8話 9月22日
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台風と秋雨前線の最悪の組み合わせはとうに過ぎ去り、朝練もしやすくなった九月下旬。
だが今日は訳あって、他のヤツらには朝練に来ねえように伝えた。
……沙樹の兄である糞デブにアイツのことを聞くためだ。
グラウンドに到着すると、いち早く来ていた糞デブはいつもの如く練習に精を出してやがった。
俺を見るなり待っていたかのように嬉しそうに手を振る。
見た目が全く似てねえ割には、甘党なとことか、そうやって素直に感情を表に出すとこはしっかり似てんだよな。
正直アイツの素性や過去なんざ勝手に調べようと思えば調べられた。
あえてそうしなかったのは、本人がやんわりと知られたくない素振りを見せていたからだ。
初めはそれ以上踏み込むつもりも、そこまでの興味も無かった。
――だが今は、俺自身が沙樹と深く関わりてえと思う。
アイツが何を隠していようが、受け止める自信もある。
『お前を一人になんざ、絶対にしねえ。俺がいる』
あの日震える沙樹を抱き締め、掛けた言葉。
単なる思い付きでだとか、その場しのぎで言ったわけじゃねえ。
この言葉に嘘なんざねえ。
気付いちまったんだ。
知っちまったんだ。
なんでこんなにアイツが頭から離れねえのか。
なんでアメフトに夢中になってても、気付くといつもアイツのことを考えちまってんのか。
アイツの笑った顔が見てえ。
他の誰でもねえ俺が、アイツを笑顔にしてやりてえ。
自分には無関係なもんだと思ってたこの気持ちの名を、俺はもう知っている。
――これは、恋だ。
「ヒル魔~~! おはよう!」
「ああ。テメーは相変わらず早えな、また二時から来てやがったのか?」
「もちろんだよ、練習楽しいからね! ……ってあれ、他の子たちは?」
「今日は来ねえ。俺が来んなっつった」
「ええ!? なんでまた……わっ!」
糞デブは驚きのあまりタックルをスカし、その勢いで地面を派手に転がった。
そのままこっちに向かって来んのを容赦なく足で止める。
丁度いいタイミングで顔面が回って来やがったために、図らずもそこにめり込んだ足型が残った。
悪びれる気なんざかけらもねえ俺は、それどころか不満オーラを出しながら冷たい視線を浴びせる。
「……テメー、沙樹のこと隠してやがったな」
「いてて……え、沙樹ちゃんのこと?」
「そうだ。そもそも妹がいたことすら聞いてねえぞ、俺は」
「そ……そうだね。言ってなかったね、ごめん」
「この際だ。洗いざらい吐きやがれ」
急にしおらしくなった糞デブは、その場にちょこんと(っつうサイズでもねえが)正座した。
「あのね、それには理由があって……口止めされてたんだ。ずっと」
「……沙樹にか?」
「……うん」
本人も深く触れて欲しくなさそうな上、自分の兄であるコイツにも口止めするなんざ、よっぽど言いたくねえことなんだろう。
だが――ンなもん俺の知ったこっちゃねえ。
俺はこれからアイツに関わってくって決めてんだ。
本人が嫌だと思おうが思わなかろうが関係ねえ。
俺はすっかり小さくなっちまった糞デブの前にしゃがみ込み、無言でじっとりとねめつけた。
目の前の肉まんは忙しく目を泳がせ、あーだのうーだのこぼしながらそわそわしてやがる。
コイツの罪悪感も利用した、ややずるい手だとは自分でも思う。
分かっちゃいるが致し方ねえ。
「……本当は、言わない方がいいんだろうけど……」
案の定耐え切れなくなったらしいコイツは、それからポツリポツリと語り始めた。
――糞デブの話をまとめると、こうだ。
元々栗田家は、父、母、糞デブの三人だった。
だが父の愛人が沙樹を身籠ったことで、責任を取るために栗田家に愛人と沙樹を居候させることになった。
それからというもの、正妻は憎たらしさから愛人を陰でいびり、親戚からも後ろ指をさされる日々が続いた。
糞デブはその異変に気付きはしたものの、子供の立場じゃどうすることもできなかったらしい。
すると沙樹が産まれてからしばらくして、正妻が病気で亡くなった。
愛人はその後も住み続けたが相変わらず周りの目は厳しく、子供二人の世話も荷が重くなったためか、沙樹を置いてある日突然失踪した。
残された沙樹を父と糞デブは大事に扱ったが、一人暮らしを始めたいと早くから家を出た。
そして高校だけはコイツと同じ、この泥門に入学したってわけだ。
糞デブが話し終わる頃には、俺の頭は妙に冷静になっちまってた。
侮蔑、憤怒……無責任に消えた人間に対していろいろ思うとこはあったが、一番強かったのは沙樹への想いだ。
沙樹はこのことを口止めする際に、こう言っていたらしい。
『私の存在が迷惑になるから』と――。
その一言で、全てを察してしまった。
アイツは罪悪感に苛まれて、ずっと辛かったんだろう。
父の立場が悪くなったのも、自分の母が出て行ったのも――ともすれば糞デブの母が亡くなったことさえも、私のせいだと自分を責めて。
アイツやその母親が周りからよく思われちゃいねえことなんざ、幼いながらにも分かってたはずだ。
『置いてかないで』
『捨てないで』
『一人にしないで』
――ショックでフラッシュバックしちまうほど、孤独感だって常に味わってた。
愛情を注がれる前に母親が消えちまって、二人に対してどこかよそよそしく思ってたんだろう。
早々に家を出たのも、おそらく迷惑は掛けられねえと気を遣った結果だ。
全部自分が引き受けることで丸く収まるのなら、と争い事が苦手そうな沙樹がそれを選ぶのは目に見えてる。
「――アイツ、本当に……」
ぎり、と行き場のない思いを込めた俺の歯が音を立てる。
甘えてもよかったんだ。
周りがどんな風に言おうとも、どんな風に見ようとも。
早くから母親を失ったお前にはその権利は十分にあった。
周りの野次なんざ気にせず、子供らしく生きる権利があったんだ。
沙樹、お前は悪くねえ。
何も悪くねえんだ。
自分を責める必要なんざ、これっぽっちもねえんだよ。
お前は自分の幸せよりも他人の幸せを優先した。
喉から手が出るほど欲しいはずのものを、他人に遠慮して、他人に譲って生きてきた。
優しくてお人好しで、自己犠牲の塊のお前。
俺は立ち上がり、唇を引き結んだままグラウンドを後にする。
頼るような視線を背後に感じながら。
――迷惑だなんざ思わねえよ。
お前がどんな過去を背負ってようが、ンなもん関係ねえ。
お前が自分より他人の幸せを優先するってんなら、俺がお前の幸せを優先してやる。
沙樹、俺はお前が好きだ――。