するよう伝えておいてくれないかな」

 ベッドから足を下ろしながら言った。

「わかりました…どこへ行くんですか?」
「私も帰るよ」

 立ち上がる事はできても、一歩前に進むことが出来ない。それでも足を前に進ませようと力を入れると、上半身だけが前に傾いてしまった。

「っと…気をつけてください、寧さんはこのまま入院すべきだ」

 竜泉が腕で受け止めてくれたおかげで、顔を床にぶつける事態は避けることができた。

「はは…まだ疲れてるみたいだ。すまないね」

 紫穏]が顔をあげたとき、ふわりとまた懐かしい香りがした。森林を彷彿させるような、清涼感のある香りだった。

 顔が近くなっていた。ついウットリと力強く引き締まった顔立ちを見つめてしまう。とうの昔に諦めた恋心が再び湧き上がるが、すぐに竜泉は誰かの父親であったことを思い出す。だが、欲を我慢することができなかった。最低限の、欲を。
 
「もし、嫌じゃなければ、私のことは…紫穏]と呼んでれないかな」

 昔の時のように。

「わかりました。紫穏]さん」
「ありがとう。うちの事務所は、親しみを込めてなるべく下の名前で呼び合うことにしているんだ」

 これは本当だった。言い訳がましく理由を言ったが、これくらいでセクハラやらストハラなどと騒がれることはないだろう。

 (私に関しての記憶が無い今の君なら、また私を好きになってくれるだろうか。せめて、友として)

「あの、りゅ、竜泉君、」
「なんですか?」

 ベッドの縁に座って両手の親指をくるくると回す。最近ではシングルファーザーという言葉が流行っている。もし、もしも彼がシングルファーザーだったら…!

「奥さんは…お元気?」

 変なさぐり方をしてしまった。竜泉に妻がいたとして、その女性と知り合いでもない自分が「奥さん元気?」と尋ねるのはあまりにも不自然だ。案の定、竜泉は不思議そうに顔を傾ける。

(っし、しまった!またセクハラって言われる?!)
「妻はいません」

 心の中で紫穏]はガッツポーズをした。

(離婚済み…!アレ?仙人の場合も離婚って言葉を使うのか?何はともあれ今はフリー!)

「そうだったのかい!その…ほら、うちは特殊な仕事だから、遠くまで出張して悪霊退治をしに行くことがあるんだよ。お子さんがいるって聞いたから、ご家族に色々と気を遣ってあげなきゃなと思ってさ!奥さん、そのあたり理解あるかなって気になった次第でして…!」

 なんで妻のことを気にするんですか?と質問に質問で返されるのは怖かった。はちゃめちゃな理由だったが、なんとか筋は通っているはずだと紫穏]は押し切った。竜泉は「ああ、なるほど」と納得した様子で答えながら、腕で支えていた紫穏]をベッドに戻す。

「うちの息子はもう中学生ですし、出張は問題なく付き添うことができます」

(竜泉と…出張!)

 夢のような響きだ。恋人は?恋人もいるんだろうか?今も男は恋愛対象に入る?というかなんで仙人なのに人間界に来て面接を?様々な質問を喉元でとめた。竜泉が人間のフリをしたい様子なのだから、合わせてあげるべきなのだ。

 それに相手は本当に自分のことを忘れているようだ。”あのこと”を思い出させて嫌われるより、完全に忘れ去ってくれたままの方が断然いいのではないか。むしろ寧紫穏の正体を知らない今の状況は神から授かった奇跡だと思わざるを得ないのでは?と考えるようになった。
 血反吐を吐いてでも今の会社でふんばり続けてよかった。心の中で万歳をする。
 
「紫穏]さん。あの術、どこで教わったんですか?神通力の気配を感じました」
「じ、神通力?なんのことかな。あれはとある人から教えてもらった術なんだ」

 勤め先の上司ポジションから、友達ポジションに昇格できるように紫穏]は心苦しくも嘘を重ねた。
 ”開花術式”は竜泉が嫌っている”ある人”が人間界に来てまで教えてくれた秘術である。この術を深堀すれば、おのずと昔の紫穏]の過去を語らねばならなくなる。

 嫌われる要素を増やすことだけは避けたい。神通力をどのように会得したのか知られないよう、気を付ける。

「えっと、竜泉君、家はどこ?もし近いなら雪音君に送ってもらうといい。彼女の運転はうまいんだよ」

 無理やり話を変えたのがバレたかな、と様子を見るが特に変な風に思った様子もなく、竜泉は答えてくれていた。

「ニュータウン品ノ川ホテルです。歩いて帰ることができる距離ですから、一人で帰ります」
「ホテル?」
「引っ越してきたばかりなんです。家が見つかるまでしばらくホテル住まいをしようと思っています」

