11話 10月29日
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やけに混み合ってきたかと思えばもう昼過ぎだった。
丁度昼飯食べ終えたヤツらが一斉に出歩き始めたんだろう。
その名に恥じぬマンモス校っぷりを目の当たりにしながら、見失わねえように度々沙樹の姿を確認する。
大盛況なのはいいこったろうが、こんだけ多けりゃ移動すんのもひと苦労――
「わっ!?」
鈍い音が鳴ると同時に沙樹がよろめいた。
危ねえ、と考える暇もなく伸びた俺の腕が沙樹をとらえる。
すんでのところで沙樹は転ばずに済んだ。
「ごめんなさい、メイドのお姉さん! 大丈夫ですか?」
「あ、私は大丈夫です、ので気にしないでください」
どうやらこの糞女が走って来たせいで沙樹にぶつかったらしい。
大丈夫だと言う沙樹の言葉で事は収束したと思いやがったのか、そいつは軽い会釈をしただけでまたもや人の波の中に突っ込んで行った。
そして向かった先からまた同じような謝罪が聞こえた。
判断力のねえガキでもあるまいし、こんな状況で走りゃ一人や二人ぶつかるってことくらい分かんだろうが。
沙樹への衝突を軽くみられたことと事故上等とでも思えるような非常識さに苛立ちが沸き上がり、自慢の視力で目ざとく見付けた後ろ姿を鋭く睨み付ける。
ちなみに俺の銃所持と奴隷制度は非常識じゃねえかんな。これは公認だ。
「あっぶねえな。ンな混雑してっとこで走んじゃねえってんだよ」
「はは……まあ、はしゃぎたくなる気持ちも分かりますけどね」
ぶつかられたお前がぶつかった糞女をフォローする必要なんざねえのに、と内心ふてる。
ま、それも誰彼構わず優しくする沙樹のいいとこだろうが。
だがこんなにお人よしな性格してりゃ、いつかどこかで足すくわれんじゃねえか?
変な宗教団体に捕まったり、ツボとか布団とか買わされたり、借金背負わされたり……やべえな、被害に遭ってる沙樹が容易に想像できる。
むしろ今まで何事もなかったのが奇跡なくらいだ。
ンな糞みてえな輩寄せ付けねえためにも、俺がそばにいてやんなきゃな。
納得いく形で自己完結したところで、ふと沙樹が何やら微妙そうな顔をしていることに気付いた。
「支えてくれてありがとうございます、先輩。……えっと、でもそこ掴まれるのはちょっと、恥ずかしいというか何というか」
そこ?
――ああ、腕のことか。
「……ああ、悪い」
転ばねえようにと俺がとっさに掴んだのは二の腕だったらしい。
二の腕掴まれて恥ずかしいっつう気持ちはいまいちよく分かんねえが、断る理由もなかったため言われるがまま離す。
そういや以前触ったとき、コイツの頰柔らかかったよな。
二の腕ももしかしたらそうだったかもしれねえ。
離す前に掴んだついでに触っときゃよかったか――って何変態くせえこと考えてんだ俺は!
……ん? 待てよ?
