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目覚めたら四肢を失くして囚われの身、救いは弟子と拾った子の笑顔だった

火を放つ事に躊躇は無かった。心から信頼していた彼に殺されかけたのだ。憎しみは膨れ上がっていた。門下生は全員追い出し、耿仲明一人きりにさせた。これだけでは物足りない。さらなる苦しみを与えるべく、術で大量の火の玉を屋敷に数発放つ。

この建物もとろとも焼きつくすつもりだった。

この場所に今いるのはかつて師と呼んでいた彼だけ。きっと怒って飛び出してくるに違いない。

(来い、耿仲明。お前をこの場で切り刻んでやる!)

両手を組み、空から楽しみに待っていた。
しかしいくら待っても耿仲明は現れない。

「…?」

岳は首を傾げた。
人は火事による煙で意識を失う事がある。
いや、まさか。己の師がこんなことで死するわけはない。

背中に冷や汗が流れた。

「師尊!」

矛盾していた。耿仲明を殺すつもりで来たというのに、いざ彼が死を迎えるのだと思うと背筋が凍った。

予想は的中した。
両手両足が焼け焦げた男が横たわっている。
師は意識が無いようだった。

「なぜっ…くそ!」

耿仲明を担ぎ、急いで信頼する医者の元へ向かった。

「これは‥手遅れだ。全て切断すればまだ…」
「手段は選ばない…この人を生かしてほしい」

岳は掌の汗を握り、そう医者に告げた。


◇◇◇

「!」

 ヒザから下の足、そして肘から下の両腕。
 起きたらどれもが無くなっていた。

 体にはひっかける程度の白い布があるだけマシだったが、まるで囚人のような恰好だ。

 不幸中の幸いか、金丹はまだ体の中にある。どうにかこうにか、この状態でも特別痛みもなく生きていられていた。

「ここは…洞窟?」

 洞窟の中に自分はいた。
 10ほど歩けば出口が見える。
 さほど狭くなく、大人が両手を広げられるぐらいはある。

「起きたか」

 耿 仲明(コウ チュウメイ)の背中がゾクリと冷えた。
 ざ、ざ、という足音が近づくたび、仲明の心臓の音がバクバクと大きくなる。

 顔を上げられない。目線は下を向けたまま、仲明は身を固くした。なぜなら目の前にいる男こそが、自分の体をこのような状態にした、張本人のハズだったからだ。
 彼の名前は潘岳。耿仲明の弟子だった男だ。

「無様だな、師尊(しずん)…いや、
 耿 仲明!」


 はくはくと口が動かそうとする。悪かった、命だけは助けてくれ、そう言おうとしたが、恐怖で口が動かない。

「さあ、どんな拷問がいい?」

 拷問と聞いて、サアっと仲明の顔が青くなる。生かしてほしいとは思ったが、
 いっそのこと、殺してくれと思った。

「そうだな。まずは舌を切ろうか」

「…ッ」

 ボロリ、と涙が出た。

「今更泣いて乞うても遅い。俺はお前のせいで死にかけ、そして生き延びた。運が悪ければ死んでいたんだぞ」

「殺すつもりは…無かった」

 そう。殺すつもりは無かったのだ。
 いつもそう。本当は、岳を大切にしたい思いは心のどこかで強くあるのだ。それなのに…自分が犯した所業を仲明は悔いた。

 潘岳(バン ガク)に対して、なぜか頭の中で攻撃しろと誰かの声が仲明に命令するのだ。そして抗えず、岳を谷から落とした。

 彼は死の挟間で霊力を最大限に使い、生き延び、そして復讐を遂げた。仲明の弟子をすべてなぎ倒し、仲明の大切な住処、修練場、もろもろの居場所を半分以上も焼き払ってしまったのだ。

「ふ、良い様だ。あいにく今から用事が入っている。一週間ほどで戻る。それまで、逃げるなよ」


 そう言い、剣に乗って岳は空へと飛んでいった。

 ――殺されるのがわかっている。
 逃げるなと言われて逃げないやつはいない――

 残念ながら洞窟には見えない力が働いていた。慣れない体で外へ出ようと試みるも、バン!と何かにぶつかり、尻餅を何度かつく。

 岳は仲明よりも強くなってしまった。
 そのため仲明にこの術を破ることは難しい。

 弟子に勝る力が無ければこの洞窟から出る事は不可能な状態になっていた。

 できることはただ一つ。瞑想で霊力を上げること。しかし霊力を上げようにもたった一週間程度ではほとんど何も変わらないのに等しい。しかしやるしかないのだ。
 霊力、気力を底上げし、たまった気で術を解く。それしか道が残っていなかった。