 これはチャンスといわんばかりに紫穏]は目を輝かせた。紫穏]の隣の部屋はちょうど空室なのだ。

「うちの会社、寮があるんだ。交通の便は良いし、近くにスーパーとかコインランドリーもある。あっ、電子レンジと冷蔵庫は備え付けで、水道と電気も通ってる。もしよかったらうちに来ない?私の隣の部屋が一室あいているんだ!家賃水道費は会社持ち。広さは1LDK。なかなかいい条件だと思わないかい?今日からでも住める状態なんだけど、どうかな!?」

 感動的な映画を見てしまい、興奮して一方的にベラベラと感想をのべる空気の読めないやつかのごとく、寮についてまくしたててしまった。一歩足を引いて、ぱちくりと驚く竜泉の様子に、やっちまった…と紫穏]は反省する。もう後の祭りだ。

「えっと…よく考えて決めるといいよ、その…息子さんの意見も必要だろうし」

 一人になりたくなってしまった。穴があったら入りたい。体はだんだんと動くようになってきているのでこのまま夕焼けに向かってランニングでもしようかなと思った。
 紫穏]が足に力を入れて立とうとした時、「うわぁぁぁ!」という少年の声と「こら!とまりなさーい!」というダミ声が院内に響いた。

「205号室…ここだ!お師匠いる?!」

 短髪の少年が竜泉を見つけ、ぷんぷんとちょっと怒った顔で頬を膨らませて近づいてくる。

「いたー!お師匠、スマホ初心者に、『ここまで来い URL添付済み。 205号室』っていうメールは不親切ですよっ。ていうか助けて!追われてるんです!」
「無事に来れただろ。偉いじゃないか。追われてるって…何をしたんだ」

 紫穏]はポカンと少年に視線を送る。

「竜泉君、そちらは…?」
「俺の息子です。白虎、ここでは父さんと呼びなさい」
「父さん?ああ………はい。わかりました。父さん」
 
 少年は『そんなの聞いてないよ!』という困ったような顔をしてから父さんと言っていた。いや、”言わされていた”。親子としては非常に不自然な光景だった。

 看護師が早歩きでやってきて、ずんずんと部屋を進み、白虎の首根っこを掴む。

「あなたね?病院で猛ダッシュしてたのは。病院にはね、点滴を打って歩いている人もいるのよ!走っちゃダメなの!」
 
 竜泉と紫穏]は数秒看護師を見て、同時に同じことを思った。男?女?と。声は男だ。見た目も筋肉質で体は大きく、どちらかといえば男寄り。顔が…顔が凄かった。この顔で睨まれれば、熊ですら怖気づく。非常に威圧感のある人相だった。

 この人に追いかけられれば、きっと紫穏]だって泣きながらタスケテと叫びたくなってしまうだろう。子供なら無理もない。
 視線を落とすと、その”男”の胸元には豊かな胸があった。ぶるん!と歩くたびに上下に揺れている。下を見た。スカートだ!という驚きの顔をしてから、また視線は胸に戻り、女の人か、と竜泉と紫穏]は判断する。

 性的ではないにしろ、女性の胸に注目してしまうとはまだまだ自分には修行が足りないと竜泉は反省し、息子の頭に手を置いて頭を下げさせた。

「白虎…ここはお前が謝りなさい」
「走ってたから追われてたの?俺。…そっか、病院では走っちゃダメだったのか…ごめんなさい」
 
 看護師は素直に謝る少年にもう一度「メッ!ちゃんと反省するのよ」と叱ると、今度は竜泉に向き直る。

「あなた、この子のお兄さんですか?」
「いえ、父です」
「あら、お父さんだったの。さっき、走ってるこの子とぶつかりそうになったおじいさんがいたんです。そのおじいさん、びっくりした拍子に入れ歯が吹っ飛んじゃって、池に落ちてしまったの。あとで弁償してあげてくださいね」

 チラリと白虎を見ると、申し訳なさそうに眉を寄せて竜泉を見ていた。

「わかりました。今から謝罪しに向かいます。そのおじいさん、どちらにいらっしゃいますか?」

 謝れば済むのかと白虎は胸に手を当てホッとした。そして今疑問に思っていることをついペロっと聞いてしまう。

「あのぅ、あなた、カンゴシっていう役職の人ですか?」
「ええそうよ」
「男の人でも、カンゴシってスカート履かなきゃいけないの?」

 東和国の男はズボン、女はスカートを履くものだと歴史の授業で受けていたから、気になったのだ。少年にとってはただそれだけのことで、他意はなく、冥界の学校では習わなかった知識を増やしたいという純粋な好奇心だった。

