人間に恋する魔物
【第一話 人間界】
数年前、人間界に迷い込む魔物がいた。
見た目はほぼ人間と変わらないが、耳だけが猫のような形をしていた。その魔物は多少の魔法を使え、手ごわかった。しかし、友好的で身を守る以外の魔法は使わず、最後まで攻撃はしなかった。
だが法律は残酷で、人間界にやってきた魔物は例外なく処分されることになっていた。「話だけでも聞いてほしい」という魔物の訴えは届くことはなく、戦いの末、攻撃部隊の若い一人の青年が猫耳の魔物を殺すことに成功した。その光景は彼に深いトラウマを残し、戦いを見守っていた職員の多くも、心の傷から二度と社会に戻れないほどの影響を受けた。
この事件をきっかけに、「言葉を話す友好的な魔物は殺さず、魔法省に届けること」という新しい法律が制定された。
***
「ということで、鮎瀬(あゆせ)くん。今回の魔物の保護観察をよろしく頼む」
呼ばれた男性はゆっくりと顔を上げた。切れ長の瞳には、確かな観察力と鋭い洞察が宿っている。
「どうして俺なんですか?」
どこか眠たげに細められた目は、緊張感を緩める余裕すら感じさせた。鋭さとだるさが絶妙に混ざった、独特な雰囲気を感じさせる青年だった。
法律が制定されてまだ2年。魔物の保護観察を経験した職員は誰もおらず、新米の自分にすべて任されたのだ。
上司の言い分はこうだ。
「君は、いつでも魔物を制御できる人材だから、適任だ。いや、君しかいない!」
嫌々ながらも鮎瀬は、魔物と対面することになった。
(めんどくせぇ…なんか理由つけてさっさと殺せないかな)
面倒ごとが嫌で、魔物討伐隊<つわぶき>を除隊し、ほとんど機能していない魔法省調査局職員として働いているのに、なぜ最も難しい職務を任されるのか──鮎瀬はため息をついた。
白熊の世話を24時間つきっきりで見守る動物園のニュースを思い出した。タバコをふーっと空へとふかす。
(ちっちゃい白熊くらいかわいいなら、まだ許せるんだけどな…)
面会時間がやってきた。タバコを携帯灰皿に入れ、魔物管理局の中へと向かった。
「鮎瀬さん、お待ちしておりました」
顔なじみの看守が礼儀正しく敬礼しているのを、手を軽く振って返した。
待合室には前職の同僚、鬼柳が立って待っていた。きりっとした厳粛な顔立ち。自分とは真逆のタイプだ。
「よぉ。久しぶり。魔物、倒しまくってるか?」
鬼柳は鮎瀬を無視し、面会ゲートの暗号ボタンを入力する。すると、厚い板が天井の方へと移動し、目の前が鉄格子部屋の景色となった。
「彼が、保護観察の対象です」
手足に錠をつけられた『魔物』が現れる。
手足に細い錠をつけられ、緊張した様子で立つその姿は、まるで普通の人間の少年と見間違えるほどだ。透き通るような白い肌、艶のある黒髪が額にかかり、長いまつげの下で大きな瞳が静かにこちらを見つめる。顔立ちは整っていた。どこか儚く、思わず守ってあげたくなるような愛らしさがあった。
「これが魔物…? かわいいじゃないか」
「あの傷は誰がつけた?」
「我々が発見したときには、すでにありました」
「本当にぃ?」
服はところどころ破れ、半袖半ズボンからのぞく肌のほとんどに打撲痕があった。
「侮られては困ります。我らは法律を遵守します。相手が魔物であっても、虐待は犯罪です。この魔物は最初からこの状態でしたので、攻撃の必要はありませんでした。一度でも攻撃してきていれば、殺すこともできましたが」
びくっと、魔物が背筋を硬直させる。
「本人の前で本音をもらすなよ」
魔物を生かすということは、誰かが3年間、面倒を見なければならなくなるということだ。
担当は主に鮎瀬のような魔法調査員であるものの、魔物を発見した鬼柳も時折観察に加わり、今後状況を把握しなければならない。
面倒なことこの上ないのだ。殺してしまえば、こんな手間はかからない。正直、鬼柳の気持ちも理解できなくはない――鮎瀬はそう思った。
(人間と同じ見た目じゃ、殺せねぇよな)
「枷、外してもよさそうじゃねぇ? 細いし…というか、何か食わせたほうが良いんじゃねぇの?」
「食事は与えました。彼はここに来た時からこの細さです。鮎瀬先輩、見た目に惑わされてはいけません。背中にはコウモリのような羽があります。おそらく人間と魔物の混血です。魔法力もあり、油断はできません。慎重に。あと、くわえタバコはやめてください。職務中です」
「お前が俺に指図するのか?」
「あなたはもう、我らの隊長ではなく、魔法省の職員です」
「へーへー、上下関係に厳しいこって」
鮎瀬はタバコをポケットにしまった。
「名前は? なんていうの」
「我らでは聞き取るのが難しいため、『一番』で呼んでいます」
「いちばん? もっといい名で呼んでやれよ…おい、そこの。地元じゃ何て名前で呼ばれてるんだ?」
突然知らない人に話しかけられ、魔物はびくっと肩を揺らした。
「なんもしねぇよ」
「……っ」
なかなか声を発さないことにちょっとイラついたのか、パンパンと自分の太ももをたたいて魔物に催促する。
「名前を言えばいいんだよ。何度も言わすな」
怖い人かもしれないと察したのか、魔物の目からじわっと涙があふれる。何かをしゃべったが、確かに聞き取れない。
「こっちの言葉しゃべれるんだろ。お前の名前をこっちの名前に訳せる?」
「ごみ、です」
――ごみ? 俺、今悪口言われたのか?
