「はあ～、満喫した～！」



屋上へ戻った途端フェンス際まで走った沙樹は、満足そうに背伸びをした。

声のトーンや仕草からは若干の疲れがにじみ出ている。

あんだけはしゃいでりゃ、そうなんのも不思議じゃねえ。

文化祭初日もあと少しでお開きの時間らしく、俺らがさっきまでいたグラウンドでは本日最後の催し物が行われている。

すとんと脱力した沙樹の背中に近付きながら、俺は今日一日の記憶を振り返った。


結局今日はずっと沙樹と一緒に過ごせたな。

去年と同じくデータ処理するだけの日になるかと思えば、なんだかんだで沙樹と一緒に見回れることになっちまって。

飯やらクレープやら食って満足そうな顔も見れた、自称お化け屋敷でハプニングもあった、一見くだらなさそうなステージで意外にも盛り上がった。

――それと、手も繋いだ。


感情に呼応したらしい左手がぴくりと動いた。



「ヒル魔先輩」



沙樹が俺の名を呼んで振り向いた瞬間、その長い髪が風に揺れた。

夕日に染まった栗色の髪が何ともいえねえ綺麗さで、改めて美人だと思っちまう。

なんだ沙樹、と返事をするも、正直意識はそっちのけだ。



「今日……先輩と過ごせてとても楽しかったです。ありがとうございました」



俺が見とれちまってる間に沙樹は深々と頭を下げていた。

――楽しかった、なんざ。

それは嘘とも社交辞令とも思えねえ沙樹らしい素直な言葉。

胸あたりがくすぐられた気分になり、ついばつが悪いときのいつもの癖が出る。


……それはこっちの言うこった。

お前といると何してても楽しいんだよ、俺は。

全く興味ねえようなことでも、沙樹の手にかかりゃあっという間に面白れえことに変わっちまう。

丸一日一緒に過ごしてんのに、飽きるどころかもっと一緒にいてえと思っちまう。

まるで……恋人同士じゃねえかと錯覚するほどに。


――気持ち伝えてもねえのに、『恋人同士』なんざ飛躍し過ぎてるけどな。


勝手に先へ先へと進みたがる思考をよそに、沙樹の隣へ行き腰を下ろした。

少なからず緊張してやがんのか妙にのどが渇く。



「……楽しかったのはお前だけじゃねえかんな」



言った直後にすぐさま真逆の方向を向きつつ、聞いて欲しいような聞かれたくねえような微妙な気持ちで、更に「俺もだ」と追加した。

何となく視線を感じるのは、おそらく沙樹がこっちを向いているんだろう。

だから尚更そっちは見れねえ。

……ンなこっぱずかしいこと言った後に、どんな顔合わせろってんだよ。


居ても立っても居られず、後ろの金網に全体重を預けて顔を上げた。


――俺だけじゃなかったんだな、楽しかったのは。

そう思うのは、正直俺自身が満喫し過ぎて、沙樹が楽しいかどうかなんざ考える隙もなかったからだ。

よくよく考えりゃ一日中俺が振り回してたともとれるが……そうじゃなかったみてえだ。


沙樹も楽しんでいた、本人お墨付きのその事実が俺を充足感で満たす。

あれほど興味のなかった文化祭が、結果的に俺ら二人をプラスな方向へと進ませた。

……こんな親睦イベントを最後にするなんざ惜しい。



「まあ、文化祭も思ったほど悪いもんじゃねえか」



率直な感想を、次に言いたい本音に繋がるようにこぼした。

沙樹は何かしらの返事をしようとしたらしい――が、「だから」という接続詞でそれを止める。

悪いな沙樹。

おそらく今が……自然な流れでこれを言える唯一のチャンスなんだよ。



「また来年見回んのもアリだな――二人で」



そうだ、来年も。

沙樹と一緒に。

今日みてえに手を繋いで、いろんなもんを共有して。

それに、二人並んでる姿を周りのヤツらに見せ付けるいい機会にもなる。

友人とやらはいいとして、沙樹の時間を他の糞男共に譲る気なんざさらさらねえかんな。



「…………ふぇ、……っ！」



沙樹は泣きそうに顔を歪めた後、全力で首を何度も縦に振った。

おいおい、ンな頭すっ飛んじまいそうなほど激しいリアクションするか？

……可愛いヤツだな。本当に。

沙樹の素直過ぎる反応に、俺の頬は自然と緩んだ。


『好きだ、沙樹』


今どこもかしこも熱いのは、俺自身がこの本音を隠しとくのに限界を迎えちまってるからかもしれねえ。




そうだ、沙樹が着替える前にこれだきゃ言っとかねえと。

……といざ決断したものの、改めて沙樹の姿を確かめると気恥ずかしさがぶり返し、勝手に視線が逸れる。

沙樹の服と地面のコンクリを交互に見過ぎて、しまいにゃ服がコンクリ柄になる錯覚に陥った。



「あーそれと、なんだ……あのな、沙樹」



これでもかっつうくらい内容のねえ俺の発言に、沙樹は首を傾けた。


なんでこういうことに限ってさらっと言えねえんだ俺は。

……いや、さらっと言えたら言えたで冗談だと受け取られかねねえ。

いいのか悪いのか……つうかどもってんのがすでに情けねえよな。

糞、とっとと言っちまえ俺！



「……そのカッコ、似合ってんぞ」

「…………へ？」



数拍置いて、沙樹はまさに鳩が豆鉄砲を食ったような、っつうことわざ通りの表情になった。

ぽかんとしちゃいるが、何のことを言ってんのかは伝わるはずだ――『そのカッコ』は親指で示したかんな。

すると、空が陽に染まる早送り映像と同様に沙樹が染まった。



「あ、ありがとう……ございます……」



沙樹の言いたいことは通じたが、言葉の最後あたりは小さ過ぎて聞き取れやしなかった。

耳まで染め、少しうつむいて恥ずかしそうにしている沙樹。

お前のそんな姿を見れるのは俺だけだって思いてえ……なんざ考えていると、


――無意識に、手が出た。

気付けば手の中には沙樹の右手。

鼓動が一層、強まる。


今日一日で何度も握った、沙樹の右手。

柔らかくて華奢で、小さめの爪は程よく切り揃えてあり、俺よりもやや体温が高い……俺の好きな手だ。

何度も繋いだからか、俺の手はすっかりお前の感触を覚えちまった。

……握ったのは無意識だと思ったが、実際のところ本当にそうなのかどうかは分かんねえ。

沙樹の手を握りてえ、そう思ってたのは事実だかんな。

――お前の手があまりにもしっくりきやがるもんだから、俺の手が空だと逆に違和感を覚えちまうんだよ。



『数ある願望のうちの、それもハードルが低めのたった一つ』

そのたった一つをクリアするだけで、もうすでに目も当てられねえ状態になる俺。

……俺はどんだけコイツに惚れてんだ。


自嘲気味に小さく鼻で笑う。

だが悪い気分じゃあねえ。

むしろもっと……浸ってても構わねえと思うほどの。


散々もっともらしい理由を付けてきたのにも関わらず、今はただの衝動だけで沙樹と手を繋いでいる。

俺が繋ぎたかったから。

ただそれだけで。



案外理由なんざ必要ねえのかもしんねえな――そんな風に考えながら、沙樹の手を握り直した。