 人間界のルール、文化をよく理解している竜泉と紫穏]は背筋が凍った。聞いてはいけないことがこの世にはいくつもあるのだ。

 紫穏]は少年の度胸が恐ろしすぎて「ひぃぃ…」と上下に口元が震え、歯がガチガチと鳴る。たった今戻ってきた雪音はちょうど今の怖いもの知らずな少年の発言現場を見てしまい、両手を口に当てて驚いていた。

 竜泉が白虎を叱るよりも早く、”彼女”は腹の底から低い声で「ニューハーフがスカート履いたらいかんのかぁ!」と怒号を飛ばした。

 竜泉は再度白虎の後頭部に手を置き、共に頭を下げたのだった。




[newpage]
………


仙人、家を探す②

………





 深夜零時。墓地で一人の金髪の青年が屍人の怪我を魔力で癒しながら話しかけていた。

「ふんふん。奥さんに会いたかったんですね。でも、どうしてトラックでお店につっこんだんですか?別にそんなことしろって命じてなかったじゃないですか」

 屍人がかすれた声で弁明する。

「うまく体が動かなかった?そうでしたか…なら仕方ありませんね」
 
 ぽん、と屍人の肩に手を置いて、青年は腰を上げる。

「はい、怪我は全部完治しましたよ。脳と肺の病気でお亡くなりになったんですね。肺以外は健康そのものでしたよ」

 背中の黒い翼をパタパタさせてふわりと浮き上がる。屍人の周りを旋回し、小瓶を指で弄んだ。

「死体を蘇らせて、配下にしようと思ったけど…難しいんだなぁ。ちゃんと言うことを聞かせるのって、どうやればいいんだろう?お父様は簡単にやってのけてたから、簡単だと思ってた」

 青年の魔力は高く、気配と己の姿を消すことができた。先ほど病院に忍び込み、昏々(こんこん)と眠る人のカバンから魂が入った小瓶をひとつくすねたのだ。先ほど暴走した屍人に魂を戻し、体の傷を全て癒せば、配下として命令を聞いてくれるのではないかと実験を試みているところだった。

「屍人さん、あなたのお名前はなんていうんですか?」
「…杉田…と…言います」
「杉田さんですか。さっきは脳が損傷した状態だったから、正常な判断ができなくて無茶をしてしまったんですよね?これからは僕の言うことだけを聞いて行動できますか?」
「妻と子に…会いたい」
「うーん…いいですよ。でも、一回だけですよ。会えるのは僕がお願いした任務を終えてから。それでもいいですか?」
「それで、…良い。会えるなら、それで…」

ツゥ、と屍人の目から涙が流れる。
「ある巻物を盗んできてほしいんです。一本だけ」

 金髪の青年はニコリとわらったのだった。




***



 翌日、出社してきた紫穏]に雪音はカツカツとヒールで床を叩き、彼に詰め寄った。

「なぜ出社されているんです?医師から数日間の入院指示があったはずですが」
「先生を説得して退院させてもらったんだ。昨日の屍人の件で警察の取り調べとか、もろもろ忙しいだろうなって…だから出社してきたんだけど…だ、だめだった?」

「だめです。今すぐ病院へお戻りください。昨日のうちに全てわたくしとヤギ君で処理をいたしました。犯人が死人だなんて、大々的にニュースになれば東和国の秩序が破壊されます。警察内の陰陽師と共に、内密に処理をいたしました。幸い死者はいませんでしたから、それほど大きくならずにすみました」

 トラックが宝石店につっこみ、複数人が重軽傷を負ったのだ。ニュースにならないわけがない。警察の上層部が”あの少女”に頼み、その場にいた民間の記憶を消す処理を行ったのだという事が容易に推測できた。

「重病でも、病院って説得したら退院させてもらえるんだぁ」

 栗色の、やわらかそうな髪質の青年がホワホワとなごやかに言った。

「ヤギ君、お黙りなさい」
「ひゃ、ひゃい…すみません‥‥」

 雪音の吹雪のような視線に肩をすくめた。実際に少量の雪がヤギの肩にかかっていた。

プルルル…と社内の電話が鳴る。

「はい。株式会社 寿恩です。お世話になっております。‥‥‥‥え?…ええ。ええ…わかりました。はい、ではのちほど。昨日伝えましたメール宛に連絡をお願いします」

 受話器を置いて、紫穏]を見る。何か言おうとして、口をつぐんだ。

「雪音君、なにかあった?」
「私で処理できる範囲内です。しぃさんはご自宅か病院へお帰りください」
「では言い方を変える。山野 雪音さん、何があったのかな。言いなさい。これは、上司命令だよ。隠し事は許さない」

