7話 9月7日
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「……こりゃひでえな」
練習中のあの晴天はどこへやら、部活終わりの今はバケツをひっくり返したような雨、どころか完全に嵐だ。
強風の勢いは増す一方で、戸や窓が今にも吹き飛んじまいそうなほど激しく揺れている。
よりによってこんな悪天候の中、沙樹は居残りすると言い出した。
泥にまみれたボールを掃除すんのはありがてえが、今日わざわざ残ってしてくことかとも思う。
だが真面目なアイツのことだ、やってかなきゃ気が済まねえんだろう。
手伝うっつう提案も丁重に断られちまったため、せめて帰りくらい送ってってやろうと、隣の部室でパソコンをいじり始めてはや三十分。
糞マネは野暮用だとかでとっとと帰っちまった上、そこそこ量も多かったから時間がかかるのは仕方ねえ。
仕方ねえのは分かっちゃいるが。
「……ますます悪化してんじゃねえか」
外は更に雨風が強まり、もはやタクシーで帰ることを余儀なくされるほどだ。
まあ、アイツを一人にしちまったら意地でも徒歩で帰りそうなもんだから、そういう意味でも俺が残る価値はあったかもしれねえな。
そんなことを考えながら作業を進めていると、突如窓の外がまばゆく光った。
ものの数秒後、建物に振動が伝わるほどの激しい地鳴りが響く。
……雷か。近えな。
俺は雷なんざ怖くもなんともねえが、隣の沙樹は――。
続け様に雷鳴が轟き、木が倒れでもしたのか、近くでバキバキという音が聞こえた。
「やああっ!」
「……沙樹っ!?」
突然の沙樹の悲鳴に、慌てて駆け出す。
部室間はさほど離れちゃいねえ。
それなのに、尋常じゃねえ焦燥感や不安感に駆られた。
沙樹がいる部屋の扉を壊れんばかりに開け放す。
「沙樹っ! 大丈夫か!?」
自分でも考えられねえほど必死に、悲鳴の主の名前を叫んだ。
沙樹は部室の片隅にひっそりとうずくまっていた。
ベンチには濡れたタオルが無造作に捨てられ、床にはボールがいくつも転がっている。
作業中に思わず手放しちまうほどショックだったんだろう。
転々とするボールの合間を縫って駆け寄り、耳を覆っている手首を掴む。
震えてやがる……そんなに怖かったのか。
「いやああっ! 置いてかないで……私を捨てないでえっ!」
「沙樹!? おい、どうした!」
沙樹がまたもや悲痛な声で叫び、何も聞くまいとするように、より強く自身の耳を覆う。
雷が怖くて叫んだと思い込んでいた俺は、それとは無縁なはずのフレーズに違和感を覚える。
コイツは雷だけに怯えてるんじゃねえのか……?
俺の声が聞こえちゃいねえのか、沙樹は変わらず俯いたまま叫び続ける。
まずい、このままだと過呼吸か何かを引き起こしちまうかもしれねえ。
だが耳を覆う沙樹の手は爪先で皮膚を傷付けるほど力が込められ、容易に剥がせやしなかった。
「お願い、帰って来て……一人にしないで……」
取り乱していたかと思えば、途端にか細い声で沙樹は呟いた。
嗚咽を漏らしながら、子供のように泣きじゃくっている。
……こんな沙樹は見たことがねえ。
俺の前では、コイツはいつも笑っていた。
至極楽しそうに笑ったり、はにかむように笑ったり、とけるように柔らかく笑ったり。
ここまで負の感情を露わにした沙樹は、初めてだ。
「――沙樹」
確かめるようにもう一度名前を呼び、震えている身体を包んだ。
冷えたその身体をじんわりと温めるように、熱を伝える。
かすかに聞こえていた浅くて乱れがちな呼吸が、徐々に規則的になっていくのが分かった。
それに少しだけ安堵した俺は、冷静になった脳の一部で考えを巡らした。
俺は、どうして沙樹を抱き締めたんだ?
……分からねえ。
でも、今こうしねえと、繋ぎ止めてやらねえと、沙樹が壊れちまうような気がして――。
そっと腕を緩め真正面からその姿を捉えると、沙樹が恐る恐る顔を上げた。
困惑したような、縋るような……濡れた瞳は何か言いたげに揺れる。
言葉を待たずして、俺は再び腕に閉じ込めた。
――今度は、ここに沙樹が存在することを証明するかのように、強く。
「……沙樹、大丈夫だ。置いてったり、捨てたりなんざしねえ」
何がコイツをそんなに不安にさせてんのか、怯えさせてんのかは分からねえ。
誰に置いていかれたのか、捨てられたのかも分からねえ。
だが少なくとも、俺は沙樹にそんな思いはさせねえ。
――させたくねえんだ。
細く柔らかい髪を優しく撫で、大丈夫だと静かに繰り返し囁く。
少しでもコイツを安心させてやりてえ、その一心だった。
「……お前を一人になんざ、絶対にしねえ。俺がいる」
腕の中の沙樹はすっかり嗚咽が治まり、俺の胸に緩やかな重さを与えた。
無防備に頭を預けられるほどには、落ち着いたみてえだ。
沙樹の身体からはすでに冷たさは感じず、どちらの熱の方が高いのかすらもう分からなくなっていた。
『置いてかないで』
『捨てないで』
『帰って来て』
『一人にしないで』
沙樹の残したこの言葉たちが、俺の頭から離れない。
もう見過ごせねえ。
沙樹の過去には何があったんだ?
一体コイツは、何を背負ってやがんだ?
知ってどうなるっつうものでもねえかもしれねえ。
だが何も知らずに蚊帳の外にいるくらいなら、全てを知った上で何ができるか考える方が遥かにマシだ。
俺は他人のことをここまで知りたいと思ったことなんざ、一度だってねえ。
その未知の欲求が出てきちまったのは、相手が他でもない沙樹だからだ。
沙樹のことを知りてえ。もっと近付きてえ。
……もっと、触れてえ。
そうだ、俺はもう気付いちまった。
――沙樹への気持ちに。