 飲むものも食うものもないが、金丹のおかげで特別苦しむことは無い。
 仲明は目をつぶり、自分の死を待つように瞑想を始めた。

 6日目あたりから、体から黒いものが出た。妖魔だ。鬼が何か言っている。「どうして戻れないんだ…?!」と何度も言い、仲明を睨む。


 鬼が必死に仲明のカラダに潜り込もうとするが、集中している今の仲明に入り込むスキなど無い。

 仲明は警戒し、できるだけ後ろへ下がってその鬼との距離を保つ。

「まさか私の体内に妖魔が居たとは…気づかなかった」

「へん!そりゃそうさ。おれはお前の先祖だからな。相性が良かったのさ。潘の子孫…潘岳を殺すためにお前にとりついた!」

「お前のせいで‥‥!」

 仲明は妖魔をキッと睨んだ。

「は!どうせお前は今から潘岳に殺される。できるだけ反撃したいだろ?手伝ってやるから、オレをお前の体の中に戻してくれ」

「断る!」

「おい妖魔」

 居るはずのない男の声がした。妖魔だけでなく仲明も一緒にビクリと体を震わす。

「今の話は本当か」

 逃げようとする妖魔の頭をガシリと握る。
 返事を待たず、真っ黒な塊をぐしゃりとつぶした。

「…岳、すまなかった、責任は取る。気のすむように拷問したのち、殺してくれてかまわない…」

 瞑想をしているあいだ、これまでの岳が受けた仕打ちについて胸を痛めていた。
 逃げるための準備をしていたはずの仲明だったが、観念し、報いを受けることを選んだ。

 また、これまでの岳への所業は自らが進んだことでなく、操られていたということに少しばかり安心を得られた。
 弟子として、岳を大切に思っていた気持ちは嘘ではなかったと思えたからだ。

 しん…、と洞窟の中が沈黙に包まれる。
 仲明は目をつぶり、頭を床に付けた。
 岳は驚く。人に頭を下げるのが嫌いな仲明が、このように他人にひれ伏すような態度を取るのは初めてだった。

「ここは、精霊山と言って妖魔を取り除く力があるそうだ。知らなったが、ここに長くいたおかげで妖魔が体から吐き出された、というわけか」

 ギリ、と岳は唇を噛んだ。

「何年も…何年もだ!いつもお前は俺を虐げた!上のお前が俺を痛めつけることを容認したおかげで他の弟子からもひどい仕打ちを受けた!俺は何もしていないのにだ!!
 」
「っすまない…!」

 妖魔のせいだとなすりつけ、弁明する事が出来ればどんなに良かったか。しかし今の岳にはそんなものただの言い訳に過ぎない。
 師である自らが早々に自らの体の異変に気づき、対処すべきだった。

「俺を拾ってくれた時のアンタはすごく優しかった…だから師尊の弟子になったのに!妖魔がとりついていた?ならこの数年の地獄のような日々を許せというのか!いいや無理だ!」

「岳、お前の気の済むように拷問をしてくれてかまわない。そののちに…」

「殺せと?!」

 仲明は顔をゆっくりあげ、うなずいた。

 岳は仲明を一度睨んだあと、そのまま洞窟から出ていってしまった。

 仲明は空を見上げ、四肢の無い体を見下ろした。これからどうするのが正しいのか、頭が整理できない。ただただ、涙するしかなかった。

 仲明が住んでいた場所は岳によって壊滅させられた。住処は焼かれ、元いた弟子たちは他の門派のところへ行ってしまっている。
 弟子からこのようなものが輩出してしまった以上、頼ることなどできない。弟子の不手際は師の責任だ。
 帰る場所はない。

 残るこの命で役に立てることを考えたが、岳に殺されること以外、何も思いつかなかった。

 せめて、岳にこの命を差し出すまでは生きていこうと仲明は考えることにした。


「寝床を…整えるか」


 ワラをあつめることにした。
 そのためにも、山を下りて村で余っているワラをわけてもらうことにする。

 術は解かれていて、洞窟を出ることができる。
 ヒザより下が無い。普通に歩く事は困難で、そのまま歩くと痛みが走った。霊力で地面と肌の間にスキマを作るように工夫して歩くと、痛みはなくなった。

 なんとか前に進むことはできるが、普通なら数時間で行ける距離を二日かけて進むことになった。

 残念ながら村へついた途端バケモノ扱いをされてしまい、まったく相手にされなかった。

「仕方がない、帰ろう」

 帰り道、子犬と出会った。


「ふふ、私になついても何も無いよ」

 子犬は自分で木の実や魚を上手に採取できる賢い犬で、特別面倒を見る必要は無かった。

 しかし数週間後、土砂崩れで子犬は死んでしまった。

 仲明の唯一の心のよりどころだった。

「う…っ」

 雨の中、子犬の墓の前で泣いていた仲明の近くで足音がした。

 潘岳だ。

「無様だな」

「私を‥殺しにきたのか?」


「…」

 潘岳は答えなかった。

「っくしゅ…っ」

 金丹を生成してしまえば、長寿を全うすることができる。
 しかしやっかいな病にかかってしまうと、簡単に死んでしまうこともある。

「洞窟で寝泊まりをしているのか」

「ああ…私には行く所が無いから」

「…」

「洞窟へ戻らないのか」

 季節は冬に入ろうとしていた。薄い服を一枚着ているだけの仲明の姿が寒々しく見えたのだ。

「いい。ここで睡眠を取る」

 雨が降り、土が濡れ始めている。とても寝られる環境ではない。それでも仲明は子犬の墓地を足りない両腕で包み込むように抱きしめ、目をつぶった。


 翌朝、目を開けた時にはもう岳はその場にはいなかった。墓地に向かっておはようと仲明は挨拶した。
 いつもの「ワン」という返事は戻ってこない。
 ぽろ、と一つ涙をこぼし、ごしりと肩で涙をぬぐう。服はびしょびしょに濡れており、余計に顔に水滴が着いた。