 幸音は唇を噛み、数秒後に息を吐いて答えた。

「昨日の屍人の遺体が、何者かに連れ去られました」
「なんだって?」

 ヤギがピョ?!と変な声を出した。「なんで?ちゃんと警察側の陰陽師に遺体は引き渡したのに!」と騒いでいる。

 魂はこちら側にある。適切な処置をして、魂は天に還ってもらうつもりだった。遺体だけあったとしても器だけでは何もできはしない。遺体を連れ去った相手の目的がわからない。

「紫穏]さん、昨日の魂はどこにありますか?」
「私が持っているよ。昨日雪音君が持ってきてくれたこのビジネスバッグに小瓶が…ホラ…あれ?」

 入院服に着替える際に間違いなくバッグに入れたのだ。あったはずの小瓶が一つなくなっている。

「「しぃさん、まさか…」」

 雪音とヤギの声がそろう。ヤギが恐ろしそうにぷるぷる震えはじめた。

「ごめん…盗まれちゃったみたい…」

 雪音は額をおさえ、フラリと一歩下がった。ガタンとデスクに寄りかかり、話を続ける。

「昨日伝えてなかった件についてなんですが」

 面接前に、困った様子で「よくないことが起きました」と言っていたのを思い出す。

「何があった?」
「死体蘇生術の痕跡が見つかりました」

 ゾワリと鳥肌が立つ。この国で死体蘇生術を成功させたのはただ一人、紫穏]の師である果心だけだ。

「死体蘇生術の跡は東海岸ウミネコビーチ。術式があった場所に発見された私物のライターとタバコから、蘇生された遺体は杉田 友近という名の男かと推測されています。また、彼の家族に協力して頂き、宝石店の監視カメラに映る男が杉田氏本人であることがわかりました。先週仕事に行ったあとから音信不通になり、行方がわからなくなっていたそうです」

 間違いなく昨日の男性は死んでいた。脈が止まっていくのをじかに触って確かめたのだから。数百年前の術を現代に蘇らせることができる人間が現れたということになる。

 竜泉は事務所の壁にもたれかかり、静かに状況を見ていた。彼の目的は巻物に記される四十八の魔物を捕らえることのみ。それ以上のことはするつもりがない。意見はせず、閻魔から渡された”封印の巻物”を広げる。眉間に眉を寄せた。昨日逆さまにしたり水で湿らせたりしたが、文字は変わらずそのままだった。

「あまりに情報が少なすぎる」
「ホォ封印の巻物か。清姫ねぇ。趣味は温泉。これだけ情報があれば見つかるだろ」
「?!」

 竜泉よりも大きい体躯をした男が巻物を覗き込んでいた。巻物の内容を読まれていたのにまったく気配に気づかなかった。竜泉がバッと後ろへ飛んで離れる。

「良い反応だ。なんか運動やってた?」

 丸い飴が刺さった棒をクルクルと回し、竜泉へ近づく。

「何者だ!まったく気配を感じなかった。魔物か?」

 生き物というのは自力で気配を消さない限り必ず気を発している。その気を隠せるという事は、ただものではないということだ。ましてや修練を重ねた地仙(地上に生きる仙人)である竜泉でさえもあざむくその能力、魔物か仙人のどちらかで間違いない。

 壁際で竜泉が大きく飛んだのが見えた。近くにいる人物の姿を見て、紫穏]は驚く。

「社長!帰ってきてたんですね。また気配なんか消して。驚くからソレやめてくださいって何回も言ってるじゃないですか」
「気づかないオメーらがどんくさいんだよ。受け取れ、土産だ」

 社長がヤギと雪音に袋をひとつずつ投げた。中にはお菓子がたんまりと入っている。ヤギは喜んで「ワァ美味しそう!社長ありがとうございます!お茶入れてきますね!」と部屋を出ていく。雪音は受け取った菓子の成分と賞味期限をチェックし、人数分に分け始めた。

 ッカッカッカ、と笑いながら竜泉の頭をグリっと撫でる。首が折れるかと思うほどの力だったので、ブン!と頭を振って拒否を示す。社長と呼ばれた男は竜泉の態度を気にせずに社長席にドスンと座った。

「電話で警察と陰陽師から話は聞いた。やらかしたなぁ、紫穏]。ボーナスカットだな」
「そんな!あなたに返済するお金で毎月カツカツなのに!あと遺体を盗まれたのは警察の責任です!」

