11話 10月29日
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お腹もいっぱいになり大満足で迎えた午後。
さすがはマンモス校の泥門、生徒の数が多いってことは保護者やそれぞれ友達の数も多いってことで……。
午前中に比べて人通りは急に激しくなり、校内全体が騒がしくなってきた。
ヒル魔先輩の後ろ姿は目立つから追いやすいけど、もしはぐれちゃったら大変――
「わっ!?」
突然背中に衝撃が加わった。
反動でよろけたところをヒル魔先輩が腕を掴んで支えてくれる。
「ごめんなさい、メイドのお姉さん! 大丈夫ですか?」
「あ、私は大丈夫です、ので気にしないでください」
驚いたのととっさだったことで、無難かつ少しカタコトの返事をする。
私にぶつかった中学生くらいの女の子は、申し訳なさそうに会釈してそのまま走り去った。
するすると人混みを抜けるかと思いきや……また誰かにぶつかったみたい。
向こうの方で女の子の謝る声が聞こえた。
「あっぶねえな。ンな混雑してっとこで走んじゃねえってんだよ」
「はは……まあ、はしゃぎたくなる気持ちも分かりますけどね」
女の子の行った方向を睨みながら文句を投げたヒル魔先輩をなだめる。
走りはしてないけど、私も午前中はしゃいで食べまくってたし。
のたのた歩いてたのもきっと悪かったんだろうしなあ。
転ばなくて良かった――って、ヒル魔先輩が支えてくれたから転ばずに済んだんだよね。
とっさに腕掴んでもらえて助かったや。
まだ掴まれていた部分にふと目をやると、メイド服のパフスリーブから伸びる自分の腕が映った。
握られているところは服の上じゃなく……ダイレクトに肌。しかも二の腕。
支えてもらえて助かったけど、嬉しかったけど。
でも二の腕はちょっと――、いやかなりイヤだ!
極限に恥ずかしい気持ちはあるものの助けてもらった手前イヤとも言えず、やんわりと指摘することにした。
「支えてくれてありがとうございます、先輩。……えっと、でもそこ掴まれるのはちょっと、恥ずかしいというか何というか」
「……ああ、悪い」
格好悪く苦笑いする私とは違って、先輩は慌てるでも怒るでもなく、どこも変わらない様子ですっと手を緩めた。
そしてその手をあごに添えて何か考えるような素振りを見せる。
……もしかして前みたいに、柔らかいだとか何だとか思ってるのかな……?
テスト勉強に付き合ってもらっていたときの記憶がふっと蘇って更にばつが悪くなる。
しばらくして、先輩特有の笑みを正面から向けられた。
「でもまたさっきみてえなことになっちまうと困るかんな――こうしときゃいいか」
流れるような動作でもう一度その手に掴んだのは、
……私の右手。
「これなら転ばねえし人混みではぐれちまうこともねえだろ?」
「…………は、い、そうです……ね」
説得力の強さとあまりの堂々っぷりに、完全に理解しきれてないままの私はただ頷くしかなかった。
数時間前に引かれてた私の手が、屋上で離されて寂しさだけ残った私の手が――またヒル魔先輩の手に包まれた。
私よりほんの少しだけ温度が低く、細長くて骨張ったその手に。
でもそのときとは違って、勢いで繋いで勢いで離すんじゃなくて。
今度はしっかり宣言された上で。
『転ばないため』、『はぐれないため』。
手を繋ぐことになった理由は先輩の口から今はっきり聞いた。
きっとそれ以外の理由なんてない。
でも、それだけだとしても。
私は……ヒル魔先輩と手を繋ぐってことが、こんなにも嬉しい。
「――なら、行くか」
「はい……」
握られた手がくん、と優しく引かれた。
されるがままにおぼつかない足元で歩き出す。
視界の先にあるのは自分のつま先。
顔なんて絶対上げられない。ヒル魔先輩に見せられない。
いつものこったろ、なんて言われても顔に感情が出ちゃうのはやっぱり恥ずかしい。
抑えきれなかった喜びが、勢い余って先輩と繋がった方の手に力を込めさせた。
――あ、どうしよう。痛かったかな。
そうよぎった直後……先輩からぎゅっと握り返された。
「…………っ!」
握り返される、なんて。
ヒル魔先輩がどんな気持ちでどんな考えで握り返してくれたのか、これにどんな意味が込められてるのか、私はどう受け取ったらいいのか、それとも私の気のせいなだけなのか、
――全然分からない。けど、今言えることは。
その出来事は私の胸を十分に高鳴らせたっていうこと。
騒がしいはずの周りの音が聞こえない。
その代わりに――うるさいくらいの自分の鼓動がすぐそばで聞こえる。
大き過ぎてヒル魔先輩に聞こえちゃうんじゃないか、なんて思ってしまうくらいに。
空いている左手を目一杯広げて顔を隠した。
下向いてるから誰にも見えないって分かってる。分かってるけど、
……早く顔のニヤけ、治まってくれればいいのに……。
心からそう願い、繋がれた手の感触と温度に想いを寄せながら賑わった廊下をすり抜けた。
***
「…………ヒル魔先輩、本気ですか?」
「ケケケ、俺はいつでも本気だ」
眉をしかめて投げ掛けた疑問に、冗談混じりのようなそうじゃないような調子の返答がきた。
それはさっきまでのふわふわ浮かれてた気分が一瞬ですっ飛ぶくらいの光景。
目の前に広がりしは、地獄絵図上等、魑魅魍魎満載、阿鼻叫喚必至の。
「――お化け屋敷……っ!!」
これまた三年生のとあるクラスが仕切っている、『世界でここだけ! あの世直通お化け屋敷』。
絶対このスペースだけ現実じゃないよね? って言いたくなるくらい邪悪で異様で不気味な雰囲気を放ってる。
さっきの高クオリティカフェといい、三年生はなんでこんなに本格的すぎるもの作るの?