 この精霊山にはいくつもの泉と温泉がある。
 体を清めるため、浅い泉を探した。

 見つけた泉で服と体の汚れを取るようにばしゃばしゃと体を動かす。体は霊力使い、清潔を保つことができる。しかし服はそうもいかず、物理的に汚れをこすり取る動きをしなければならない。

 ある程度妥協し、汚れがついたままの服を脱いで近くの背の低い木に干した。


 洞窟からしばらく歩いた先に点々と温泉がわかれて湧き出ている。
 仲明は温かい湯が好きだった。
 遠かったが、温泉で体を清める事を好んでいた。

 この精霊山には鋭利な草が多い。できるだけケガをしないよう避けて通っているものの、この体だと何かと擦り傷が絶えなかった。
 ヒザより下の足が無い仲明はよく葉で肌が切れる。
 温かい湯がキズに染みた。

「痛…」

 それから数年、一人で精霊山で生活をしていた。親切な商業に出合い、野菜の種をいくつかもらった。仲明は幼少の頃、農業をしていたこともあり、野菜はすくすくと育って多くの野菜を収穫できるようになった。


 仲明は寂しかった。
 野菜で鍋や調味料と交換できるかもしれないとふと考える。
 まだまだ腕は戻らないが、そのうち両手のどちらかが完治すれば料理もできるし、村の人と交流を持てるかもしれないと考えた。

 また化け物扱いをされるのではと少し怖い気持ちもありながら山を下りる。

 やはり一部の人間からはモノを投げられたり、刺されかけたりした。しかし優しい人はいるもので、調味料や鍋を野菜と交換してくれる人もいた。

 親切にそれらを籠につめ、仲明が移動しやすいように籠を背中に引っかけてくれたのだ。

 仲明は両手両足が不自由なことから、ひとつの野菜を二日かけて持ってくるという事しかできなかったが、この籠のおかげで数個の野菜を村へ運ぶことができるようになった。

 その様子を剣に乗って上から見下ろす男が居た。潘岳だ。

「みすぼらしい恰好だ」

 数百人の弟子の頂点にいたかつての師は今、雑巾のような汚い身なりの服を申し訳程度に体にひっかけ、ヒザ立ちの状態で懸命に洞窟に向かって歩いていた。

「楽しそうだな」

「岳…」

 数年ぶりに人と話し、そして親切にしてもらえたのがうれしくて、仲明はニコニコと笑顔で歩いていた。

 そんな様子を元弟子に見られていたのが恥ずかしく、うつむいた。

 そもそも、自分は潘岳の人生を狂わせてしまった。その責任を負うために生きているようなものだったのだと仲明は思い出す。

 軽率に人生を楽しんではいけないのだと反省し、「すまない」と岳に言った。

 その時、「えーん」と赤子が泣く声が聞こえた。
 仲明は引き寄せられるようにその声の元へ向かった。



「た、大変だ、岳、赤子がいる!草むらに…!」

「捨て子だな」

「そんな…何か事情があってここに置かれているのでは」

 仲明は肘で赤子の頭を撫でた。

「置手紙がある。なになに…捨て子だ。間違いない」

 手紙を読み終えた岳がぽいと捨てるように仲明に手紙を投げた。

 仲明は投げられた手紙を読もうとするが、ひっくりかえっていて読めない。両肘で紙をすくうようにするがなかなか掴めないでいた。

 ハア、と潘岳は溜息をして手紙を拾い、読んだ。

「この子を拾ってあげてください。この子の母より。と書いてある」

「そんな…この子を村の誰かに預けなければ」

「その腕でどうやって?背中の野菜をおろして籠にでも入れるのか?そのトゲトゲした籠の中に」

「それはだめだ…人を呼ぼう」

「ここまで来るのに二日かかっているんだぞ。その足じゃ…村へ戻るとしても二日はかかるだろう。赤子は飢えて死ぬぞ」

「そ、そうだな…どうしたものか」

 岳が助けてくれるわけがない。
 途方に暮れると、岳が自ら申し出た。

「洞窟までなら俺が赤子を運んでやってもかまわないけど」

「そうか!頼めるか?すまない」


 ***************


 洞窟へ戻った後、柔らかいワラの上に赤子をおろし、二人で話をした。
 泣いていた赤子はワラの上にいくつかまばらに落ちている花をつかみ、笑っていた。

 このワラは初めて村に行って化け物扱いをされた時、道中で見つけたものだ。
 せっせと往復して、多くのワラを集めて寝床を作った。
 この拾ったワラは不思議な力を持っていて、何をどうしても汚れることもなく、そして千切れる事も無いものだった。