 紫穏]の悲痛の訴えにまた特徴的な笑い声を上げる。

「ッカ、甘ェな。俺なら昨日のうちに遺体ごとその場で丸焦げにしてやんよ。警察なんかに任せたお前が悪い。自分の尻くらい自分で拭けねーやつに金は渡せねぇ。常識ダロ?仙人様ヨォ」

 ヒェェェと紫穏]から細い悲鳴が出た。竜泉がピクリと方眉を上げる。

「待って、それ以上は待って、言わないで社長」
「何を?お前が仙界を追い出されたことか?それとも行き場所が無くなって独りぼっちだったところを俺が拾ってやったってこととか?内緒にしたいのか。わかったわかった。そんなの探偵事務所の皆が知ってることだけどナァ」

「う、うわーん!社長のバカー!竜泉君は知らなかったんですよソレー!」

 うしろにいる竜泉の様子を見てみる。思った通り驚いた顔をしてコチラを見ている。

「紫穏]さん、やっぱり地仙だったんですか?」

 やっぱり、と言った。勘づいていたのかと紫穏]は背中を丸めた。神通力を目の前で使ったし、このことを知られるのは時間の問題だろうとは思っていたが、この状況は予定より早すぎた。せめて竜泉ともっと仲良くなってからバレたかった。

「うん…黙っててごめん…」

 社長を睨む。アンタなんて大っ嫌いだ、という気持ちを込めて。社長はニヤニヤと口角を上げ、飴をなめている。なんて嫌な奴。

「雪音から聞いたぞ。寮に住まわせるんだって?そんなら正体は明かしておいた方が楽ってもんだろ」

 昨日のうちに竜泉は寮で住まうことを決めたのだ。今週中に滞在しているホテルを出て、引っ越しをする予定である。社長の言い分はもっともで、反論できない。紫穏]は悔しそうに頷いた。

「この屍人の一件はいったん俺に任せろ。しぃには他の仕事を任せる。のどくろ温泉へ行け」
「のどくろ温泉?…て、確か旅館内で意識不明の女性従業員が三か月連続で出てるのに、営業を中止しない旅館のとこですよね。ヤギ君が担当だったはずですが」
「そこの仙人が行きたがってるみたいなんだ。付き合ってやれ」

 竜泉のことを一目で見抜いた。社長の眼力に紫穏]は舌を巻く。五年も一緒にいるが、彼はただの人間で、それ以上の力はない。いまだに社長が何者で、どういった人物なのか謎につつまれている。

「竜泉君、その…温泉に行きたいの?」
「温泉云々は少し待ってください。社長、どうやって俺の正体を見抜いたんですか?」
「は?かまかけただけなんだが。へぇ。お前も紫穏]と同じ仙人だったのか。こりゃあ得した。バリバリ働かせてやるから楽しみにしとけよ。カッカッカ」

 竜泉は豆鉄砲をくらったような顔をしてしばらく呆然としていた。肩にかけていたカバンがズルリと落ちる。ニャ!と不服そうな鳴き声が聞こえ、カバンがひとりでに動き出したあと、中から白い子猫が現れた。

 一番に反応したのは雪音だった。

「猫さん…!」

 ザザッと白猫の前に正座して、どこからともなく猫用のオモチャを出した。

「バレた…」と呟く竜泉がいたたまれなくて、紫穏はその場を離れ、ヤギが意気揚々と持ってきた茶を各々のデスクに菓子と一緒に配るのを手伝ったのだった。





[newpage]

………


初めてのキス①

………

『お前また来たのか!いい加減しつこいぞ。もう__に近寄るなって言ってるだろう』
『未来の夫が妻に会いに来て何が悪いんですか!』

―――未来の夫?妻?果心、お前は”誰”に近寄るなと言ったんだ?

 風景が変わった。一面に柔らかい緑の草が生えている。ポツポツと黄色い花が見えた。その花をつんでいる人がふりむく。

『竜泉、また私に会いに?あきないのかい、フフ』

 顔が見えない。

『あきるわけないよ。__に会いたくて仕方なかった。何をしてるんだ?』
『薬草の材料をつみにきたんだ』
『大変そうだな。手伝うよ』
『竜泉は優しいね。いつもありがとう』
『当然だ。俺は__のことが大好きなんだから』

―――そう、君のことが大好きだったんだ。愛しくて、傍においておきたくて。どうして果心はいつも邪魔をするんだ。

 景色がまた変わる。


『そこの倒れてる少年から、”_”という者の記憶を消してれるかの』
『字はどう書くの?』
―――”_”の記憶を消す?!冗談じゃない!彼は俺の大切な人なんだ!消されてたまるかッ!