俺は何気なくあごに手をあてていたらしく、自然と考えるポーズ(実際考えてはいるんだが)を取っていた。
人混み、衝突、迷子。
……この方法なら。
脳内の歯車が綺麗にはまり、気分良く沙樹に向き直った。
「でもまたさっきみてえなことになっちまうと困るかんな――こうしときゃいいか」
首を傾げて『困る』アピールをした後、あたかもごく自然な流れを装い沙樹の右手を握った。
そして追い打ちのひと言。
「これなら転ばねえし人混みではぐれちまうこともねえだろ?」
「…………は、い、そうです……ね」
退路を断たれたことで肯定せざるを得なくなった沙樹の横で、俺は内心ほくそ笑んだ。
いかにももっともらしい理由付けは俺の得意とするとこだ。
しかも今回はついさっきぶつかった事例もあるために、より正当性が高い。
『沙樹、手え繋いでいいか?』……なんてこっぱずかしい聞き方するよか、よっぽど簡単で合理的だ。
数時間前に強引に引いていた沙樹の手が、屋上でつい離しちまって名残惜しさだけ残った沙樹の手が――また俺の手の中に戻ってきた。
俺よりもわずかに高い温度と柔い感触が、心地良い安心と妙な懐かしさを感じさせる。
沙樹は俺の言葉通り『転ばねえため』、『はぐれねえため』としか思っちゃいねえだろうが――もちろんそれはそれで一つの理由だが――俺の本音は違え。
沙樹と手を繋ぎたい。沙樹に触れてたい。
目的はそんだけだ。
ぶっちゃけりゃ俺の勝手な願望の押し付けだ。
数ある願望のうちの、それもハードルが低めのたった一つだ。それなのに。
……なんでこんなにも嬉しくなっちまうんだろうな。
たかが手繋いだだけのことで。
「――なら、行くか」
「はい……」
俯いたままの沙樹の手を引き、足を踏み出す。
珍しく俺の糞理性がサボってやがんのか、口角がゆるゆると上がり始めた。
相当舞い上がっちまってるらしい。
らしくなく気合いで抑え付けると、とりあえず表面上だきゃあ元通りになる。
こりゃ気抜けねえな、クールダウンさせねえと……ンなことを考えていた矢先、
――繋いだ左手が強く握り締められた。
「…………っ!」
突然かつ予想外のその事態は、ほんの一瞬だけだが俺の思考回路を遮断した。
沙樹は一体どんなつもりでどんな気持ちで握り締めてきたのか、これにどんな意味が含まれてんのか、俺はどう捉えりゃいいのか、それとも単なる不随意運動の一種なのか、それとも単なる俺の勘違いなのか、
――糞、分かんねえ! 分かんねえがとにかく今は……!
加わった力よりもほんの少しだけ上回る力で、俺は沙樹の手を握り込んだ。
今だけは。
……沙樹のこの手は、俺だけのもんだ。
やけに周りが静かになってやがることに気付く。
いや、違え。さっきから耳元で無遠慮に鳴り響いてやがる、俺の鼓動に掻き消されてんだ。
こんなもん――もう気合いでなんざ押さえきれっかよ。
周りに勘付かれねえよう眉と目元だけは不機嫌顔を作り、思い通りにならねえ口元だけは腕で隠して雑踏を通り抜けた。
***
「…………ヒル魔先輩、本気ですか?」
「ケケケ、俺はいつでも本気だ」
明らかにテンションガタ落ちの沙樹は、どうやら俺が本気じゃねえことを願っていたらしい。
残念だったな、俺がンな面白そうなもん見逃すはずもねえ。
今俺らの前にあんのは、次々と客を吸い込みそれを数倍の悲鳴に変えて吐き出す費用対効果に優れてそうな扉。
地獄絵図上等、魑魅魍魎満載、阿鼻叫喚必至。
非現実的な部分以外はまさに俺好みの。
「――お化け屋敷……っ!!」
絞り出したような声で沙樹が言い放った。
血糊がべたりと塗られた看板には、『世界でここだけ! あの世直通お化け屋敷』と根も葉もねえ謳い文句が貼り付けられている。
幽霊なんざ現実に存在するわきゃねえのに、まるで本当に存在しているかのような盛り上がりを見せていた。
まあこれだけディテールにこだわってりゃ、こういうのが好きなヤツには人気出るわな。
……もちろん沙樹の様子からしてこういうのが好きそうに見えねえこたあ重々承知の上だ。
隣で静かにしている沙樹は、口を半開きにしたまま生気を抜かれたような顔で正面入口を見つめていた。
時折聞こえてきやがる悲鳴に都度肩をビクつかせながら。
その姿を俺は興味本位で尻目に盗み見る。
沙樹の笑顔や泣き顔、照れる顔は何度も見たことあるが、意外に見たことねえのが怯える顔だ。
俺のこた初見から物怖じしなかったし、糞三兄弟に襲われかけてたときはンなことどころじゃなかったしな。
そう考えりゃこれが絶好のチャンスっつうわけだ。
記念だ、ついでに写真にも収めとけ。
いかにも何か起こりそうな出来事を前に、はやる気持ちが自分の中でこんこんと湧き上がる。
