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人間に恋する魔物



【第二話 人間の家】

「確か俺、魔物討伐部隊はもうやめたはずなんだけど」

足元に転がっているのは、乾ききりミイラのように変わり果てた一般人の死体と、無残に穴だらけとなった緑肌の魔物だった。

「歓楽街に魔物らしき影を見た」との通報を受け、魔法省の職員が調査に乗り出した。まだ何の事件にも至っていない段階であるため、最初の対応は職員の役目だ。

だが現場を洗ううちに、事件性が濃厚だと判断され、魔法警察への連絡が必要になった。……にもかかわらず、前職の癖でひとりで深追いしてしまった結果、既に絶命した一般人と、三匹の魔物に鉢合わせてしまったのである。

逃げれば即死。ならば、戦うしかなかった。最初の鮎瀬の一撃に驚いた二匹の魔物は、一匹目が穴だらけになったのを見て、すぐに逃げ出した。

鮎瀬の指先からは五本、鋭利な銀の刃が咲くように伸びていた。生々しく光を反射し、しなやかでありながら鋼のように硬質。今しがた突き立てたその刃から、魔物の血がぽたりと滴る。

腕時計をちらりと見る。

ーーやばい。14時を過ぎたら、あの子が処分されちまうんだっけ? とにかく鬼柳に連絡を——。

その瞬間、前方から新たな魔物が襲いかかってきた。豹のような牙を剥き出しにし、怒鳴り声をあげる。隠れていた一匹が、今がチャンスとばかりに襲いかかってくる。鮎瀬は連絡先から「鬼柳のアホたれ」をタップした。

「スマホ触る余裕なんてねぇよ!」

魔物ががなり声をあげているのをよそに、のんきに咥えたばこまでして電話をし始めた。

「あーもしもし?」

軽口と同時に、ざくっ、と音が鳴った。
五本の銀刃が魔物の口腔へと突き立ち、上顎を貫く。

ざしゅ、と血を吐きながら魔物は崩れ落ちた。

魔物の血を払うように手を左右に振る。
スマホを耳に当てたまま、鮎瀬は言った。

「俺だ、鮎瀬。その魔物、朝言った通りちゃんと引き取るから、14時過ぎても——って、おい。留守番電話ONにしてんじゃねぇよ」

《ピーッ……ただいま電話に出ることができません。ご用件のある方は発信音のあとにメッセージをどうぞ》
「はぁー。あいつ、変なトコ抜けてんの、変わんねぇのなぁ」

***

鮎瀬が来ない。数秒間呼吸を整えた後、鬼柳は決断した。法を順守することこそ、何よりも大事なのだ。

「一番、14時だ。予定が変わった。今からお前を処分する」

自分の携帯が留守番電話に設定されていることに気づいていない当人は、今まさに取り返しのつかない選択をしようとしていた。

突如、目の前の男が立ち上がり、背筋をピンと伸ばした。
「一番」と呼ばれた魔物は驚きで目を見開く。今朝、鮎瀬という職員が迎えに来ると聞かされていたはずで——。

「あっ、あのっ……ど、どうして…ですか?」

魔物は緊張で声が震える。出会ったときからずっと殺気を向けられてきて、恐怖で体が固まっている。緊張のせいか、声を出すたびに言葉が引っかかり、うまく口が動かない。どうしても、どもってしまう——胸の鼓動が早まるたびに、言葉も震えた。

「我が国が定めた基準に従っている。お前を保護監督するはずだった魔法省調査局職員が来ない。人間を害する魔物だと判断したようだ」

「で、でも、ちょっと…遅れてるだけ、……とか、トイレに行ってるだけ、かも…」

少しでも話して時間を稼がねば。自分の命が危ない。この軍服の男の眼差しに、容赦はなかった。

「これ以上、ひとことでも反論すれば、今すぐ首を落とす」

鬼柳が鞘から刀を抜く。刃が空気を切る小さな音が、冷たく響いた。

「……!」

「死に方は選ばせてやる。ひとつ、この薬を飲んで死ぬか、私に首を落とされ一瞬で死ぬか、どちらかだ」

どのみち、死が目前に迫っている——。
視線が、鬼柳の手にある小瓶へと移る。

(せっかくここまで頑張ったのに。もう、諦めるしかないんだ……)