「竜泉、竜泉」

ハッ、と目を開ける。紫穏]だ。無意識に紫穏]を胸の中に収める。呼吸が浅くなり、ハァ、ハァ、と息が上がっていた。バクバクと心臓が激しく打っている。

「わっ…どうしたんだい?とてもうなされていたみたいだよ」
「覚えてない…」

 徐々に腕から力を抜き、紫穏]を放す。ガタンゴトンと列車の揺れを感じ、自分たちがどこにいるのかを再認識した。

 紫穏]は竜泉の向かい側の席に座り直し、窓から見える景色をまぶしそうに眺めた。まれに「コホ、」と咳をして、茶を喉に流し込む。現在呼吸は落ち着いているが、少し歩くだけでゼェゼェと息を切らす。あきらかに体調が悪い。

「余命半年未満のクセに、どうして仕事に付いてきたんですか。俺一人で十分だと言ったのに」
「初仕事だろう?不安かなと思って。相手が魔物なら殺したり捕縛するだけで事はすむけど、この国特有の妖怪や霊だと退治がいっきに難しくなるんだ。あいつらは人間にとりついて、悪さをするんだ。私がついていた方が事はスムーズに運ぶよ」

「…お気遣いどうも。だが、これだけは言わせてもらいます。貴方は極力安静にしてください。仕事中に死なれては困りますから。約束してください」
「心配性だね。約束するよ」

 ズズズ…!

 突然、横揺れの地震が列車を襲う。キャア!うわぁ!と乗客の悲鳴が上がり、油断していた紫穏]は紙コップに入っていた茶を股間にこぼしてしまった。
 列車は橋の上で一時停車し、車内では駅員の「現在社内点検をしております…」というアナウンスが流れた。

 スラックスにこぼれた茶をハンカチで吹きながら、不穏な気配を感じた紫穏]が窓から外を見る。「うわ…」とつぶやき眉をひそめていたのが気になって、竜泉も同じ方向に目をやった。

 進行方向先に、列車よりも大きな口を開けて待ち構えている”人間の顔をした何か”がいた。橋の向こう側で喜々とした様子で笑っていて、あまりの不気味さに竜泉の口元がヒク、と痙攣する。

「あれは魔物ではないですよね」
「うん、違う。悪霊だね」
「この国の悪霊、ずいぶんと形がおかしくないですか?」
 あんな醜いもの、竜泉は今まで見たことがなかった。首も胴体もなく、”顔だけ”がそこにある。

「うん、人間界にはたくさん国があるけど、もし悪霊ヘンテコランキングなんてものがあったら、ぶっちぎりで東和国が一位になるだろうね。この国、死後の形が本当に変わってるんだ。今の地震でどこかの封印が解かれて、霊体が出てきちゃったんだね」

 ”顔”が待ちきれないようにウゾウゾと左右に顔をふりながら、這うように列車に近づいてくる。たまたまその”顔”の口を通り過ぎてしまった運の悪い鳥が意識を失い落下する。

「魂魄を食べる類の悪霊だ」

 列車が発車します、というアナウンスが流れた。

「このままだと、列車に乗っている人全員があの悪霊の昼食になってしまう。竜泉君、悪いけど、さっそく約束を破らせてもらうよ」

 指を二本そろえ空中に術式を描き、胸にパンと手を充てる。「紫穏]さん?!」何か術を使おうとするのを察した竜泉は立ち上がり、制止の声を上げた。

「無茶しないでください!死にますよ!?」

紫穏]はまだ回復していないのだ。こんな状態で術を使えば、命にかかわる。立ち上がって止めようとしたが、遅かった。

「だって、悪霊の退治の仕方は知らないだろう?君。”開花十二式”!」

 淡く白い光が紫穏]を包み込む。紫穏]は続けざまに術式を描き、悪霊がいる方向に手を向けた。

「来ッ!」

 空中に黄金のさざ波の円が現れ、中央から大きな龍が出てきた。電車よりも早い速度で黄金色の龍が悪霊へ一直線に飛び、一口で飲み込んでしまった。
 フスゥーと鼻から白い雲のようなものを出し、満足そうな顔を見せた龍は小さく細かい白い粒へと変わって消えてしまった。

「ゴッフ!」
「言わんこっちゃない!」

 吐血した紫穏]の背中をさすり、竜泉は駅員に簡易ベッドを用意してもらうよう協力を求めた。

「だ…ダメ…これダメなやつだ…」
「なにブツブツ言ってるんですか…黙って寝ていてください」

 にやける顔が見られないよう、駅員さんから貸してもらったタオルで顔を覆い、紫穏]は仰向けで横になっていた。頭の下には足を延ばした竜泉の膝がある。天国だった。
 ただ、今度は興奮して鼻血が出てしまいそうで、ちょっと特殊な意味でダメな状況だった。

