4話 5月30日
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午前の授業が終わりいつもの場所で昼飯を取っていた俺は、最近頭を悩ませている事柄に溜め息を吐いた。
この屋上の塔屋は基本的に誰も来ることはなく、一人で過ごすにはうってつけの場所だ。
そもそもここに立ち入るための鍵は俺が管理してっから、誰も来ねえのは当然だがな。
教室じゃ外野がざわついてうるせえし、糞デブがいちいち引っ付いてきて考え事の一つもできやしねえ。
ここなら邪魔が入らねえからいろいろと都合が良い。
……あれから二週間。
糞三兄弟はビビらせて脅して二度と逆らえねえようにしたから、問題はねえだろう。
念のため甘川のことも気にして見てたが、特に変わった様子もなさそうだ。
それどころか、むしろアイツが糞三兄弟に気を遣っているようにすら見える。
とにかく、これでアイツは心おきなくアメフトに専念できるはず……って、ちょっと待て。
俺はいつからこんなにお優しくなっちまったんだ?
脅迫ネタを集めるのはあくまでも自分のためで、間違っても他のヤツのためなんかじゃねえ。
誰かの様子を気にしたり、ましてや助けたりなんて、今までなかったはずだ。
俺はどこか変わっちまったのか?
だとしたら、その原因は……。
認めたくないような理解できないような複雑な気持ちに、また頭がこんがらがりそうになる。
他人を揺さぶったり誘導したりするのは俺にとっちゃ朝飯前だ。
だが自分のこととなると、途端に途方に暮れちまう。
どうやら俺の『感情』なんつうもんは、一筋縄でいくほど単純じゃねえらしい。
「――ヒル魔先輩っ!」
昼飯を口に放り込んだところで、勢い良く戸が開く音がした。
それと同時に聞き覚えのある声が響く。
この声は、甘川だ。
「ヒル魔先輩、どこですか?」
返事がないからか、甘川は更に俺の名前を呼んで探し続けているようだ。
大方糞デブにでも俺の場所を聞いたんだろう。
だが、何でわざわざこんな時間に俺んとこ来るんだ?
今日も練習あんだから、用事があるならそんときでいいだろうに。
とは思いつつも、この時間じゃなきゃいけねえ理由があんだろうと察し塔屋から顔を出す。
真上から見た甘川の髪は、光に照らされて天使の輪ができていた。
そういやコイツの髪、やけに手触り良かったな。
アメフト一筋とは言えちゃんと女らしいところはあんだよな……。
「おい」
上から短く声を掛けると甘川は瞬間的にパッと顔を上げた。
その後すぐに手をかざしたから、どうやら眩しかったらしい。
かざした両手が丁度パスキャッチするときのように親指を付けていて、俺は何となく笑ってしまった。
眩んだ目が治ったらしい甘川はそのままはしごを上がってきた。
開きっぱなしのパソコンを膝の上に乗せ、甘川が切り出すのを待つ。
が、何やら自分の世界に入っちまってんのか、一向にしゃべらねえ。
まさか何の用事も無しに来たわけじゃねえよな?
まあ無かったとしても、コイツなら別にいいんだが。
……って、俺はまた何考えてやがんだ……。
なかなか話し出さないことにさすがにしびれを切らし、こっちから切り出すことにした。
「おい、テメー何しに来たんだ」
俺の一言でようやく我に返ったらしい甘川は、途端に覚悟を決めたような顔付きになる。
コイツのこんなに真剣な表情、初めて見るかもしれねえ。
一体何を言い出そうってんだ……。
妙な緊張感が走り息を潜める。
「あの、ヒル魔先輩……大変言いにくいんですけど、その……っ英語、教えてもらえませんか!?」
「はあ?」
予想外の申し出に完全に拍子抜けして、思わず気の抜けた返事をしちまった。
英語だあ? なんでまた勉強なんざ……。
ふと俺の脳内に先一週間分のスケジュール表が浮かび上がる。
ああ、そういや明後日からテストだったか。
確か初日は英語と国語だったな。
わざわざ昼の時間に言いに来たのは、今日の放課後から勉強したいっつう理由からか。
自分の中で合点が行く。
だが、真面目なコイツなら事前にしっかり勉強してそうなもんだがな。
もしかして練習に集中しすぎてテスト自体忘れてたってこたあねえよな?
