3話 5月16日
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しばらくして、音が聞こえなくなった。
そっと目を開けて顔を上げると、そこには誰もいない。
ガラスやら何やらが飛び散った部室には、私一人が残されていた。
「…………」
回らない頭で状況を整理しようとしたとき、ザリ、ザリという音が聞こえた。
音は段々大きくなってくる。
これ、足音?
……もしかして、あの三人が戻ってきた?
また恐怖を感じて隠れようとした矢先、入り口に人影が映った。
「……大丈夫か」
「……ヒル魔、先輩……」
立っていたのはヒル魔先輩だった。
分かった瞬間、何かがこみ上げてきて視界がにじむ。
怖かった。
本当に怖かった……。
ヒル魔先輩が来てくれなかったら、私はどうなってたんだろう。
わからない、そんなこと考えたくもない……。
いつの間にかすぐ近くに来ていたヒル魔先輩は、私の前でしゃがみこんだ。
そして私の頬の涙をぬぐう。
もう一度ぬぐう。またぬぐう。更にぬぐう。
……え、そんなに涙出てる?
いたたた、痛い……ちょっと、ぬぐいすぎ……いたたたた。
「ちょ、先輩痛いです……血出ちゃいます」
「バーカ、んな簡単に出るかよ」
「いや、だとしてももういいですって……いたたたた! もう! やめてくださいってば!」
「ケケケ、やっと元に戻りやがったか」
「え……?」
手を引っ込めたヒル魔先輩は、楽しそうににやりと笑う。
元に戻ったって、どういうこと?
わからずに先輩を見つめると、急に真面目な表情に変わった。
「アイツらには、もう二度とさっきみてえなことはさせねえ。練習中も必要以上に近付かねえように言ってある」
「あ、ありがとう……ございます……」
そうだ、さっきはヒル魔先輩が追い払ってくれたけど、部活は一緒だもんね。
今後のこと考えると、ちょっと心配かも……。
少し憂鬱になった私は俯いて、ぼんやりと手元を見る。
そのとき、何かが優しく頭に触れた。
一定のリズムで触れたり離れたりを繰り返すそれは、まるで赤ちゃんをなだめるようで。
触れている場所から、熱と重みがじんわりと伝わる。
……優しくてあったかくて、気持ち良い。
なんだか、安心する……。
それがヒル魔先輩の掌だということは、見なくてもわかった。
私は誘われるように、ゆっくりと目を瞑る。
さっきまでの不安や緊張は、あっという間にどこかに飛んでった。
今は……すごく心地良い。
まもなくして、頭に感じていた熱が消えた。
少しばかり寂しくなって、手の持ち主に顔を向ける。
先輩は、嬉しそうな、安心しているような、そんな表情に見えた。
ヒル魔先輩のこんな顔、見たことない。
優しい顔……。
先輩はすくっと立ち上がったかと思ったら、私の目の前に左手を差し出した。
指が長くて細くて、綺麗な手……って、そうじゃないそうじゃない!
立ち上がるのに手貸してやるよってことだよね。
つい見惚れてしまった自分に喝を入れ、手早く制服の汚れを払ってその手をつかむ。
――グイッ
わ、意外と強……!
一気に引き上げられた、その先には。
触れてしまいそうなほどすぐ近くに、ヒル魔先輩の顔が……。
――心臓の鼓動が、急にうるさくなった気がした。
「……甘川、何かあったらすぐ俺に言え。何とかしてやる」
「! は、はい、ありがとうございます……」
ヒル魔先輩は、そう口にして部室を後にした。
私のうるさい鼓動はまだ治まらない。
それに、心なしか顔も耳も熱い気がする。
私は傍にあった椅子に力なく腰掛けた。
ヒル魔先輩、私を助けてくれた……。
それだけじゃなくて、頭もポンポンって。
もしかして、私が不安そうにしてたのに気付いて、なだめてくれたのかな。
さっきのヒル魔先輩とのやり取りを思い出して、また顔が熱くなる。
やっぱり、まもり先輩の言うヒル魔先輩とは全然違うよ。
野蛮で危険だなんて、私には思えない。
手帳のことだって、きっとやむを得ない事情があるんだと思う。
ヒル魔先輩は私にとって……頼りになって、強くて。
……すごく優しい人。
なかなか治まらない鼓動を鎮めようと、立ち上がって身体全体で深呼吸を繰り返す。
だけどそれとは裏腹に、私の頭の中はヒル魔先輩のことで一杯だった。