***
 
 竜泉が飲ませた丹薬(仙界の薬)のおかげで、紫穏]は走れるくらいに回復していた。

 旅館へ向かいながら、今回の調査内容を竜泉に説明する。

「都内の病院に運ばれた意識不明の女性は三人とも共通して旅館の従業員で、魂魄が欠けている様子だった。おそらく欠けた魂魄を戻せばみんな意識を取り戻す。今回は犯人を探しだして、魂魄を女性たちに戻すという仕事になるよ」
「わかりました」

 旅館に入ると、木の香りが二人を包む。

「良い旅館だね」
「そうですね」
「にゃー」
「あはは、今日もスマホ首にかけてる。可愛いなぁ」

 竜泉のショルダーバッグにすっぽりおさまっている猫が腹をすかせて、うるうると涙目で見上げていた。

「静かにしてくれ。この旅館はペット禁止なんだ」

 どうして猫を連れてきてるんだろう、という疑問より、竜泉が猫好きだという新たな一面を知れたことに紫穏]は喜んでいた。

「いらっしゃいませ、寧さま」

 一人が紫穏]たちの姿に気づくと、両側には従業員が一列に五人ずつあつまり、もう一度「いらっしゃいませ」と声をそろえて頭を下げる。
 
「お待ちしておりました。わたくし、この旅館を経営している松竹と申します。ここに滞在される間は、全てわたくしになんなりとお申し付けくださいませ」

「キスの経験はありますか?」
「うん、一度だけ…」

 意外だった。てっきり竜泉と同じくキスもしたことがない男だと思っていたのに。

「そうですか…俺には経験がありませんので教えていただきたい。ただ唇を合わせるだけで、それがキスになるんでしょうか」
「うん、十分…だと思う」

 ゴクリと喉がなった。緊張と、期待が己のうちにあるのを感じながら、竜泉はゆっくりと顔を寄せる。

「ん…っ」

 唇が重なった。ビクリと紫穏]は体をふるわせ、竜泉の袖あたりの衣服を握る。
 不思議な充足を感じ、紫穏]の頬を両手で包む。もう少し、もう少しだけ…と欲が出て、しばらく熱は触れ合ったままでいた。

 数分だったのか、数秒だったのかはわからない。お互い同じタイミングで少し顔を離し、見つめあった。紫穏]の目はうるみ、頬が紅潮していた。

 もう一度したくなり、紫穏]の腰を抱き寄せた。その時、紫穏]が竜泉の額を触る。

「消えて…はないけど、しるしが薄くなってる」
「キスでも消えるのか。なんでそんな大事なことを言わないんだ、あのガキは」
「さぁ。忘れてたんじゃないかな。でも、よかったね、キスで消えるなら、それに越したことはないじゃないか」
「……」

 すぐに「そうですね」という返事を返すことはできなかった。残念だと思ったからだ。

(いや、残念ってなんだ、残念って。俺と紫穏]さんはただの仕事仲間で、それ以上でもそれ以下でもないのに)

「紫穏]さんは完全に消えてるようですね」
「本当かい?あのしるし、一生残るかもって絶望してたんだ。よかった」
「一生ってことはないでしょう。紫穏]さん、自分の顔をあんまり鏡で見たことないんじゃないですか?すごく整った顔立ちしてるの、自分で気づいてる?」
「……君に言われると照れるね。あ、あの…白虎君が早く戻ってくるかもしれないし、その…つ、続き…を」

 ドクンと竜泉の心臓が一回り大きくなる。

「いいんですか。俺と貴方は…夫婦になる予定はないのに」
「私と君の仲だ。遠慮することはない、よ」
「どんな仲ですか?上司と部下という関係以外に、あなたは何か求めていますか?」

 これ以上、さっきみたいなキスをすれば、紫穏]をただの上司としては見れなくなりそうだった。紫穏]がこの行為について、どう思っているのかを聞いておかねばならないと思ったのだ。

「…トモダチになりたいよ。君と。それ以上の関係は求めてない」

「友達…ですか。…わかりました。俺のしるしが消えるまで、協力してもらってもいいですか?」

 紫穏]の首筋に手を添えると、ドクドクと脈が速くなっているのがわかった。

「いいよ…消えるまで、付き合うよ」と紫穏]が返事をすると同時に、覆いかぶさるように紫穏]を腕の中に抱きこんで、唇を触れ合わせた。唇は先ほどよりも柔らかい。
 触れた部分から溶けていきそうな感覚に陥る。のめりこんでしまいそうだと、竜泉は思った。触れた熱が離れると、追いかけるように紫穏]から唇を寄せていく。

