11話 10月29日
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教室から移動する間も周りの視線は変わらず沙樹に集中しやがった。
元々美人なところにこんな目立つ服装(しかもコイツのためにあつらえたのかと思うほど似合ってやがる)してりゃ、こんだけ見られんのも無理ねえな。
どうせ引き受けざるを得ねえ状況だったんだろうし、多分俺が来るまでは開き直って作業してたんだろ。
だから身近なヤツに告知までして――
そういえば、一つだけ納得できねえことがある。
俺は沙樹のクラスがカフェやるってこたあ糞デブから聞かされた。
つうこた沙樹は糞デブには言ったってこった。
なんで沙樹は俺に言わなかったんだ?
怒りとはまた違う種類の妙な感情がむくむくと膨れ上がってくる。
文化祭なんざ興味ねえっつう理由で去年サボってたことを、もしかすると糞デブは沙樹に言っちまったのかもしれねえ。
沙樹はそれを聞いちまったからあえて俺には言い出さなかったのかもしれねえ。
変なところでも余計に気を回すようなヤツだ、十分あり得る。
……だが、仮にそうだとしてもだ。
いつもなら重力にすら負けずにピンと伸びたままの髪の一房が、しゅんと俯いた。
俺が行くか行かねえかは俺が判断することであって。
しかもお前に関することなら、たとえ興味がなかろうと内心二つ返事するっつうのはとっくの前から俺の中での決定事項なんであって。
これはアイツが気を使った結果だろうが、そもそもそういう意味で気を使われるような関係性にゃなりたくねえわけで。
糞デブに言うくらいなら俺にも言やあいいのに、つうか真っ先に俺に言ってくれりゃいいのにと思うわけであって。
俺が興味ねえって聞いた上でそれでも言うだけ言ってみようとか思って欲しかったわけであって。
……どこが『一つだけ納得できねえ』だ。次から次へと湧いて出てきやがるじゃねえか。
とっ散らかった上にだんだんと女々しさを増していったぼやきは止められず、胸中での長過ぎる溜め息と共に最終結論に至る。
――俺は駄々こねる糞ガキかっつうんだよ……。
結局は、沙樹に脳内を占拠され始めた頃から急増したお決まりの自虐着地で終わった。
悶々とした黒い渦を抱えながらようやく到着したのは、今となっちゃ俺専用の休憩所兼作業所と化している屋上だ。
文化祭といえどここの使用権限は俺だけにあるため当然他のヤツらはいねえ。
だから話をするには最適――って、俺は何の話をするつもりだ?
沙樹をメイドカフェから連れ出すことと文句たれることに夢中になり過ぎて、全くのノープランじゃねえか。
そもそもここに来たのは他の糞男共の視線を浴びせたくなかったわけだが、だからといって丸二日こんな場所で過ごすわけにもいかねえ。
――どうすっか。
「沙樹」
特に何か考え付いたわけじゃねえが、ひとまず何かしら話そうとその名を呼んで振り返る。
そこで真っ先に目に入ったのはお互いの手元だった。
――おい、ちょっと待てよく考えりゃ俺ずっと沙樹の手握って……
すると、「はいっ!」という返事で思考を止められ、同時に顔を上げた沙樹と目線がぶつかった。
……糞! 可愛……っ!
俺は気付けばとっさに顔を逸らしていた。
そしていつの間にか俺の左手は繋いでいた沙樹の手を離していた。
やけに収まりが良かったその手がなくなり、温かみも消える。
無意識だったとはいえそのまま繋いどきゃよかった、と離した直後から名残惜しさがじわじわとにじみ出てきた。
つうか可愛過ぎて直視できねえなんざ、相当な重症じゃねえか。
たかが服装変えたくらいで何でこんなに可愛さが増すんだよ。
……俺の頭はお前のせいでイカれちまってるっつうのに、お前は人の気も知らねえで他のヤツに愛想振りまいてんじゃねえよ。
自分の中の恨みがましい苛立ちが、徐々に沙樹に対する欲望へと変化していく。
沙樹のこの姿を独り占めしてえ。
沙樹と並んで歩くところを見せ付けてやりてえ。
相反する二つの欲望はあちらが立てばこちらが立たず状態で、両立させることなんざどうやっても不可能だ。
だがさっきも考えた通り、人目を忍んで二人で過ごすことなんざできねえ。
たとえできたとしても文化祭を楽しみてえだろう沙樹がそれをよしとするわけがねえ。
――だったら後者だ。
「あー……さっきの会話で分かったと思うが、その……今日はお前は宣伝役だ。グラウンドもステージだかなんだかがあって練習できねえし、まあ……俺も宣伝に協力してやるから一緒に校内回んぞ」
それっぽく取り繕えそうな理由を思い付いたはいいものの、視界の端に映る沙樹が相変わらず可愛いせいでそっちに意識がもってかれ、俺らしくもなく言い淀む羽目になった。
理想を言えば、『ケケケ、お前もさっき聞いた通りこの度宣伝役を仰せつかったからな、その目立つ格好も利用してついでにアメフト部の募集もかけつつ校内練り歩くぞ』だ。
……ンな簡単に乱される自分にだんだん腹立ってきた。
ふと尻目に、慌てた様子の沙樹の姿が見えた。
急に何かに気付いたみてえな……いや待てもしかして!