身動きできず、目には涙が滲む。

「ヒッ…ヒック…」

「声を出すな」

鬼柳の低い命令。ためらいはなく、刀が振り下ろされようとする。

恐怖が頂点に達し、彼は小さく「ぽん」と音を立てるように丸まった。魔物は無意識に己の体を縮小する魔法を放った。

ガチッ——

刀先が床に浅くめり込み、床板が軋んでささくれ立つ。木目に沿って裂け目が走り、刃先がわずかに木に食い込んだ。

手のひらに収まるほど小さくなり、床の上でコロリと転がってうつぶせに震えている。

「ふ…ふぇぇぇ…」

「魔法を使うな。もう一度チャンスをやる。薬で死ぬか、刀で死ぬか」

鬼柳は彼の服の襟をひょいと摘まみ、間近で見下ろすようにして言った。震える声で、彼はこくりと答えた。

「お…おくすり、で…」

切られるより、服用する方がまだ痛みは少ないかもしれないと思った。

フッと短く息を吐くと、鬼柳はそっと彼を床に置いた。瓶から薬を一粒取り出し、小さくなった彼に差し出す。

小さな魔物は両手を伸ばして受け取り、口元へ運ぶ。

「口に入れろ」

こくん、と頷く。何度か口に運ぼうとするが、小さくなった体では薬の方が口元よりも大きく、なかなか飲み込むことができなかった。

「もういい。そのままかじって全部食え。味は甘いらしい」

彼は涙をこぼしながら、小さな口で薬をかじり始めた。確かに甘い。
つかまってからずっと、泣くたびに鬼柳に叱られてきた。だが今は、ただ静かに見守られている。

(どうか、来世ではもう少し長く生きられますように)
そう祈るように思いながら、死へ誘う薬を胃へと押し込んだ。

半分ほどかじったところで、軍の一人が控えめに声をかけた。

「鮎瀬さんが応援を呼んでいます。一般人がすでに一人死亡。3匹の魔物と交戦中とのことです」

鬼柳が舌打ちをした。
「交戦中?あの人、まだ隊長気質が抜けてないのか?」

まだ泣きながら薬をかじっている魔物の首元の服をつまんで軽々と持ち上げる。薬を取り上げられた。
涙で濡れた目と、鬼柳の目が合った。

「おい、一番。予定変更だ。死ぬのはあとだ。私の胸ポケットに入っていろ」

***

「何やってるんですか?鮎瀬先輩。つわぶき部隊に戻りたいのなら、歓迎しますが」
「馬鹿言え。あの子…一番くんはまだ死んでねーだろうな?」

男女の欲が渦巻く歓楽街。ここには法律など、あるようでないようなものだった。
中には、人間の精を吸うことに快楽を覚える魔物もいる。恋愛ごっこを装いながら、その本性を隠して楽しむ種族もいるのだ。

人間の姿をした魔物は意外と多い。しかし化けの皮が剥がれれば攻撃性を抑えきれず、目の前の人間を殺そうとする凶器のような存在に変わる。その状態で放置すればこちらが食いものにされかねない。逃げ足の速い魔物は見つけ次第始末しなければ、また別の人間が犠牲になる。

「ここにいます。おい、出てこい」

鬼柳がぺしっと胸元のポケットをたたく。
ひぎゃ、と何か声が聞こえた。

「……すんげー小さくなってんじゃん」

ポケットから人形が出てきたかと思えば、それは昨日見た魔物の少年だった。目が腫れている。

「おい。尋常じゃないくらい目がはれてるじゃねぇか」
「すぐ泣くコイツが悪いんです」
「おまえ…はぁ。もういいや。死んでなくてよかったよ」

二人は同じ方向に走りながら、会話を交わしていた。一歩先には犬が走っている。この機械犬に追跡させれば、逃げ切ることなどまず不可能だ。血の匂いがつけば、なおさら。

ぴくり、と鬼柳が眉をひそめる。
「……先輩、何かいます」

歓楽街にそぐわない神社が一つ。その前で二人は足を止めた。
「ああ、いるな……やっかいなのが」

その瞬間、上空から石つぶてが飛んできた。

「なっ?!」

鬼柳は顔を腕で覆う。

「ああもう!さっきからうっとうしい!この魔物、さっきから物陰から隠れて、念でモノを動かす魔法を使いやがるんだ。鬼柳、Bで行くぞ!」

鬼柳は目を見開き、クセのように答える。

「わかりました、隊長」

作戦B。鮎瀬が除隊する前、良く使っていた戦い方だ。

鮎瀬が地面を蹴り、魔法を使って跳躍した。一度のジャンプで神社の屋根に着地する。
鬼柳の胸ポケットから顔だけ覗かせていたミニ魔物が、「わぁ」と声をあげた。

その時、一匹の魔物が鋭い牙を剥き、鮎瀬の背後に飛びかかる。大きく跳躍して屋根の上に乗り、背中に噛みつこうとしたその瞬間——

「背中です!」と鬼柳が叫ぶ。

「どうせそうだろうと思ったよ」

鮎瀬の背中から数万本の細い刃が飛び出し、ザクザクと魔物を刺す。かつて部隊にいた頃、仲間たちはこの戦法を見て「ハリネズミ」と呼んだものだ——動きが止まった隙に、鬼柳が刀を振り下ろし、魔物の首を斬り落とした。