「赤子は何を飲むものだったかな」

「師尊、そんなことも知らないの?」

「私は修行と料理しかしてこなかったから」

「1歳…にはまだなってないぐらいだが、かゆぐらなら食えるだろ」

「そうか…米はうちにないし…どうしたものか」

 テンポよく返事をしてくれていたのに、潘岳が押し黙ったので仲明は見上げた。
 顎に手を当てて、何か悩んでいるようだった。

「俺の家でしばらく預かってもいいが…」

「それはありがたい」

「いや、すぐ村の誰かに預けろ。俺は知らん」

「あ…」

 踵を返して潘岳は洞窟から出ていっった。
 ぐす、ぐすと腹をすかせた赤子が泣き始める。

 この場にはこれほど小さい子供が食べられるものが無いに等しい。どうすればいいか悩んでいたら、剣に乗って潘岳が戻ってきた。
 おかゆを持って。

「岳、その粥は」

「お前のためじゃない」

「うん、わかっているよ。ありがとう」

 ふわりと笑った師を見て、岳は目を背けた。

 ふぅふぅと冷ましながら赤子に粥をやる岳の姿を見て、根はやさしいままなのだと仲明は胸を熱くした。

「どうして…泣いてるんだ」

「え?」

 知らないうちに涙が出ていたようで、ぐし、と肩で自分の涙をぬぐった。

「すまない、どうしてか、嬉しくてね」

「まだ会って数時間しか経ってない赤子にそこまで親切になれるもんかな」

 過去に色々あり、潘岳の性格はねじ曲がってしまった。自分にたてつく人間は容赦なく殺す勢いで叩きのめすし、実際に自分は四肢を無くしている。
 残虐な性格に育ってしまった事を自分のせいにしていた仲明は心の底から安心したのだ。

 夜が近づき、仲明はくしゃみを一つする。
 ヒヤリとした風が洞窟に入り、赤子は寒そうに岳の体にぎゅっとしがみつく。

 寒くても岳や仲明などが持っている金丹があれば体温をある程度調節することができるが、普通の人間はそうはいかない。

「すまない、岳、今日だけ、お前の家に寝かせてやってくれないか…?こんなことを頼める立場では無いのは百も承知なのだが…」

「ずうずうしいことこの上ないですね」

「すまない…」

 申し訳なく感じ、仲明は目を伏せた。しかしこの子の命を救うため、願わずにはいられないのだ。


「…明日までだ」
「ありがとう!その、ついでになんだが、明日この子を村まで…」
「わかってる」

「ありがとう、ありがとう…っ」

「年を取って涙腺ゆるんだんじゃないの」

「うん、そうかもしれないね」

 昔に戻れたような会話が出来て、仲明はとてもうれしく感じた。

 翌朝、少し疲れた顔をした潘岳が洞窟に現れた。片手に昨日拾った赤子がいる。

「どうした?村の娘の誰かに預ける事はできなかったか?」

「無理だと言われた」

「なぜだ?」

「この子の目だ」

「これは…目が…紺色じゃないか。珍しい」

「昨日は暗かったし、気のせいかと思っていたんだが」

「きれいな目だ。この目が駄目だと?」

「ああ。この子の目は気味が悪いと言われた。他の村にも訪ねたが、同じように断られた」

「そんな…」

「いっそのこと、師尊が育てればいい」

「できれば私もそうしたいが…その…」

 仲明が自分の体を見下ろし、言い淀んだのを見て潘岳が言った。

「粥とか…果物をつぶしたものなら食わせてやれる。その他はその腕でもできるだろ」

 少しずつだが、仲明の腕や足は回復してきている。金丹と高い霊力により、伸びるように腕や足が形成され始めていたのだ。赤子を腕に抱けるぐらいにはなっている。

「一緒に育ててくれるのか?」

 仲明はうれしそうに潘岳を見上げた。

「一緒にとは言っていない。ただその赤子に飯を食わせてやると言っただけだ」

「ありがとう…!」

「また…泣いてる。ほら、赤子が見てるぞ。みっともない」

「うん、うん…すまない」

 その涙が本当にきれいに見えて、潘岳はつい、と指で師の涙を拭きとった。


「岳…?」

 潘岳の珍しい行動に仲明は首を傾けた。
 自分の行動にハッとした潘岳は慌てて赤子を仲明に渡し、剣に乗って空へ飛ぶ準備をする。

「そいつの朝飯を持ってくる…っ」

「ああ、すまないね、頼む!」

 こうして、いつか殺されるのを待ちながら、子供を二人で育てるという奇妙な毎日が始まったのだ。





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 子供を二人で育て初めて数か月が経った。

「師尊!湯あみは俺の担当だろ。あぶないったらない」

「いや。前は問題なく入れられたぞ」

 岳が留守中で、二日帰ってこられない日があった。その日は仲明が一人で温泉地まで赤子を抱えて連れていき、湯に浸かったのだ。

 バサ、と仲明は自分の服を着る。脱ごうとしたが、潘岳が来たので再度着ることにした。

「うそだろ、そんな腕で湯に入れたのか」

「ああ。気持ちよさそうにしていたぞ。湯につかっている間はしっかり私につかまってくれるしな。これからは私が入れてもいいだろう?」

「うーん…どうやって湯に入ってるのか見せて。安全そうなら構わない」

「え…」

 目線を下にして、もじもじと恥ずかしそうにする師を見て岳は方眉を上げた。
 岳が不思議そうにこちらを見るので、仲明は頭を少し横に振り、答える。

「いや、裸を見られるのは抵抗がある」

「はぁ?男同士だ」

「う…人に肌を見せるのに抵抗があるんだ」

「赤子はどうなる」

「あ、そうだ、まだこの子の名前決めてないだろう。いつ決めようか」

 ずっと赤子と二人は呼んでいたが、そろそろ赤子という言葉が似合わないほど大きく育ってきた。

「話をずらすな。俺が見て大丈夫だと判断したら湯を任せることにする」

「ん…わかった」

 仲明は一枚服を脱いだ。両腕の無い仲明の服はいつもその一枚だけだ。

 赤子が「あー、うー」と温泉を見て楽しそうにしている。

「元璋(げんしょう)という名前はどうだろうか」

「なぜ」

「強い子に育ってほしいんだ」

 元璋とは仲明の師の名だった。もちろん岳もその名が誰のものかは知っており、フン、と腕を組んだ。

「俺はなんでもいい。好きにつければ。
 …男同士なんだ。無駄に恥ずかしがるな、気持ち悪い」

「はは…そうだね。すまない」

 ちゃぷん、と元璋を抱えて風呂につかる姿は少し遠目から見ると女性にしか見えない。
 無い乳房を確認するとそれは男だということがわかるのだが、いかんせん恥ずかしそうにしているので少しどこを見ればいいか潘岳は目を泳がせてしまった。

