12話 11月8日
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『京都といえば』
──ンな抽象的な質問に対する大多数の回答を具現化したような『和』の庭園が、今俺の目の前に広がっている。
樹木、花、灯籠、飛び石、苔山がバランス良く配置されご丁寧にライトアップまでされてやがるこの光景は、このホテルに泊まる醍醐味の一つと言ってもまあ過言じゃねえだろう。
惜しむらくは場所だ。なんでンな目玉になりそうなモンを、わざわざ建物の裏にこしらえたのか……文字通り裏スポットじゃねえか。
俺がなぜ興味もねえ庭なんざに足を運んだか、それはたったの十分前のことだ。
たまたま部屋の窓を開けてたまたま見下ろしたらこの庭園を見付けた。回想するまでもねえ、ただそれだけだ。
普段なら気にも留めねえが……ふと思っちまった。
『沙樹が喜ぶかもしれねえ』。
京都を一から十まで楽しんでやがるアイツなら良い思い出にすんだろ。
むしろ帰り際にでも言おうもんなら、「な……なんで言ってくれなかったんですかあああ素敵スポット見たかったあああ!」とか悶絶しそうだ。
ついでに、あまりの見付からなさに人気がなさ過ぎて何も発揮できねえであろうこの庭も浮かばれんだろ。
──そうと決まりゃあ。
シンプルな小型媒体を手に取り、流れるように呼び出しの文章を打った。
『一階ロビーに来てみろ』
***
存外座り心地の良いソファに腰掛けていると、後ろから急ぎ気味の足音が聞こえた。
敷いてある絨毯が足音を吸収して間の抜けた音になってやがるところが、妙に沙樹らしい。別に仕組まれてるわけでもねえのに。
ンなことを考えながら腰を上げて振り返ると、──自前の部屋着姿の沙樹に一瞬目を奪われた。
「……先輩、お待たせしました!」
「おう、沙樹」
危ねえ。このまま奪われ続けるところだった。目を。
制服は見慣れちゃいるが、部屋着なんざ目にする機会ねえかんな。
もちろん似合っちゃいるが、心配なのは……
「行きてえのは外なんだが、そのカッコ寒くねえか?」
改めて沙樹の服装を見直し、本人に確認する。
上旬といえども十一月の夜はそこそこ肌寒い。
沙樹は一枚羽織っちゃいるが、なんせ薄手のパーカーだ。
時間かかるわけでもねえし別の上着取ってきてもいいんだが。
だが俺の心配は、「大丈夫ですよ。中に数枚着てますから」のひと言で解決済みにされたために、ならいいが、と終えるしかなかった。
本人がそう言うなら仕方ねえ……いや絶対寒いだろうけどな。
『寒いから暖かいカッコして来いよ』も付け加えるべきだったか。
自分の詰めの甘さをやや後悔しつつ、快適空間を後にした。
「え……これって」
変わらず静かにたたずんでいる庭園。
沙樹は中途半端な文章で言葉を止めるほど夢中になっちまったらしい。
自分たちのところにはライトは向いちゃいねえが、それでもコイツが目を輝かせていることくらい分かる。
まさにしてやったり、だ。
「綺麗……」
「ケケケ、気に入ったみてえだな」
想像通りの反応に俺の満足度も上がる。
沙樹の喜ぶ姿が見れんなら、連れてきて大正解だ。
唯一さっきと違うのは、一人で見たときより沙樹と二人で見る今の光景の方がよほど印象深いってこった。
『庭園が見事だと思える』から満足なのか、『沙樹と一緒に見ている』から満足なのか……
「先輩」
静寂の中伝わった呼び掛けにふと我に返る。
見れば沙樹があごに手を添えて、疑問符を浮かべていた。
「こんなに綺麗なのに、なんで他の人はいないんでしょうね?」
「場所が悪いんだろ。いくらモノが良かろうが、裏側に作ってりゃ気付くもんも気付かねえよ」
「……そっか、確かに」
見られてナンボの庭園からしたら落胆極まりねえが、俺からすりゃ余計な邪魔が入らなくて丁度良い。
まあ、多少もったいねえなとは思うけどな。
庭園の延長で沙樹を見やると、ずっと顔を上げていたのがいつの間にかもぞもぞに変わっている。
どうやら目元を擦ってるみてえだ。
「……あれ、治らない……?」
「目え痛えのか?」
「痛くはないんですけど、何となくぼやけるんですよね」
「そりゃ眠いってこったろ。まだ一日目だってのに、お前ぴょんぴょん飛び跳ねてたかんな」
「っ、飛び跳ねてなんか…………いました、ね」
「ケケケ、ほらな」
飛び跳ねてたっつう自覚もあるくらいだし、よほど楽しかったんだな。
今日はこの辺にしとくか。明日もあんだから無理させるわけにゃいかねえ。
自然を装って袖で何となく隠してやがんだろうが、俺には分かる。きっと今コイツは無限あくび状態になってやがる。
言葉尻の弱さと変な間で分かんだよ。本当隠すの下手なヤツだな。
知らねえ振りをしてやるのは、相手が沙樹であるがゆえだ。
「今日はあんま時間ねえから、明日の夜にもう少しゆっくり見るとすっか」
そうですね、と二つ返事で沙樹は頷いた。
ロビーに戻った途端、柔らかい暖気と品のある音楽に包まれた。
ここでやっと自分の身体が思いのほか冷えていたことに気付く。
沙樹は大丈夫か? 風邪なんざ引いちゃいねえだろうな。
隣に目をやると、沙樹は頭を不安定に揺らせたまま千鳥足で歩いていた。
よく見りゃ瞳がやや赤くなっている。どう見ても疲れ目だ。
早く寝かせねえと……。
沙樹が倒れないように見張りつつエレベーターを呼ぶ。
扉が開いたところに軽く背中を押してやるとゼンマイ人形のように左右に傾きながら進み、到着したタイミングで同じようにすると同じように進んだ。
労う意味も、単に自分が触れたいという欲も込めて……そっと頭に触れる。
顔を上げた沙樹は目がかろうじて開いている状態で、まばたきも遅く、口も若干の半開きで、身体全体が右側に傾いていて。
──可愛い。
「なら明日な、沙樹。ゆっくり休め」
刺激にならねえよう落ち着いたトーンで言い残すと、何とも言い表しがたいふにゃりとした笑顔を返された。
「──ありがとうございます。じゃあ、おやすみなさい」
「ああ」
短い会話を終えたところで、空気を読んだ扉が静かに閉じる。
このタイミングで閉まってくれて良かった。
──沙樹が可愛すぎて、あのままだと俺は強引に腕の中へ……。
不覚にも抱きかねなかった自責の念に危機感を覚えながら、冷たい鉄壁にもたれた。