「……先輩、私お化け屋敷入ったことなくて」
「ならこの機会に初挑戦だな。楽しみだ」
「……いや、怖いから今まで入らなかったんであって」
「霊なんざこの世に存在しねえかんな。全部作りもんだ」
「……いや、作り物だろうが怖いものは怖いんであって」
「発泡スチロールと段ボールと人間の融合美術館だと思や怖くねえ」
「……いやそういう問題じゃなくて」
「沙樹」
そんなに嫌なのか珍しく引き下がらねえ沙樹に、真剣味を帯びた雰囲気を醸しながら肩に手をやる。
若干涙目のその表情は分かりやすく不安げだ。
……悪い、沙樹。
正直、お前が怖がれば怖がるほど、より面白い結末が待っているとしか思えねえ。
ここはもう是が非でも言いくるめるしかねえんだよ。
これでもかと焦らすように間を置き、次の言葉に重みを持たせる。
「泥門デビルバッツのマネージャーたるお前が、苦手だからってずっと避けてていいってのか? 他のヤツらはたとえ壁がバカ厚くてもハードルがバカ高くても全部乗り越えてきてんだ。支える側のお前ができねえでどうする」
「う…………」
あれだけ食い下がってきていた沙樹がここで言葉に詰まった。
眉がハの字になって目線が泳ぎ始めたところを見る限り、俺の放った言葉は効果抜群だ。
よし、順当に悩んでんな。もうあとひと押しだ。
悪夢にうなされてるみてえに唸っている沙樹から視線を外し、聞こえよがしに大きめの溜め息を吐いた。
「お化け屋敷ごときクリアできねえって言うんじゃ、クリスマスボウルなんざただの夢物語だな」
「っ、それはだめです!!」
悲壮感にあふれる叫びと共に、沙樹は勢い良く顔を上げた。
引き続きの涙目は例の怪奇的な屋敷に対する不安なのか、それとも俺の言葉に対する強い否定なのかは分からねえ。
とりあえず言えんのは、コイツは本当に単純で真面目なヤツだってこった。
お化け屋敷とクリスマスボウルは全然関係ねえってのに。
お前がここをクリアできなかったとしても、クリスマスボウルに行くこたあ確定の未来だってのに。
だが俺のかけた発破は絶妙に功を奏したらしく、沙樹は決心した様子で俺を見据えた。
「……先輩、私頑張ります! 行きましょう!」
「よく言った沙樹! それでこそデビルバッツの一員だ!」
「いざ行かん――、お化け屋敷!」
沙樹は武将さながらの勇ましい口調で入り口を睨み付け、更に予想外にも俺の手を取った。
そのままずんずんと乗り込んでいく様はそこらの糞男よりも男らしい。
――ケケケ、ほらな。もう面白え。
この他に沙樹のどんな一面が見れんだろうな。
自分よりも小さな後ろ姿に期待をかけ、引かれるがまま暗闇へと溶け入った。
「いやあああああ落ち武者ああああ!!」
「それなりに鎧凝ってやがんな」
「うひゃああああああ貞子おおおお!!」
「髪の長さお前と同じくらいだな」
「ひぎゃああああああ首無しのやつうううう!!」
「感覚器がほぼねえのに追えんのは中に人が入ってる証拠だな」
何を見ても身に付いた腹式呼吸で力強い叫び声を放つ沙樹。
そして冷静に感想を述べつつ怯える沙樹の姿を楽しむ俺。
それなりに予想しちゃいたが、ここまで温度差があるなんざ思わなかった。
心の底から怖がっている沙樹はおそらく化かす側にとっちゃ最高の客だろうな。
薄気味悪さを押し出してきやがる空間とは真逆ののんきな考えを巡らしていると、聞き逃しちまいそうなくらいにか細い一瞬の悲鳴が隣から聞こえた。
途端、左腕だけがずしりと重くなる。
「沙樹?」
返事はねえ。
「おい沙樹。どうした?」
やっぱり返事はねえ。
――どうやら沙樹はあまりの恐怖に意識がぶっ飛んじまったらしい。
まさか気絶するほどだとはな。沙樹には衝撃がでか過ぎたみてえだ。
こりゃ意識戻ったら謝んなきゃなんねえな……ん?
なんか腕に当たってやがる。何だ?
暗闇じゃいまいち見えず、演出の瞬間的なフラッシュを利用し自分の左腕に焦点を当てる。
腕に重みを感じた原因は失神しながらも絡み付いていた沙樹、そして。
当たっていたのは――沙樹の胸。
「……………………」
0コンマ数秒の間に膨大な量の記憶が走馬灯のように流れた。
……平常心だ平常心平常心平常心平常心。
落ち着け俺落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け。
そうだ、そんなときはダレル・ロイヤルの手紙だ。
フィールドでプレーする誰もが必ず一度や二度の屈辱を味わされるだろう打ちのめされたことがない選手など存在しないただし一流の選手はあらゆる努力を払い速やかに――
――いや速やかに落ち着けるかンな状態で!