……いや、一直線のコイツのことだ。十分あり得る。
勝手に想像していると、甘川が更に続けようと身を乗り出してくる。
「明後日、テストじゃないですか。私、英語がものすごく苦手でして……。ヒル魔先輩に、教えてもらえたらなって思ったんです」
「……ほお」
必死そうな甘川の様子を目の当たりにしながら、頭の中ではもう返事を出していた。
以前『何かあったらすぐ俺に言え』って言ったのは俺だしな。
まあ、こういうことじゃなかったつもりだが……。
ただ一つ気になることがある。
英語が苦手だから教えてほしいっつう理屈は分かる。
分からねえのはコイツが俺を選んだ理由だ。
専門的な教科でもあるまいし、成績が良けりゃあ教えるなんざ誰でも問題はねえはず。
俺の言葉はあったものの、他のヤツに頼む方がよっぽど簡単だろ。
どうして俺にしたんだ?
一部腑に落ちねえのを露骨に顔に出しつつパソコンを閉じた。
返事は決まっちゃいるが、せっかくならコイツの本音を聞いておきたい。
「なんで俺なんだ? テメーのクラスに英語得意なヤツだっているだろうし、仲良い糞マネだってそうだろ」
「それは……」
あえて突き放すような言い方をすると、甘川は言い淀んで俯いてしまった。
やっぱりやめとくってんなら、思った通り俺じゃなくてもよかったっつうことになる。
でも、もしもそうじゃねえなら……。
ふと、甘川の答えを心待ちにしてしまっている自分がいることに気付く。
俺はコイツに何を期待しちまってんだ?
本音うんぬんじゃなく単に自分を選んで欲しいってのか?
俺は一体、甘川にどう答えて欲しいんだ?
自問自答だらけの脳内が片付く前に、甘川は口を開いた。
「真っ先に浮かんだのが、ヒル魔先輩だったからです」
聞いたそばから、甘川の言葉が頭の中で繰り返し再生される。
……『真っ先に浮かんだのが、ヒル魔先輩だったからです』?
その答えはどうやら俺が求めていたものだったらしい。
緩みそうになる頬を理性で抑えつけた。
コイツは本当に、こういうことをよくさらっと言ってのける。
まあ本音も聞けたことだし、今度はコイツのお望みの返事でもしてやるか。
「……赤点取られて練習に参加できねえんじゃ困るかんな。しゃあねえ、教えてやるよ」
「……え! 本当ですか! ありがとうございます、先輩!」
答えは最初から決まっていたはずなのに、いかにも引き受けざるを得なかった風に答える。
しゃあねえだろ、俺は甘川みてえに素直な性格なんざ持ち合わせちゃいねえんだ。
性格がひん曲がった悪魔は、二つ返事するのも癪だって思っちまう。
コイツはそんなこと頭によぎりもしねえだろうが……。
ちらりと甘川の方に視線を向けると、嬉しそうなのは確かだが口元は何かに堪えるようにもごもごしている。
嬉しさを隠そうとしているが隠し切れない、そんなとこだろうな。
ポーカーフェイスには程遠い目の前の素直な後輩が何やら微笑ましい。
何にせよ、コイツのこんな嬉しそうな顔が見られるのは役得かもな。
「ただし、やるからにはみっちりやるぞ。今日と明日の放課後、集中講義だ。他のヤツらには俺から伝えておく。授業終わったら教室で待ってろ」
「はい、よろしくお願いします!」
「それと、今回の件は『貸し』だからな」
「『貸し』? ……わ、分かりました」
とっさに思い付いた『貸し』、これに別に深い意味はねえ。
実際行使するかどうかはさておき、何かの口実で使えるかもと念のために言っておいただけだ。
一瞬疑問が浮かんだように見えたものの甘川は笑顔で元気良く返事した。
頼られて悪い気はしねえのは、相手が甘川だからか。
ただでさえ放っておけねえのに、更にコイツの素直な物言いも加わって何でも聞いてやりたくなる。
……これが俗に言う過保護ってやつか?
自分で自分に呆れて鼻で笑っていると、予鈴が聞こえた。
授業に興味はねえが最低限の出席日数を稼ぐためには出なきゃならねえ。
俺は重い腰を上げた。
すると、はしごを降りようとしていた甘川が突然振り返る。
「そういえば、ヒル魔先輩の好きなものって何ですか?」
「あ? 何だ急に」
「参考のために教えて欲しいんです」
「……コーヒー」
「コーヒーですね、わかりました! じゃあ、また放課後に」
聞くだけ聞いて、甘川は軽やかな足取りでさっさと行ってしまった。
何の参考だとも思ったが、大した疑問でもなかったのでそのまま流す。
とりあえずは放課後だ。
授業なんざとっとと終わらせて、すぐに向かわねえとな。
出入り口の戸に鍵を掛け、愛用のパソコンと銃を担ぎ直して教室へと向かった。