6話 7月14日
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際どい沙樹を海中に浸からせてひとまず安心していたところに、糞チビが縮小版砂嵐を巻き起こしながら接近して来た。
三秒以内じゃねえにしても、まあそこそこ速え――お、コケた。
足元がおろそかになってやがる。こりゃやっぱ特訓し直しだな。
その反動でもれなく浮き輪が飛び上がり、ぺちゃ、という情けない音を立てて続々と海面に落ちる。
さっきの某トビウオの飛び込みが急に脳裏に蘇り、吹き出しちまいそうになったところをぐっと引き締めた。
「おうテメーら、今から海ん中で筋トレだ。浮き輪付けたヤツらを一人が泳いでひたすら引っ張る。波に逆らってな」
組み合わせは、糞チビと糞サル、糞デブは糞マネと糞長男とケルベロス、糞次男と糞三男、そして俺は――沙樹とだ。
糞チビと糞サルじゃ余計な気を遣いそうだし、三兄弟は前科があるし、糞デブは強すぎて話にならねえ。
パワーバランスを考えた結果……っつうのが表向きの理由だ。それでも若干苦しいが。
本当は単純に、他のヤツらと組ませたくなかっただけだ。
誰が何と言おうと、部長の特権ってヤツを俺は全力で行使させてもらう。
「よし、行けテメーら!」
空に散った俺の大声をきっかけに、浮き輪を付けたヤツらは一目散に泳ぎ始めた。
はたから見れば何してんだっつうような姿だが、効果を得られるなら別に構わねえ。
準備の確認を取ろうと、浮き輪にすっぽりはまる沙樹に向き直る。
「行くぞ沙樹。しっかり捕まってろよ、さもねえと置いてっちまうぞ」
「大丈夫です、ちゃんと浮き輪掴んでますから!」
まあ、浮き輪がありゃ沈むこともねえだろ。
全力出しても良さそうだな。
やや前を進んでいた部員共を追いかけるような形で進み始める。
……なんだこりゃ、思った以上に軽い。
もっと抵抗かかるはずだが、それはコイツが軽すぎるからか?
多分そうだ。他のヤツらを瞬く間に抜いちまったからな。
相当スピード出さねえと練習にならなさそうだ。
よし、あのブイまで行くか。
「――! ――っ! ――、――!」
「ンだって? 聞こえねえぞ!」
ブイまであと少しという地点で高めの波を一点突破した直後、多少なりとも感じていた重さがふっと消えた気がした。
……軽くなった?
……気のせいかとは思うが、念のため確認しとくか。
泳ぎ出してから初めて動きを止め、沙樹の姿を目視しようと振り向く。
当然そこにいるであろう人物は、そこにはいなかった。
「――沙樹っ!?」
一瞬だけ頭がフリーズしたが、すぐに高速回転を再開し、現状を判断した。
迷いもなく海中へと頭を突っ込む。
――いた!
探すまでもなく真っ先に目に入ったのがその細腕だったからか、考えるよりも早く俺の身体は動いた。
目一杯腕を伸ばしてやっと届いた沙樹の手を握り、ありったけの力で海上へと引き上げる。
海面へ出た途端に沙樹がむせたため、最悪の事態じゃあなさそうだと胸を撫で下ろした。
「沙樹、おい沙樹! 大丈夫か!?」
「ッ、ゲホッ! ゲホ……ッ」
ぐったりしている沙樹の腕を自分の首に回してやり、意識の確認をしようと呼び掛ける。
咳が止んだ頃に顔色を窺うと、頬は心なしか青白く、虚ろな瞳は遠くを見つめているようだった。
まだ意識ははっきりしてねえみてえだ。
無理に起こそうとすると逆効果だな……少し、待つか。
今すぐ意識を呼び起こして謝りたい気持ちと、自然に意識が戻るのを待たねばという気持ちとが俺の中でないまぜになる。
どちらにせよ、沙樹を酷い目に遭わせてしまったことは事実だ。
原因は自分の不注意。認識の甘さ。
沈むことなんざないと、たかをくくっていた少し前の自分をぶっ殺してやりてえ。
物騒なことを考えていると、沙樹が俺の首元に擦り寄ってきた。
……よっぽど、怖かったんだな。
そりゃそうだよな、急に海の中に引きずり込まれたとあっちゃ怖がるのも当然だ。
ややあって、沙樹はほとんど意識を取り戻したのか、俺を見上げたその眼差しには生気が込もっていた。
「……ヒル魔、先輩……」
「沙樹、大丈夫か? 悪い、怖い思いさせちまって……」
以前三兄弟から沙樹を助け出したことはあったが、まさか自分がこんな目に遭わせちまうなんざ思ってもみなかった。
突如として罪悪感に苛まれる。
「私なら大丈夫です。心配かけてすみません」
「……そうか。なら良かった」
自分でも疑うほど、俺らしくなく弱々しい返事になった。
沙樹は優しく笑って、まるで心配をかけさせまいとしてるみてえだ。
危険な目に遭わせて、怒ってもいいはずのコイツに気を遣わせて、なんて情けねえ……。
だが、そんな沙樹の様子を見て安心している自分がいることも事実だ。
上手く言えねえが……胸が締め付けられるような気持ちになる。
「……先輩が、私を助けてくれたんですか?」
「たりめーだろ! お前を溺れさせちまった責任もあるし、それに……」
「それに?」
「……いや、何でもねえ。とにかく無事で良かった」
強制的に言葉を途中で切り、溜め息を一つ吐いた。
たとえそんな責任なんざなくったって、俺は沙樹を助けてた。
他の誰でもない、俺の手で。
俺がこいつを守らねえと……いや、守りてえって思うんだ。
「ヒル魔先輩……ありがとうございます」
「礼なんざ言われることじゃねえが……まあ、どういたしまして」
一瞬、沙樹のその返事が、ついさっき自分が思ったことに対する礼な気がした。
そんなことあるわけねえとは否定しながらも、何となくばつが悪くなり目を逸らす。
……いつもの俺の悪い癖だ。
沙樹の前では他のヤツらと違って、上手く表情が作れなくなるときがある。
そんなときに、俺は決まって目を逸らす。
今こそ仮面の被りどころだっつうのによ……。
聞き慣れた声が耳に届き、沙樹の肩を掴んでいた手を離す。
俺たちがこの場から動かねえから、他のヤツらは気をもんで集まったらしい。
不安げな面々に、何でもねえよと一言告げ、浅瀬でのトレーニングに切り替えることにした。
浮き輪を身に付けた沙樹が引き返す流れに混ざろうとしたところで、俺は自然とその紐を手にした。
溺れさせたことへの贖罪、っつうわけじゃねえ。
罪悪感とか責任感とか、そういうんじゃねえ。
ただ……
自身の気持ちも乗せるように、大事なものを扱うように、ゆっくりと優しく手綱を引いた。