好きな女にこんだけ引っ付かれて落ち着けるヤツなんざ人間じゃねえ悪魔だ!
いや悪魔だったら俺はとっくに落ち着いてるはずだな……ってンなこたどうでもいい!
とにかくこっから速攻出て即刻沙樹を起こさねえと――、
俺が保たねえ!
「沙樹、おい沙樹。目え覚ませ」
「…………はっ! ここは、外!?」
「もうとっくに出ちまったぞ」
肩を軽く揺さぶり名前を呼ぶと沙樹はようやく意識を取り戻した。
ぽかんとした面持ちで俺を見上げた後、思い出したようにきょろきょろと辺りを確認している。
――『とっくに』の言葉通り、自分の限界を意識した後の俺は異常な速さだった。
順路でいうとおそらく中腹あたりだっただろう。
自分の左腕ごと沙樹を抱え何人もの糞客の間を割って抜けいくつもの障害物を蹴り飛ばしあっという間に出口から飛び出した。
タイム測ってりゃ自己ベストだったんじゃねえかと思うくらいだ。
……改めて考えりゃ、ンな必死になるほどヤべえ状態だったんだな俺は……。
バカか俺は、と客観的に見たら誰もが抱きそうな感想を例に漏れず抱いていると、顔を上げた沙樹と再び目が合った。
「……先輩。もしかして私……気失ってました?」
「おう。それはそれは見事に失ってたな」
端的に事実を伝えると沙樹はものの一秒で真っ赤になった。
俺も気失いそうだったけどな。お前とは別の意味で。
よく耐えたと自分で褒めてやりてえくらいだ。
……いやむしろ現在進行系だけどな。
温度がやけに高い左腕にさり気なく視線を落とすと、沙樹もそれにつられて目線を下げた。
「……わあああっ! ごごごごめんなさい!」
やっと現状に気付いたらしい沙樹はどもりながら素早く離れた。
保温状態だった左腕が解かれ、妙に涼しく感じる。
毎度のことながら耳まで赤くなっている沙樹は、顔を隠しながら何度も詫びた。
「軽々しくくっ付いちゃってほんとにすみません!」
「……別に、謝るようなこっちゃねえ。怖がってんの分かってて無理やり入ったの俺だしな」
むしろ俺が悪かった。付け加えたひと言は、無理やりお化け屋敷に入らせたことに対してだけじゃねえ。
――何とは言わねえが。
事故っちゃ事故だが事の発端は俺なために事故とも言い切れねえ割り切れなさに変に体裁が悪くなり、自然と首が垂れる。
「……怒ってないですか?」
怒る理由なんざ一つもねえ俺にとっちゃそれは見当違いな問いだったが、沙樹の心配性な性格を如実に表していた。
いつものコイツらしさが垣間見え、その安心感が一瞬で他のことをすっ飛ばしちまう。
「ンな顔すんな。怒りゃしねえよ」
完全に毒気を抜かれた俺は無造作に沙樹の頭を撫でた。
沙樹は安堵したような顔付きに変わり、それが俺の胸をじわりと温める。
たまらず自然な風を装ってまた手を繋ぐと、今度は甘い笑顔を浮かべた。
――見たことがなかった沙樹の一面を見れた。沙樹の笑顔も見れた。
優しく笑う、俺の好きないつもの沙樹の笑顔を。
……なのに俺の頭からは余計な雑念が消えねえ。
この笑顔を他の糞野郎共にも向けてんじゃねえのか、とか。
他の糞野郎共とも手え繋いでんじゃねえのか、とか。
コイツの笑顔もその手も……本当は全部俺だけのもんにしてえ。
それができる立場にいねえってのは十分分かっちゃいるが。
今の俺ができるのは、せいぜい沙樹に好意を向けるヤツを撃退することだ。
だが、沙樹自身が誰かに好意を向けた場合は――そのとき、俺は……
せり上がってくる黒い渦を抑え込み、余計なもんを置いて行くようにその場を離れた。