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人間に恋する魔物

◇◇◇

【第三話】


シャコシャコシャコ――。

鬼柳はパンツ一丁というラフな姿で、ぼんやりと鏡に映る自分の顔や口元を眺めながら歯を磨いていた。

「あ。」

昨日飲ませた錠剤は、魔物にとってはごく少量でも生命に危険を及ぼすものだ。
今あのコウモリ少年はどうなっているか――鬼柳は元上司に電話をかけた。

***

「鮎瀬さん……お、お……お電話が、な、な、鳴ってます」
「それどころじゃないだろ、どうしてこうなったんだ!?」

発熱、嘔吐、視覚障害、下半身麻痺。
あらゆる症状がイノリに起こっていた。

鮎瀬は、朝起きてすぐ体調がすこぶる最悪の魔物をタオルケットでくるみ、タクシーに乗り込んだ。
向かう先は軍内の医務室。そこには天才変態博士――もとい、腕利きの医師がいる。

そして、そこで初めて新事実が発覚する。
信号が赤に変わり、鮎瀬の貧乏ゆすりが大地震級の勢いを見せていたころ、イノリが言った。

「し、し……死ぬようにと……お薬を……半分まで、か、か、かじりまし、た」
「んな……!」

スマホを取り出した鮎瀬は、着信画面に「鬼柳のアホたれ」の文字を見つける。

「あほーーー!!」

車外まで届くほどの怒号を、鮎瀬は飛ばしたのだった。

***

「このカス!無能! なんでコイツにアレを飲ませた!? ひと舐めで即死してもおかしくないやつだぞ!」

鬼柳は片耳に指を突っ込み、さもうるさそうな顔で元上司の怒鳴りを聞いていた。

「鮎瀬先輩、パワハラって知ってます?」
「上司じゃないからいいんだよ! 今俺はお前の“大学の先輩だった人”だ!」

「ウゥ……」
イノリは寝返りをうち、苦しそうに眉を寄せた。

「ちょっとお二人とも、静かにしてくれないかな。観察……じゃない、診察中だ。出ていってくれ。監視はAIワン公くんがいれば十分だろう?」

四十代そこそこ。寝ぐせを白衣ごと引きずってきたような男だった。
一見だらしないが、手つきには無駄がない。
髪は無造作に後ろへ撫でつけ、耳の横に少しだけ白いものが混じる。
その顔つきには、患者よりも症例を愛する医者特有の狂気が、うっすらとにじんでいた。

鮎瀬と鬼柳は口をきゅっと結び、言われた通りAI犬だけを残して医務室を出た。

「先輩が来ないから悪いんじゃないですか」
「俺はちゃんと14時前に連絡した! 留守電にしてたお前が100パー悪いだろ!」
「えっ? 留守電に?……あ、本当だ」

スマホを傾けた鬼柳は、まるで他人事のように瞬きを二つして、無造作に髪をかき上げた。
反省も謝罪もないその笑みに、鮎瀬は心底イラついた。

「治る見込みがなかったらどうするつもりだ? 俺は介護職についた覚えはないぞ。あの調子じゃ飯もトイレも苦労することになりそうだ」
「がんばってくださいね」
「他人事みたいに言うなよ、あんぽんたんめ……」

「鮎瀬くん、ちょっと」

医師に呼ばれ、ガラリとスライドドアを開ける。
そこには、医師がさっきまでかけていた眼鏡を、なぜかイノリがかけていた。

「鮎瀬くん、鬼柳くん。相手が魔物であっても、虐待は犯罪だよ」

医師に説教じみた注意を受け、二人は「へ」の字口で返事をした。

「それはこのアホ柳だけに言ってやってください。俺はけっこう親切にしてやってますよ、イノリには」

親指で隣にいる元部下を指す。
鬼柳は何も言わず、ただ魔物を見つめていた。

「先生、その魔物の容体は?」
「片足麻痺、著しい視力低下、声帯の損傷が大きいかな。脳や臓器内はこれから調べるよ。二時間くらいかかりそうだから、カフェでゆっくりしておいで」

***

どこの病院も魔物を引き受けについては断られてしまった。仕方なく今日のところは車椅子で職場にイノリを連れていく。

「ぅ……」

麻痺している箇所が痛むようで、時折目に涙をためて左足をおさえていた。

「おい、大丈夫か?」
「だ、だいじょ、うぶ、です……げ、元気、です」

元気なようには見えないが、声をかけると必ず最後には元気です、と返してくる。笑顔とは程遠い作り笑顔で。どういうしつけ方をされたらこうなるんだ?

まだ数時間しか観察してないが、もうこの魔物の性格がわかってしまった。天使の皮をかぶっているという可能性もなくはないが、鮎瀬の直感で、イノリには人間と共存する能力が十分あると判断していた。

病院での診断結果は悲惨なものだった。臓器はすでにボロボロ。視力は色や形も識別できないほど。放置しておけば数時間後には心臓が停止していたよと医者に言われた。

あやうく魔物虐待で逮捕、なんていう不名誉な黒歴史ができるところだった。魔法医療で臓器を全回復に近い状態まで回復させたものの、目と足だけは完治させるのは難しかった。視力については、脳に近い部分であり、普通の人間とは多少つくりが違うということから、慎重に治療しなければ失敗して失明するリスクがあると言われ、足については脳に傷がついてしまったため、原因を追究しなければ治しようがないとのことだった。

