5話 6月29日
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
思いの外良さそうなものはすぐに見付かった。
分かりやすく『コーヒー初心者さんにも!』とあるし、バランス的にもこれが一番良さそうだ。
店員のいるカウンターに向かい、メニューをパラパラめくる。
……お、沙樹にうってつけのヤツがあんじゃねえか。
「……おい沙樹」
「は、はいっ!?」
アンティークらしき置物を手に取っていた沙樹は肩を跳ねさせ、裏返った声で返事した。
そんなに驚かせるような言い方したか?
「生クリーム好きか」
「あ、はい、大好きです!」
「ケーキも食うんだろ? どれにすんだ」
「じゃあ……シフォンケーキで」
「分かった。先座ってろ」
店員に淡々と注文を伝え、沙樹のいる席に向かう。
膝の上で手を畳んでしゃんと座っているその姿は、どこか上品さを感じさせた。
コイツ、しゃべってねえときはすげえ品良く見えんだよな。
しゃべったらしゃべったで明るくて面白えし……これがギャップってヤツか?
と何となく考えていたことは、漂ってきた香ばしい香りによって塗り替えられた。
俺が注文したアレを見て、コイツはどんな反応を見せてくれんのか。
徐々に期待感が高まっていく。
「そういえばヒル魔先輩って、いつ頃からコーヒー飲み始めたんですか?」
「中学の頃からだな。試しにブラックで飲んでみたら飲めた。特にまずいとも思わなかったから、なんだかんだ飲み続けてたらいつの間にか好きになってたな」
「す、すごい……初っ端からブラックって」
特に自慢でも何でもねえ話に、沙樹は目を輝かせている。
おそらくコイツの中で、ブラックコーヒーはラスボスか何かだと位置付けされてるんだろう。
ある種の憧れともいうか……。
そのいい意味での単純さが沙樹らしくて、つい吹き出してしまいそうになる。
他に客がいねえからか、店員は割と早めに運んで来た。
そわそわしている様子の沙樹のすぐ前に、ケーキと俺の注文したそれが静かに置かれる。
……コイツは本当に期待を裏切らねえな。
沙樹は初めて見たであろうそれに至近距離まで近付き、いろんな角度から食い入るように眺めている。
まるで未知のおもちゃと出会った子供のようだ。
してやったり、そんな気分で俺は挽きたてのコーヒーに手を伸ばした。
「……コーヒーの上にクリーム乗ってる!」
「ウインナーコーヒーってヤツだ。それなら飲めんだろ」
「へ~、こんなのがあるんですね! いざチャレンジ……ん! 甘い! 美味しい!」
『美味しい』。それを聞くやいなや、俺の頬が自分でも分かるほど緩んだ。
どうやら口に合ったらしいな。
至福の表情で舌鼓を打っている沙樹が、すかさず隣のケーキにも手を付ける。
「ん~~ケーキも美味しい~~! 幸せ……」
「結局コーヒーよかそっちなんじゃねえか」
「そんなことないです、ちゃんとコーヒーも味わってますもん」
俺の軽い冗談にふてくされたような顔をしたと思ったら、ふ、と和らいで優しい目付きになった。
その一瞬、鼓動が大きく打つ。
「ウインナーコーヒーってこんなに美味しいんですね! これならいくらでも飲めそうです」
「本当はもっと苦味のある豆使うんだがな。今回は念のため浅煎りの癖のないやつ選んどいた」
「ありがとうございます。ヒル魔先輩のおかげで、今日がコーヒー記念日になりました!」
「ケケケ、そりゃ良かったな」
元気にはしゃぐ沙樹を尻目に、平常を装った俺はまたコーヒーを一口含む。
なぜか俺はコイツのあの目付きに弱いらしい。
沙樹が時折見せる、大人びた面持ち。
それとは真逆の、惹きつけられるような屈託のない笑顔。
コイツなら引く手数多だろうな……。
――チクン
あ? 何だ今の痛みは。
訝しげに自らの胸の辺りを見やり、さするようにして確認する。
……何もねえ。一体何だったんだ?
菓子にうなる沙樹の声で我に返り、俺は今さっきの出来事を脳裏に放り投げた。