鬼柳は筒から小さな龍を呼び出し、命令する。
「こいつを食え!」

筒から現れた龍は、人間の五倍ほどの大きさに膨れ上がり、低く頷いた。そして、一口で魔物の残骸を丸呑みしてしまう。龍の口の中で魔物が騒ぐが、それも一瞬だった。

満足そうに鼻から白い息をモクモクと吐き、小さくなって筒の中に戻った。

***

一件落着、と言いたいところだったが、本当の面倒はこれからだ。勤務が終われば、この機械犬とミニマム魔物を家に連れて帰らなければならない。

「はぁーーーー。疲れた……」

家に入るなり、鮎瀬はリビングに直行して脱力した。
ばふん、とソファに前のめりに倒れ込む。胸元から「ぴぎゃ」と小さな声がして、鮎瀬ははっとして懐を探った。

「あー悪い、生きてるか?」
「はい……」

鼻を押さえ、涙ぐんでいる。相当痛かったようだ。

第二の事件が起きないよう、潜伏している魔物がいないか調査する羽目にもなった。それらは本来、魔法警察や魔物討伐部隊の仕事で、調査職員ならすぐに帰れるはずだった。だが現場には顔見知りが多く、なぜか皆が鮎瀬の指示を待っており、結局つわぶき隊時代にいた時と同じように隊長役をしてしまったのである。

家に帰れたのは、22時を回ってからだった。ぐるる~と腹が鳴る。何か食べたいが、もう何もかもが面倒だ。

「なぁ、一番くん。料理できる?」

ミニマム魔物の目がぱっと輝いた。

「お、お料理、を、しても…いんです、か?」

鮎瀬は「おっ」と思った。どうやら料理が好きらしい。これはしめた。独身男性にとって料理は本当に億劫だ。うまいものを食べたくて、仕方なく自分でやっているものの、どうしても料理だけは好きになれなかった。

「頼めるならお願いしたいな。冷蔵庫に卵が入ってる。フライパン使って焼いてくんねーかな。キッチンはあっち」
「はい!」

ぽん!と音をたてて元のサイズに戻ると、鮎瀬が指をさした方向へ小走りしていく。機械犬もそれについていった。
何か思ったのか、急に魔物は立ち止まり、振り向く。

「あ、あの…ぼ、ぼくのこと…こんなに、じ、自由、に…していいん、ですか?」

ふぁ~とソファでのんきに欠伸をして腕を伸ばした。

(こいつ、こんな喋り方だったか?)

言葉にひっかかりがある。昨日まで普通に話せていたはずなのに、今はどもっている。少し様子を見ることにした。

「見たろ、さっき。俺はいつでも身を守れるから、お前なんて怖くもなんともねーの」
「そ、そう、ですか。き、キッチン、おかりします、ね」
「おー」

鮎瀬はスマホを取り、検索欄に指を滑らせた。
「どもる 理由」

――過度なストレスで吃音になることがある、と出た。

「フーン」

そのうち治るだろうとスマホを置いたとき、わんわん!と機械犬が吠えた。

「どうした?」

様子を見に行くと、ボウルの中には殻がぐちゃぐちゃに混ざった生卵。そしてフライパンの上には黒焦げになった卵焼きらしきものが……。

鮎瀬は手で顔を覆う。

「早く嫁さんが欲しい……」


***

結局、夕飯は鮎瀬が作ったものを食べさせてもらった。

いくつか部屋があるそうだが、今日のところは見張られながら眠ることになった。鮎瀬は相当疲れたようで、着替えることもせず、ぱったりとソファに横になって目を閉じてしまった。

(見張るって言ってたのに…)

ぜんぜん見張られていない状況に、どうしようもなくなった少年はひとまずお皿を洗うことにした。機械犬はずっとついてくる。

鮎瀬は見た目ほど怖い人ではなく、優しい人間だとわかり、だいぶ安心した。しかし、まだ心配なことがあった。この機械犬は、自分を殺すためにいる。そう鬼柳に説明された。危うい行動をとれば、この犬がなんらかの方法で魔物である「一番」を抹消するのだそうだ。

犬が近づくたび、手が震える。
なんとか皿を割らずに洗い物を終えると、ソファからむくりと体を起こした鮎瀬と目が合った。

「感心感心。皿洗いサンキュ」

胸の奥に、ぽっとあたたかみが芽生えた。
感謝されるなんて、何年ぶりだろう。

「い、いえ、お、お食事を、よっ、用意してくださっ…さったので」

両手を合わせ、ぎゅっと指に力を込めた。久しぶりに“嬉しい”という気持ちを感じる。

「名前、勝手につけていい?」
「えっ?は、はい…どう、どうぞ。お願いします」

「いのり、なんてどう?」
「いの、り…」
「いつも何かにお祈りしてるポーズをしてるから。どう?」
「あ…」

言われてみると、確かに今も手を胸の前に祈っているような恰好をしていた。

慌てて両手を下ろす。

「気に入らない?」
「いえ、だ、だいじょうぶ…うれ、うれしい、うれしいです!」

「よかった。なら、今日から君はいのりって名乗ってね」
「はい!」

その晩、タオルケットを一枚もらった。

「うち、布団は一組しかないから、そこらへんで寝て」

ソファは機械犬が占領していて、怖くて近づけない。仕方なく体を小さくして、座布団の近くで眠ることにした。

鮎瀬がシャワーから戻ってくるのを待って、ようやく眠りについた。
座布団がふわっと体を受け止める。幸せで、思わず少し涙が出た。

先ほど口にした薬の影響からか、体中に痛みが走っていたが、そんなことも忘れてしまうほど、今の状況が幸せだと思えた。


◇◇◇


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