 ――ただの師で、男で、しかも両腕と両足が無い男になんでこんな気持ちにさせられるんだ…!――

 仲明は美しい男だった。長い髪はつややかで、肌は白い。そこいらの娘よりも器量がいいのだ。

 ちゃぷちゃぷと赤子の元璋が足をバタつかせる。賢いため、手はしっかり仲明の首に巻き付け、離さないようにしていた。

 なるほど、これなら確かに大丈夫だと潘岳は判断した。しかしもしもの事がある。やはり風呂の担当は自分がしなければと考えた。

「問題ないだろう?これなら風呂に入れるのを交互に交代してもいいんじゃないか?」

「だめだ。前回みたいに俺が家にいないときはいいが、今後も風呂は俺が担当だ」

「そんな…」

 はあ、と残念そうに息を吐く様子を見て潘岳は尋ねた。


「師尊、どうしてそんなに一緒に風呂に入れたいんだ?」

「わからないか?」

 逆に聞かれて潘岳は黙った。
 風呂に入れている時、嬉しそうに風呂の中で遊ぶ赤子を見て幸せになる自分がいることを岳は思い出す。

「そうだな…なら、仕方ない。師尊が元璋と入るとき、俺も一緒に入る」

「え?!」

 服を脱ぎ始める潘岳に仲明は焦りだし、仲明は眉を寄せる。

「何をそんなに焦るんだ?」

「裸で一緒に風呂など…淫らだ…」

 この精霊山には点々といくつか温泉が湧きでいてる。岩を隔てたすぐ側にもういくつか温泉はあるのだ。それなのに、と仲明は目を伏せた。

 見ると首筋までもが真っ赤になっていた。どうやらのぼせたのではなく、とても恥ずかしがっているように見えた。

「俺たちは男だ。問題ない」

 気にせず風呂に入り、元璋を奪う。

「あ」

「元璋は風呂の中で首と背中をさすってやると、気持ちよくなって寝るんだ」

 そういって、優しく赤子の背中を洗うようにさすると、うとうとと眠そうにあくびを始めた。

「本当だ。かわいいな」

 ぷぅぷぅと花提灯でも出そうな眠りをする赤子の顔をじっと見つめるソレは母親の顔だった。その美しい顔に岳は見とれてしまった。
 視線に気づいた仲明が顔を上げる。

「なんだ?」

「なんでも…ありません」

「そうか」

 仲明に対し不遜な態度を決め込んではいるものの長年敬語を使って話していたせいもあり、近頃の岳は無意識に敬語を使って話すようになっていた。特別仲明はそのことに気づいてはいたものの、何も言わないことにした。

 しばらく湯に浸かったあと、仲明は少しヨレた服を着る。うとうとと眼をこする元璋にクスリと笑い、元璋を抱こうと腕を伸ばした。

 岳が背後から話しかける。

「そんな薄汚れた服で元璋を抱く気か?」

「これは…できる限り服は体と板で布を挟んでこすって洗っているんだが、取れない汚れもあって…毎日違う服を着まわしているから大丈夫だ」

 村の人たちからもらった服は合計で4着ある。どれも汚れたり着古したものだ。それらの服をちょうどいい長さに切ってもらい、着衣している。

 汚れてはいるがあまり金を稼ぐことができない以上、肌を隠せるだけありがたいと思っていた。
 ただ、あらためてそれをかつて弟子だった岳に言われると、なんだか悲しい気持ちになる。
 小汚い恰好をしているのは自覚をしているが、それを面と言われて仲明は何も言えず下を向いた。

 不自由な体でできるだけしっかり洗っているのを岳も知っていた。しかし元璋が成長し、あちこち動くようになってから、仲明の衣服に汚れが付着する機会がどうしても多くなってしまっている。

「べ、別に、師尊のことを汚いと言っているわけじゃない」

 元璋を抱いても汚れを付けることはないが、元璋を抱こうと上げた手は下にだらんと降ろされている。

 けなそうと思って言ったことではない。ただ、もう少しましな服は無いのかと聞こうと思っただけだ。

「新しい服を調達しないのか?」

「そう、だな…いらなくなった服と野菜とを交換してくれるか、村の人に聞いてみるよ」

 にこ、と笑顔をつくり、元璋を抱き上げた。

 長い間、弟子として仲明の側にいた岳だ。作る笑顔とそうでない笑顔の区別くらいわかる。今の事は間違いなく綺麗好きの仲明を傷つけたと後悔をした。
 岳はもってきた巾着のなかから服を一着取り出し、渡す。

