12話 11月8日
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
学校予約のホテルに着くと、同室の子はどうやらどこかへ遊びに行ってるみたいだった。
ベージュの壁や暖色ライトが柔らかな印象のツインベッドの部屋は、トランクやカバンを置くだけで急に狭くなったように思える。
洗面所やお風呂場に化粧水やシャンプーなんかを並べると、更に狭く感じる上に、そこはかとない生活感。
まあ別に部屋が広くなくったって、いつもと違う場所で寝られること自体が嬉しいんだけどね。
ささっとシャワーを済ませた後にすべすべの枕の質感を味わっていると、ポケットが震えた。
『一階ロビーに来てみろ』
ヒル魔先輩からのメッセージだった。
ロビーに何かあるのかな?
今行きますねと打ち込み、急いで洗面所に備え付けの大きくて汚れ一つない鏡で身なりをチェック。
髪跳ねてない、抜けたまつ毛付いてない、リップもちゃんと塗った、──よし!
ナイトウエアに上着を羽織って、ついでにその姿もチェックする。
変じゃないかな? 変じゃないよね。うん、大丈夫。
そういえばヒル魔先輩と出会ってから、鏡を見る機会が増えたかも……今まではほとんど見なかったのに。これって良いことかな、悪いことかな?
……まあいっか。
ぷかんと浮かんだ疑問はこれといった答えが出る前にどこかへ放って、鍵を引っ掴んでパタパタと部屋を出た。
「……先輩、お待たせしました!」
「おう、沙樹」
割と薄めだけど暖かそうな白のダウンに、細身の黒いジーンズ。
制服もだけど、これもなかなかに先輩の体型が際立つ服だ。
こんなにシンプルなのにこんなにかっこいいのは、やっぱり素材がいいからだよね……。
すると私の恰好をひと通り眺めたヒル魔先輩が、眉間に薄くしわを寄せた。
「行きてえのは外なんだが、そのカッコ寒くねえか?」
「大丈夫ですよ。中に数枚着てますから」
「……ならいいが」
服を軽くつまんでアピールすると、先輩はちょっと納得いってなさそうな面持ちをしつつも、頷いてくれた。
受付を通り過ぎて自動ドアが道を譲ってくれた直後、冷やりとした空気が肌に触れる。
……思いのほか肌寒かったかも。しばらく歩くのかなあ?
前側に引っ張ったフードで首元を厳重に隠していると、なぜか建物の裏側に案内された。
ん? 建物の、裏……?
「え……これって」
広がるのは、ライトアップされた木々が幻想的な和風庭園。
石造りの灯籠は不思議と心を落ち着かせてくれ、並んだ水仙はまだ蕾だけど真っ直ぐに伸びた姿が凛々しい。
敷き詰められた砂利ですら威厳を放ってる気がする。
なんて京都らしい風情のある空間……。
肌寒かったのもすっかり飛んで、まばたきもせずに見入った。
「綺麗……」
「ケケケ、気に入ったみてえだな」
満足げに先輩は肩を揺らす。
先輩だって慣れない土地をたくさん歩いて疲れてるはずなのに、私のために連れてきてくれて。
──私のため、っていうのはちょっと傲慢かも?
もう一度庭園に目をやったけど、そこでふと違和感が湧いてきた。
なんで私たちしかいないんだろう?
「先輩、こんなに綺麗なのに、なんで他の人はいないんでしょうね?」
「場所が悪いんだろ。いくらモノが良かろうが、裏側に作ってりゃ気付くもんも気付かねえよ」
「……そっか、確かに」
駐車場は建物の前側に設置された上に、後ろはのどかな田んぼ一色。これは言われないと気付かない場所だ。
なんでこんな場所に作ったんだろう。まずは練習で試しにやってみたとか?
ヒル魔先輩はよくこの場所に気付いたなあ。散策でもしてたのかな。
……あれ、なんだか視界がぼやけてきたような?
疑問に思いつつ袖で目をこする。
二回、三回、四回……こすってもこすっても、曖昧な視界に変わりはない。
「……あれ、治らない……?」
「目え痛えのか?」
「痛くはないんですけど、何となくぼやけるんですよね」
「そりゃ眠いってこったろ。まだ一日目だってのに、お前ぴょんぴょん飛び跳ねてたかんな」
「っ、飛び跳ねてなんか…………いました、ね」
「ケケケ、ほらな」
そういえば結構ルンルン気分で飛び跳ねてた気がする。
でも飛び跳ねたくもなるよね、京都だもん。
飛び跳ねるなっていう方が無理あるよね、京都だもん。
睡魔にロックオンされてることを意識した途端に次から次へとあくびが押し寄せてきて、必死でそれを噛み殺し続ける。
ヒル魔先輩にあくびしてる姿なんて見られたくない……気付かれてないよね?
口元を袖で覆ったまま目だけちらりと向けると、先輩は特に変わりなさそうだった。
「今日はあんま時間ねえから、明日の夜にもう少しゆっくり見るとすっか」
あくびの処理が追い付かなさそうだったところに先輩から降ってきたありがたい提案。
すぐさまそうですねと返し、ロビーに向かった。
暖かい空間に移動すると一気に眠気が襲ってきて、自動的に頭がゆらゆら揺れる。
……もうこれは寝なきゃだめだ。明日起きられなくなっちゃう。
先輩がいつの間にかエレベーターを呼んでくれてたらしく、流されるままに乗り込んだ。
ポーンと控えめな到着音がして目的のフロアにのそのそと降り立つと、──頭に優しい感触が落ちた。
ヒル魔先輩の、手のひら。
「なら明日な、沙樹。ゆっくり休め」
「──ありがとうございます。じゃあ、おやすみなさい」
「ああ」
優しい笑顔で見送ってくれた先輩は扉の向こうに消えた。
眠いせいでいろんな感覚が鈍ってるけど──でも、頭からじんわり広がる嬉しさは確かに感じる。
ううん、むしろ……ちょっとしたまどろみ状態だからこそ、尚更嬉しく感じるのかもしれない。
ヒル魔先輩に触れられた髪を噛み締めるようにもてあそんで、部屋へと向かった。