「何だって? 喧嘩売ってんなら買ってもいいぜ」
「っち、違います。捨てる、いらない、ゴミ、という意味です。それが僕の名前です」
「…こっちの世界にも、一部の地域に限るけど、将来強い子どもになるように、わざとウンコとか変てこな名前をつける風習があるんだ。あんたのところもそういう?」
「いえ、僕たち魔族には、そういった風習はありません…。本当に、僕は…ゴミだったんです…」
「もしかして、奴隷だった?」
「……っ」
魔物は何かを思い出したのか、ポロリと涙を流した。
「奴隷、だったかもしれません……」
「面会はここまで。明日、彼を引き取るかどうか、決定してください。調査員のあなたが、彼が人間を害すると判断すれば、明日、彼を処分します」
魔物はそれを聞き、静かに肩を震わせ、泣き出してしまった。
「鬼柳くん…ちょっと、デリカシーなさすぎる…」
「連絡事項を申し上げただけです」
外に出て、調査票に目を通す。
「調査、あまりにも適当すぎない?」
「法律で定められた項目は、漏らすことなく記録しております」
「いや、だってさ、これペット買うときの情報と丸っきり一緒じゃねぇ? 見直した?」
調査事項
種類:魔族/コウモリ系だが飛べない様子
魔法力:弱い/己を小さくする魔法のみ使用可能
年齢・生年月日:不明(推定16歳)
性別:男
体重:30kg
性格・行動の特徴:友好的/臆病/おとなしい
食事:人間と同じものが食べられる。本人曰く、一日一食でも食べられると嬉しい
特記事項 すぐに泣く
鬼柳は再び、「法律で定められた項目は漏らすことなく記録しております」と言った。
「大事なことだから二度言いました、みたいな顔してんじゃねぇよ」
「ここから先は魔法省調査局職員の仕事です。明日、引き取りにこられるのであれば、私にご連絡ください」
◇◇◇
数年前、人間界に迷い込む魔物がいた。
見た目はほぼ人間と変わらないが、耳だけが猫のような形をしていた。その魔物は多少の魔法を使え、手ごわかった。しかし、友好的で身を守る以外の魔法は使わず、最後まで攻撃はしなかった。
だが法律は残酷で、人間界にやってきた魔物は例外なく処分されることになっていた。「話だけでも聞いてほしい」という魔物の訴えは届くことはなく、戦いの末、攻撃部隊の若い一人の青年が猫耳の魔物を殺すことに成功した。その光景は彼に深いトラウマを残し、戦いを見守っていた職員の多くも、心の傷から二度と社会に戻れないほどの影響を受けた。
この事件をきっかけに、「言葉を話す友好的な魔物は殺さず、魔法省に届けること」という新しい法律が制定された。
***
「ということで、鮎瀬(あゆせ)くん。今回の魔物の保護観察をよろしく頼む」
呼ばれた男性はゆっくりと顔を上げた。切れ長の瞳には、確かな観察力と鋭い洞察が宿っている。
「どうして俺なんですか?」
どこか眠たげに細められた目は、緊張感を緩める余裕すら感じさせた。鋭さとだるさが絶妙に混ざった、独特な雰囲気を感じさせる青年だった。
法律が制定されてまだ2年。魔物の保護観察を経験した職員は誰もおらず、新米の自分にすべて任されたのだ。
上司の言い分はこうだ。
「君は、いつでも魔物を制御できる人材だから、適任だ。いや、君しかいない!」
嫌々ながらも鮎瀬は、魔物と対面することになった。
(めんどくせぇ…なんか理由つけてさっさと殺せないかな)
面倒ごとが嫌で、魔物討伐隊<つわぶき>を除隊し、ほとんど機能していない魔法省調査局職員として働いているのに、なぜ最も難しい職務を任されるのか──鮎瀬はため息をついた。
白熊の世話を24時間つきっきりで見守る動物園のニュースを思い出した。タバコをふーっと空へとふかす。
(ちっちゃい白熊くらいかわいいなら、まだ許せるんだけどな…)
面会時間がやってきた。タバコを携帯灰皿に入れ、魔物管理局の中へと向かった。
「鮎瀬さん、お待ちしておりました」
顔なじみの看守が礼儀正しく敬礼しているのを、手を軽く振って返した。
待合室には前職の同僚、鬼柳が立って待っていた。きりっとした厳粛な顔立ち。自分とは真逆のタイプだ。
「よぉ。久しぶり。魔物、倒しまくってるか?」
鬼柳は鮎瀬を無視し、面会ゲートの暗号ボタンを入力する。すると、厚い板が天井の方へと移動し、目の前が鉄格子部屋の景色となった。
「彼が、保護観察の対象です」
手足に錠をつけられた『魔物』が現れる。