話し方がぎこちなくどもるのも、鬼柳が飲ませた毒薬の作用が関係しており、これもまた解明が難しい。ひとまずそれらを原因を調べるには時間がどうしても必要らしい。

ひとまず毎日通院し、一週間、今の状態で様子を見ることになった。

もっとパッと簡単に治せないのか?!と詰め寄ったら、医者の機嫌を損ねてしまい、「全力でやってるよ!馬鹿隊長!」とののしられて医務室から追い出されてしまった。

「もう隊長じゃねーっての」
「え……?」

やっと痛みがひいたのか、眠りかけていたはずのイノリがパチリと目を覚ました。

「いや、お前のことじゃねーよ。寝てろ」
「はい、…すみま、せん」
「別に謝ることなんか、なんもないぞ」
「はい……」

しばらくして、スゥ、スゥ、と静かな寝息が聞こえてきた。昨夜、全身の痛みで十分に眠れていなかったはずだったので、やっと静かに睡眠をとれたようで一安心する。

鮎瀬は頭をかいた。もともと機能性のない部署だった。一人部署から抜けたところで痛くもかゆくもない職場だった。むしろイノリを引き受けたのだから、鮎瀬がこの部署の仕事を一人で背負い込んでいるようなものだ。

(しゃーねぇ。在宅勤務、かけあってみるか)

スヤスヤと眠っているが、イノリは非常に怖がりで、音に敏感だ。恐らく車椅子を少しでも動かせば、すぐに起きてしまうだろう。

紙にスラスラと文字を書き、機械犬にその紙を見せた。

”今から調査局長んとこ行って、話つけてくる。イノリのこと、ここで様子見てくれ。頼むな”

この犬のIQは100以上。人間より賢いため、搭載されている「ワン」の音声はミュートにし、目元に《わかった》という文字で返事をした。

長い廊下を歩き、どう言えば信用に足るかを考えながら歩いたが、結局思いつかず、とりあえず局長の顔を見てから判断しようと思った。

「調査局長、失礼します」

「やぁ、鮎瀬くん。どうしたね。魔物とは順調かい?3年間の保護観察を引き受けてくれてありがとう。国からは実験援助金が、おっとっと、えーっとね、援助金がたんまり入ったんだ。君のボーナスに反映するから、喜びたまえ。1か月くらいは生かして、生体を記録したら、あとはもう君の判断でいつでも殺していいからね」

(あーなるほど、”実験”援助金、ね。これがほしくて、俺にイノリをおしつけたってわけか。で、もうもらったからイノリは用無しってこと)

嫌な上司にあたっちゃったかもなぁ、なんて思いながら、イノリの仕事をなすりつけてきた男を見据え、言った。

「観察対象、”一番”は現在死にかけています。今の状態では3日ももたない。病院はどこもあの”一番”の受け入れを拒否しています。唯一診療してくれた軍医も、入院は断られました。一週間ほど在宅での看病が必要です。許可をください」

「3日で死なれるのは少し困るな。よし、いいだろう。君の一存で任せるよ。そうだ、他の事件で、3匹も魔物を倒したそうじゃないか。お手柄だったね。しかも、相当強かったとか」

「はぁ。あれは不可抗力です」

「君の手にかかれば、魔物なんてイチコロだろう。もし君に牙を向けるようなことがあれば、その”一番”も、1か月と待たず、すぐ息の目を止めていい。無理はしないように」

「……承知しました」

どいつもこいつも、イノリを虫けらのように扱うんだなと感じた瞬間だった。

***

戻るとイノリが起きていて、涙目になってキョロキョロとあたりを見回していた。機械犬は目元に《鮎瀬はすぐ戻ってくる》と出し、イノリが見える場所までピョンピョンとジャンプしている。

「イノリ」
「あ、あゆせ、さ……っ」

涙を流し、鮎瀬の方に腕を伸ばす。

「ど、どこ、ですか?あ、鮎瀬さん…‥っ」

(そうだった、こいつ、視力もかなり落ちてるんだった)

傍まで行ってやり、ポンと頭に手を置いて軽く撫でてやった。

「だーいじょうぶだ。ここにいるよ」
「よ、よかった……ぐすっ」
「わん!わん!」

機械犬が鮎瀬に《できることはやってた。イノリ、文字が読めない》という文を目元に出していた。

「ワン公、お前、いい仕事してたよ」

ついでに機械犬の頭を撫でてから、食事を机に置いた。

「食堂に寄って、腹に優しい飯つくってもらってたんだ。遅くなって悪かったな」

くん、とイノリの鼻が優しい食べ物の香りを感じ、顔がほころぶ。

「い、良い、においが、します」
「鼻は問題無さそうでよかった。食ってみるか?」
「はい」

野菜をミキサーで細かくして、それをおかゆに混ぜ込んだものだった。一口味見した分には、普通に美味しいが、ちょっと味が薄かった。

「出汁の味しかしねーから、ちょっと物足りないかも。がっかりすんなよ」
「そ、そんな、が、がっかりなんて、しま、せん」

フーフーと何度か息を吹きかけてやり、ひとさじすくってスプーンを口元に近づけた。

ぽかんとしているので、見えないのかと思ってチョンとスプーンを口元に近づける。すると、耳をほんのり赤らめて、イノリは口を開いた。

「どうだ?」
「お、美味しい、です」
「よかった。内臓はだいたい完治させたってオッサン……じゃない、軍医が言ってたからな。このまま食べられそうか?」
「は、はい…‥じ、自分で、た、食べても…良い、ですか?」

「お、自分で食えるのか?なら、任せた。俺は仕事がまだあるから、食い終わったら言えよ」


◇◇◇
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