 唇の柔らかさを堪能するように、触れては離れるというのを何回も繰り返す。酔いしれそうな気持ちよさに、しるしのことなど頭から消えていた。どれだけそうしていたかはわからない。カァ…カァ…とカラスの鳴き声が聞こえて、夕方がやってきたのを知った。
 ガリガリ、ガリガリとカーテンの向こう側から音がする。

 名残惜しそうに一度紫穏]の唇を撫で、竜泉が立ち上がった。部屋の電気をつけ、かけた術を全て解く。カーテンを開けようとしたとき、紫穏]に呼び止められる。

「ま、待って、竜泉君。服がすごいことに…なってる、から」
 
 言いながら、自分の着衣の乱れも相当なのに気づいて、きゅっと両手で前を閉じた。竜泉は大きく胸元が開いている程度だったが、紫穏]においては腰ひもに服が引っかかっている、つまり全裸に近い状態だったのだ。

 お互いキスに夢中になり、自分たちがどれだけ相手の衣服を引っ張りあっていたかわかっていなかった。
 紫穏]が服を整えるのを待ってから、竜泉はカーテンを開けて窓から白虎を迎え入れる。


「ただいま、お師匠。楽しかったー。いっぱい猫友達ができたよ」
「よかったな」

 竜泉の肩に乗り、白虎が鼻をスンスンと近づける。シタッと畳に降り、人型の姿になった。

「お師匠から紫穏]さんのにおいがする」
「勘違いだ」

 竜泉が断言した。
 
「え?したんだけどなぁ」
「さ、さっき、私が飲んでたお茶を竜泉君にあげたんだよ。そのせいじゃないかな」

 白虎は納得したように「そっか!」と言って、また猫の姿になる。ショルダーバッグに入り、スヤスヤと眠ってしまった。

 二人きりの空間にもどると、なんとも言えない気まずさが感じられる。

「しるし、消えてるね。よかった」

 思い出したように竜泉が机に置いていた手鏡で額を確認する。

「完全に消えてる。はぁ。人騒がせな魔物がいたものだ」
「竜泉君、魔物退治…をするために人間界に来たのかい?」

 紫穏]が不安そうに聞いた。

「退治ではないですが、そんなところですね。この巻物に記される、四八匹の魔物を封じるよう閻魔に頼まれているんです」
 
「そうなんだ…その巻物に、名前が全部載っているんだね。見てもいい?」
「見てもいいですが、清姫以外の情報は何も載っていませんよ。”まだ”」

 くるくると巻物を開いて見せてくれた。竜泉の言うように、清姫の情報だけがそこに記されている。

「”まだ”、とはどういうことだい?」
「この巻物は冥界にいる閻魔が持っている巻物と繋がっているんです。パソコンの遠隔操作みたいに。明日には新しく次の捕縛対象の名前が書かれているでしょう」

 竜泉が眉を寄せ、くい、と紫穏]のアゴを上げる。またキスをするのかと驚いて、紫穏]はきゅっと目を閉じた。

「紫穏]さん、またしるしが現れました」
「なんだって?!あんなにしたのに…」

 ”あんなに”。
 二人は同時に頬を染めた。

「キスの仕方、変えてみようか」
「キスに種類なんてあるんですか?」
「うん、ドラマで見たんだが、唇を吸ったり、…し、舌をからめあったりするキスもある、ぽいんだ」

 ゴクリと竜泉の喉が鳴った。彼は白いショルダーバッグに巻物を詰め込み、自分のスマートホンを持って紫穏]の手を引いてどこかへ向かい始めた。

「どこに行くつもりだい?」
「温泉です。確か、部屋ごとに温泉を独占できる時間帯が設けられていたはずです」

 その時間帯というのが、今なのだ。
 ちゃっかり女将の説明をしっかり聞いていた竜泉はズンズンと迷いなく脱衣所へと向かう。竜泉は続ける。

「風呂に入りながら、さっきの続きをしましょう。やり方は動画で勉強すればいい」
「で、でも、スマートホンが壊れちゃうんじゃないかい?」
「防水です」

 男湯 と書かれた脱衣所の前で、ふたりは視線を交わす。

「入りましょうか」
「…うん」


 手をつないだ二人は温泉へと向かった。


 一人部屋に取り残された白猫は、あとから入ってきた巻物を邪魔そうに猫パンチで外へと追い出した。

コロコロ…と巻物が転がり、中が開く。清姫の隣に、新たな魔物の名が浮かび上がる。


”捕縛対象名 寧紫穏
好きなもの 灯竜泉
地仙 ”







《二章へ続く》
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