「とりあえず、これを着ればいい」

「これは?」

「色合いが女物だが、その服よりはマシだろ。今日元璋を連れて買い物に行った帰りにもらったものだ」

 たまたま、足元に迷子の子供がへばりついて岳の服を離さず泣いていた。まだ会話ができないようで、仕方なく岳は近くの呉服店に入ったのだ。まさしくその店の子供が一人で外に出て、迷子になっており、お礼に服を一着もらったのだ。


「まさか女物だとは思わなかったが」

 野菜を買いに来ていたのだが、行きつけの新鮮な野菜を売ってる店はすぐに品切れになるため、急いでいた。あまり話もきかず、服だけもらって帰ってきたという経緯だ。

「確か、お母さんに、とか言ってた気がするな」

「はは、女房への土産物としてもらったんだな」

 女房、という言葉に岳はピクりと反応した。
 未亡人のようなはかなげな美しさを持つ仲明には、なんとも女房という言葉がぴったりとあてはまる気がしたのだ。

「これは…確かに女性ものだが…とても触り心地が良い。気持ちよく寝れそうだよ。ありがとう、岳」

 これは嘘の笑顔ではなかった。ふわりと嬉しそうに笑う仲明を見て、胸の奥がズシンと押されるよな、重くなるような感覚を岳は一瞬感じた。

「別に。たいしたことじゃない」


 一体ソレがなんなのかがわからなくて、岳は「?」と首を傾げた。

 女物だが、寝るときにだけ使おうと決めた仲明はさっそく着ることにした。

 岳は目を見張る。
 美しいという言葉だけでは足りなかった。

「はは…あまり見ないでくれ、外で私が女物の衣服を着ていると言いふらさないように」

「言っても俺に得なんかない」

「それもそうだね」

 温泉から洞窟までは距離がある。つい最近から、剣を飛ばし、仲明を洞窟に送り届けてくれるようになった。
 まだ少し肌寒い日が続いているため、元璋は岳の家の中で眠るという毎日を過ごしていた。

 いつもの通り、岳が仲明を洞窟に送る時間になったその時。岳は口を開いた。

「今日はやけに冷えこむ。家で寝た方がいい」

「…いいのか?」

「嫌なら洞窟で寝ればいいけど」

「嫌だなんて!しかし、君の家の寝床はひとつだけじゃないか?」

「…3人で眠ればいい」

「いいのか?」

「それしか言えないのか、耿 仲明」

「私は嬉しい。元璋と眠れるんだから。しかし…君は私と一緒でも大丈夫なのか…?」

 あれから幾日か経っているが、まだ自分の事を恨み、いつか殺すつもりでいるだろうと仲明は思っていた。
 もう仲明は岳に殺される事を受け入れている。今更逃げようとも思っていない。罪を償うために死ぬのだから致し方ないことだと考えている。

 忌み嫌っている相手を寝床に誘うのは何故かと聞くのは至極当然だった。


 岳は正直よくわからなかった。女性ものの衣服を着た仲明をワラの上に寝かせるのが忍びなかったのかもしれないし、単にいつも元璋と一緒に眠りたそうにしているその希望を叶えてやる気分になったのかもしれない。

 最近、仲明が元璋と眠れたのはたったの数回だけ。岳が留守中の間だけだった。その間、金丹が無い元璋のため、洞窟内が温かくなる術を施してから岳は精霊山を離れた。

 仲明は霊力が高いが、岳ほど緻密な術を使うことはできない。そのため今もなお、元璋は岳の家で眠る日が続いている。

 温かい日は洞窟で元璋と眠る事が出来るが、寒い場合は岳が預かるのが暗黙の了解になっていた。

 仲明は金丹がある。寒くても体内で熱を作ることができるので、そう簡単には風邪を引かないはずなのは知っていた。

 どう答えたらいいものか思案したあと、一言だけ「俺はかまわない」と言った。


 にこにこと嬉しそうに喜ぶ仲明の顔を見て、岳は心の奥が温まっていくのを感じた。


 ********



 温泉から岳の家までは少し歩くが徒歩で行ける距離だ。剣に乗っていくこともあるが今日は歩いて帰る。

「岳、今日はとても気分がいい。歩いて家に向かうよ」

「…」

 岳も合わせて歩いていた。
 3人で夜の散歩をする日が来るとは、なんて平和なんだろうと仲明は嬉しく感じた。

 岳の家に入った仲明はコロンと寝床に横になる。

 岳の家に入るのは初めてではない。普段寒くない日中は仲明が洞窟で元璋の世話をしているが、元璋が調子を崩した時などは仲明も岳の家に来て看病をすることがある。

 一目散に横になった仲明にフっと岳は笑う。抱いていた元璋を仲明のすぐとなりに寝かせた。

「子供みたいだ」

 岳が嫌味でなくただの感想で言ったのだと感じた仲明は嬉し気に答えた。

「ずっとこの寝床の感触を、横になって味わってみたかったんだ。ホラ、私は数年ワラの上でしか眠ってこなかったから」


「…」

 気持ちよさそうに寝床に転がり、眠る元璋の頬に口づけを落とす幸せそうな仲明に、再度岳の胸がズクと動いた。

「?」

 先ほどから、この胸にクるものがなんなのかわからず、また岳は首を傾げた。
 いつの間にか二人とも気持ちよさそうにそろってくーくーと寝息を立てている。
 起こさないように額も寝台に寝転んだ。
 元璋を胸に寄せて抱いて眠る様子を見ていると、やはり胸がきゅ、と締め付けられる。