手足に細い錠をつけられ、緊張した様子で立つその姿は、まるで普通の人間の少年と見間違えるほどだ。透き通るような白い肌、艶のある黒髪が額にかかり、長いまつげの下で大きな瞳が静かにこちらを見つめる。顔立ちは整っていた。どこか儚く、思わず守ってあげたくなるような愛らしさがあった。
「これが魔物…? かわいいじゃないか」
「あの傷は誰がつけた?」
「我々が発見したときには、すでにありました」
「本当にぃ?」
服はところどころ破れ、半袖半ズボンからのぞく肌のほとんどに打撲痕があった。
「侮られては困ります。我らは法律を遵守します。相手が魔物であっても、虐待は犯罪です。この魔物は最初からこの状態でしたので、攻撃の必要はありませんでした。一度でも攻撃してきていれば、殺すこともできましたが」
びくっと、魔物が背筋を硬直させる。
「本人の前で本音をもらすなよ」
魔物を生かすということは、誰かが3年間、面倒を見なければならなくなるということだ。
担当は主に鮎瀬のような魔法調査員であるものの、魔物を発見した鬼柳も時折観察に加わり、今後状況を把握しなければならない。
面倒なことこの上ないのだ。殺してしまえば、こんな手間はかからない。正直、鬼柳の気持ちも理解できなくはない――鮎瀬はそう思った。
(人間と同じ見た目じゃ、殺せねぇよな)
「枷、外してもよさそうじゃねぇ? 細いし…というか、何か食わせたほうが良いんじゃねぇの?」
「食事は与えました。彼はここに来た時からこの細さです。鮎瀬先輩、見た目に惑わされてはいけません。背中にはコウモリのような羽があります。おそらく人間と魔物の混血です。魔法力もあり、油断はできません。慎重に。あと、くわえタバコはやめてください。職務中です」
「お前が俺に指図するのか?」
「あなたはもう、我らの隊長ではなく、魔法省の職員です」
「へーへー、上下関係に厳しいこって」
鮎瀬はタバコをポケットにしまった。
「名前は? なんていうの」
「我らでは聞き取るのが難しいため、『一番』で呼んでいます」
「いちばん? もっといい名で呼んでやれよ…おい、そこの。地元じゃ何て名前で呼ばれてるんだ?」
突然知らない人に話しかけられ、魔物はびくっと肩を揺らした。
「なんもしねぇよ」
「……っ」
なかなか声を発さないことにちょっとイラついたのか、パンパンと自分の太ももをたたいて魔物に催促する。
「名前を言えばいいんだよ。何度も言わすな」
怖い人かもしれないと察したのか、魔物の目からじわっと涙があふれる。何かをしゃべったが、確かに聞き取れない。
「こっちの言葉しゃべれるんだろ。お前の名前をこっちの名前に訳せる?」
「ごみ、です」
――ごみ? 俺、今悪口言われたのか?
「何だって? 喧嘩売ってんなら買ってもいいぜ」
「っち、違います。捨てる、いらない、ゴミ、という意味です。それが僕の名前です」
「…こっちの世界にも、一部の地域に限るけど、将来強い子どもになるように、わざとウンコとか変てこな名前をつける風習があるんだ。あんたのところもそういう?」
「いえ、僕たち魔族には、そういった風習はありません…。本当に、僕は…ゴミだったんです…」
「もしかして、奴隷だった?」
「……っ」
魔物は何かを思い出したのか、ポロリと涙を流した。
「奴隷、だったかもしれません……」
「面会はここまで。明日、彼を引き取るかどうか、決定してください。調査員のあなたが、彼が人間を害すると判断すれば、明日、彼を処分します」
魔物はそれを聞き、静かに肩を震わせ、泣き出してしまった。
「鬼柳くん…ちょっと、デリカシーなさすぎる…」
「連絡事項を申し上げただけです」
外に出て、調査票に目を通す。
「調査、あまりにも適当すぎない?」
「法律で定められた項目は、漏らすことなく記録しております」
「いや、だってさ、これペット買うときの情報と丸っきり一緒じゃねぇ? 見直した?」
調査事項
種類:魔族/コウモリ系だが飛べない様子
魔法力:弱い/己を小さくする魔法のみ使用可能
年齢・生年月日:不明(推定16歳)
性別:男
体重:30kg
性格・行動の特徴:友好的/臆病/おとなしい
食事:人間と同じものが食べられる。本人曰く、一日一食でも食べられると嬉しい
特記事項 すぐに泣く
鬼柳は再び、「法律で定められた項目は漏らすことなく記録しております」と言った。
「大事なことだから二度言いました、みたいな顔してんじゃねぇよ」
「ここから先は魔法省調査局職員の仕事です。明日、引き取りにこられるのであれば、私にご連絡ください」
◇◇◇