10話 10月18日
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「あの糞ゲジ眉なんざ出禁だ! 一歩でも泥門に足踏み入れたらぶち殺す!」
着替え始めて開口一番の台詞がこれだ。
練習に集中すりゃあの糞野郎のことなんざ忘れ去れる……そう思っていた俺は甘かったらしい。
予想以上にさっきの出来事はしぶとく、糞ゲジ眉の見透かすような表情が消しても消しても浮かんできやがる。
時間が経てば経つほど余計に苛々が募るってのは一体何の呪いだ。
――糞! いけすかねえ糞野郎が!
着替え終わっても一向に腹の虫が治まることなんざなく、力任せに戸を蹴り開ける。
他のヤツらはいつもの倍速で着替えた後、逃げるように部室を出て行きやがった。
よほど俺が怖いらしい。
残ってんのは、唯一俺を怖がらねえどころか気遣うような素振りの沙樹だけだ。
俺らが終わるまで外で待っていた沙樹に無言で部室を明け渡し、帰る準備が終わるまで待つ。
何かに没頭すらしちゃいねえその時間は、嫌でも苦い記憶が広がってくる地獄の時間だった。
***
いつからか当たり前になっちまった沙樹との帰り道。
いつもなら他愛ない会話をだらだら続けるところだが、今日は違え。
さっきの忌々しい時間のことでどうしても聞き出してえことがある。
本音を言うと思い出したくもねえが……それでも知らねえまま終わらせるよりよっぽどいい。
気を回したような切り出し方は性に合わねえから、単刀直入に聞くことにした。
「……おい沙樹、あの糞ゲジ眉と何話してやがったんだ」
何となく執着してることを知られたくなく、前を向いたまま素っ気なく問う。
尻目に沙樹の表情を窺うと、どうやらぽかんとしているらしかった。
「何って――どうしてアメフト部入ったのかとか、部活は楽しいかとか、特に何でもない話ですよ?」
……スラスラ答えるとこを見る限り、嘘じゃねえみてえだ。
だが糞ゲジ眉の野郎は、俺に聞こえねえようにあえて極小せえ声で話してやがった。
加えてあの『違わなくもない』発言。
あんだけあからさまに狙ってるヤツが、ンな程度の会話のためにわざわざ来るはずがねえ。
他にも絶対あるはずだと妙な確信から更に詰める。
「それだけか」
「大体そんなところで……あ、」
何か思い出したらしい沙樹がパッと顔を上げた。
「たしか屈託ないとか、純粋だとか言われた気がしますね」
「ほれ見ろ目的はやっぱそっちじゃねえか!」
「え!?」
本気で驚いた様子の沙樹が俺の咆哮にびくりと肩を震わせた。
俺が沙樹の笑顔に対して抱いた感想と全く同じっつうのがまた輪をかけて腹立たしい。
カマトトぶってやがるくせに女見る目はあんじゃねえかとか先人気取りで評価できるほど、正直今の俺に余裕なんざねえ。
むしろ今は、俺以外にも沙樹の魅力に気付くヤツが出てきちまったことのが問題だ。
――いや、問題は周りのヤツらだけとは限らねえ。
わざと分かりやすい不機嫌さを顔に貼り付けながら沙樹をじろりと見やる。
それに気付いたらしい沙樹は見る間に表情を曇らせ、案の定慌て始めやがった。
俺の機嫌の悪さは分かるくせに、なんでアイツの堂々とした口説きにゃ気付かねえんだよ。
どう聞いてもどう見てもお前のこと落としにきてんだろうが。
鈍感なのか? バカなのか? それとも気付いた上で泳がしてんのか?
――いややっぱ最後のはねえな。
そんな器用なことできるような小賢しさは沙樹にはねえ。
……つうか本人は気にしてすらねえのに、終始頭ん中占領し続けるほど考え込んでやがる俺がバカみてえじゃねえか。
ああ糞、この鈍感さが今は腹立つ!
「お前もいいように流されてんじゃねえよ! 自分の身くらい自分で守りやがれ!」
これまたやつあたりで面責ついでに自分の感情をぶつける。
そもそも糞ゲジ眉に練習を見学させる許可を出しやがった元凶は俺だということは捨て置いて。
「え、それどういうことですか!? 私命狙われてたんですか!?」
「違えよバカ!」
「っ、バカって……ヒル魔先輩酷いですよお~」
沙樹の斜め上を行く発言(当然素だってこた分かっちゃいるが今は苛付きの材料にしかならねえ)に、ほとんど反射で噛み付いた。
肝心のコイツはやっぱり何も分かっちゃいねえ。
バカ丸出しの反応がいい証拠だ。
だからと言って、糞ゲジ眉はお前のこと口説きにかかってやがんだよとなんざ言えねえ。絶対に言いたくねえ。
それを伝えたせいで沙樹が変に意識しやがったら、それこそ糞ゲジ眉の思うツボだかんな。
言わなきゃ言わねえで危機感すら持たねえだろうから痛し痒しだが、本末転倒になるよかマシだ。
そう考えりゃ、敏感よりも鈍感な方が結果的にまだ良かった…………のか?
その後なんだかんだ収拾がつかず、落とし所がないまま沙樹と別れることになっちまった。
「……糞」
思わず口からこぼれた一言は思いの外荒れちゃいなかった。
ひとしきり怒り喚いたせいか、だいぶ落ち着いていたらしい。
とは言えども、ちょっとでも気を抜きゃ憎き糞ゲジ眉がちらほらと浮かんできやがることには変わりねえ。
――言葉通りに練習の偵察だけするような素直な性格じゃねえだろとは思ってたが、まさかンな目的があったなんてな。
油断も隙もねえ。
気付けば、自宅へ向かう俺の足はぴたりと止まっちまってた。
脳内を占めるのはもちろん、現在進行形で俺の心を掻き乱しやがる沙樹のこと。
……やっぱアイツ、魅力あんだよな。
俺だけじゃねえ、他の糞野郎共も惹き付けちまう。
もし他のヤツと仲良くしてやがるとこなんざ見付けちまったら――
思わず顔が歪んじまうのが自分でも分かった。
心臓から身体中へと、黒い何かが這うように侵食していく不快極まりねえ感覚。
……考えたくもねえ。
沙樹が他の糞野郎と話してるとこなんざ。
笑顔を向けてるとこなんざ。
多分俺は耐えらんねえ。
俺だけにそうしてりゃいいんだ、アイツは。
暴走した考えからふと我に帰る。
そして自分の滑稽さと矛盾に気付き、自嘲気味に笑った。
……何ほざいてんだ俺は。
俺はアイツの彼氏でも何でもねえってのに。
『俺だけに』なんて言う資格すらねえのに。
お門違いもいいとこだ。
無関係な男の独占欲ほど鬱陶しいもんはねえ。
――それでも。
沙樹が他の男といる胸糞悪さを味わうよりも、資格のねえ独占欲を疎ましがられる方がまだマシだって思っちまう。
こんなもんは俺のエゴでしかねえ。
だが――
他の糞野郎共が沙樹に好き勝手近付くのを黙って見てられるほど、俺は人間できちゃいねえんだ。