根っからのクリエイターなの? 作りたい欲抑えられない病なの? なんなの?
絶句したまま立ちすくんでいると、中からの叫び声が嫌でも耳に入り込んできた。
例えは悪いかもしれないけど、ヒル魔先輩に出会ったときの奴隷の方々と同じような悲鳴。
お化け屋敷なんて一度も入ったことはない。
だって見るからに怖いから。生きて帰れなさそうだから。
何が楽しくて自分から怖がらせられに行かなきゃいけないのか。
ほら、今だって出口から出て来た人が泣いてるよ。というかなんか担がれてる人もいるよ?
お化け屋敷なんて入る意味がどこにあるの?
血が惜しげもなく浴びせられた看板(血糊かどうかすらも判断できないくらいそれっぽい)に嫌な意味で視線を奪われながら、横のヒル魔先輩にもう一度投げ掛ける。
「……先輩、私お化け屋敷入ったことなくて」
「ならこの機会に初挑戦だな。楽しみだ」
「……いや、怖いから今まで入らなかったんであって」
「霊なんざこの世に存在しねえかんな。全部作りもんだ」
「……いや、作り物だろうが怖いものは怖いんであって」
「発泡スチロールと段ボールと人間の融合美術館だと思や怖くねえ」
「……いやそういう問題じゃなくて」
「沙樹」
なんだか噛み合わない問答の途中に、ヒル魔先輩が真面目な顔付きで私の肩を優しく叩いた。
真正面からじっと見つめられて思わず胸が高鳴……いやそれどころじゃない。
かっこいいのはもちろんなんだけど今はそれどころじゃない。
すぐそこの地獄に突き堕とされるかどうかの瀬戸際。
流されるわけにはいかないんだから。しっかりして私。
たっぷり間を置いた後、ヒル魔先輩はようやく口を開いた。
「泥門デビルバッツのマネージャーたるお前が、苦手だからってずっと避けてていいってのか? 他のヤツらはたとえ壁がバカ厚くてもハードルがバカ高くても全部乗り越えてきてんだ。支える側のお前ができねえでどうする」
「う…………」
ここにきてまさかの正論。
たしかに先輩の言う通りだ。
苦手なことを避けてて成長なんてできない。
むしろ苦手なことこそ、積極的に立ち向かっていかなきゃいけない。
それは選手だろうとマネージャーだろうと同じこと。
分かってる、分かってはいるんだけど……!
私が唸りながら葛藤していると、隣から呆れたような溜め息が聞こえた。
「お化け屋敷ごときクリアできねえって言うんじゃ、クリスマスボウルなんざただの夢物語だな」
「っ、それはだめです!!」
絶望的な先輩のひと言に、私は考える前に顔を上げて叫んでいた。
クリスマスボウルはヒル魔先輩と、私と――みんなの悲願なんだから、夢物語になんてさせない。
夢半ばで終わらせられない。
そうだ、選手のみんなだってどんな強敵相手でも頑張ってるんだ。
目の前のことを一つ一つ乗り越えて、実力と自信を付けていってるんだ。
――だったら、私がこんなところで怯えてるわけにはいかない!
私がこのお化け屋敷を制覇できればクリスマスボウルに行ける、不意に浮かんだ願掛けが私の背中を強く押した。
「……先輩、私頑張ります! 行きましょう!」
「よく言った沙樹! それでこそデビルバッツの一員だ!」
「いざ行かん――、お化け屋敷!」
そう、夢を諦めることに比べれば、お化け屋敷なんてこれっぽっちも怖くない!
こんなの軽々乗り越えて勝利への踏み台にするんだ!