 自分は母を早くに亡くしている。もしかしたらそれが関係しているのかもしれないと岳は考えた。しばらく見ているうちに、仲明の穏やかな表情を見ると湧き上がる衝動の名前がわかってきた。この気持ちはおそらく「守りたい」という欲求からくるものだった。かつては殺したいほど憎み、そしてかつては母の次に慕った人だ。


 幼いころ、なんとかして師である仲明を嫁にもらう方法はないかと考えた事が何度もある。
 妖魔にとりつかれてしまうまでの仲明は優しく、美しく、いつか嫁にでもできたらいいなとよく考えていた。

 仲明がううん、と一瞬眉を寄せた。
 体を少し浮かせて腕を伸ばす。仲明の顔にかかった髪をソッと流してやり、また岳は横になった。

 師に触れた指から甘い感覚が広がり、どうしてかもっと触れたいと思うようになった。ふと仲明の体を見る。この四肢が不ぞろいな体に欲を感じてしまった自分を罵る。
 いったい、誰が仲明のカラダをこのようにしたのかを改めてふりかえる。

 岳は唇を噛んで目を閉じた。
 今更、仲明を自分のものにする資格など、ありはしないのだ。


 その日の翌日から、岳はつきものが落ちたように仲明に優しく接した。
 不遜な態度は相変わらずだが、常に敬意を払って話すようになったのだ。

「師尊、今日は3人で出かけますよ」

「3人で?元璋も連れてか?」

「ええ」

「しかし、3人も連れて剣で飛べるか?」

 温泉と家までの距離と違って、町へ行くとなると、とても長い間飛行しなければならない。

 ジロと岳に横目で見られ、びくりと仲明は背中をまっすぐにさせる。

「へ、変なことを聞いたか?」

「鉄のナベで、以前飛ぶ練習をしているのを見ました」

「‥‥」

「そして問題なく飛べていたのも見ました」

「外で鍋に乗って飛べと?」

「何か問題でも?」

「大ありだ…恥ずかしいじゃないか。鍋になんて…」

 いつ岳が子育てを放棄してしまってもいいように、移動手段をいろいろと試行錯誤していたのだ。

 鉄でできた鍋ならもしかしてと思い、試しに乗って霊力を込めると、いとも簡単にふよふよと浮遊した。
 しかし、かつては複数の師として尽力していた自分が、鍋に乗って浮遊しているのを見られるのは恥ずかしいものがあった。


「さあ、行こう」

 鍋を放り投げられ、さっさと元璋を抱いて空へと岳は飛んでいく。

 仲明は拒否ができる立場ではない。いやなことは嫌だというが、岳には元璋の生活の半分以上の世話を焼いてもらっている。大人しく言う事を聞いた。

 ついた町は義足や義手などが多く並んでおり、仲明はなぜ岳が自分をここへ連れてきたのかがやっと理解できた。

「もう話はつけてあります。あの店で義足をつけますよ」

「義足を?しかし…」

 仲明が言うよりも早く岳は中でも一番大きな店に入っていった。

 店の中には人が多く集まり、そしてどの商品も驚くほど高いものばかりだった。

「岳、こんなに高い店に入っても…」

 きっと足や腕につけられるものを一緒に探しに来てくれたのだろうということはわかるが、買う金がない。見ていても買えないのだ。ならば帰ろうと岳に言おうとした。

「師尊、これを両腕につけてください」

 従業員がこの手について説明を始めた。

「こちらの方が…ああ、本当に手も足もなくなってしまったんですね。大変でしたね…でも安心してください!うちの商品は軽くて丈夫!何より動きやすいと評判ですから!」

「そうですか。あの、こちらお値段は」

 やはり値段が気になってしまう。仲明の手持ちはせいぜいじゃがいもを二つ買える程度の額しかないのだ。

「もう払ってあります。店主、答えないでいい。無駄口をたたいてないでさっさと両足も持ってきてつけてくれ」

 仲明がすきを見て店主に金額について探ろうとすると岳がなぜか邪魔をしてくる。
 どうしても価格をきかせたくない理由があるんだろうかと首をかしげ、仲明は何も言わずに義手と義足をつけてみた。


「すごい!店主、これは動きやすい。ありがとう」

「でしょう?だからうちはここら一体でも一番売れてるんですよ!」


 そのあと、長時間長くはつけられないと聞いて仲明は少し残念に思った。時間がたつとネジが緩んできてしまうため、再度ネジをきつく締めなおさなければならないらしい。もって半日で、それ以降は歩行が難しくなるということだった。


 帰りぎわ、仲明は岳に礼を言った。

「ありがとう、岳」

「別に…あなたを連れ去った時に奪った金で買ったものですから」

 仲明の元いた宗派はだいだい強きも弟子からの挑戦を受け、相手がどういった相手だったとしても負けた場合は当主を譲るという決まりだ。

 仲明に勝った事のある岳がどう使おうと自由なのに、その金を自分のために使っていることを知って仲明は心が温まった。


「それで…これらの義手は使えそうですか?」


「使いこなすには相当の練習が必要だと思う。今日つけても立っているのだが精一杯だ。けれど、義手の方はとても便利だったよ。包丁がついた手と、普通の手の二種類があるなんて、とても便利だ」


