11話 10月29日
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「はあ~、満喫した~!」
ほんのり夕焼け色に染まってきた空に腕を伸ばして、思いっきり伸びをした。
澄んだ風がのどを通ってほどよくクールダウンさせてくれる。
文化祭一日目ももうそろそろ終わりに近付き、あと少しで下校の時間。
屋上から見えるグラウンドでは最後のステージ真っ最中で、先生たち含む多くの人が取り囲んでる。
フェンスに指を掛けて人の波を見下ろしながら、私は今日一日の出来事を思い返した。
今日は本当に充実した一日だったなあ。
丸一日係の仕事だけで終わるかと思ったら、ひょんなことからヒル魔先輩と一緒に見回ることになっちゃって。
美味しいものたくさん食べ歩きして、人生初のお化け屋敷でまさかの気絶して、ステージ見て盛り上がって。
――それと、手を繋いで。
緩く開いた右手に視線を落とすと、強く握り返されたときの感触がすぐに戻ってきた。
きゅっ、と胸を掴まれるような気になる。
すごくすごく、楽しい時間を過ごせた。
それこそ……恋人同士だと思っちゃうくらいに。
『恋人同士』、なんて願望をさらりと浮かび上がらせてしまう欲張りな頭に、呆れた笑いがこぼれる。
……ヒル魔先輩に、感謝の気持ち伝えなきゃ。
「ヒル魔先輩」
「なんだ? 沙樹」
振り向きざまに呼び掛けると、優しい調子で返ってきた。
「今日……先輩と過ごせてとても楽しかったです。ありがとうございました」
最大限のお礼の気持ちを言葉とお辞儀に込める。
心からの感謝は、それじゃ足りないくらいだけど。
あー、という低いうめき声がしてそっと頭を上げた。
目を逸らしながら頭を掻いていたヒル魔先輩の姿に、なんだか微笑ましい気分になる。
……きっといつもの照れ隠しだろうな。
先輩がそのままこっちに近付いて隣に座ったから、私もそれにならって座り込んだ。
「……楽しかったのはお前だけじゃねえかんな」
俺もだ、と小さく付け足したヒル魔先輩はとっくに顔を背けてて――耳がほのかに染まっているように見えた。
耳だけじゃなくて金髪もきらきらと輝いてたから、ただの夕焼けのせいかもしれないけど。
――でも、先輩も楽しいと思ってくれてたんだ。
私だけじゃなかったんだと思うと……心が温かいような、満たされたような気分になる。
ふとガシャン、という音を立ててヒル魔先輩がフェンスにもたれかかり、空を仰いだ。
「まあ、文化祭も思ったほど悪いもんじゃねえか」
……わ、文化祭なんて眼中にないくらいだったのに、かなりプラスなイメージに変わってる!
ヒル魔先輩が新しく興味を持てるようになったって意味でも、文化祭見回れて良かったなあ。
そうですね、と相づちを打とうとした……けど、「だから」という先輩の続きでその言葉は息と一緒に飲み込まれた。
「また来年見回んのもアリだな――二人で」
……え、それって……
来年も、今日みたいに一緒に回れるの?
今日みたいに、楽しくて嬉しくて仕方ない日が、来年もくるの?
――私の好きなヒル魔先輩と、二人でまた過ごせるの?
「…………ふぇ、……っ!」
私の心をいとも簡単に打ち抜いたヒル魔先輩のひと言は――たったひと言だけど――威力絶大だったみたい。
感極まり過ぎて言葉が出なくて、その代わりに何度も、目一杯、頭がふらつくほど頷いた。
ヒル魔先輩は少しだけびっくりしてたように見えたけど、すぐに目尻を下げて優しげに笑った。
……初めてかもしれない。
まだ一年も先なのに、もうこんなに楽しみって思える日があるなんて。
はっきりした希望が約束されてる未来なんて。
しかもそう思わせてくれたのは、他でもない――私の好きな人だなんて。
『好きです、ヒル魔先輩』
今、顔も腕も足も全部沸騰寸前に感じるのは、私の全身がそう叫びたがってるからかもしれない。
……ん、あれ?
何となく先輩の目が泳ぎ出したような……?
「あーそれと、なんだ……あのな、沙樹」
またヒル魔先輩に似合わないどもり。
私知らない間に何かやっちゃってた……風な感じとも思えない。
何か伝え忘れてたことでもあったのかな?
何ですか、という意味で首を傾げると、先輩の親指が私に向いた。
「……そのカッコ、似合ってんぞ」
「…………へ?」
カッコ、って……今着てる服のこと?
フリルにリボンにミニスカートにっていう、女の子らしさ満点のこのメイド服のこと!?
え、これ似合って、私に、ヒル魔先輩が私に似合ってるって、似合……
「あ、ありがとう……ございます……」
徐々にしぼんでいく自分の声。
今更だけど、そういえば一日中この格好で練り歩いてたんだった……。
振り切ったつもりでいた照れが実はひっそり残っていたことにやっと気付く。
うわああああ今更だけど、本当今更だけど、だとしても恥ずかしい!
恥ずかしい……のはもちろんなんだけど、でも。
ヒル魔先輩に褒められるんだったら、メイド服も悪くないかも――なんて思っちゃう自分がいる。
あれだけげんなりしたはずなのに、もう着ないって誓ったはずなのに、私単純過ぎるよお……。
無駄に発揮される自分の単細胞っぷりに呆れ返っていると突然、
――私の右手が、そっと包み込まれた。
途端に胸が、高鳴る。
今日だけで何度か繋いだヒル魔先輩の左手。
細くて長くて少し骨張ってて、指先にマメができてて、私よりもちょっとだけ温度が低い……私の好きな手。
その手に強く、でも痛くないくらいの優しさで握り締められてる。
……本当は今までに何度も、触れてみたいって思ってた。
でも自分から手を伸ばせるだけの勇気なんてなくて。
そんなことができる立場でもないし資格もないしって言い聞かせて。
それが――今日叶った。
それも一度だけじゃなくて、何度も。
叶うなんて、これっぽっちも思ってなかった願いが。
きっとヒル魔先輩は今、またそっぽを向いてる。
でもだからといって私が顔を上げられるわけじゃない。
こんな――気持ちが抑えられなくて、すっかり緩んじゃってるような顔を。
それははぐれないためだとか、何かはっきりした目的のためのものじゃなくて。
気のせいなんじゃないかって思うような刹那的なものでもなくて。
ふやけた顔の熱が上がりきっても、お互いの手の温度が同じになっても、
――私の右手は、強く包まれたままだった。