7話 9月7日
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夏休みと称した、アメフト部地獄の特訓は瞬く間に終わりを迎えた。
去年の夏同様ひたすら練習に明け暮れ、世の糞学生共がするようなどうでもいい娯楽なんざには一切触れちゃいねえ。
ただ去年と違ってわずかに後悔の念が残るのは、アイツとそういう思い出を作れなかったからか。
……我ながら女々しいな。俺らしくもねえ。
無事デス・マーチも達成し、俺らは意気揚々と日本に帰国した。
どぶろく仕込みの猛特訓の成果は高く、心身ともに鍛えられた。
あの糞猿ですらどことなく引き締まった面をしてやがる。
だがそれは当然、俺ら選手だけじゃねえ。
「スラント、ジグアウト! スライスイン! おら、しっかり走りやがれ!」
まだ一向に季節を譲る気配のない太陽がグラウンドを照り付ける中、俺たちはいつもの練習に取り組んでいた。
次の試合までの余裕なんざ、これっぽっちもねえ。
集中しなけりゃならねえ大事な時だ。
そう、大事な時だってのに。
それを分かっていながら、俺の目は自分の意思とは無関係に特定の人物を追う。
視線の先にいるのは――沙樹だ。
アイツの華奢さじゃこの炎天下耐えられねえと判断した俺は、否応なしに日陰に移らせた。
最初は強がっていたが、今はもう観念して大人しく水分を補給している。
なんだかんだ言って最終的にはちゃんと言うこと聞きやがる。
そういう従順なとこもやっぱりアイツらしい、とつい頬が緩んじまう。
――それにしちゃあ。
全力で走ってやっと届くっつうほどのギリギリのパスを糞猿に放ちながら、脳の冷静な部分を別の思考に走らせた。
最近、やけに沙樹が眩しく見える。
練習の補助してやがるときも、部室の掃除してやがるときも、何をしててもだ。
たとえ人混みに紛れちまったとしても、今ならすぐに探し出せる自信がある。
どうしてこうなっちまったのか。
その理由は……って俺、全然集中できてねえじゃねえか。
「……先輩……い……な」
ん? 今沙樹が何か呟いたな。
普段ならこんくらい離れてても余裕で聞こえる俺の地獄耳は、沙樹のことで頭が一杯だったせいか、上手く言葉を拾えなかった。
とりあえず聞こえた単語だけで推測してみっか。
『ヒル魔先輩、練習激しいなあ』
大会前じゃなくても、いつもこんくらい練習してっからな。この線は薄いか。
『ヒル魔先輩、金髪眩しいなあ』
こんだけ照ってりゃそう思うかもしれねえが、そもそもあんな離れたとこまでは反射しねえだろ。
『ヒル魔先輩、かっこいいなあ』
……これは都合良く考え過ぎだな。
まあ、別にそこまで深く考える必要もねえか。
「一旦休憩すんぞ! 水分補給したらすぐに再開だ!」
全体の動きが鈍ってきたことと、時間的にもいい頃合いだったため、休憩を言い渡した。
ドリンクが置いてあるベンチに向かおうとしたつもりだったが、気付けば沙樹の方へと足を進めていた。
もはや意識的なのか無意識なのかも分からねえ。
今分かるのは、近付けば近付くほど沙樹が眩しいっつうことだけだ。
「せ、先輩、練習お疲れ様です」
「おう」
若干片言のような挨拶をした沙樹は、妙におどおどしていて目も泳いでいる。
何をそんなに怖がってんだ?