俺の中で完全にノーマークだった考えが途端に肥大する。
「……お前今日、もしかして誰と見回る予定でいたのか?」
そうだ。その可能性を全く考えちゃいなかった。
そもそも俺が自分で『友達やら何やらと一緒に回るんだろうよ』っつって考えてたくせにそれをすっかり忘れて誘うなんざ矛盾してんじゃねえか!
バカ具合もここまで煮詰まるなんざ世も末だぞ!
俺が激しく自分を責めていると沙樹は薄く苦笑いを浮かべた。
「今日はほぼ一日中カフェ係の予定だったので、見回る人は決めてなかったんです。友達とは明日一緒に回るつもりで」
そうか、なら今日は問題なく一緒にいられんだな。
「――本来のお仕事任せることになったのはちょっと申し訳ないですけどね」
不安の種が消えてほっとした直後、付け加えられた沙樹の本音がわずかな痛みを胸に走らせた。
俺にとっちゃ他のヤツらがどれだけ迷惑被ろうが、ンなこたどうでもいい。
だが沙樹がそんな風に思っちまうのは。覚えるはずのなかった罪悪感を覚えちまうのは……
「――そうか」
俺の返事は自分で思った以上に沈んだ声色だった。
しかも知らねえ間に俯いちまってたもんだから、どうやら決定的だ。
誰かにンな思いをさせて俺自身が罪悪感を覚えちまうなんざ初めてのことで――今までもこれからも、沙樹以外にはあり得ねえんだろうが。
悪魔だ鬼だと言われ続けた自分の妙に人間らしい変化に若干動揺する。
「先輩、どうかしました?」
――だから! お前は!
ンな可愛い顔で急に視界に入り込んで来んじゃねえって……っ!
突然眼中に現れた沙樹に完璧油断しちまってた俺は軽くパニックになり、思わず全力で顔を背けた。
ゴキ、と結構でかめの鈍い音が耳に届く。
「先輩首大丈夫ですか!? 今ゴキって言いませんでしたか!?」
「なんでもねえよ! 大丈夫だからお前は気にすんな!」
自分でもはっきり聞き取れちまったからきっとコイツにも聞こえてやがるんだろうなとは思いつつも、情けねえ醜態をさらすわけにゃいかなかった俺は、食ってかかるような大声で沙樹をいなした。
『なんでもねえ』はずの首は実際ンなこたあなく、隅から隅まで侵略するような痛みが襲う。
これはアレか、神経痛ってヤツか。
鍛えててもなるときゃなるもんなんだな……。
いっとき興奮状態になった心持ちがそれのせいで一気に削がれ元の調子に戻る。
冷静に考えりゃ、全力で目逸らした時点で情けねえよな……。
体裁の悪さを何気なく頭を掻くことでごまかした――いや本気でごまかせるなんざ思っちゃいねえが。
「……じゃあ、行くぞ」
完全に落ち着いちまった俺の口からようやく出発の合図が発される。
時間にすりゃそう長くは経っちゃいねえはずなのに、やっとかよと自分に突っ込みたくなるのは俺が無駄なことをだらだらと考え込んじまったせいだろうな。
最初っからとっととこうすりゃ良かったんだ。
「――はいっ!」
沙樹はまるで待っていたかのように元気(が良過ぎるくらい)な返事をした。
それは不意を突かれた俺の罪悪感だとか自虐だとかを――いっぺんに吹き飛ばした。
……コイツ、俺があれほど考え込んでたことをいとも簡単に……。
たったひと言だが効果てきめんだった沙樹の返事にもう吹き出すほかなく、沙樹も照れたようにはにかんだ。
――まあ、いくらうだうだ考えようが、結局は沙樹のこの笑顔を見られりゃ何でもいいんだ俺は。
今は沙樹と楽しむことだけ考えりゃいい。
それ以外のこた全部後回しにしちまえばいいんだ。
うっかり思い描いて作業が進まなくなったほどに惹かれ望んだ沙樹との光景を現実にできると思うと、無意識に軽くなった足取りで屋上を出た。