3話 5月16日
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制裁を終えた俺は、部室に一人でいるであろう甘川が気掛かりだった。
俺に何が出来るってわけでもねえが、だからといってあのまま放っとくのも良い気分じゃねえ。
とにかく、様子見に戻るか……。
銃を担ぎ直し、早足で部室までの道を歩いた。
自分でも説明のつかない焦燥感に駆られる。
早く行ってやらねえと……。
特に離れてもねえ距離が、なぜか長く感じた。
ようやく着いて、開いたままの入り口から中を覗き込んだ。
甘川がいることを確認した俺は、一瞬安堵する。
だがその表情には生気が無く、強張っていた。
「……大丈夫か」
「……ヒル魔、先輩……」
緊張が解けたからか、甘川は安心したような表情になった。
……かと思った途端、じわじわと涙目になり、目尻からは大粒の涙がこぼれ始める。
相当、怖かったんだな。
無理もねえ。
そもそも三人相手だし、向こうの柄の悪さにコイツが怯えちまうのも頷ける。
だが下手に慰めたところで、コイツは泣き止まねえどころか、それ以上に泣いちまう。
……それなら。
ゆっくりと近付いて甘川の前にしゃがみこみ、目線の高さを合わせる。
そして、次から次へと溢れてくる涙を手で拭ってやった。
何度も、執拗に、頬が赤くなるほど、そりゃもうゴシゴシと。
「ちょ、先輩痛いです……血出ちゃいます」
「バーカ、んな簡単に出るかよ」
「いや、だとしてももういいですって……いたたたた! もう! やめてくださいってば!」
「ケケケ、やっと元に戻りやがったか」
「え……?」
さっきまで悲しげに泣いていた甘川は、怒った様子で反発してきたと思えば、すぐにきょとんとした表情になった。
ようやく泣き止んだな。
コイツ本来の元気さが、少しでも戻ればいい。
甘川の泣き顔は……見たくねえ。
思惑通りになったのを確認して、甘川の頬をこすっていた手を引っ込める。
コイツも不安に思ってることだし、あの糞三兄弟のこと伝えておかねえとな。
あの後ギタギタにして泣いて謝らせたし、今回のネタも手帳に加えた。
俺がいる限り、アイツらは手出しできねえ。
「アイツらには、もう二度とさっきみたいなことはさせねえ。練習中も必要以上に近付かねえように言ってある」
「あ、ありがとう……ございます……」
安心させたつもりだったが、甘川の返事は歯切れが悪く、表情も少し暗くなったように見えた。
まあ、コイツが直接約束したわけでもねえし、あんな思いした後にすぐ納得できるわきゃねえよな。
だが脅迫ネタをつかんでいる以上、絶対に同じことはさせねえ。
それははっきりと言える。
要はどうやってコイツを安心させるか、だが……。
ふとあの日の甘川の言葉を思い出した。
『悪い人じゃない』、『尊敬する』……そう言ってたな。
っつーことは、コイツは俺を少なからず信用してるってことだ。
だったら、俺をもっと信用させられれば……。
少し考えて、俯いていた甘川の頭に手をやった。
ポン、ポンと指だけ何度も浮かしては置く。
頭を触ると、安心させたり落ち着かせたりするホルモンが分泌されると、確かどこかで見た気がする。
まさか実践するこた無いと思ってたが……役立つときもあんだな。
案の定効果が出てきたのか、甘川は目を閉じ始めた。
片手で十分包めるほどの頭や手触りの良い柔らかい髪が、改めて『女』なんだと認識させる。
女なんて面倒な生き物だと思ってたが、コイツはどこか違う。
コイツは素直で、明るくて、物事に一直線で……。
でも弱いところもあって、つい放っておけなくなっちまう。
……コイツのために、何かしてやりてえ。
自分の中に、温かい何かが広がるのを感じた。
この間と同じような感覚。
このまま触り続けていればそれの正体がわかるんじゃねえかとも思ったが、そんなわけにもいかねえ。
名残惜しくも手を離すと、甘川が切なそうな表情で見つめてくる。
まるで小動物みてえだ。
気付けば、不覚にも顔が緩んでいた。
……そろそろ他のヤツらが来てもおかしくねえな。
練習も始めねえと。
そう思い、緩んだ顔を引き締めて立ち上がる。
甘川を見ると、心ここにあらずと言った顔をしていて、内心笑いながら左手を差し出した。
一瞬置いて我に返ったらしい甘川は、すぐさま服を払って俺の手を握る。
その手をつかんで引き上げた――のはいいが、甘川は予想以上に軽く、勢いが余った。
驚いたような甘川の顔が、至近距離に迫る。
あと少しで触れてしまいそうなほど近い。
目が、合った。
――その瞬間、心臓が大きく脈打つ。
「……今後、何かあったらすぐ俺に言え。何とかしてやる」
「! は、はい、ありがとうございます……」
いつもと変わらない表情を装い、隠すようにそう言ってのけ、その場から離れた。
適当な角を曲がったところで、思わずコンクリの壁にもたれ掛かる。
……心臓が治まりやしねえ。
甘川といると、予想外に自分のペースが崩れちまう。
この間もそうだ。自分のことばっかべらべら話したり、さっきだって、まるで俺が逃げるようにアイツから離れた……。
たまらず見上げると、浮かんだ雲がゆっくりと形を変えていく様が目に入った。
らしくねえな。
……俺は、どうしちまったんだ。
また例えようもない気持ちに頭を支配されかけたが、それを振り切るように練習の準備に取り掛かった。