今度は逆に手を引く側にまわり、私は意気込んでおどろおどろしい世界へと押し進んだ。
「いやあああああ落ち武者ああああ!!」
「それなりに鎧凝ってやがんな」
「うひゃああああああ貞子おおおお!!」
「髪の長さお前と同じくらいだな」
「ひぎゃああああああ首無しのやつうううう!!」
「感覚器がほぼねえのに追えんのは中に人が入ってる証拠だな」
「ひ………………」
――あれ? 私何してたんだっけ。
なんだか叫びまくってたような気がするけど、何となくのどが痛い気がするけど、気のせいかなあ。
うん、きっと気のせいだよね。気のせい気のせい。
だってこんな綺麗なお花畑で叫ぶ理由なんて一つもないし。
黄色や白、ピンクのお花がたくさんでほんとに綺麗……あ、向こうに川も流れてる。
あれ、川の向こうに白い服着た誰かが立ってる。しかもおいでおいでって招いてる。
なんだか亡くなったひいおじいちゃんに似てるなあ、ちょっと行ってみようかな――ん? 何か聞こえる。
沙樹、沙樹って、誰かが私の名前呼んでるみたい。
一体誰が呼んでるの…………?
「――沙樹、おい沙樹。目え覚ませ」
「…………はっ! ここは、外!?」
「もうとっくに出ちまったぞ」
目を開くとそこにはただの廊下が広がっていた。
あれ、たしか私お化け屋敷入ってたよね? もしかして夢だった?
不思議に思い慌てて周りを見渡すと、後ろにはお化け屋敷の出口があった。
やっぱり夢じゃない。お化け屋敷に入ったのは現実。
……でも、知らない間に出て来てるってことは。
少しずつだけど鮮明になってきた記憶に、知りたい気持ちと認めたくない気持ちを抱きつつ、おずおずと先輩を見上げた。
「……先輩。もしかして私……気失ってました?」
「おう。それはそれは見事に失ってたな」
真実の種明かしに、瞬間湯沸かし器並の早さで赤面するのが自分でも分かった。
わああああやっぱりいいい!!
すっごい恥ずかしい! もうほんとに恥ずかしい!
あれだけ張り切って挑んだくせに気絶するとか何それ私!
これだからお化け屋敷はあああ! もう二度と入らないからね絶対に!!
入る前の誓いはどこへやら、今はもう『お化け屋敷嫌い』一色。
いやでもこれは仕方ない。だって本当に怖かったんだもん。
生きて出て来ただけですごいって自分を褒めてあげたい。
もうこれはお化け屋敷制覇したって言えるよね。うん言える言える。願掛けも叶う叶う。
というか人が気失うって相当なレベルだよ――って、ん?
気付けば私は、抱き枕を抱くように何かに全身で絡み付いていた。
その『何か』の正体は――
「……わあああっ! ごごごごめんなさい!」
予想もしてなかった事態に慌てて飛び退く。
私はいつからそうしていたのか、ヒル魔先輩の左腕をずっと抱き締めていたみたいだった。
手で裾を握ってたとかそんな可愛らしいものじゃない。
離れないように全身で、まるでツタがまとわり付くように、がっちりとホールド……。
いくら気を失ってたとは言え(いや気を失ってたから、かな?)そんなことになってただなんて!
もう迷惑以外の何ものでもないよ!
照れと罪悪感で先輩の顔は見れないために、顔を上げないままで何度も頭を下げる。
「軽々しくくっ付いちゃってほんとにすみません!」
「……別に、謝るようなこっちゃねえ。怖がってんの分かってて無理やり入ったの俺だしな」
むしろ俺が悪かった。そう付け足したヒル魔先輩の声はどことなくくぐもっていた。
そうっと顔を上げると、視線を落として頭を掻く先輩の姿が映る。
謝るのは気絶しちゃった上に全身で絡んでた私の方なのに……。
「……怒ってないですか?」
優しい先輩のことだから答えは分かりきっているけど、言葉で聞いて安心したくなった私はつい問い掛けた。
「ンな顔すんな。怒りゃしねえよ」
ふ、と柔らかい笑みを浮かべた先輩は、私の頭をくしゃっと撫でてからまた手を繋いだ。
言葉以上に安心するその仕草に胸が熱くなる。
自分の失敗や罪悪感なんてものが、良くも悪くも消し去られていく。
……ああ、やっぱり。ヒル魔先輩のこの表情、好きだなあ。
ふとしたときに向けてくれる、優しくて温かい笑顔。
見てるだけで落ち着く。幸せな気分になれる。
だけど少しだけ――心がざわめく。
この笑顔を他の女の子にも向けてるのかな、って。
他の女の子とも手を繋いだりしてるのかな、って。
その笑顔もその手も……本当は全部独り占めしたい、って。
我慢してるつもりだけど、私の欲はとどまることを知らないみたい。
――私はヒル魔先輩の彼女でも何でもないのにね。
そんな身の丈に合わないことを考えながら、改めて人混みの中へと繰り出した。