 料理が大好きだった仲明にとって、義手は画期的なものだった。これで、元璋にも美味しいものを作ってやれると思うと、仲明は嬉しくてにこにこと笑ってしまう。

 自分はすぐに笑顔になってしまう性質をしているので、ハッと今の自分の顔を引き締めた。恰好をつけているわけではない。

 ただ、憎いとながらく思っていた相手がニコニコとしている姿を見るのは嫌だろうと仲明は岳に気を使ったのだ。

 一方、長く仲明と共に過ごしたことのある岳は仲明の今の表情を見透かしていた。
 口をきゅっと結ぶ。どういえばいいか迷った。
 岳自身、もう仲明を殺そうとは思っていない上、ずっと守ってやりたい、償っていきたいという気持ちの方が大きい。
 様々な所以で性格がねじ曲がり、素直になれなくなっていた。

 しかし、昨日自身の気持ちに気づいてしまった以上、口を閉じることはできなかった。

「もう自分といる時は笑顔を我慢しなくていいです」

「あ、気づいていたか」

 はは、と困った顔も、岳の胸にクるものがあった。


 帰って早速、元璋のために仲明がリンゴを義手で切り、すりおろす。

 義手は角度により物を握ったり放したりすることができる。それ以上のことはできないが、子供に食事を作るには十分だった。

 また、椀からすくってリンゴを元璋の口元に運ぶことができるという事にも大変仲明は喜び、何度も「岳、ありがとう」と言うのだ。

 腕が半分まであったので、土を掘ったり両の不自由な腕で野菜の種を挟んで植える事が出来ていた。ただ、収穫が困難でいつも岳に手伝ってもらっている。それが、この義手のおかげで一人ですべて収穫できるようになった。
 全てがやりやすくなったのだ。

 またありがとう、と岳に言いそうになるのを飲み込んだ。岳に「あり、」と言おうとしたところ「あなたをそんな体にしたのは俺だ。あなたからの今のありがとうは嫌味にしか聞こえない」と言われてしまった。

 実際は、あまり感謝されて岳が照れただけではあるのだが。


 元璋をゲップさせ、風呂に入らせようという時、仲明は一つ聞いた。

「岳、なぜここにずっと居てくれるんだ…?」

 ずっと気になっていたことだ。
 両腕が無い状態では元璋に食事を食べさせてやることもできない。しかし今は義手があり、もし岳がいなくなってもなんとかなる。
 収穫した野菜で金銭面の生活もなんとかなる。


 この質問は今までできないでいた。本当はこの場から離れて自由気ままに旅がしたいと言われても、行かないでほしいと頭をさげるしかなかったから。

 しかし今は違う。岳が本当はこの場にいたくないと思っているとしたら、相応の言葉を伝えるつもりでいた。

「…元璋を気に入ったから」

「そうか…ふふ、そうだったか」

 今日はたくさん良い気持ちになれていい日だなと仲明は口元で弧を描いた。

 元璋が眠そうにしているので、いったん寝台に乗せて休ませた。
「次は貴方の番だ。ほら、口を開けて」

「え?」

「あ」

 岳の耳が少し赤くなる。
 仲明は岳の作る料理が好きだった。
 食事はいつも別々だ。食事の時間は岳が元璋を連れて家で何かを食べさせる。終われば洞窟にいる仲明に引き渡す。そういう生活を繰り返していた。ただ、こうして一緒にいる時は仲明の分も作ってくれることがある。

 仲明は霊力が高いため、食べなくてもいい体をしているが、食事をするのが好きだった。そのため収穫した野菜や木の実を両腕で支えていつも食べている。そんな仲明を見かねて、岳は料理を少し多めに作り、仲明の口に食事を食べさせることがあるのだ。箸はもちろん使えなかったため、岳から食べさせてもらう。

「岳…その、義手で箸がつかめるから…」

 正直言うと、食べさせてもらえるのはこれまで嬉しかった仲明だったが、いつも恥ずかしいと思っていた。

 食べさせている側の岳も耳が毎度赤くなっていて、いつも申し訳ないと仲明は思っていた。


「そう…ですね」

 岳は人に食べさせるクセがついてしまったのだ。二人とも気恥ずかしい気持ちでもくもくと食事を済ませた。

 そして温泉に入る時間になっても、まだ二人の耳は赤い。

 仲明たちのいる山には小さな形をした温泉が複数ある。二人は一緒にいても、必要最低限の会話は控えるようにしていた。なぜならいつか殺す側の人間と、殺されることを受け入れている人間同士だったからだ。不要な事を言ってはいけない、と仲明は思うようになっていた。


 この時間は一緒に剣に乗って温泉地へ行き、それぞれ二手に分かれて温泉につかる。

 三日に一度、仲明は洗濯をする。
 今日がその日だった。

 仲明は洗濯の仕方が独特だ。温泉地に置いたままにしている板を岩に立て、服を着たまま板に体をこするようにして自分の衣服を洗う。

 その姿を見られるのが嫌で、なるべく仲明は温泉では二手に分かれて行動していた。また、自分が裸になっているところを他人に見られるのも嫌だったという事もある。

 元璋が来る前までは長い間、冷たい泉でソレをやっていたが、いつしか岳が剣に乗せてくれるようになったので温泉で洗濯をやるようにしている。
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