いや、怖がってるっつうより、むしろ焦ってるみてえな……。
少しの間思案していると、ふと沙樹が握っているドリンクが目に入った。
そういや、あっちのベンチにしかドリンクはなかったな。
目の前のコイツは何やら考え込んで自分の世界に入っちまってるみてえだし、もらっとくか。
沙樹が入り込んじまってるときは、名前を呼ばれようが肩を叩かれようが気付かねえ。
今までにそんな現場を何度も目撃したことがあった。
今回も例外じゃなく、沙樹の手元にあったドリンクはするりと俺の手に収まった。
いざ飲もう……とした直前、俺の頭にとある単語がよぎった。
『間接キス』
もしかしたら、他のヤツ相手だと出てこなかった単語かもしれねえ。
……ちゃっかり、できそうだな。
コイツがどんな反応すんのか見てみてえ。
俺の中の欲望がちらりと顔を出し、獲物を狙うかのように舌なめずりをする。
ようやく戻ってきたらしい沙樹が、ドリンクを飲む俺の姿を目の当たりにしてぽかんとした。
「え? 先輩、それもしかして私のじゃないですか?」
「まあ、そうっちゃそうだな」
「いやそうっちゃなくても私のですよね!?」
何よりも戸惑いが勝ったのか、沙樹は妙な動きをしながら見るからにうろたえている。
……俺が見てみてえのは、そんな反応じゃねえんだよ。
そうじゃなくて、こう……もっとお前らしい表情は別にあんだろ。
しばらく壊れた機械のような動作をしていた沙樹は、突然ピタリと止まり、何かを決心したような面持ちで見上げた。
「……先輩。それ……間せ」
「テメーら練習始めんぞ、さっさと戻りやがれ!」
練習再開の合図に声を張り上げ、沙樹の問い掛けには聞こえてねえ振りをする。
間接キスですよね、ああそうだ、なんて間抜けな問答するつもりなんざ毛頭ねえ。
だって聞かなくても分かんだろ。
間接キス以外の何があるってんだよ。
ンなこと、俺が天然でやるわけねえだろうが。
……気が変わった。
コイツにどでかい爆弾落としてやれ。
まずは沙樹の肩をぽんと軽く叩き、目線を合わせる。
「ケケケ、ドリンクサンキューな。沙樹」
そして裏なんざ一切ねえっつうほどの清々しい態度で、納得のいってなさそうな沙樹に容器を返す。
こうやって安心させればさせるほど、後々効果がでかくなる仕組みの爆弾だ。
「……はい。どういたしまして!」
狙い通り沙樹は安堵したらしく、たまに見せる柔らかい笑顔ではにかんだ。
その優しい笑顔についほだされちまいそうになるが、そこをぐっと堪える。
普通のヤツならこの笑顔で十分なんだろうが、俺はそうはいかねえ。
我ながら面倒な性格だとは思うがな。
余計な考えを隅に追いやり、いよいよ爆弾に着火する。
「残り、飲んでいいぞ」
言葉の意味を考えるその一瞬を突いて沙樹の耳元に口を寄せる。
まとめ上げた髪から抜け出たおくれ毛が揺れ、甘い香りが鼻腔をくすぐった。
女子特有のスプレーなのか、シャンプーなのか、汗なのかは分からねえが。
ここで、爆弾投下。
「――間接キスでも、良けりゃあな」
「……え」
どうやら沙樹の思考だけが追い付いてねえみてえだ。
賢いことに、本能は一瞬で理解したんだろう。
俺の囁きを受けた直後、動きが止まった割にはすぐに頬は赤く染まり、それは耳や首まで侵食した。
……これだよ。
やっぱり沙樹、お前はこうじゃねえとな。
はにかんだ笑顔もいいが、極端に照れて真っ赤になるとこも俺は気に入ってんだ。
俺とは正反対な、感受性に長けたお前のコロコロ変わるその表情。
いつの間にか俺は――お前のそんなところに、病みつきになっちまってるみてえだ。
練習場所に戻ったところで、ワンテンポもツーテンポも遅い、沙樹の驚いた声が遠くに聞こえた。
してやったり、とつい口角が上がってしまう俺は、根っからのサディストなのか。
……まあ、自問自答するまでもねえな。
ほどなくして、沙樹がドリンクを持ったまま校舎内へ駆けて行くのが目に入った。
その姿を目の端で見送りながら俺は一人考えを巡らす。
アイツは俺の言った通り、あのドリンクの残りを飲むのか。
それとも羞恥心が上回って結局飲まねえのか。
今頃沙樹は、俺の投下した爆弾のせいで必死に考え込んじまってるはずだ。
戻ってきたらこっそり当ててやろう。
何てったって、お前の表情が全てを物語ってんだからな。
沙樹の帰りを待ち遠しく思いながら、この快晴に似合いもしねえ含み笑いでボールを放った。